小岩井コーヒー

 春。

 田舎からこの都会へ出てきて、五度目の春。

 新年度ってやつだ。

 新しい出会いの季節。

 なんて言うと聞こえはいいが。

 要するに、という名の飲み会が多いってこと。

 自分の属する会社であったり、プロジェクトであったり。


 そういうわけで、今日も歓迎会だったわけなのだが。


 まあ、大事だよね。

 ってヤツ。

 ちゃんと参加しましたとも、できる大人として。


 でもね。

 やっぱり気を遣うわけよね。

 疲れるよね。

 仕事関係の飲み会って。

 別に嫌いな人がいるわけでもないのだけど。

 多少の緊張感がある。

 で、その緊張感を紛らわすためにお酒飲んでたりとか。

 そんなんだから、味も覚えていないし、ただただ酔いは回っていくし。


 そんな状態で飲み会は終わり、電車で帰路に就いた……のだが。

 なにやらいつもの路線が運転見合わせと。

 一応、他の路線で振替輸送をしているらしいので、そちらに移ると、まあ混んでいるわ混んでいるわ。

 仕方ないのでそのぎゅうぎゅう詰めの電車に乗り込んだところ、運良く目の前の席が空いた。

 ああ助かる、結構長くなりそうだから座っておこう。

 あ、寝過ごしたら大変だからスマホのアラームかけておこう。




 ……で、気がついたら、見知らぬ駅。

 あー、やっぱり寝ちゃってたか。

 急いで電車を降りる。

 あれ、アラームかけてたはずだけど……と、スマホを確認する。

 うん、なんかしっかり止めてある。

 さすが私。寝てても優秀。

 今度は二重三重にもかけておくか。

 いやいや、それはそれとして、反対方向の電車は!?

 ホームの電光掲示板を見上げると、オレンジ色の文字がゆっくりと流れている。


『本日の上り方面の電車はすべて終了しました。』


「ですよねー」


 私はあまりのお約束展開についつい独り言ちる。




 駅員さんに振替輸送で来たことを告げると、そのまま改札を通らせてくれる。

 まだ少し重い頭でのろのろと誰もいない駅前広場を歩き始めるが、ふと立ち止まりスマホを確認。

 現在時刻、午前一時。

 今日が金曜日でよかった。明日は休みだ。

 でも、このままふらふらしているわけにもいかないな。どこか寝られるところを探さないと。

 いや、それよりもまずは水分補給をしたいな。

 目の前には、駅前のコンビニと公園。

 その灯りに引き寄せられるように、とろとろと歩を進める。

 寝床を探すのはちょっと落ち着いてからでもいいだろう。まだまだ夜は長い。




 コンビニで買い物を終えた私は、誰もいない公園のベンチにビニール袋をガサリと置き、腰を下ろす。

 真夜中ではあるが、公園の電灯は多めで、周りの見通しも良く、安心してのんびりできそうだ。

 ふと、上を見上げてみる。


「うわぁ……」


 すでに少し散り始めている桜がライトアップされている。

 花びらと若葉のコントラストが美しい。

 風が吹くと花びらが舞い、無性に哀愁を感じさせられる。




 さて、と、先ほどコンビニで買ってきたモノをビニール袋からガサゴソと取り出す。

 水……はまあ、あとにするとして。

 薄茶色の500mlの紙パック、それにストロー。

 パックには『小岩井コーヒー』と書かれている。

 これ系のコーヒー牛乳では、これが一番好きなのだ。

 開け口を片方開き、ストローを突き刺す。



 いただきます。

 ちゅうー、っと音を立てて、一気に吸い込む。

 ふわぁっ、と広がるミルクの甘み。

 続けてくるのは、ほんのかすかな、本当にかすかなコーヒーの苦み。

 見上げている桜に劣らぬ、おいしいコントラスト。



 ああ、そういえば。

 大学時代の飲み会のあとには、いつもこうやって、後輩であり大事な友人であるあの娘千秋と一緒にこれ飲んでたっけ。

 彼女となら、気を遣わずに、楽しくお酒を飲めるんだよな。


 びゅうっ、と強く風が吹いた。

 桜の花びらが舞い上がる。

 いつの間にか、私の膝の上に妖精さんがいた。

 デニムのオーバーオールの下に白いシャツという、農場娘のような格好。髪型はポニーテール。

 千秋にそっくりな彼女は、心配そうに私を見上げている。


「……泣いているの?」

「そんなわけないじゃないですか。さっきの風で目にゴミが入っただけですよ」


 友人と同じ顔をした妖精さんに、心配なんかかけられるわけないじゃない。




 そうだな、次の連休は地元に帰ろう。

 あちらでは、その頃にちょうど桜が咲いていることだろう。

 今度は、こんな変な状況ではなく、いい気分でお花見を楽しめるかな。


 決して、私が寂しいから、とかではない。

 あんまり帰らないと、後輩が心配するから。

 それだけだ。そう、それだけ。


 すべては、そんな郷愁を感じさせる、桜とコーヒー牛乳がいけないのだ。

 私はもう一口、ちゅうっと薄茶色の液体を飲み込み、妖精さんをひと撫でした。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る