第三場 やめようよ

 翌日、私は美香との昼休みミーティングを断った。美香は案外あっさりと「まずはクラスに馴染んでからだね」と昨日とは打って変わった物分かりの良さを披露した。


 晴れて私はグループづくりに励める。

 女子のグループ編成を嘗めてはいけない。学生生活の運命すら左右する重大な鍵を握るのだ。


 目立つグループは、クラスでの地位も確立されていて、間違いなく充実した毎日を送れそうだが、なにしろ派手っこが多い。私は、自分で言うのは悲しいが、そんな華のあるグループに馴染めるタイプではない。瑞希のような女の子が入るグループだ。

 かといって、いるのかいないのか判然としない、でもやたら内輪受けしている大人しい子たちのグループは、団結力が強すぎて入っていける気がしない。

 そうなると、それこそ特徴のない中間グループが望ましいが、これが複数ある。運命の分かれ道だ。


「よかったら、一緒にどう?」


 机の上をわざとゆっくり片付けながら、周囲を窺っていたら、純和風の女の子が隣に立っていた。肩までの黒髪はツヤツヤのサラサラで、わずかに吊り上った目は一重なのに、細くはなく、小さな口元はかすかに微笑んでいる。なんて雰囲気のある子なんだ……。

 彼女の後ろでは、二人の女の子が机を向い合せに動かしている。そして、こちらを見て笑顔でおいでおいでと手を振っている。


「ありがとう」


 私はランチトートを持って、席を移動した。


「えっと、ごめんね、名前聞いてもいい? まだ全然覚えられなくて」


 目のパッチリした子がやわらかい声で言い、眉尻を下げながら両手を合わせる。


「木内梢です。……ごめん、私もみんなの名前わからなくて」


 名前どころか顔も知らなかったし。


「お互い様だよね。私は平田麻利亜」


 いかにもおとなしそうなメガネ女子。マリアって慈悲深そうな名前だわ。


「私、佐原葵」


 と、声をかけてくれた日本人形みたいな子。


「柳下玲奈でーす」


 最後はお目めパッチリがペコリ頭を下げる。


 いいじゃん、いいじゃん、このグループ。


「昨日、なんか呼び出されていたでしょ? 中学の友達?」


 柳下玲奈がお弁当を広げながら聞いてくる。


「中学は違うんだけど、知り合いっていうか、高校入ってから知り合ったというか」


 どう説明すればいいんだろう。


「クラス違うのに?」

「なんか、中学の時から向こうは私のこと、知っていたみたいなんだ。部活の大会で」


 三人が口をそろえて「へぇー」と関心を示す。


「何の部活?」

「演劇部」

「……」


 あれ? なんか、みなさん止まっていますけど?


「あー、演劇部」

「演劇やっていたんだぁ」

「演劇部も大会あるんだね」


 ん?


「うちの中学もあったのかなぁ」

「私のとこはあったよ。途中で廃部になっていたけど」


 な、なに?


「あ、私は美術部。高校でも美術部にしようかと思っているんだ」と、平田麻利亜。


 マリア様? 今、明らかに話そらしましたね?


「私はね、テニス部だったの」と、柳下玲奈。

「私は帰宅部。生徒会ならやっていたけど」佐原葵。


 そのまま演劇部の話は置き去り。私はすっきりしないまま、今度こそ放置されないように全てに興味のあるような相槌を打つことに専念した。

 予鈴の後に「早く仲良くなれるように名前で呼び合おう」と一連の会話は締めくくられた。


 二日目の昼休みは恐ろしく疲れた。



     *

 


「そんなの、人数合わせに決まっているじゃん」


 放課後、またミーティングと称して一組にやってきた美香は容赦ない指摘をする。


「なんの人数よ?」

「だって、その子たち、三人だったんでしょ? 奇数はだめよ、奇数は」

「そうなの?」


 占いとか根拠のない迷信だろうか。


「だって、仲間はずれができちゃうでしょ?」


 なるほど。奇数だと、一人だけ余ることが想定できるわけだ。三人なら二対一、五人なら二対三になればいいけど、二対二対一になる可能性を秘めている。

 ばかばかしいこだわりに思えるが、これは結構深い。二人一組になることは案外多い。例えば、体育の柔軟体操。例えば、美術の肖像画。そんなことか、と笑い飛ばせるのは男子か精神的に強い女子かのどちらかだ。私の精神力は残念ながら並レベルだ。


「でも、所属グループが決まってよかったね」


 よかったのだろうか。うん、よかったのだろう。とりあえず。


「それと、演劇部って、あまり言わない方がいいかもよ」

「え? なんで?」

「なんでって……。実際、反応が怪しかったんでしょ?」

「うん、まあ」


 思い返せば、なんだか触れてはいけない部分に触れてしまったとでも言いたげな態度だった。理由はわからない。私は聞かれたことに答えただけだったし。


「北中は違かったのかもしれないけど、一般的には演劇部っていったらヤバイ感じだと思うよ」

「ヤバイ?」


 意味が分からない。どこがどうヤバイのだ。


「言い換えれば、怪しいとか」

「……その言い換え、あまり変わらないと思うけど」


 演劇ってヤバくて怪しいの? 地味でもないし、暗くもないし、何やっているかわからないほど閉鎖的でもないし。あ、べつに特定の部活と比較してはいないから。


「地味でも暗くもないのに、とか思っている?」


 ……はい。思っています。


「だから怪しいんだよ」


 はて?


「どういうこと?」

「うーん。私も演劇やっていた方の立場だから、いまいちピンとこない部分はあるんだけど、たぶん爽やかじゃないんだろうね。だからといって、ダサいともいいきれない表立った活動しているし、でもなんか恥ずかしい感じ?」


 わかるような、わからないような。


「でも、テレビや映画の俳優や女優は人気あるじゃん」

「それは別だよ。舞台俳優ならどう? テレビに出ていないような人ね」

「それは……」


 確かに、一部の人気かも。そうか。小劇場だけじゃなくても、新劇とか歌舞伎とか宝塚とか一種独特のイメージがある。とっつきにくいし、特別な趣味嗜好の人が見に行く感じ。


「ね? そういうことなんだよ。実際に見てみれば面白いし、やってみればハマるのにね」


 そうかぁ。演劇って、興味ない人たちからすると、そんな位置づけなんだ。これがサッカーとか美術とかだったら興味ない人も偏見持たないのに。


「要するにさ、触れる機会がないんだよ」


 スポーツは体育の授業でやるし、美術、書道、音楽もみんなやったことがある。好き嫌いはともかく、みんな知っている内容なんだ。演劇の授業なんてないし。しかも、授業にあるものは、上手くできれば感心されるのに、現代文の音読で感情入れると失笑かうし。


「それにしても、美香はよくそんな客観的に見られたね。私なんか全然考えもしなかったよ」

「うちは、親がいい顔していなかったから」


 美香はいつもより大きな笑顔を見せる。


「反対されていたの?」

「んー、反対ってほどじゃないけど、恥ずかしいって言われてた」

「恥ずかしいって……!」

「晒し者だってさ。演劇にどういうイメージ持っているんだか。ねえ?」


 高校では演劇部に入るつもりがなかったというのは、そういう理由だったのか。


「……やめようよ」


「え? 梢?」

「演劇部つくるの、やめようよ。無理してやることないよ」

「梢、一人で演劇部つくるつもり?」

「私もやめる」


 県大会で瑞希と競うと決めていたはずなのに、自分でも意外なほど抵抗なく言葉が出てくる。「やめる」の一言は意味を持たないただの音節で、その言葉を発するのはとても簡単だった。


「……どうして?」

「うん、なんか、いろんなことに挑戦するのもいいかなぁ、なんて」


 美香は初めはやる気なんかなかったくせに、泣き出しそうな顔でうつむいた。



     *



 美香にはああ言ったけど、他にやりたいことなんて何もない。ゴールデンウィークを過ぎると、部活の見学とか仮入部とかは今更って感じで、すっかり帰宅部に馴染んでいる。

 放課後にこうやってグラウンドを眺めていても、ボールや楽器の音が聞こえていても、もう私をギリギリと締め付けてくるものはない。ただ「のどかだなぁ」と思うだけ。


「あれ? 木内、まだいたんだ?」


 私しか残っていない教室にジャージ姿の男子が駆け込んできた。


「うん。まあ」

「何? 誰か待っているの?」

「いや、別に」

「じゃあどうしたの? お前確か部活入ってないよな?」

「うん。まあ」

「なんか悩みでもあるのか?」

「いや、別に」


 もう。あんたは私のママか。


「あんたこそ、部活どうしたのよ?」

「あ? 俺? 気になる?」


 ならないよ。話変えたかっただけだよ。

 私が黙っていると、「つれないなぁ」などとオヤジくさいことを呟く。


「スパイク忘れてさ」


 ロッカーから青い巾着袋を取り出している。


「スパイク? 陸上部ってスニーカーじゃないの?」

「それ、マジで言ってるの? オリンピックの選手とかもスパイク履いて走っているでしょ」

「そうだっけ?」

「うわぁ。ホント、お前って何になら興味持つんだよ?」


 チクリ。

 私の中心に小さな棘が刺さった。まだ痛むのか、私の心よ。


「おーい! 北山ぁ! いつまでかかっているんだ! 早く降りて来い!」


 グラウンドから野太い声が飛んでくる。


「うわっ、やべっ! ――はーいっ! 今戻るところでーす!」


 北山は後ろのドアから走り出ると、廊下を走り、すぐに前のドアから顔を覗かせた。


「木内、遅くなる前に帰れよ。暗くなると女子は危ないからな」


 だから、おまえはオヤジかっての。


 北山は「じゃ!」と片手を上げて走り去る。

 窓の外からの「北山ぁ!」の叫び声と、廊下の先からの「はいはい、只今」という間延びした返事が響いている。


「……のどかだなぁ」


 窓際の誰かの席に勝手に座って、外を眺める。壁が冷たくて気持ちいい。白いカーテンが風ではためく。緑の香りが風に乗ってやってくる。


「ちょっと」


 頭上で声をかけられ、私は文字通り飛び上がった。


「うわっ! な、何よ?」


 入江が、私の座る椅子の背に手をかけ、見下ろしている。ち、近いっての!


「そこ」

「どこ?」

「だから、そこ」

「だから、どこよ?」


 入江の言葉は短すぎて要領を得ない。中庭で会って以来初めて口聞いたけど、相変わらず無愛想だな。


「そこ、俺の席」


 あ、入江の席だったんだ。


「えっと、借りてます」

「それはいいんだけど、本、取らせてくれない?」


 机を指差す。


「ああ、はいはい」


 立ち上がろうとするが、入江が椅子の背に手をかけているので、立つに立てない。すると、入江は、もう片方の手で机を斜めに動かし、中にあったブックカバーのかかった文庫本を取り出した。

 これ、と見せてくるから、うん、と頷く。


「入江くん、本、あった?」


 跳ねるように教室に入ってきたのは美香だった。


「あ」


 目が合った途端、お互いの動きが止まる。先に表情を和らげたのは美香だった。


「あー、梢じゃん。久しぶり~」

「本当、久しぶりだね」


 他に話すこともない。けれど、気まずい思いをしているのは私の方だけのようで、美香は笑顔で寄ってくる。


「何か部活入った?」


 ……直球なのは相変わらずだ。


「ううん。何も。美香は?」

「うーん。まだ決めてない」

「まだ、って、これからどこかに入るつもりなの?」

「だめかな?」

「だめじゃないと思うけど、途中からじゃ馴染めなくない?」

「そうなのかなぁ?」


 この子は全体的に鈍いのだろうか。


「……行くぞ」


 入江が美香に声をかけ、教室を出ていく。


「あ、待って。……梢、ごめん、またね」

「うん。ばいばい」


 美香の「待ってってば~」という甘えた声が遠のいていく。

 さっき入江が斜めに動かした机を元に戻す。


「じゃあな、の一言もないわけ?」


 思わず口をついた愚痴にハッとする。別に言ってほしいわけじゃないけど。北山はうるさいくらいにいろいろ言ってきたから、その差が目立っちゃって。あ、いや、だから、北山みたいにいろいろ言ってほしいわけでもなくて。……私ってば、誰に言い訳しているんだろ。


 日差しの角度が低くなってきた。北山の言うことを聞くわけじゃないけど、そろそろ帰ろうかな。


 席を立ち、椅子をしまおうと背にかけた手がふと止まる。


 ――美香と入江、仲好さそうだったな。付き合っているのかな。


 はっ! 私ってば何を?


「ああ! もうっ!」


 空の校舎に思いのほか響き渡った自分の声にビクリとする。あぶない、あぶない。また大声出しちゃうところだった。


 ……最近、大声、出してないな。


 美香と初めて会った日のことが思い出される。この教室で叫んだら、美香が駆け込んできたんだ。

 あれからまだ二ヶ月も経っていないのに、もう随分前のことのようだ。なんだか、あの頃の自分が他人のように思える。


 遠くでまた北山が怒鳴られている声を聞きながら、私はようやく教室を後にした。






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