第四場 それなりに楽しい

 高校に入って初めてのテストである中間テストはそれなりの結果だった。

 テストの点数や成績を気にしたことはあまりない。気にする必要がないほど勉強ができるというわけではなく、ただ単に興味がないだけ。卒業できればそれでいい。親も同じような感じなので、たぶん私は楽をしていると思う。


 麻利亜と玲奈が各教科の点数を見せ合って騒いでいる。葵は時々「難しかったもんね」とか「平均点自体が低いんだから仕方ないよ」とか相槌をうっている。当の本人は上位なんだろう。そんな余裕が見え隠れする。


「でも、これでやっと部活のテスト休みが終わる!」


 麻利亜が伸びをしながら声を上げた。中学で美術部だった麻利亜は、高校でも美術部に入っていた。


「えー。私はもう部活戻りたくないぉ!」


 玲奈も中学から引き続きテニス部に入っていたが、練習がきついと言ってサボりがちだ。


「玲奈も美術部においでよ。ゆるいよ~。先輩優しいよ~」

「うぅ~。じっと座っているのなんか無理だよぉ。足がムズムズしてきちゃう」

「なによ、それ。結局スポーツが好きなんじゃない」

「ほどほどに楽しみたいんだよ、私は」


 ほどほど……か。ほどほどに楽しみたい玲奈に、ゆるい活動が楽しい麻利亜。私にはわからない。そんな程度ならやらなくても同じじゃないの?


「梢は部活入らないの?」


 玲奈が笑顔で訊いてくる。


「まぁ、今更だしね」

「まあねぇ。うちみたいに練習厳しいのもイヤだしね」


 そんな理由じゃない。うまくなるためには練習が厳しいのは当たり前だ。それの厳しさを楽しめないのは好きじゃないからじゃないの? そう喉元まで込み上げてくるが、ゴクリと唾と一緒に飲み込む。


「そうそう」


 私はへらへらと笑って答える。テキトーでお気楽な女子高生を演じる。軽い会話を楽しむ女子高生を演じる。

 そう、私は、何も考えていない。なんとなく毎日を過ごしている。悩みなんてない。友達とキャピキャピ楽しければそれでいいの。


「練習が厳しいのと好き嫌いは次元が違うんじゃない?」


 私たちは一斉に葵を見る。葵ははっきりした物言いとは対照的に、にこやかな表情だった。


「だって、ほら、好きなことなら練習の厳しさって、逆にやりがいだったりするんじゃない? 私は、中学の生徒会でそうだったけどな」

「やりがいとか、よくわかんないし」


 玲奈がチロリと舌を出す。


「私もー」


 すかさず麻利亜も同意する。


 私は……笑う。何も言わずに笑顔をつくる。笑っておけば大抵のことは丸く収まる。

 葵が私の目を真剣な表情で見つめる。


 ――え?


 私が問いかけるように見返すと、葵はふわりと破顔して「だよね」と呟いた。


 見透かされている気がした。葵の真っ黒な瞳に見つめられた瞬間、私の演劇に対する思いを語りたい衝動が襲った。――今はもう演劇ができないのに。


 時々思う。葵はすべてお見通しなんじゃないかって。はっきり何かを言うわけではないけど、私以上に私の本心を知っているかのような目で……憐れむような目で見ている時がある。

 けれど、それ以外の時は常にしっとりと落ち着いていて涼しげだ。学級委員をしているけれど、ちっとも偉そうじゃないし。ま、学級委員が偉いのかどうかはわからないけれど。


 学級委員といえば、もう一人の学級委員はあの入江で、二人が並んで議事を進行している姿はちょっと絵になる。担任の古賀先生があんな感じのせいもあると思うけど、一組は学級委員二人の方が一目置かれているんじゃないかと思う。二人が前に立つと、古賀先生のホームルームでは私語が絶えない教室も、ちゃんと聞く体制に入る。「静かにしてください」とか「ちゃんと聞いてください」とか学級委員がよく使いそうな台詞は今のところ聞いたことがない。あの存在感は何なのだろう。


 演劇でもそういう存在感を持つ人がいる。発声や動作が大きいわけでもなく、感情の起伏もあまりない演技なのに、その人だけ浮き上がって見える人がいる。いわゆる「抑えた演技」というやつだ。そして、そういう人を「うまい」とみんなは思うのだ。


 ――それが瑞希だった。


 瑞希と主役・準主役を交互に演じてきたが、いつだって、まず感嘆を受けるのは瑞希だった。私が主役の芝居でも。

 私はどちらかといえば「頑張ったね」と言われることが多かった。努力を認められたという点では褒め言葉には違いない。けれど、私が欲しいのはそんな言葉じゃなかった。

 確かに、「うまいね」と言われたことも多い。迫力がある、はまり役だ、滑舌がよい……。そして、その言外に含まれる感想が私には聞こえた。「力が入りすぎ」。


 自覚はあった。けれど、どうすればよかったのだろう。力を抜いた演技とは狙ってできるものなのだろうか。手を抜いた演技との違いが私にはどうしてもわからない。ううん、観ている分にはわかる。瑞希の演技だ。あれこそ、力を抜いた自然な演技だ。他校の演技でも明らかに力が入りすぎている主役がいる。熱は伝わってくるし、それなりに上手いとは思う。けれど同時に、大袈裟で、痛々しい。そして――芝居から浮いている。


 私が主役をやってこられた理由の一つでもあると思っている。目立ちすぎるのだ。ある程度演技が上手くて、力が入っていると、脇役では浮いてしまい、芝居全体のバランスを大きく崩すことになる。となると、キャストとして使わないか、目立っても構わない役柄につかせるしかない。


 部内のオーディションで、演出や舞台監督がそこまで計算していたかどうかはわからない。それでも、無意識にでもそういう判断が働いていたのは間違いないと思う。

 そして、その悪目立ちする半端に演技力のある主役級と渡り合えるのは、本当に「うまい」役者だけなのだ。


 瑞希はきっとそのことに気付いていない。才能のある人は、才能のない人のことなど理解できないのだ。才能のない人が才能のある人を理解できないように。


 幸いというべきか、私がそのことに気付いたのは最後の発表となったあの県大会だった。もっと早くに気付いてしまっていたら、演劇を楽しめたかどうか自信がない。


 気付いたのは、そう、一中……美香の出身校でもある海浜第一中学校の公演を見たからだ。当日になって主役がサブキャストに変わったため、どことなくまとまりのない印象の劇になっていたのだが、あれは主役が力みすぎていたせいだ。急遽与えられた大役に気合が入りすぎているのが伝わりすぎるほど伝わってきた。


 無理もないと思う。サブキャストなんて、普段の稽古で代役を果たすくらいしか出番はないのだから。当然、メインキャストと近いくらいの稽古は積んで、通し稽古も行うが、本番での役目はないのが普通だ。いざという時のための代役、なんていうのは建前でしかない。その建前が取り払われた瞬間の気持ちの高まりは想像に難くない。


 その点では、一中の彼女の方が私よりマシなのかもしれない。だって、力んでも仕方がない状況だったのだから。誰でもそうなる。


 私は……だめだ。


 幼稚園のお遊戯会で褒められる子と同じ。「よく頑張ったね。でも、観ている方も疲れちゃったよ」。そういうこと。


 ――そう。私は、演劇をもうやらないで済む理由を探していた。中庭で入江が言ったように。



     *



「ボランティア実習、どこになった?」


 玲奈が言っているのは、夏休みに強制でやらされるボランティアのことだ。

 ボランティアなのに「強制」とか「やらされる」とは何事だ、と言ってはいけない。だって、本当に有無を言わさずにやらされるんだもん。


 我が下郷高校は、勤勉・強調・奉仕を教育理念の三本柱としている……らしい。その一つにボランティアがある。校章もその三本柱を現すラインが頭文字のSを模ったデザインになっている……らしい。そのあたりのことは入学式で校長先生が話していたようだけれど、全く記憶にない。


 ボランティアがカリキュラムに組まれているなんて、入学してから、というか最近になってやっと知った。学校案内に載っていたらしいが、それも全く記憶にない。どれも葵から教えられて知ったという有様。


 どうやら、私は下郷高校のことをほとんど知らないままに入学してしまったらしい。と、気付いたのも最近のこと。なにしろ、以前の私は演劇のことしか考えていなかったから。それにもかかわらず、演劇部のない高校に入ってしまって、自分のまぬけさ加減に呆れる。


 演劇を続けるつもりはあったんだ。本当に。だから、下郷に演劇部がないって知って落ち込んだのも確か。でも。あの日、中庭で入江に言われた一言に、演劇を辞めたがっている自分に気付かされた。


 ……本当にそうなのかな。


 もしかしたら、とっくに自覚していたのかもしれない。だけど、そんなこと認めたくないから……。


 自分でもよくわからない。ただ、今は下郷に演劇部がなくて良かったと思っている。あればきっとやりたくなっちゃうから。私は、自分の演技力の限界を知っていながら舞台に立てるほど恥知らずではない。


「私は上町かみまちデイサービスになったよ。うちの近くだからラッキーだったかも」


 麻利亜は夏が苦手なんだって。ボランティア実習は夏休み中に五日間決められた施設に通うことになるから、確かに遠いとちょっときつい。遊ぶ時間もなくなっちゃうしね。


「それいいじゃん。私はちょっと遠いよ~。学校来る倍は時間かかるかも~」


 玲奈はかわいらしくイヤイヤと体を揺する。


「子供相手のところを希望していたら、ひまわり愛児園になったぁ」

「それ、どこにあるの?」


 聞けば玲奈の家から学校を挟んで反対側の地域だった。玲奈は海側に住んでいるから、ひまわり愛児園に行くには、バスを乗り継がなければいけない。


「うわっ。全然こっちの都合考えてくれないんだね」


 麻利亜が気の毒そうな顔をする。


「でも、一応、子供相手っていう希望は通っているからねぇ」


 葵はあくまで冷静だ。


「そうなんだよねぇ。だから喜んでいいのか何だか」


 きっと玲奈は自由な時間がほしいんだろう。最近、他のクラスに彼氏ができたらしいから。告られて付き合ったらしいけど、私が見たところ、夢中になっているのは玲奈の方じゃないかと思う。恋愛経験が皆無の私の見方なんてアテにならないけど。


「葵は?」

「私は、老人介護施設まほろばってところ」

「まほろば?」


 私もだ。期間はどうだろう。一度に行くのは四、五人だと聞いている。


「いつ?」

「え? もしかして、梢も?」

「そうなの! 私は夏休みに入ってすぐ。いきなりだよ」

「じゃあ同じだ」


 やったぁ! これで少しはボランティアの憂鬱さが軽減される。


「じゃあさ、待ち合わせしていこうよ」

「そうだね。帰りにどこか寄ってもいいかも」


 盛り上がる私たちに、玲奈と麻利亜が「いいなぁ」と口をとがらせる。


 少しだけ、夏休みが楽しみになってきた。

 今までは、夏休みと言えば区大会に向けて大詰めの時期で、毎日学校に通っていた。合宿で学校に泊ったり、夜の体育館を貸切で通し稽古をしていたっけ。

 だから、何も予定のない夏休みの過ごし方なんて想像もつかない。初めの五日間だけでも葵と会えるのは嬉しい。


 けれど、それはまだ先の話。すぐに期末テストもあるし。


 そして、もっと気になっていることがある。今週末の城東じょうとう学院の文化祭。瑞希の学校。うちの文化祭は秋だけれど、城東は春だ。


 瑞希はまだ入部したてでキャストになんかなれないだろうけど、演劇部の発表は気になる。高校演劇がどういうものか、実はまだ観たことがない。大会成績のいい城東学院の演劇を一度は観てみたい。演劇はやらなくても、観ることだって充分楽しい。三月以来ずっと会っていない瑞希にも会いたいし。


 演劇部に入らなくても、私の高校生活はそれなりに楽しいことが待っているのだ。




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