第六場 中庭のふたり

 文化祭まで二週間をきった。


 私と美香は放課後だけでなく、昼休みも練習に充てることにした。葵と入江が付き合ってくれて、四人で中庭に出ていた。

 やっぱり円形劇場のようなこの中庭はいい。なのに、地味な女子生徒の二人組がいるだけだ。みんなも中庭に来てみればいいのに。それともこの形状に魅力を感じたりはしないのだろうか。


 美香と出会ったばかりの頃、ここでランチミーティングをしたっけ。入江が本を読みながらパンをかじっていて。あの時は頭にきたな。思い出してひとりクスリと笑ってしまう。


「……言うべきかどうかわからないんだけど、俺だったら、どんなことでも知らないよりは知っていた方がいいと思うんだよね」


 入江が歯切れの悪い言い方をする。似合わない。いつも要点だけを言って、言葉が足りないくらいなのに。


「どーぞ、言っちゃってくださーい」


 美香が両手を広げて受け止めるしぐさをする。

 入江は肩で大きく息をひとつすると、口を開いた。


「――城東学院の演劇部が県大会に出場する」


 美香が広げた手のやり場に困って、腕を上げたままで指をモジモジさせる。その腕に手をかけてそっと下してあげる。


「当然の結果だよね」


 さらりと言えただろうか。笑顔で言えただろうか。

 入江はさらに続ける。


「県大会はうちの文化祭と同じ日程」

「……」


 なんだろう、この苦しさは。

 県大会を見に行きたかった? 文化祭を見に来てほしかった? 

 どちらでもあって、どちらでもない。


 城東学院の劇を観たら、きっと冷静ではいられない。そこに瑞希がいたらなおさら。けど、そうとわかっていても、行けるものなら観に行ってしまうだろう。

 文化祭での『銀河鉄道の夜』を観てほしいと思う。ううん。どうかな。私は二週間前になっても瑞希に連絡していない。今の私の演技を観てほしい気持ちと、観られたらがっかりさせるのではないかという恐怖。


 県大会と文化祭が重なったのはよかったのかもしれない。自分で選ばなくてもいいから。


 ガシャン。


 軽いプラスティックの音がして、ふと我に返る。中庭でお弁当を食べていた二人組の片方が箸箱を拾っていた。


 その時。


「おー、やってるねー」


 はっ! この声は!


 職員室の窓から古賀先生が手を振っている。どこにでも現れるな。


「せっかくなんだし、そこの三年生に観客になってもらえば? 別に秘密の稽古じゃないんでしょ?」


 急に指名された二人組女子がビクリとする。そりゃそうでしょ。ただ居合わせただけの人を巻き込むなんて強引すぎる。すみません、先輩方。


「あ。いいかも」


 葵が乗り気になる。え? そうなの? 乗っちゃうの?


「すみませーん。少しご協力お願いできますか?」


 両手を合わせて先輩たちに近寄っていく葵。


「え……でも……」


 先輩たちはうつむき加減に視線をそらす。


「ただ観ていてくれればいいんです。それで、ちょっと感想でももらえたら」


 食い下がる葵に、二人は顔を見合わせている。お気の毒に。こんなにおとなしそうなのに。


「観てやれ、観てやれ。先輩だろ、お前たち。ついでにいっぱいダメ出ししてやれ」


 窓から古賀先生が言いたい放題だ。ダメ出しなら、部外者にやらせないで自分がやればいいじゃん。――あ、やっぱいい。古賀先生は関わらなくていい。関わらないで下さい。


「……じゃあ、観るだけなら」


 古賀先生と葵に圧された感じで、先輩たちは引き受けてくれた。本当にすみません。


「ありがとうございます。どうしても内輪だと客観的に見れない部分もあって」


 お礼を言いながら、葵も先輩たちの隣に座る。


「それじゃあ、最初の場面ね。先生は上手かみてに立っているつもりで」


 先輩たちが誰もいない右側の空間を見る。

 舞台に向かって右が上手かみて、左が下手しもてとなる。これを知らないと、右だの左だのでは、どこから見て右なのか左なのか混乱する。演劇の基本中の基本だ。


 最初は教室。ジョバンニがセンターの位置。カムパネルラは下手の舞台袖近く。ここでは花壇の端の方だ。



先生「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」


 葵が先生の台詞を読み上げる。

 カムパネルラが手をあげる。ジョバンニも手をあげようとして、急いでやめる。


先生「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう」


 ジョバンニ、勢いよく立ち上がる。が、うつむいてモジモジする。


 授業の場面は先生とジョバンニとカムパネルラのいくつかの台詞だけですぐに終わる。夜空と銀河をイメージさせるのが目的の導入シーンというところだ。

 原作で次にくるのはジョバンニがアルバイトをしている活版所の場面だが、今回の劇では省略した。そのため、すぐにジョバンニの家になる。授業の後、カムパネルラは下手に退場したが、ジョバンニは残り、下手舞台鼻に立つ。つまり客席から見て左側の舞台の一番前。母親との会話になるが、いるのはジョバンニのみ。母親は声だけの演出だ。



お母さん「そうだ。今晩は銀河のお祭りだねえ」

ジョバンニ「うん。ぼく牛乳をとりながら見てくるよ」

お母さん「ああ行っておいで。川へははいらないでね」

ジョバンニ「ああぼく岸から見るだけなんだ。一時間で帰ってくるよ」

お母さん「もっと遊んでおいで。カムパネルラさんと一緒なら心配はないから」

ジョバンニ「ああきっと一緒だよ」



 このやり取りの後、ケンタウル祭の夜の場面になる。ここをどうするかがまだ決まっていない。いじめっ子ザネリやその取り巻き、カムパネルラとケンタウル祭で会う。そして銀河ステーションへと続くわけだが、この流れがしっくりこない。


「やっぱり、廊下の窓から入るしかないんじゃない?」と葵。

「それだと、ケンタウル祭はどうするの? 中庭でやるの?」と私。

 ここのところ何日も同じやり取りを繰り返している。


「あのぉ……」


 一人の先輩が小さく手を挙げている。小っちゃくてかわいらしい人だ。動作も小さくてリスみたい。


「あ、はい。なんでしょう?」葵が振り向く。

「劇って、教室でやるんじゃないの?」


 ねえ? と隣のキリンのように細い先輩と、目配せをする。ずっと仲良しなんだろうなと思わせる距離感。いちいち声に出さなくても意思の疎通ができている感じがして、ふと中学時代の自分と瑞希の関係を思い出してしまう。この先輩たちは三年生になる前からの友達なのかもしれない、などと関係のないことまで考えたりして。


「ああ、そうか。今日初めて観た人にはわからないのか。中庭で練習しているのはただ単に練習場所として使っていると思うよな」


 入江が独り言なのか葵に言っているのかよくわからない話し方をする。葵は入江のそれを独り言ととったらしく、相槌を打たずに先輩たちに説明を始めた。


「メインは教室なんですけど、教室は銀河鉄道の中だけなんです。セットも変えないので、大きなものも作れますし」


 葵が考えた演出はこうだ。

 教室の狭い空間での場面転換は無理がある。スペースの問題もさることながら、暗転も慣れないメンバーで動けるとは思えない。だったら、ほかの場面は教室以外でやればいい。

 幸い、中庭は文化祭の使用区画外だった。だからといって使ってはいけないということでもないらしい。いわば忘れられた空間だった。けれど、ここがなかなか都合のいい場所で、一年生の教室の階と同じ高さなのだ。窓の下に台でも置いて乗り越えれば、すぐに一組の前の廊下に入れる。観客には廊下と教室を移動してもらうだけで両方を観てもらえるのだ。


「余計なお世話かもしれないけど、思いついたことがあるの」


 リス先輩がキリン先輩にまたもや「ね?」と視線を向ける。キリン先輩は頷くだけで自分から話す気はなさそうだ。


「ケンタウル祭って、お祭りよね?」

 リス先輩は一応という感じで確認する。

「そうですね」と葵。

「だったら、昇降口から入って廊下を使ったらどうかな?」


 私たちは中庭の向こうにある昇降口を見る。教室に行くには遠回りだ。すぐ目の前に一組があるのに。

 メリットがこれっぽっちも見えていない様子の私たちを見て、リス先輩は言葉を続ける。


「ジョバンニのお祭りに行く通り道にするの。それで、教室の前の廊下でザネリたちとの場面をやるのはどう?」


 これは……。


「面白そうだな」


 入江が脚本を開きながら呟く。


「そうね、いいかも」


 葵も廊下の窓の並びを頷きながら眺める。


「文化祭の雰囲気がちょうどよくケンタウル祭の背景として使えるかも。関係ない人たちがエキストラみたいなものだもんね」


 美香も楽しそうに賛成する。


 一組の教室が廊下の突き当たりなのも使える。廊下で演技をしていても通行の邪魔にはならない。


 この自由さは演劇部の発表ではありえない。

 劇の中には客席の最後列にスタンバイしていて、そこから登場するという歌舞伎の花道のような使い方をするものもあるけれど、なぜか大会の講評ではあまり褒められない。私自身はそういう演出はワクワクするんだけどな。


 これは演劇部の大会でもないし、誰かに評価されるものでもない。ましてや勝ち負けなんてどこにもない。ただ、観ている人と作っている人が楽しければそれでいい。クラスの出し物としての劇の魅力に気付かされた気がした。


 そこで昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。


 二人の先輩たちは「がんばってね」と優しい笑顔を残して校舎に入っていく。私たちは口々にお礼を言い、何度も頭を下げた。

 ふと、職員室の窓を見上げてみたが、古賀先生の姿はなかった。あんな担任より見ず知らずの上級生の方がずっと親切で力になるじゃんか。


「ねぇ、さっきの先輩たちなんだけど」


 教室に向かいながら、美香が耳打ちしてくる。


「なによ、そんなにこそこそして」

「だって、もし違ったらいけないし」と更に声を潜める。

「あの人たち、演劇やったことあるんじゃないかな?」

「え?」


 あんなちょっと話しただけでなんでそう思うんだろう。


「上手って演劇やったことのない人にもわかるもの?」

「えー? わからないでしょ」


 実際に、うちのクラスでは誰もわからなかった。脚本を使えるものにするために書き直す段階になって、ようやくそのことが判明した。それまでは、みんな右とか左とか言っていたらしい。そんなんじゃステージ側からか客席側からかわからない。


「だよね。さっき学校の場面やる時、葵がね、『先生は上手に立っているつもりで』って言ったの覚えてる?」

「うん、言ったね」


 それが決めてあった立ち位置だ。


「あの時、先輩たち二人ともすぐに上手を見たの。ああ、ここね、って感じで」


 そうだっただろうか。ということは、演劇未経験者でも上下かみしもくらいはわかるのかな。うちのクラスがたまたま誰も知らなかっただけ? いや、クラスで一人も知らないのはたまたまとは言えないでしょ。確率とかわからないけど。数学苦手だし。

 じゃあ、あの先輩たちがたまたま知っていたとか? いやいや、たまたま知る機会なんてある? 上手なんて言葉。日常会話で使わないでしょ。


 だとすると、あの先輩たちはもしかすると……もしかするよね?


 美香の方に顔を向けると、美香もこっちをじっと見ていた。私の反応を見ている。美香と同じ意見かどうか。


「あの人たちってさ、いつも中庭にいるよね」


 後ろを歩く入江が葵に話しかけている。私たちのひそひそ話は聞こえていないはずなのに、話題は同じ先輩二人のことだ。何の気なしに聞き耳を立てる。


「そうなの?」

「俺、昼休みは大抵中庭にいるけど、いつも見かけるよ」

「……入江は未だにクラスに馴染めないの?」

「ちげーよ! 中庭は人が少なくて本を読むのにちょうどいいんだよ」

「ちょ、ちょっと待って!」


 美香がくるりと振り向いて、両手を開いた。


「あの人たち、いつも中庭にいるの?」

「そう言っているじゃん」

「じゃあ、古賀先生は先輩たちがいつもいるのを知っていたのかな? 知っていて、窓から声をかけたのかな?」


 美香は何を気にしているのだろう。

 誰の返事を待っていたわけでもないらしく、美香は今度は私の方を振り向いた。


「古賀先生が観てもらえって言ったのって、あの先輩たちならアドバイスをくれると思ったからなんじゃないの?」


 そういえば、古賀先生は彼女たちのことを「そこの三年生」って言っていた。知っているんだ。あの人たちが、一年生でも二年生でもなく、三年生だと知っている。もしかしたら、顔と名前が一致しているのかもしれない。それは授業を受け持ったことがあるから? それとも、古賀先生が知っている演劇経験者の生徒といったら……。


「あ、そうか! 幽霊部員の!」


 キーンコーンカーンコーン。


 私の言葉が正解だとでもいうように、本鈴が鳴る。


 古賀先生が知っていて、舞台の上下がわかる。演劇部員だったら自然じゃん。そして、三年生というのも、活動休止した二年前に一年生だとしたら計算が合う。

 これはただの偶然なんだろうか。偶然じゃないとしたら、古賀先生はどうして活動休止の理由を教えてくれないのだろう。どうしてあの人たちが演劇部の先輩だと教えてくれないのだろう。……やっぱり、ただの偶然なんだろうか。


「なに? いったいなんの話よ?」


 眉を寄せて聞いてくる葵の向こうに小島先生の姿が見える。


「ほら、チャイム鳴ったわよー」


 次の授業は小島先生の古典だ。


 私たちは間投詞と共に教室へ急いだ。





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