第二場 部室、のはず
昇降口を出ると途端に熱を持った日差しが肌を突き刺してきた。古賀先生は「あちーな、あちーな」と言い続けながら、体育館に向かう。
下郷高校は斜面に建っている。丘の街であるこの辺りは、どこの学校も丘の上か斜面に建つ。その中でもこの学校は特に珍しく、半分斜面に埋まるような形になっている。敷地全体が同じ高さではないのだ。
つまり、四階建て校舎は、校門から見ると二階建てなのに、グラウンドから見ると四階建てといった具合。当然、一、二階部分の廊下側には窓がない。地面の中だからだ。
体育館も同様。校門側から見るとよくある体育館にしか見えない。けれども、グラウンドへ向かう通路を進んでいくと、下の階が現れる。地下一階に当たる部分はピロティになっている。
入学当初はピロティとは何ぞや、と誰もが思った。柱だけの空間のことらしい。要はショッピングモールの立体駐車場みたいなやつ。その使い道のよくわからないピロティの奥にはシャワールームと格技場がある。
ここまでは外からも見えるので、あることは知っていた。けれども、古賀先生はピロティの奥まで行く。
「うわぁー!」
私と美香はそろって歓声を上げた。
ピロティは壁がないため、外が丸見えだ。斜面に建つ体育館の反対側は谷になっていて、手つかずの山と昔話のような田園が広がっていた。まさに蝉しぐれとしか言いようのない声がピロティに反響している。
「まだ驚くのは早い」
古賀先生は台詞のように声を張り上げた。格好つけているのではない。蝉の声がうるさくて、舞台台詞のように発しなければ声が聞こえないのだ。
谷側の手すりに接して階段が下へ伸びている。地下二階があるらしい。ピロティより階下となると、谷側からしか見えない。秘密基地のようで、自然と期待が高まる。
「うぎゃあー!」
私は美香と抱き合うようにして、降りかけた階段を戻った。
「踏まないように気をつけろよー」
「踏まないようにって……!」
階段にはびっしりと緑と茶色のツブツブが敷き詰められている。
「せんせぇ~」
私たちは暑い中抱き合ったまま、我ながら情けない声を上げる。
「あ、やべっ。踏んじゃった」
先生の呟きと共にぷ~んと漂ってくる青臭い臭い。
「ぎゃあああー!」
寒気がしてきた。地獄だ。カメムシ地獄だ。現世にも地獄があったんだ。
「降りてこいよー。階段はここしかないんだぞ」
息を止め、恐る恐る階段を見下ろすと……あり? カメムシが減っている。慎重に爪先で歩けば行けるかもしれない。
「今一匹臭い出したからな。カメムシ逃げただろ?」
どういうこと? カメムシも自分たちの臭い嫌いなの? まさかそんなはずもあるまいが、どうにか下へは降りられそうだ。
やっとのことで降りきると、谷側が外廊下になっていて、バルコニーのように伸びている。カメムシは階段部分だけが生息地らしく、外廊下はきれいなものだった。
「こっち、こっち」
外廊下に窓と片開きの開き戸が交互に並んでいる。この間口だと部室と言ってもかなり狭い。六畳あるかないか。大道具とかは置けそうにもない。
「ようこそ、演劇部の部室へ!」
突き当りに両開きのドアがあり、「演劇部」のプレートが。他の部屋と作りが違う。
先生が鍵を開けると、ドアにとまっていたらしいカマキリがバババッと音を立てて飛び立った。全長二十センチはあろうかという巨大なやつだ。
「うぎゃあー!」
「ああ。虫多いんだよね。こっち側、緑多いから」
多いどころじゃない。緑しか見えない。
古賀先生はドアを開いて、ドアマンのように私達を中へと案内する。
「わぁ!」
今度こそ感嘆のため息が出た。
広い。教室と同じくらいはあるかもしれない。突き当りの部屋のため、片側は全面窓になっていて、山や畑がよく見える。靴を脱いで上がれるように、入口は靴脱ぎ場まである。壁際に大道具らしきものが積み重なり、木製の本棚には台本らしきものがやや乱雑に背を並べている。そして、畳まれた長机とパイプ椅子。
完璧だ。ここでアトリエ公演とかできるかもしれない。
――さっそく入ってみよう。
「あ、ちょっと待った!」
古賀先生がストップをかけるのと、私達が上履きを脱いで足を踏み入れたのは同時だった。
ひんやりとした床。墨に似た少しツンとする匂い。秘密の洞窟のよう。長い間閉ざされていた空間が再び開かれたって感じ。
「あっちゃー」
古賀先生はくさい芝居のように、天井を仰いでおでこに手のひらを乗せた。
――ん? 床、ひんやりしすぎじゃない?
美香と共に、そうっと床を見る。壁を見る。天井、本棚、大道具……。全ての表面がフワフワの何かに覆われている。場所によっては、淡い色がついている。緑、青、朱。
「……お前ら、勝手に入るなよな」
古賀先生が土足で室内に入る。
「半地下構造の夏を甘く見過ぎ!」
入口付近に置いてあったバケツと雑巾を差し出した。
「まずは部室全体の――カビの除去だ!」
「うぎゃあああああー!」
私達は今日何度目かわからない叫び声をあげた。
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