第二幕 文化祭

第一場 顧問、のはず

「――で? 俺に顧問やれと?」


 苦虫を噛み潰したような顔ってこういうのだろうな。


「やれなんて言ってませんよ」


 むしろ、できるならやってほしくないです。


「既に顧問なんですよね?」

「いやいや。ない部活に顧問はいないでしょ」


 それはそうなんだけど。


「……でも、前に、小島先生が」

「あ、言ってたね」

「ですよね。言ってましたよね」


 それって、つまり、どういうことだろう。 部がなくなれば、当然、顧問も必要なくなるわけで。だけど、小島先生が言うには、今でも古賀先生が顧問らしいし。


「きっと、部員がいるんじゃないんですかぁ?」


 宇梶美香が私の背後からひょっこり顔を出す。


「うわっ! あんた、いつ来たの?」

「今だよう」


 口をとがらせる。アヒル口っていうんだっけ? 私がやったら、ただのひょっとこだよ。


「えっと……なんか新しい登場人物が現れたんだけど?」


 さすがの古賀先生も彼女のインパクトにたじたじだね。


「一年二組の宇梶美香です。ミカリンって呼んで下さい!」


 おいっ! 教師が呼ぶわけないでしょ! だから、ピースでウィンク、舌出すの、やめなさーい!


「はいよ。ミカリン」


 ……呼ぶのかよっ!


「――で? なんで急にやる気になっちゃったわけ?」

「なんでと言われましても……」


 他校の劇を観て我慢できなくなりました、なんて言えないし。言ってもどうせわかりっっこないでしょ、あんたは。

 その辺は美香も同感らしく、笑顔で小首を傾げて済ませている。


「もうさぁ、廃部でいいんじゃない?」


 教師とあろう者が、なんてことを!


「そこは、私たち生徒の意思を尊重して……」

「活動時間は顧問もいなくちゃいけないんでしょ?」

「いや、校内にいらっしゃるならば、部活に顔を出されなくても……」


 っていうか、絶対に来ないで下さい。


「休みの日にも練習とかするのかなぁ?」 


 練習じゃないし。稽古だし。


「一応、発表の前とかは」

「休みの日はさぁ、デートとかしたいわけよ」


 ……まぁ、そりゃそうだわな。部活動についてはボランティアだって聞いたことあるし。本当のところは知らないけれど。


「古賀センセ、彼女いるんですかぁ?」


 美香が目をキラキラさせて聞いている。

 それ、今どうでもよくない? 今だけじゃなく永久にどうでもいいけど。


「それがいないんだよ~」


 いないのかよっ! うん、ま、いないだろうね。しかし、いないのにデートの心配って……。


「じゃあ、センセ。女子高生はどうですか?」

「え?」「え?」


 古賀先生は身を乗り出し、私は仰け反った。

 ちょいちょい、美香、あんた身売りを? そこまでしなくても。


「演劇部は女子比率高いですよ~。発表とか大会だと、会場中、女子高生だらけですよ~」


 いやいや……そんなのじゃ。


「よし。いつから活動する?」


 古賀先生は卓上カレンダーを手に取った。


「それじゃあ、来週からぁ」

「ふむふむ。来週から、と」

「あー、でもセンセー。活動場所が決まっていないんですよ~」

「そんなの、部室使えばいいじゃん」


 ……部室?


「えっと、古賀先生も美香も、お話進めていただけるのはありがたいのですが、部室とはなんのことでしょうか」

「梢ちゃん、部室って知らない? 部活毎に割り当てられている部屋のことだよ」


 古賀先生は人差し指を立てて、得意げに説明する。


「部室って言葉は知っています! 私が聞きたいのは、演劇部に部室があるんですか、ってことです」

「そりゃあるよ。えっと、どこやったかな……」


 古賀先生は机の引き出しを漁っている。なんか潰れたピンポン玉とか片方だけの靴下とか入っていて、ものすごいカオスなんだけど。


「この引き出しね、時々知らないものが出てきて面白いんだよね」


 それ、あんたが入れたのを忘れているだけでしょうが。教室に貼ってある「整理整頓」のポスター、ここにこそ貼るべきです。


「ああ、あった、あった。……ほら」


 取り出した鍵を私の手に握らせる。なにやら年季の入ったキーホルダーが付いている。猫がセーラー服着ている写真。裏返すと「なめんなよ」の文字。


「……なんですか? これ」


 美香も私の手元を覗きこむ。


「なにって、部室の鍵だよ」

「鍵はわかりますよ。このキーホルダーですよ」

「あれ? 知らない? 俺もよく知らないんだけど、昭和の遺物らしいよ。かわいいよね」

「うん。かわいー」


 美香、順応性高すぎ。

 でもって、昭和のキーホルダー? 恐るべし。歴史のある部活。



     *



「……いないじゃん」

「いないね……」


 開け放たれた窓からは運動部のやけくそ気味の掛け声が聞こえている。廊下に入り込んだ蝉の泣き声が校舎に響き渡っている。

 そして、誰もいない職員室に何台もの扇風機だけが首を振っている。

 私たちはドアに手をかけたまま立ち尽くした。


「美香、どうするのよ」

「どうするって言われても」


 古賀先生の机の上はとっちらかっているが、さっきまで仕事をしていたというわけではないだろう。


「今日から活動するって言ったのに」

「ちゃんとカレンダーに印つけていたのにね」


 堆積物の一番上にちょこんと乗っかった卓上カレンダーが見える。


「勝手に部室の鍵を借りるわけにはいかないしね」

「あの引き出し触りたくないし」


 扇風機の風があたって、卓上カレンダーがわずかに揺れる。


「あらぁ? 宇梶さん?」

「あー、小島センセー」


 廊下の向こうから小島先生が歩いてくる。


「えっと、あなたは確か一組の」

「木内です」

「ああ、そうそう、木内さん。四月に演劇部のことを話していたわよね」


 よく覚えているなー。さすが先生だな。うちの担任とは大違いだ。


「その演劇部つくるんですぅ」


 美香が語尾だけ丁寧語のタメ口で報告する。


「演劇部を?」

「そうなんですぅ。それでー、古賀先生が顧問になってくれてー」

「美香、違うよ。もともと顧問なんだってば」

「そっか。顧問だけいたんだっけ」


 小島先生はなんだか考え込むような表情をしている。


「……古賀先生が引き受けたの?」


 引き受けるもなにも、小島先生が言っていたんじゃん。まだ古賀先生が顧問だって。


「今日、部室の鍵を借りるはずだったんです。古賀先生はいらしてますか?」

「私は見かけてないけど……」


 小島先生は席まで行くと、古賀先生の机や椅子を眺めている。


「鞄とかもないみたいだし、今日は来ていないんじゃないかな。今日の登校当番は私だけだし。古賀先生は確か先週で当番終わっていると思ったけど」


 この前会えたのは登校当番だったからなのか。考えてみれば、中学の時も全員の先生が毎日来ているわけじゃなかったな。

 いないなら仕方がない。せっかくの初日を無駄にしやがって。

 私たちはとりあえず、職員室を後にした。


「……いなかったじゃん」

「いなかったね……」

「美香、どうするのよ」

「どうするって言われても」

「今日から活動するって言ったのに」

「古賀センセ、ちゃんとカレンダーに印つけていたのにね」


 会話に発展性がない。これじゃあさっきの繰り返しだ。


「やっぱ、顧問は古賀先生じゃダメかなー」

「でも、前からそうなんでしょ?」

「そうらしいね」


 私たちは行くあてもなくなり、馴染んだ場所である一年一組の教室に入った。


「あ」


 窓際の席に入江が座って本を読んでいた。窓からの風で白いカーテンが大きくはためいている。


「入江くーん」


 美香がこんなに近いのに両手をメガホンにして呼んだ。入江が本を開いたまま、首だけをこちらに向ける。やっぱりフクロウみたいだ。


「あれ? お前ら何してんの?」

「部活ー」

「部活? いつの間に部活なんか入ったんだよ」

「今日からだよーん」

「……なぁ、木内。宇梶のやつ、何言ってるんだ?」

「うーん。どこから説明すればいいのやら」


 演劇部をつくることになったのは、入江も関係なくはないかもしれない。いや、やっぱ関係ないか。それに、もう部活に入ったことになるのか? 部室の場所も知らないのに? 今日からっていうのも正解なのか? っていうか、そもそも入江にそれを説明する必要があるのか?


「なんだよ、早く言えよ」

「やっぱ、やめた」

「なんなんだよ!」


 入江が天井を仰いだ。


「あー、入江。わりぃ、わりぃ!」


 北山が教室に走り込んできて、入江が片手を挙げて挨拶をする。どうやら待ち合わせをしていたらしい。それにしても。


「なに、その北山の恰好」

「え? なんか変?」


 変。ランニングパンツの下にスパッツはいている。でもって、上は白いTシャツなんだけど、毛筆みたいな書体ででっかく「根性」って書いてある。


「陸上部の練習着だけど? みんなこれ着ているよ」


 指さすグラウンドを覗けば、なるほど、まるっきり同じ格好をした集団が走ったり跳んだりしている。


「ほいっ」


 入江がレポート用紙の束を北山に渡す。


「うわぁ! マジ助かる! ……あれ? 原稿用紙じゃないの?」

「清書は自分でしろよ。筆跡違ったらバレるぞ」

「それもそうだな。今度ラーメンでもおごるよ」

「……涼しくなってからにしてくれ」


 きっとあれだ。古賀先生の現国の宿題。高校生にもなって読書感想文。絶対、先生が宿題用意するのが面倒だっただけだ。


「こらぁ! 北山ぁ! どこに行ったー」


 グラウンドから怒鳴り声が聞こえる。


「うわっ、やべっ!」


 ……なんか、どこかで見た光景。


 北山は「じゃ!」と片手を上げて走り去る。

 窓の外からの「北山ぁ!」の叫び声と、廊下の先からの「はいはい、只今」という間延びした返事が響いている。


 ……とっても既視感を覚える。


「なんだよー。探しちゃったじゃんかー」


 また北山? と思ったら、古賀先生だった。


「あー! 古賀センセー」

「いらしてたんですね」

「いらしてたよー。ずっと待っていたのにさ、なかなか来ないから探しに来たよ」


 言葉づかい、どうにかしましょうよ。国語の先生なんだから。――ん? 待っていた?


「あの、どちらで?」

「部室で」

「部室……」

「そ。鍵開けて」

「鍵……」

「待っていたんだよ」

「……待っていれば私たちが来ると思ったんですか?」

「だって、部室があるの教えたじゃん。まずは部室に集合でしょ?」


 入江が不思議そうに見ている。

 私は美香と顔を見合わせた。きっと同じことを思っている。――アホだ、この先生。


「センセー。私たち、部室の場所、まだ知りませーん」


 美香が発言するように右手を真っ直ぐ挙げて、忘れずに小首を傾げる。


「え? マジ?」


 マジです。


「いやぁ、そりゃ悪かったな。帰りにラーメンおごるよ」

「結構です!」


 なんなんだ、この学校の男共は。お礼もお詫びもラーメンなのか。


「……もしかして、お前らの部活って、演劇部なわけ?」


 入江が恐る恐る聞いてくる。私たちがそれ以外の部活に入るわけないことは知っているでしょうが。そう返事をする前に、古賀先生がポンッと入江の肩を叩いた。


「おっ! よくわかったな!」

「姉が城東学院の演劇部なもんで」


 なぜそこでそんな理由? と思ったら、古賀先生が急に真面目な顔をした。へぇ、ヘラヘラしていなければ、なかなか知的な顔立ちなんだ。けれどもその表情も一瞬で、すぐにエヘラ~と笑う。


「ほう、そうかそうか」


 古賀先生も、そうかそうかじゃないよ。なんで萌先輩がお姉さんだったら、古賀先生が演劇部の顧問ってわかるの? 意味わかんない。


「演劇部って、廃部になっていなかったんですね」


 廃部になっていない? どういうこと?

 美香もきょとんとしている。


「いやぁ。もう何年も活動していないよ」


 そうだろう。大会に出たのは三年前だと言っていたし。


「でも古賀先生がずっと顧問なんですよね?」

「そうらしいね」

「それって、部が存在しているからじゃないんですか? 廃部になった部に顧問がいるわけないですよね」


 それはおかしいと思っていたけれど、小島先生が言っていたんだから間違いないと思う。古賀先生が言ったなら疑わしいけど。


「俺、文芸部なんですよ」


 急に何を言い出すのだろう。


「顧問は小島先生です」


 小島先生は古典の担当だ。だから文芸部の顧問なのか。それにしても、文芸部なんてものが下郷高校にあるなんて知らなかった。


「おお。小島先生ね。文芸部、知ってる、知ってる」


 知ってるんだ。


「俺が入部するまで活動していなかったんですよ。まあ、今も活動らしい活動はしていませんが」


 ん? どういうこと?


「ちょっと、待って。それって、廃部になっていたってこと?」


 大人しく成り行きを見守ろうと思っていたのに、どうしても気になってしまった。


「部を新規でつくる時は五人必要だけど、廃部になるにはゼロ人になるまでは存続するんだ」

「えっと、つまり?」

「活動はしていなかったけれど、俺の他に最低一人は部員がいるってこと」

「あっ!」


 美香が両手を口元にあてる。


「あっ!」


 私も思い出した。美香が言ったんだ。古賀先生に顧問を頼むときに。

「きっと、部員がいるんじゃないんですかぁ?」って。


「美香、知っていたの?」

「まさか!」


 プルプルと首を振る。適当にいつものノリで言ったようだ。まぐれ当たりってやつ? 恐ろしい女だ。


「まあまあ、細かいことはいいじゃないか」


 いやいや、ちっとも細かくないって! 他にも部員がいるとしたら、先輩じゃん! ぜひともお目にかからねば!

 しかし、古賀先生はほんとうにいいと思っているようで、私と美香の頭をポン、ポンと叩くと教室を出ていこうとする。


「ではでは、梢ちゃん、ミカリン。部室にご案内しましょう」


 さっそうと歩く古賀先生の後ろを私と美香は小走りについていく。

 教室を出る時に振り向くと、「梢ちゃんって? ミカリンって?」と入江が首を傾げながら呟いていた。




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