第8話 深夜のペットショップ‐horror‐
僕の部屋の窓から、ペットショップが見下ろせる。メインストリートから外れた寂しい場所に、そのペットショップはある。いつ頃オープンしたのかは覚えていないが、僕がこのアパートに住み始めたころには、この通りには一軒の店もなかったはずだ。
しかし、ペットショップの看板が掛かったその店が開いているのを、一度も見たことがない。通りすがりにガラスのドア越しに店の中が覗けるが、灯りの消えたままの店内は殺風景で、ペットショップらしい様子もない。
店の中にあるのは大きな事務用デスクだけだ。そのデスクの上に、時々段ボールの箱が置かれていたりする。人の出入りはあるようだった。
ある晩、真夜中を過ぎたころ、僕は窓のそばにいて、なにげなく外を見た。
ペットショップの外に人が立っているのが見えた。その人は店のドアのほうを向いて、なにかを待っているらしく、じっと佇んでいた。
店には灯りがついている。
やがて、店のドアが開き、その人は中に入っていった。
僕が見たのはそこまでだ。
次の日、ペットショップはいつも通り閉まっていた。
僕は、昨日の昼間、デスクの上には箱が置いてあったことを思いだした。今は何もない。僕は、時々置かれている箱と、夜中に訪れる人間との関係を、なんとなく想像しながら店の前を離れた。
数日後、僕の部屋の郵便受けにペットショップのチラシが入っていた。
『あなたの求めているペットが手にはいるチャンスです!
希少価値のある珍しいペットをご用意いたします。
飼育方法はいたって簡単なものばかり、どなたでも育てられます。
諸事情により、明後日午前二時に開店いたします。お待ちしています』
僕は、特にペットを求めてはいない。アパート暮らしだし、昼間は仕事で、帰りも遅いし、ペットを飼う余裕もない。
だが、あのペットショップのことは気になった。
次の日、朝、ペットショップを覗くと、デスクの上に段ボールの箱が置いてあるのが見えた。
その日の夜、深夜過ぎに、僕はペットショップの前に立った。
ペットを手に入れるつもりはほとんどなかった。本当に珍しいもので、アパートでもこっそり飼えるくらいのものだったら考えなくもない。そんな程度の気持ちで、店を訪れようと思ったのだ。
店の前で待っているのは、僕ひとりだった。こんな時間では、まあ、当たり前のような気もする。なぜ、真夜中なのだろう。諸事情というのが気になる。盗難品か。違法なものか。
深夜、二時になると、店の中の灯りが点いた。
デスクの上の箱は朝見たとおり置かれたままだった。
店の奥からひとりの人物が現れた。きちんとしたスーツ姿の男だ。男はドアの鍵を開け、僕を招き入れた。
店に入った僕の背後で、カチャリと鍵を掛ける音がした。僕が振り向くと、男は「逃げ出すと困りますので……」と、いった。
ああ、確かに。ペットに逃げられたら困るだろう。希少価値のある珍しいものなら特に、慎重になるのも無理はない。
僕は、自分の気持ちが、珍しいというペットに強く惹きつけられていることに気付いた。どんなものか早く見てみたい。
男は、箱に手をかけて、僕を見た。そして囁くような声でいった。
「これは、小さな小さな、女の子の姿をしています」
え!? 僕は、心臓がドキッと大きく打つのを感じた。犯罪と、猥褻の文字が頭の中に浮かんだ。――男は話を続けた。
「もちろん、人間ではありません。姿が女の子のように見えるというだけです。新しく発見された珍しいもので、動物よりは菌類に近いのです」
男は箱の蓋を少し開けた。中からカサコソと何かが動いている音が聞こえた。
「ご覧になりますか」
僕は箱に近づき、そっと中を覗いた。
薄暗い箱の中には白っぽい何かがいた。よく見ると確かに小さな女の子だ。いや、女の子というよりは成人の女性に近いかたちをしている。大きさは30センチくらいだろうか。肌の色は人間と違って、やや緑がかっている。
でも、きれいだ。頭の部分には毛の代わりに羽毛のようなものが密集してついていて、動くたびにゆらゆらと揺れた。
「これは、なんですか?」 僕は聞いた。
「さあ、まだはっきりとしたことは分かりません。名まえは一応付けましたが。たんなる呼び名ですね。アメーバービーと」
「アメーバービー? 可愛いのか、気味が悪いのか、複雑な名まえですね」
「可愛いでしょう? 妖艶というか、そんな風にも見えます。餌を与えるようになれば、よくなつきます。触ってみませんか」
男は箱の蓋を大きく開けて、僕に差し出すように箱を動かした。
「ヒュルル……」と、小さな声を立てて、アメーバービーが僕のほうを見上げた。大きな瞳が濡れたようにうるんで、軽く首を傾げるしぐさがたまらなく可愛い。
僕はそっと手を伸ばしてアメーバービーに触れた。
ほんのり温かい。それにとても柔らかい。両手で抱え上げると、思いのほかずっしりと重みを感じた。
アメーバービーはからだを捩り、甘えるように僕の手のひらに頬をこすりつけた。なんて魅力的な生き物なのだろうと、僕は鳥肌が立つほど感激した。
そのとき僕はアメーバービーの首のあたりに瘤のようなものがあるのを見つけた。そこだけ少し黒ずんだ色をし、化膿したおできのようにも見える。
「首に何かありますよ」 僕は心配になって男に聞いた。
「ええ、それは、分裂を始めているのです」
「分裂?」 僕は、男がさっきいった「菌類に近い」という言葉を思いだした。
「繁殖の時期なんですよ。自己分裂繁殖なんですが。栄養を与えてやらないと分裂しきれなくて……」
僕は「ヒュルル……」という声を耳にしていた。それは僕の手の上のアメーバービーのものだけではなく、部屋中のいたるところから聞こえてきた。
男はやさしく微笑みながら、指揮を取るように両腕を広げると、部屋中に伝わるようなはっきりした声でこう告げた。
「さあ。お食べ!」
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