ひとりきりのゲネプロ――宇梶美香(中学三年)
スケジュール帳に空白があるのが怖い。
ちまちまとした細かい文字で真っ黒に埋まっていると安心する。
やることがある、ここにいる意味があるって思えるから。
私は存在しているんだって実感できるから――。
*
「娘は父親に似るって言うけど、ほんと、よく似ているわね」
あの人は口癖のように吐き捨てる。
私は傷ついてなんかいないよっていうふうに「えへへっ」と笑う。あの人はそんな私を見ると、嫌悪の表情から憐憫の表情へと変化する。そうしていつもの台詞と共に背を向ける。
「ちゃんと鍵閉めるのよ。でも美香が起きる前には帰ってくるから、チェーンは開けて置いてね」
玄関のドアが開いた瞬間、他人行儀な夜の騒音が流れ込み、ペンキの剥がれかかった鉄製の重いドアが再び閉まるとまたくぐもった静寂が訪れる。
六畳と四畳半と小さな台所。玄関から見渡せてしまうほどの狭い団地の一室が急に広く感じられる。居間になっている六畳の和室のテレビが笑い声をあげている。
またあの人はテレビをつけっぱなしで出て行った。
私はリモコンで消した後、主電源も落とした。音が消えた部屋は明かりが少し陰ったように感じる。
私が小学校低学年の時にお父さんはいなくなった。
いなくなったっていっても、きっとその辺にはいる。このうちからいなくなっただけ。でもいついなくなったのか、私は正確に知らない。気がついたらいなかった。
お父さんと何日も合わない時も多かったから、まさかもう二度とこの家に帰ってこないなんて思ってもいなかったんだ。またよれよれのTシャツとジーンズでふらりと帰ってくるもんだと思っていた。
そんな格好で出かけるくらいだから会社員じゃない。その頃の私にはそんなことはわからなかったけれど。牛丼屋さんで働いているということしか知らなかった。
働くことに正社員とかパートとかアルバイトとか、いろいろ勤務体制があると知ったのは中学生になってから。そしてお父さんが牛丼屋さんのアルバイトだったということも知った。学生アルバイト並のお給料だったらしい。
その話をするお母さんは本当に嫌そうな顔をする。だったら何度も話さなくてもいいのに、いまだに一週間に一回は同じことを話している気がする。
私は小さかったから家計のことなんてなにもわからないし、気にもしていなかった。だからいつも楽しそうなお父さんが大好きだったし、もう帰ってこないと知った時は「捨てられた!」と思った。
本当は捨てられたのはお父さんの方。お母さんが愛想を尽かしたってやつ。
そして、私が海浜第一中学校に入学して演劇部に入部したら、お母さんは私にも愛想が尽きたらしい。
でも偶然だったんだ。
なんにも考えていなかった。
たまたま同じクラスで友達になった澤田カリンが言ったから。
演劇部が面白そうだ、一緒に入ろうって。
だから入っただけ。
お母さんが言うような反抗期なんかじゃない。
だって、知らなかったんだもん。
お父さんが演劇をやっていただなんて。
*
「部活、決まった?」
調理実習室で一緒にじゃがいもを洗っていたカリンが聞いてきた。
その頃はもうGW直前で、いくつでも部活を体験して回れる仮入部期間も先週の金曜日で終わっていた。私はテニス部、バドミントン部、吹奏楽部に
「ん~。別にどこにも入らなくていいかな~」
洗い終わったじゃがいもを調理台で待機している子に渡しながら答えた。カリンは人参を二本手に取ると、一本を「はい」と私によこす。
どこかの班から「こいつ肉を洗剤で洗ってるよ!」と笑い混じりの叫び声がする。
「帰宅部とかつまんなくない?」
「でもいいなと思う部活がないんだもん。――カリンは?」
「私? 私は演劇部」
「えんげきぶぅ? ダサくなぁい?」
爽やかで活発そうなカリンが学芸会みたいなことをする文化部だなんて意外。
「ダサくないよぉ。
文化部の厳しさなんてたいしたことないだろうに、そんなふうに言うカリンって面白いななんて思った。
「なにそれぇ。厳しいのがいいのぉ? カリンったら~、マゾなんじゃなぁい?」
「いやいや、マゾかどうかはわかんないけど、すごいんだって、もう雰囲気が」
マゾは否定しないんだね、なんて笑いながら、仮入部から厳しいっていったいどんな部活なんだろうと気にはなった。でも仮入部期間は終わってしまったし、他の班からは既にカレーのいい匂いが漂い始めていて、まだ野菜を洗っているうちらの班は急にバタバタと慌ただしくなったし、カリンとの話はそれきりになった。
あまり早く家に帰りたくはない。
昼夜逆転生活のお母さんがまだ寝ているかもしれないから。物音で起こしてしまったりすると寝起きが悪いからめんどくさい。
だから本当は毎日活動する部活にでも入れれば一番よかったんだけど、その気になれるようなところがないのだからしかたがない。
とりあえず図書室で時間を潰すことにしている。
宿題を片付けてしまったり、文芸誌をめくってみたりしているうちに窓から差し込む日差しが閲覧席の方まで伸びてきた。
ちょっと眩しいなぁなんて思っていたらシャラシャラと静かにカーテンが引かれていく。図書委員の男子がカーテンを閉めて回っていた。
もう一人の図書委員はうちのクラスの女子で、カウンターで本のバーコードを読み取っている。ぼんやり眺めていたら視線を感じたのか彼女がふと顔を上げた。あまり話したことはないけど、とりあえず手を振ってみたら、相手も笑顔で手を振り返してくれた。
グラウンドから「お疲れ様でしたぁ!」と男子の揃った声が聞こえてくる。サッカー部か野球部か知らないけど、そのへんの男子が大勢いる部活の練習が終わったのだろう。
オレンジ色の光を透かせたカーテンが風でぶわりと広がった。一瞬覗いた空には薄茜色と藤色に染まった細い雲がたなびいていた。
そろそろ帰ろうかな。
笑い声が図書室の前の廊下を通り過ぎていく。「ばいば~い」とあちらこちらで声が響く。
私はもう一度図書委員の女子と手を振り合うと、図書室を後にした。
がらりとしたグラウンドはボツボツとスパイクの跡が残っている。いくつかの二、三人のグループが、昇降口の片隅や校庭のベンチやゴールポストの脇にいて、細長い影を伸ばしている。ときおり爆ぜたような笑い声が響く。砂埃のような匂いの風が吹いている。
体育館の脇を通った時、笑い袋みたいに狂った笑い声が聞こえてきた。
ぎょっとして開け放たれた鉄のドアから覗いてみると、ステージ上に六人が並んで座っていて、感情丸出しで話し合っている。笑い声はそのうちのひとりのもののようだ。
ステージの下には大勢の人が体育座りをしてその六人を見上げている。運動部なのか全員ジャージ姿だ。……なんだこりゃ?
「三分経ちました。はい、そこまで!」
体育座りをしてた一人が立ち上がった。手にはストップウォッチを持っている。
「じゃあ、講評行きます」
その人が声をかけると、次々と手が挙がる。わけわからん。
「“悲しむ人”が俯いているだけだったので、もっと感情表現をした方がいいと思います」指名された誰かがそう言えば、ステージ上から「はい。ありがとうございました」と返事がある。
「“笑う人”“喜ぶ人”“楽しむ人”の区別がつきません」とか「“泣く人”と“悲しむ人”は感情を内に込めてしまっているので伝わってきませんでした」とか「“怒る人”は怒鳴ってばかりです。静かに怒るとかほかにも表現はあると思うので、もっとメリハリがあるといいと思います」などなど。
それぞれに対して、その都度「ありがとうございます」の返事。
どうやら六つの感情の担当が決まっていて、そのキャラクターで会話をするという練習の様だ。そこでやっと気がついた。
――演劇部か。
笑う、怒る、泣く、悲しむ、喜ぶ、楽しむ……。違うものだとわかっていても、意図的にこれを表現しようとすると難しいらしい。
私ならどうするだろう。泣くと悲しむの違い――泣かずに悲しみを表すには? 逆に、悲しみ以外で泣くとしたら? しくしくと? 号泣? うれし泣き?
私は悲しい時にどうする? 楽しい時ならいかにも楽しそうに振舞うだろう。だけど、悲しいとか怒るとかは隠すんじゃないだろうか? 人にはばれないように。
でもこの練習は本当の感情を隠しているということまでもわからせなければならないのだ。
難しい。そして、面白い。
私はいつしかローファーを脱いで、靴下で体育館に上がり込んでいた。
講評も面白い。
あの六人の台詞はアドリブなのだろう、あそこではこう言うべきだったとか、あそこでは誰々が台詞を言うべきだったとか、誰と誰は怒る人をなだめないと不自然だろうとか。みんな、なんてよく見ているのだろう。
感情を意識するなんてことが普段の生活であるだろうか。気持ちを隠すことはあっても、気持ちを表して伝える方法なんて考えたこともない。
――生々しい。
ここには生々しい感情がある。作り物の感情なのに生々しい。
生きているって感じがする。ひとりひとりが「ここにいる」って感じがする。そして誰かが見ていてくれて、その間は輪郭が濃くなる。存在感。
「はい。じゃあ、今日はここまで。お疲れ様でした」
「お疲れ様でしたっ!」
赤ジャージの三年生と緑ジャージの二年生が舞台袖に引っ込んで制服に着替え始める。青ジャージの一年生は掃除用具入れからモップや自在箒を取り出して、いっせいに掃除を始めた。
「あ、あのっ!」
ざわめきが舞う体育館に聞きなれた声が反響した。――私の声。
一年生が掃除の手を止め、一斉にこちらを見る。カリンが「あ」の形に口を開けた。舞台袖から着替え途中の恰好のままの先輩たちが顔を覗かせる。
「なんでもありません」なんて言える雰囲気じゃない。もう後には引けない。引くつもりもない。
「入部させてくださいっ!」
誰かが取り落したモップの柄が板張りの床に強くあたって、パァーンッと大きな音が響いた。
*
壁際に置かれた鞄からゴミくずのような紙の束を取り出す。一辺の二箇所をステープラで留めてあるけれど、何枚かは破れてペラペラとめくれあがっている。筒状に丸まってしまってテーブルの上に広げてもすぐにくるりんと縮こまってしまう。
いまさら開く必要もない台本。
本番を明日に控えた今、この台本はお守りでしかない。
台詞はもちろんのこと、余白に書き込まれた細かな動きや立ち位置、きっかけなんかは全部頭に入っている。見直すものなんかない。見なくちゃ思い出せ内容では本番が迎えられるはずがない。
でもようやく巡ってきたキャストの座。自主練をいくらしても足りない。
今では、夜、ひとりになれることが嬉しいと思えるようになった。
お母さんが仕事に出たら、私の自主練の時間。
夕方、部活でもやったけど、またストレッチと腹筋運動をやる。それから近所迷惑にならない程度に台詞を言ったり、動き回ったり。
ミスをするわけにはいかない。しくじった時点で私たち三年生は引退になる。
そんな大切な劇の時に私なんかが主役でいいのだろうか。
私は三年生だけど、キャストはまだ三回目。二年の文化祭、三年の春季発表会、そして、今回――夏の大会、地区予選。
主役は初めて。
ずっとわからなかった。自分がなんで演劇やっているのか。大好きだったお父さんの真似をしたいのか、演劇自体が楽しいのか……。
でも、先輩たちが夏の大会で引退して、そのあとすぐに文化祭のオーデションがあって、それで、やっとキャストになれて。
もしかしたら同情票なんじゃないかと思った。実際そうなんだろうなぁって思う。やっぱり上級生にキャスト未経験者がいたら、後輩たちもやりにくいんだろうから。そういう演劇部全体のバランスを考えてキャスティングされたんだと思う。
それでもステージの上は最高だった。稽古と違うのは当たり前だけど、まるっきり本番通りにリハーサルをするゲネプロとも違った。本番にしかない世界がそこにはあった。
出番が来て舞台袖から照明の当たる空間に出ると、もうそこは空気が違っていた。ピリッと引き締まった時間。地続きの世界なのにまるで別の空間。
でもやっぱり不安は拭えない。間違っている気がしてならない。
だって、どう考えたっておかしいもん。私のサブがカリンだなんて。
カリンならきっとうまくやれる。この大事な舞台できちんと大役を果たせる。
そして去年観た劇が忘れられない。萩台北中の女の子。
先輩に連れられて観たあの劇。あの女の子。
あの劇を観たから……あの女の子を観たから……私は、私もどうしてもあのステージに立ちたいと思ったんだ。あんな風に「私はここにいる」って全身で叫びたかったんだ。
台本がバサバサと小さく鳴る。手が震えている。膝もガクガクして、堪らず床に座る。
明日。
明日の地区大会を勝ち抜かなくては。県大会で北中のあの子と同じ舞台に立つために。なんとしても。必ず。
震えが大きくなり、奥歯がガチガチと音をならしている。自分の一部じゃないみたいに勝手に動いている。
地区大会くらいでどうするのよ、私。
楽しみなのに怖い。うずうずするのに逃げたい。
台本を握る手に力が入る。台本はどの辺も毛羽立ち、指でなぞっても切れることもない。手汗でよれてぼろぼろの台本。今までで一番使い込んだ台本。
行きたい。あの場所へ。
ステージから客席を見たい。
あの子は今年もきっと県大会の舞台に立つ。
見たい。その場所を。あの子と同じ景色を。
そうすれば少しはここにいることを実感できる気がして。
生まれてきた意味を作り出せる気がして。
明日のために、最後の一人稽古。
立ち上がる。台本を開く。ピンクの蛍光ペンの下にある台詞を読み上げると震えが止まった。
――いける。
私は行ける。
あのスポットライトに照らされた板の上へ――。
『ひとりきりのゲネプロ――宇梶美香(中学三年)』
―― 幕 ――
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