第10話 九月生まれのウォルフ‐S.F.‐
僕が仕事のための長い旅から戻ると、ウォルフはいつでも喜んで迎えてくれる。
都心を離れた、美しい田園風景を望む丘の上にウォルフのいる病院がある。
今回の休暇がちょうどウォルフの誕生日と重なって――それは僕の誕生日でもあるのだが――、僕は飛びっきりの誕生祝を用意しようとはりきっていた。
まず、彼を病院から連れ出そう。いちにち、何処か思い出になる場所を選んで、ふたりきりでのんびりやろう。
街のカフェで、シナモンの香りのするアップルタルトを食べ、通りを眺めながら可愛い女の子が通るのを待つ。
それから海へ。僕たちはずっと海ばかり見て育ったので、潮の香りや風や波音があれば――海岸沿いに建つ小さなホテルに部屋を取り、僕たちはそこで夜通し話し込む。ウォルフは時々黙って目をつむり、疲れた様子を見せるが「大丈夫だよ。波の音を聴いているだけさ」といって、僕に心配させまいとする――もう何年も前に、僕たちはこういう時間を過ごしたのだった。
思いだした。僕たちはなんども誕生日を一緒に祝い、思い出は僕の胸の中に積み重なっている。
病院に入ると医者が僕を呼び止めた。そして、最後通告を、僕は受け取る。
「もう、ウォルフを目覚めさせるのは限界だ。進行を食い止めておかなければ、治療法が確立されても助からない」
眩しいくらいにまっ白なシーツでくるまれたベッドの上に、彼はまるで若い王様のように悠然と座り込み、膝の上には大きなアルバムを載せている。
「やあ!」と、ウォルフは僕を見て明るく声をあげる。
「今度も無事に戻ってきたね。君は、昨日出かけて今日戻ってきたというのに、何十年も旅してきたような顔をしてるよ」
そういって彼は、僕に微笑みかける。
そうとも。ウォルフにとってはたった一日。
僕は今度は、六年も旅をしてきた。ウォルフが眠っているあいだに、火星や木星の衛星や、土星の周りを巡る宇宙ステーションなどをいくつもめぐり、たくさんの日々を過ごした。
逢うごとに、たった二時間違いで生まれた僕たちの時間は、だんだんと離れていく。
ウォルフの広げているアルバムには、建設中のスペースコロニーが写っている。地球と火星のあいだに、太陽を回る居住衛星ができるのだ。僕はその建設に携わっている。
ウォルフと過ごす時間は瞬く間に過ぎる。
僕はこの日にまたひとつ、彼との時間を遠ざける。
この後も、九月になると、僕はきっとひとりで僕たちの生まれた日を祝うだろう。ウォルフが病の床から解放されるときまで。
あるいは、ウォルフが次に誕生日を迎えるとき、僕はもういないかもしれない。
やがてウォルフは、僕が手掛けたスペースコロニーを訪れ、僕が刻んだ様々な印を目にすることになるだろう。
もう永遠に、進みはじめたウォルフの時間が僕の時間に追いつくことはない。
それでも僕たちは同じ時間軸の上をたどる。
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