第六場 再会

 奥のドアからぞろぞろ人が出てきた。発表を終えた演劇部員だ。

 私たちは体育館の横にいたから、その様子がよく見えた。そして、それは、向こうからも丸見えだということだ。


「梢!」


 瑞希が何に使ったのか反物のように丸めた布の束を抱えたまま走り寄ってきた。


「来るなら連絡してくれればよかったのに」

「うん、ごめん」

「やだ、謝ることじゃないじゃん。――観てくれたの?」

「あー……それが、ちょっと」


 返事に困っていると、美香が私の横に並んだ。


「すみません。私、始まった途端、気分悪くなっちゃって。ずっと付き添ってもらったんです」


 瑞希は初めて美香の存在に気付いたようで、「大丈夫ですか?」と声をかけた。


「はい。もうすっかり。ちょっと貧血気味で」


 美香は弱々しい笑顔で答える。


 本当はきっとそんな理由じゃない。あんなに急いで出ていく理由が他にあったんだ。


「あれぇ? 美香じゃ~ん」


 下手な台詞回しのような大袈裟な声が聞こえ、私たちは一斉にステージ脇の出口を見た。

 あ、あの人は、県大会の代役の。


「なになに? 美香ったら、うちの劇を観に来たの?」


 何が入っているのか、大きな手提げ袋を両手に持って歩いてくる。その間に瑞希が「ほら、一中の主役」と耳元でささやく。私は承知していることを頷いて示す。

 この人、城東学院だったんだ。代役とはいえ、一中の主役を務めたほどの人だ。きっと瑞希のいいパートナーになるだろう。そう思うと、どうしてもいい印象を持てない。そして、そんな自分に嫌気がさす。


「ねえねえ、萌先輩のジュリエット、最高だったでしょ」


 あの先輩、萌って名前なんだ……。観られなかったことが悔やまれる。幻となってしまった劇に思いを馳せていると、低いトーンの声がした。


「ちょっと、美香ってば。聞いてるの?」


 不機嫌さ丸出しのその声は代役の彼女の声だった。あまりの落差に同じ人の声とは思えない。ふと美香を見ると、また血の気の引いた白い顔をしている。


「美香。やっぱり具合悪いんじゃ……」


 声をかけつつ肩に手をやると、小刻みに震えている。美香は俯いたまま顔を上げない。相当具合が悪いのかもしれない。


「そっか。観られなかったんだ~」


 代役ちゃんはなぜか鼻で笑う。感じ悪いな。瑞希も仲間の態度に眉を顰める。けれども代役ちゃんは周りのことには目も触れず、美香を集中攻撃する。


「もしかして美香ったら、無理して観ようとして、具合悪くなったとか?」

「ちょっと、それ、どういう……」


 私が一歩踏み出そうとしたその時、離れたところから声がかかった。


「ほら、一年。さっさと片付けなさい!」


 萌先輩だ。


「ごめん梢、また今度」


 瑞希はどこかホッとした顔で失礼な女を連れて校舎に入っていった。

 今度……なんてあるんだろうか。あったとしても、それは瑞希が思うような再会じゃない。だって、私はもう演劇をやっていないんだから。


「美香。来てくれたんだね。ありがとう」


 萌先輩は美香の頭をそっと撫でた。美香の肩が震える。


「……すみませんでした」


 そんなに謝ることだろうか。発表を観られなかったのは残念だけど、そんな泣きそうになって謝るほどのこと?


「カリンに何か言われたの?」


 あいつのことか。


「……いいえ」美香は首を横に振る。

「何言っているの? 理由もなく人を馬鹿にしたような態度をとるやつじゃん」


 萌先輩が声を荒げた私を見る。


「あら、あなた、さっきの」

「はい。美香と同じ高校の木内梢といいます」

「え? あの木内さん? 北中の?」


 あ、知っていてくれたんだ。


「はい」

「ステージに立っている時と印象が違うのね」

「そうですか?」

「あ、褒めているのよ? 役になりきっているってことだもん」

「はぁ」


 どうだろう。私自身、役になりきれたと実感できたことはない。


「なるほどねぇ~」


 萌先輩は意味ありげに私を観察する。


「えっと……?」

「ううん。なんでもない。――下郷高校なら、コレとも知り合いなのかしら」


 ずっと黙って突っ立っていた入江を顎で示す。


「はい。同じクラスです」

「同じクラス? 駿しゅん、なんで教えてくれないのよ」


 駿? それって入江の名前なの?


「なんで姉ちゃんに教えなきゃいけないんだよ」


 姉ちゃん?


「だって、北中の木内梢よ?」


 えっと……つまり?


「あの~、萌先輩って……」

「ああ。入江萌。入江駿の姉です」


 ああ、道理で既視感があると思った。一中に一学年上に女優さんみたいな人がいた。あれが萌先輩だったんだ。


「っていうか、姉弟ですか?」

「そうなの。無愛想な弟でごめんね」


 はい。無愛想です。感じ悪いです。


「でも、中学の県大会であなたのこと褒めていたのよ」

「え?」

「姉ちゃん、その話は」

「いいじゃん。少しはイメージよくしてあげるわ」


 県大会って、中学のだよね? 確かに一年生のうちから出ていたけど……。


「うちの中学も県大会出ていたでしょ。私も木内さんと同じでずっとキャストだったの」

「はい。知っています」


 一学年上なだけであんなに大人っぽい演技ができることに驚いた。けれど、一年後の私が同じように演じられたかといえば、決してそうではなかった。萌先輩は常に私の前にいた。


「駿も観に来ていたの。美香とも仲良かったし」

「へぇ~」


 いくらお姉さんや友達が演劇やっているからって、発表を観に行く人はまずいない。うちの親は毎回観に来てくれていたけれど、クラスの友達が観に来てくれたことは一度もない。私もそれを特に残念だとは思っていなかったけれど。入江は無愛想なくせに案外律儀なのかもしれない。


「――すごい」

「え?」

「『すごい』って駿が呟いたの。ピンスポに浮かび上がるあなたの独白に、駿が座席から身を乗り出してそう呟いたの」


 ピンスポットは一点だけを照らす照明だ。光の輪の輪郭がくっきり出るように絞った明かりをあてる。大抵は表情が見えるように、上部に吊るしたサスペンションライトで演者の足元に輪が出来るようにあて、さらに両サイドの照明室からもピンスポをあてる。

 この三つの光の輪がきれいに重なるようにあてると、光の輪はひとつなのに、顔に影ができず表情が見えやすくなる。


 萌先輩が言っているのはたぶん私が中二のときにやった劇だ。

 あの独白は嫉妬に狂い始める女子中学生の台詞だった。わざとサスだけの明かりで表情を見えにくくし、徐々に壊れていく不安を煽り、台詞の最後に真上を見上げ高笑いをする。そこで初めて表情がみえるという演出だ。

 確かに演劇部内でも「不気味すぎる」という、わかりにくい賞賛を受けた。


 あれを入江が観ていた?


「そんなの覚えてねぇよ」

「ふーん」


 そうだよね。覚えているわけないよね。他校の知らない人の演技なんて。

 でも。観た人がいつまでも忘れられない演技ができたらどんなにいいだろう。


「入江さーん! ステージ発表の進行係、交代してもらってもいいですか?」


 体育館の入り口から、実行委員の腕章をつけた男子生徒がパンフレットをパタパタを振っている。


「あっ! いけない! ――はーい。着替えてすぐ行きまーす!」


 萌先輩は「他も見て行ってね」と言い残して去って行ったが、私たちは校門へと向かった。私はどうせ演劇部以外興味なかったし。『ロミジュリ』を観れなかったのは心残りだけれど、なんだか今日はもうおなかいっぱいって感じ。でも、ひとつだけ、確かめておかなくてはならない。


「美香」


 駅へと歩きながら、私は美香の腕に触れる。元気がない様子ではあるものの、もう震えてはいない。


「途中で席を立った理由、教えてもらえる?」

「……」


 私を見る美香の瞳が揺らいでいる。


「『ロミジュリ』観たかったんだけど」

「……脅しかよ」


 入江が呆れたように笑う。


「……そう、だよね。ちゃんと話さなくちゃね。迷惑かけちゃったし」


 『ロミジュリ』を観そびれたのは残念だけど、べつに迷惑かけられたとは思っていない。でも、そう思い込んで話してくれるのなら、それでいい。






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