第三の手記 二

もう、私は疲れました。

一寸先は闇です。もがいてももがいても、どこまでも続く闇一色です。

その先に光があると信じることが出来て、はじめて人は前進することが出来るのだと思います。

しかし、私には無理です。人を信じるという、至極当然のことが出来ません。

逆に世間の人達は、何故そんなにも他者を簡単に信頼出来るのか、不思議でなりません。

人間不信の最たるものである私は、やはり世間一般から見て異常なのでしょう。

そんな私が、頑張って普通側の皆様のために作られた社会に溶け込んで生活する必要が、果たしてあるのでしょうか。

普通の人たちに混じって生活して、普通の人の真似をして、異常だとばれないように細心の注意を払って……まるで逃亡中の犯罪者のような生活を、これからも送らなきゃならない。


あぁ!考えただけでも耐えられない!


そもそも生まれる時代を間違えた時点で、そんなことはやるだけ無駄なのです。

バブル時代に消費してしまった分のツケを支払わされる世代としてこの世に産み落とされた時点で詰みなのです。

本当に、この時代の人間に生まれさせられてしまったことを、非常に悔しく思っています。

人生がこれだけ大変だとわかっていながら、何故この世界に子供を産み落とすのでしょうか。

はっきり言って、鬼畜の所業にしか思えません。

そもそも何故人は「生まれる」と表現するのでしょう。

人は自発的に生まれません。英語の「be born」が正解です。

人は生まれたくて生まれるのではありません。それが出来るのは芥川先生の描いた「河童」の世界だけです。

私も、どうせなら河童として生を受けたかった。河童はなんと産まれる前に自分の生を決められるのだそうです。なんと羨ましい生き物なのでしょうか!

しかし、それは架空の世界、幻想です。決して叶うことはありません。

現実として、すべての人間は親の都合で勝手に生まれさせられた身です。そこに当人の意志は一切ありません。

人は生まれながら、他力本願な生き物であることを宿命付けられているのです。

だからこそ、「意志」という言葉に惹かれます。憧れます。自分で決めて行動することを本能的に求めるのです。

何故私には、それが出来なかったのでしょう。

生まれた時代を間違えたのか。

親が育て方を間違えたからか。

周囲から早々に「異常」の烙印を押されたからか。

今となっては、わかりません。もはや考える気にもなれません。


それなのに、まだ、生きなければならない。

そう、私は、これからもこの社会で生きることを強いられているのです。

周りは全員「普通」で、敗北確定の道しか残されていない、この地獄で。


ふと、以前中学の時の同級生が言っていた言葉を思い出しまた。

「小学生を卒業するのが楽しみで仕方なかった。卒業したら勉強から解放される、もうやらなくていいと思っていたから、卒業式で中学校というものの存在を知って、これからも勉強しなければならないとわかって絶望したよ」

今、彼の気持ちがはっきりとわかりました。

私はもう、生きたくないのです。

こんな、私のような少数派が圧倒的に不利になる社会で、これからも頑張って働き税金を納めなければならない、それなのに私達が定年になる頃には与えらる補償は今よりずっと少ないし、最悪の場合は存在すらしないような社会で、なぜこれからも生きなければならないのか。


簡単です。死ぬのが怖いからです。


私だって、出来ることなら自ら命を絶ってこの世から去りたいのです。

しかし私の場合、既に親の教育により自発性が失われているため、行動には移せません。

そもそも、私は死ぬわけにはいきません。

仮に私が自殺に成功したとしましょう。すると必然的に、死体が一つ出来上がります。

死体は放置すると腐るので、焼いて灰にしなければなりません。

そのためには、お金がかかります。

葬式をしなければならないので、ご多忙の中大勢の人を呼ばなくてはなりません。

家族、知人、葬儀屋の業者の方々……多くの方に迷惑がかかります。

生きているだけで、役立たず故に家族に多大な迷惑をかけているというのに、死んだらより多くの人に、家族に、それ以上の迷惑をかけることになるのです。それがどれだけ恐ろしいことか、想像しただけで身体が震えます。

だから、私は死ぬわけにはいかない。

かといって、このまま生き続けるのはあまりにも辛く、申し訳なくて、情けない。

生きることも許されず、死ぬ勇気もなく、常にそのダブルバインド状態で、これからも生き続けなければならない。そのこと自体が、何より一番怖いのです。

いっそ死にたい。

でも、死ねない。

死にたい。

死ねない。

そんな八百長花占いを続けることにさえ疲れ切った頃、何気なく見ていたテレビのニュース番組で、ある一人の犯罪者が逮捕されたと報じられました。

とある人気漫画への業務妨害行為と、コンビニの食料品に毒物を混入させ、しかもそれをわざわざ手紙で警察に報告していたとして、世間ではちょっとしたさわぎになりました。

テレビに映し出された、逮捕された直後の犯人は、笑っていました。

不思議と、疑問に思いませんでした。その時は理由がわからなかったのですが、後に公開された犯人の意見陳述全文を読んでみて、目を見開きました。


そこには、確かに、私がいました。


彼の境遇などは、当然自分とは違います。

しかし、彼の犯行の動機や、彼の言う勝ち組に対する憎しみを、私は理解――いえ、そんな生易しいものではありません。私の中にあった、私自身も自覚していなかった感情と、一致したのです。


同族を得た、喜びでした。

そう、彼は間違いなく、未来の有り得た私そのものなのでした。


それがわかった時、私の脳裏にある人物が浮かびました。

その方は今では長年の夢であった作家となり、つい最近処女作が刊行されたばかりでした。

何げなく手に取り、読了した後に作者プロフィールの欄に、私が受験生の頃に行きたかった大学の名前を見つけ、加えて私と同世代だと知ってトドメを刺されました。

脅迫された漫画家と、逮捕された犯人。

私の行きたかった大学出身の作家と、何一つ成し遂げられていない私。


自分の末路が、見えた気がしました。


あぁそうか、私は、元より生まれることを許されていなかったのだ。

この社会で生きることなんて、最初から出来やしないのだ。

現代に生きる普通の皆様が言うところの、犯罪者予備軍。私もそれなのだ。

初めから、私は存在を許されていない側の人間だったようです。

それなのに、どうしてこれ以上生き続けなければならないのか。

いっそのこと、誰か私を殺してくれはしないだろうか。

通り魔事件とかで偶々そこに居合わせてしまったが故に殺されてしまった通行人の一人になりたい、なんて不謹慎極まりない欲求さえ生まれます。

現に大震災のあったあの日、私は自室にいたのですが、揺れが大きくなるにしたがい死の恐怖を感じると同時に、「これで終われる」と思わずニヤけてしまったくらいです。

しかし、前述したとおり死ぬことも許されていない。


あぁ、何故人間なんかに生まされてしまったのだろう。


知性なんていう、生きるうえで不必要なものがあるばっかりに、本来苦しまなくていいことで苦しまなければならない。

もう辞めたい。人間なんて辞めたい。猿から進化したとか自惚れている動物なんて辞めてしまいたい。


ちょうどそう思っていた時、光は差しました。


何気なく引いた国語辞典の欄の「ろくでなし」という言葉の説明文が目に入りました。


『ろくでなし:何の役にも立たないこと』


本当は別の言葉を調べていたのですが、それも私に相応しいものでした。


『女々しい:意気地がない。思いきりが悪い。男として相応しくない』


どちらも、私という者を表すのにぴったりの言葉だと思いました。

そのうちの前者である「ろくでなし」を使った例文に、次のようなものがありました。


『このろくでなしめ、とっとと出て失せろ!』


この一文を見た時、脳天から稲妻が直撃したかのような衝撃を覚えました。

別に一般的に売られている辞書の例文に、こんなひどい言葉づかいのもの載っていたことに驚いたわけではありません。

この地獄から解放されるための鍵を、見つけた気がしたのです。


そうです、失せればいいのです。


生きるでもなく、死ぬでもない。まさに目から鱗でした。

八大地獄の方が生易しく感じるほどの、現代社会という地獄を脱する方法を見つけました。

どうしてこんな簡単なことに気付けなかったのでしょう。

それも私らしいと言えば私らしいのですが、もっと早くに気付いていれば、悲しい思いをする人は少なくて済んだはずです。

二十五年も経った今になって、選んだ道が「失せる」だなんて、なんとも私らしい最後になったものです。

そういうわけで、私はもう失せます。


これまで私を養ってくださり、ありがとうございました。

寿命を迎えることなくこの世を去ることになったことを、深くお詫び申し上げます。

最後に、彼の犯人の言葉を少し私なりにアレンジして、締め括りたいと思います。



こんな人生やってられないから、辞めさせていただきます。



女々しいろくでなしは失せます。さようなら。

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