第2話 Yellow Parrot - 騙されないわ -


あの夜は最悪だった。


最悪というと聞こえが悪いが、ただ単に私の機嫌が悪かったのだろう。




「でねー、そこのbarで偶々あった人の印象最悪だったの」


「ねぇ、凜。あんた合コンの愚痴しに来たんじゃなかったの?」


その翌週の金曜日。

私は高校の時からの親友である怜の家を訪れていた。

お互い社会人。私は短大卒業後OL、怜は四年生大学を卒業したのち大学で取得した幼稚園教諭の資格を活かして幼稚園で働いている。


お互い、なんでも言い合える友達。

結婚式は友人代表お願いねと言い合える味方。


「合コンも最悪だった!あの下心野郎とは二度と会いたくない」


「本当にダメ男引っ掛けるのうまいよね凜は」


「なんでこうなっちゃうんだろ・・・」


「見た目はいいのに。愛想の良さと社交性が仇になってるのよ」


彼氏がいつからいないかなんて覚えてない。

中学のあれは数に入らないし、短大のあれも数に入らないし・・・

考えれば考えるほど、まともな男性には縁がなかった。


「そのbarで知り合ったっていう人は?顔と体はよかったんでしょ?」


「やめてよー!その一夜間違っちゃいましたみたいな言い方」


「だってそうじゃない。身長は?」


質問攻めが始まった、身を乗り出し興味深々の怜に呆れながら一つ一つ答えていく。

身長は180はあった。年齢は30手前か前半。

細身でもなければ太ってもいない。眼鏡に、高そうな時計。


「なにそれー!超良質物件じゃない」


「いや、顔は確かに格好良かったと思うけど・・」


「思う?」


「印象悪すぎてあんま覚えてない」


「あっはっは、最高!!」


そう、あんまり覚えてない。

あの時はbar自体、私の二次会的な感じだったのもありお酒も結構入ってた。

奢ってもらったカクテルも甘めでおいしいと思ってはいたが結構強かった筈だ。


僅かにしか確認できなかった顔はうる覚えで、確かに分かっていたのは癪に障るあの印象と、男性特有の低い声だけだった。


あの日、結局終電なんて諦めてたから、タクシーで帰る予定だった。

店を出たのは1時半過ぎだろうか。

宮瀬という男と一緒に店を出た。


「その後は?」


「え?」


「一緒に店出たんでしょ?」


「あぁ、少し歩いてタクシー拾いやすい所まで出て分かれたよ」


きょとんと目を丸くした怜が、信じられないと言わんばかりの顔をしてるのを私は見逃さなかった。

よく聞く話だ。飲み会で意気投合た異性とそのまま一夜を共にして、これって付き合ってるの?ただの体の関係?連絡していいの?とか。

きっと怜はそんな展開を期待してたのだ。


「つまんなーい!!」


「つまんないって何よ!」


「だってー、その宮瀬って人きっと凜の事気に入ってたと思うよ」


「なんで」


気に入ってたじゃない。あれは好奇心だ。

私が今まで知り合ってきた男とは少し部類が違うようにも見えたが

宮瀬にとっても私は部類が違う女だったのだろう。


それは彼にとっては良い意味だったのかは知らないが。


「まぁ、連絡先とか交換してないし。物珍しかっただけでしょ」


「でもさー、barで知り合った女が物珍しいってどーゆう事なの?」


「え?」


怜の言葉の意味がよく分からなかった、ニュアンスだけは大よそ伝わった。

座ってた足を組み直して、目の前にあった缶チューハイを一口煽る。

安っぽいオレンジ風味の酒が喉を通ったとき、私は思い出したかのように鞄を探った。



「・・・・あった」


鞄の中を探って、記憶を辿りながら無理矢理渡された名刺の存在を思い出していた。

確か、ここにと財布の中にはなく、さすがに化粧ポーチには入れないしと、一つのケースに手をかけた時だった。


「凜、まだタバコ吸ってるんだー」


「え、あぁ。うん」


「それより、それ何ー?」


鞄から取り出されたタバコケースの背にある僅かな収納スペースにその紙切れは入っていた。

無理矢理渡されたのを鞄に仕舞う際、どうしていいか分からなくて咄嗟に入れたのが此処だったのだろう。


「名刺?」


怜がワクワクしたような目で覗き込んでくる。

私の手に持たれた名刺には“宮瀬 透”の文字と、携帯番号と社名。

そして、興味なく怜に見せると、さっきまで煩く喋っていた怜がピタッと声を出すのを止めた。


「ねぇ、コレ・・・」


「え?なんて読むの?私英語むり」


「馬鹿!!インペリアルホテル!!あの駅前の大きい高級ホテルよ!」


名刺にはImperial Hotle の文字が印刷されていた。

駅前にある高層のホテルは知っていた。もちろん行ったことはない。

短大の卒業パーティで使ったホテルの会場もそこそこだったが、そんなことで使われるようなホテルではない筈だ。

少なくとも私のような庶民OLが足を踏み入れてはいけない場所であることは確かだった。


「馬鹿ー!!あんたこの名刺渡されたときちゃんと見た!?」


「いや、要らないっていっちゃったし」


「・・・」


「本当に印象悪かったんだってー」


「これ、見えてる?」


怜があからさまに冷たい視線を向けている中、必死に弁解した。

確かに、高級ホテルで働いてるホテルマンであの容姿なら女はほおっておかないだろう。

怜の問いかけを無視して紡いだ言葉に、半ば怒った様に怜が声を荒げた。


「怜って、ホテルマン好きだったの?紹介しよっか?bar行ってれば会えるかもしれないし」


「・・・あんたね、ここよく見なさいよ!!」


「ん、代表?」


「代表取締役。意味わかる?」



“宮瀬 透” の名前の左横には、役職名。


“代表取締役 宮瀬 透” と書いてあった。






怜に散々に怒られた(いや、罵倒された)あと私は帰り道だしと先週も訪れたbarに立ち寄った。


「いらっしゃいませ」


カランとなるドアーベルと共にいつもの優しい香りとオレンジ色の店内が目に映る。

その瞬間肩に入ってた力が抜けたのか、鞄が肩から落ちそうになるのを慌てて掴んだ。


「凜さん、お仕事帰りですか?」


「一応。友達の家で飲んでは来たけど」


「そうですか、でも先週よりはまだイケそうですね」


「はは、缶チューハイは酔えないですねーやっぱり」


カウンターに腰掛けると、まだ9時半という時間のためか満席近く客がいた。

あと空いてるのは2席。

一人で飲みに来てる人はあまりいないようだ。

居ても、歳のいったサラリーマンのような人ひとりだけ。


「なにに致しますか」


「キールで」


「ほう」


今日はワインが飲みたくてキールを選んだ。

シャンパングラスのようなグラスに真っ赤なキールは注がれてきた。

シンプルで、でも赤ワインの渋みを感じられるそれは一口飲んでふぅっと力を抜いた時に一気に香りが立つ。


「凜さんがキールを頼むなんて思いませんでしたよ。」


「どうして?」


「カクテル言葉ってご存知ですか?」


知らないと答えた私に、そうですかとグラスを拭き始めたマスターは最後に穏やかな表情でほほ笑んだ

そして、その問いかけに対する最終的な答えを口にする。



「キールの意味は“最高の出会い”ですよ」



落ち着いたBGMが店内に流れる。

jazz調のそれは、会話に支障がない大きさででも眠くなるような小ささもない丁度良い音量で流れていた。


「最高の出会いねー、私にはまだないな」


「何をおっしゃいますか」


「だって・・今日も友達にすごい怒られたんですよー」


席が満席に近かったためか、マスターと話しをしたのは私がここに来てキールを頼んだその時だけだった。

二回目が来たときは時計の針は23時少し前まで迫っていた。

マスターまた、と言って一人ひとりと客が帰っていく。

私も、今日は終電で帰りたいからあと一杯で止めようと考え注文を口にした。


「マスター、スティンガーちょうだい」


「これは、また。強いのいきますね」


「今日はこれで最後。」


マスターは先週のことは何一つ触れてこなかった。

さっきまで客がたくさん居たのだ、それもそうかと自己完結していたが、目の前でシェイカーを振り終えたマスターが重たい口を開いた。


それはあまりにも唐突だった。


「先週は、申し訳なかったですね」


「え?」


「宮瀬様のことです」


「あぁ、いいんですよ、私もちょっと大人げなかったかなって!」


「違うんですよ」


そう言った直後、グラスを差し出した後に少し離れたところに座ってた男性がお会計の声をかけた。

その声に誘われてマスターは行ってしまう。

何が違うのかそのもやもや感だけがその場に居ついてしまった。


聞かなくたってなんの支障もなかった筈なのに、マスターが話途中でその場を離れてしまったことが無性に惜しく感じた。



カランと音と共に男性が外へと出て行った。

店に残ったのは私と、二人で来てた女性客のみ。

少し離れた場所に居るその女性客には、私たちの話声は聞こえないだろう。


「続きを話しましょうか」


戻ってきたマスターはそう言って私の前でグラスを拭きはじめる。



「彼が来たのは3年前くらいでしたか」


「ねぇ、マスターその話って宮瀬って人の事だよね?」


「えぇ」


小さく答えた後、マスターは少し黙った。

私はちらっと4席ほど離れた二人組の女性客を見たが、彼女たちは彼女たちで話が盛り上がってるみたいだったのでそのまま目線を戻した。


「名刺は見ましたか?」


「えぇ、さっき友達の家で」


「さっき?」


「忘れてたんです・・・」


凜さんらしいと言わんばかりにマスターは微笑んだ。

きっとマスターは宮瀬の職業の事を指して、名刺を見たかどうかを聞いて来たのだろう。

本人の口からそれを言われたわけでもなく、含みのある言葉に答えとして言葉を返す。


「凄い人だったんですね」


「それはもう。でも、」


「でも?」


「ここに初めて来たときは違う意味で凄かったんですよ」


三年前の記憶だ、劣化してる部分も多少あった筈。

それでも鮮明に覚えてると言わんばかりに話すマスターの顔は困った様に笑っていた。


マスターの言う“違う意味”とは、私が感じた第一印象とどう違っていたのだろうか・・。



「宮瀬様は、此処に初めて来たとき泣いてらっしゃったんです」



泣いて いた。

どうしてですか、と聞いてもマスターはわかりませんと答えるだろう。

だから敢えて聞かなかった。

あの余裕たっぷりで初対面の人に平気でお前と呼ぶあの人が泣いていたと。


「あぁ、手短に話さなければなりませんね。」


「え?」


「あの日は雨が降ってたんです。お客さんも少なかった」


マスターは時計を見ると、簡単に、それは本当に簡単に話を始めた。

私の終電を気遣ってくれてるのだろう。時計はもう23時を回っていた。


「入ってきたときはずぶ濡れでした」


「傘は?」


「お持ちではなかったですね」



「一杯だけでいいとおっしゃって、カウンターに座られたんです。」


その時、タオルを貸したという。

それもそうか、ずぶ濡れでカウンターに座られて黙って見ていられないだろう。

軽く雨粒を拭いた後、先週と同じカクテルを頼んだという。


もちろん、傘は?と聞いたが持ってないと返ってきたそうだ。


「宮瀬様はその後一言も話しませんでした。」


「え?」


「俯いて、軽く頭を抱えてずっと下を向いてたんです」


「・・・」


言葉は出なかった。

そこで泣いてたのだろうか。

髪にしみ込んだ雨が垂れてきただけだったのではないだろうか。

ただ、先週の穏やかに笑っていた彼からは想像できなかった。


「私もね、お節介ではありますが、声はかけませんでした。」


「正解だと思います」


「えぇ、そう思ってました。」


「思ってた?」


「ふと、額に当てられていた手の間から、涙が見えたんですよ」



その時、声をかけないでいたことを後悔しました。とマスターは言って何かを感じ取ったように


   ここまでですね そう続けた。




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