シラナイ

はいすこあ

第1話 シナナイ

 私は、「死ねない」という気持ちに至ることがある。

様々なことから逃げ出したくなるとき。

そして、逃げるという言葉より先に「自分がもし死んだら?」という空想に落ちてみたときだ。

学校はどうしようか、友達は?

親は?兄弟はどうするだろう?なんて優等生ぶったことよりも「スマホの中身は恥ずかしくないだろうか」とか

飛び降りたら痛いのかな?とか、迷惑だろうか?とかってことを考えてしまって、結果、「死ねない」。

そこに勇気なんてない。

あるのはただ、自分が死ぬことへのひとりよがりの正義だけ。


 私にはまた「死なない」という気持ちに至ることがある。

死のうとして、死ねないのでなく、「自分は死なないかもしれない」と思うときだ。

学校はこれからも続いていくような気がするし、友達との友情や思い出が消えるような気もしない。そもそも、そんなにちんけなものじゃない。

親はいつまでも自分を子供扱いするんだろうな、なんてことも思ったりするし

スマホを新しく買っても、今とおんなじようにいじってるんだと思うし。


なんだかこのまま、どんなに年を取っても、自分が死なないような気がする。

きっとそうなんだと。


死ぬことは、生きることの先にあるのか、それとも生きることが死ぬことのただ前に続いていることなのか。

死を間近で見たことはないけど、それはみんなに起こるんだと思うし

死んでいる人をお葬式で見たことはあるけど

自分は、自分だけはなんだか死なないような気がして。現実感がない。


でも、もしわたしが死なないとしたら、それはきっと困ってしまうと思う。

周りの人は死んでしまって、自分だけが死ななかったら。


そしたらそのとき、私は自分をどうするんだろう。

飛び降りたら痛いのかな?とか迷惑だろうか?とかってことはきっと考えるし、もし大切な知り合いが生きていたら、優等生ぶったことも考えるだろうけど

きっとみんなとおんなじように、おんなじだけの「死」ってものが欲しいって思うのかもしれない。

死ななかったら、羨ましがられたりするのかもしれないけど、きっとそうだ。


そこにたぶん、勇気なんてない。

あるのはただ、自分が死ぬことへのひとりよがりの正義だけで

「生きてる」っていうパッケージがきっと邪魔に、億劫に感じるんだと思う。


でも今生きてるわたしは、賞味期限みたいな「死」を迎えた時、中身もみんな腐ってしまうような、そんな気がしてる。

だから死にたくない、少なくとも今は。


そしてそんなことを思っていたから、「シナナイ」になったような、

きっと今でも、わたしはそう思ってると思う。

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