第4話 サーカス‐fantasy‐

 サーカス小屋が、数年に一度、広場にかかるのです。


 わたしがまだ幼かった頃、はじめて父の手に引かれてサーカスを見に行ったときの、驚きと感動はなんともいいあらわしようがありません。

 それからはサーカスがやって来るたびに、父と私は出かけていきました。


 星をいくつも集めてきたようなライトが映しだす数々の不思議は、後々までわたしの夢の中に現れました。


 わたしは、サーカスが再びかかる日を待ちわびて、その日の来ることをあれこれ想像したものです。


 でも少年の頃のある日を最後に、サーカスがやってくることはなくなりました。



 いつしかわたしは大人になり、社会というものの一員になり、家庭を持つようになりました。

 もう、わたしの夢の中には、サーカスが出てくることは滅多にありません。


 わたしは、子どもの頃の心を、ほとんど忘れかけていました。



 ある日、街の広場にサーカスがやってくるという噂がたちました。

 

 そしてついに、街のあちらこちらにサーカスのポスターが貼られるようになったのです。

 わたしはふと、心の中に楽しみが湧きあがるのを感じました。けれども今では、ただの懐かしさ、昔のことを思いだすきっかけでしかなくなっていました。


 それでもわたしは、今度の休日には、息子を連れてサーカスへ出かけてみようと思いたちました。

 その日が近づくにつれて、少しづつ、こどもの頃の感激が再びよみがえるような気がしてきました。そして、サーカスを心待ちにするようになったのです。


 いよいよ町の広場に、サーカスがやってきました。

 音も、匂いも、昔のままです。

 チケットを手に、赤いボールを鼻の頭につけたピエロに迎えられて、息子とわたしはサーカステントに入っていきました。


   円形の舞台、

   高く掲げられた天井、

   ピンと張られた綱渡りの綱、

   ゆらゆらと揺れている空中ブランコ。


 ごらんなさい、ごらんなさい。何もかもが、元のままです。


 わたしはたちまち、遠い昔へと引き戻されてしまいました。


   玉乗り、

   曲芸、

   ライオン使い、

 そして今、何本ものナイフを使って見事な技を見せてくれている美しい少女は、

昔見たサーカスにもいました。


 いいえ、あのときの少女と同じです。……確かに、同じ少女に違いありません。

 信じられないことですが、その少女の時は止まっている。そうとしか考えられない。……わたしには、不思議なサーカスというこの空間が、永遠に変わらないものかもしれないと思えてきました。


 彼女は、わたしを覚えているでしょうか。


 少女はリンゴを手に持って、わたしのほうに近づいてきました。

 確かにあのときもそうでした。少女は、

「リンゴを投げてください。わたしがこのナイフで受けとめます」

 と、いうのです。


 はたして、その少女も、昔と同じようにわたしを見て、同じことをいいました。


 ……いいえ。昔少女が見ていたのは、わたしの父でした。

 父を見て、「リンゴを投げてください……」と、いい。

 そして、こどもだったわたしにリンゴを渡したのです。


 少女は、わたしの息子にリンゴを渡しました。

 息子はわたしを見上げて、うれしそうに笑っていました。あのときのわたしと同じように……。


 息子が投げたリンゴを、少女は器用に受け止め、

ナイフ投げの少女と、わたしの息子は、場内から喝采を浴びたのです。


 少女はなんどもお辞儀をして、最後に、わたしの息子に言いました。

 でも息子は興奮していて、少女の言葉を聞き逃したかもしれません。


「忘れないで。この思い出を! きっとまた会いましょう!」

   

 

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