Cocktail

柚木 りゆ

第1話 Aurora - 偶然の出会い -



「マスター、モヒート頂戴」


「かしこまりました。」


少し大人しめのドアーベルを鳴らし入ったbarで私は慣れた手つきでカウンターに座った。

女性がひとり。時計の針は23時半を回った頃合い。

終電を諦めた私の姿にマスターは少し驚いたような顔を向けたようにも見えたが、それもほんの一瞬でいつもの顔に戻ってしまった。


「どうされたのですか?今日は」


その一言と同時に出されたモヒート。

安い居酒屋などで出されるものとは少し違い、大きなミントが惜しげもなくグラスに浮いていた。


「どうしたも、こうしたもないのよ・・聞いてくれる?」


「勿論ですよ」



落ち着いた声でほほ笑んだマスターに甘えその口を開く。

今日は、会社の同期に誘われた飲み会だった。

いつもと違っていたのは、知らない男性が数人居たこと。

私にとって打ち合わせなしのぶっつけ合コンのようなものだった。


「顔は悪くなかったのよー。顔は」


「人の第一印象を決める55%は視覚からといいますよね」


「そうなんだけど… 」


愚痴に近い私の話を淡々と聞くマスターは優しい声色で相槌を打つ。

話を進める度に結局は好みが居なかったという理由に辿り着いた頃には、私が顔で男を選ぶと思われたかと自分の軽率な発言が少し恥ずかしくなった。


一通り普通の合コンはしてきたつもりだった。

でも、その話をするにはマスターは少し大人すぎたかもしれない。


「なんでこうも上手くいってくれないんだろう」


「間違いが起こる前に縁が切れるのは、或る意味いい事ですよ」


「私、頭硬いのかな?」


「そうは思いません」


優しいマスターは決して私を責めたりしなかった。

それを分かってるからこそ、話を始めた私は結局慰めてほしかっただけ。




「凜さんは優しすぎるんですよ」


想定していなかったマスターの言葉に、グラスを持つ手が止まった。

そして、その中に隠された意味がどうしても気になって仕方がない。


話を聞きながら、グラスを拭くマスターは終始微笑んでいる。

きっと社交辞令だとかもほんの少しだけ混ざっていたのかもしれない。


「逆かもしれないですよ?」


「そんなことありません、私の言ってる事は間違ってないと思います。」


「凜さんとは、性格が合わないお方ばかりだったんですよ」


言葉足らずだと思ったのかマスターは、その後も言葉を繋いだ。

不思議と違和感を感じないその言葉に、呆然と出た言葉はさらに先の意味まで欲しがる。


「・・なぜ?」


「え?」


「マスターはなぜそう思うの?」


単純に吃驚したのだ。

ここのbarに顔を出すようになって2年は経つが、私に恋人がいなく出会いを求めている事をこのマスターは知っていた。

少し男性関係で嫌な事があるとここにきて少しだけ愚痴ってたりもした。

その度に、推定50歳後半であろうマスターは



  若いうちはそれくらいが丁度いいんですよ



そう言って話を聞いてくれた。ただ、そのネタの多さが問題だ。

こいつはどうしてダメ男ばかり引っ掛けるのか、そう思われてたと。


「貴方より倍は生きてますからね。」


「それだけ?」


「いえ、今までの話を聞いていても非があるのはいつも男性側だったでしょう」


「自分の話するのに自分を悪く言う人はいないと思うけど?」


「はは、それでもです」


マスターはそのあと少しだけ饒舌になっていた。

恋愛において、損をするのは男性の役目だと。

食事の勘定然り、車での送迎然り、そこのすべてに下心があるとは言わないがそこは女性に合わせるのが紳士だと。


「でも、凜さんのお話しはどれもお相手の下心しか見えないですね」


「あーあ、マスターが、あと20若ければ好きになってたかも・・」


ははは、と冗談っぽく受け流したマスターの前で飲みかけのモヒートを一気に流し込んだ。

そして、空になったグラスを確認してマスターは次の注文をさりげなく聞いた。




  ----- カラン




店には数人の客しか居なかった。

しかし、みんな終電があるからとほぼ入れ違いでbarを出て行ってしまったからだ。

そんな中聞こえてきたドアーベルは無性に大きく聞こえた。


「まだ、大丈夫か?」


「これはこれは、宮瀬様。お久しぶりですね」


「あぁ、」


入ってきたのは背が高くてフレーム眼鏡をした男性だった。

スーツ姿でトレンチコートを羽織っており、肩が濡れていた。


「雨・・?」


思わず声が漏れた口を慌てて抑える。

幸いその男性は肩の水滴を払うのに夢中で聞こえてなかったらしい。


ドアーベルが鳴った時にマスターと同時に宮瀬と呼ばれた人を見て、傘持ってきてないと不安が募ったが、あまりジロジロ見るのも失礼だと思いすぐに視線は逸らした。


「マルガリータをくれ」


「本当、お強いお酒がお好きですね」


彼は、私から席を一つ開けてカウンターに座った。

まあ普通だろう。いきなり横に座られたら少し嫌な気にもなる。

宮瀬という男はこのbarは初めてではないらしい。

しかし、久しぶりだとさっきマスターが言っていた。


身なりもそこそこ、腕時計なんてすごく高そうだ。

ただ、とても疲れているように見えた。


「凜さんは、何にいたしますか?」


「へ?、あ、えーっと」


「ここへ来る前に飲んでらしたんですよね、少し軽いのにいたしましょうか」


急にしおらしくなった私を見てマスターは注文の言葉をかける。

多少動揺してどもっていると、そんな私をみてマスターは一つの提案をして見せた。


そしてマスターが出してくれたのは、すごく見覚えのある赤と透明がグラデーションされた可愛らしいカクテルだった。



「マスター・・・これは」


「えぇ、カシスソーダです」


「えー」


出されたのは紛れもなく女子の鉄板カシスソーダ。

ベリーが上に乗っていて、女の子なら可愛いと喜ぶような見た目だった。

確かに、可愛い。可愛いが、今はそうじゃない。


「マスター私の話聞いてましたー?」


「えぇ、ですからコレをお出ししました。」


「今日は強いお酒で潰れる寸前まで行こうと思ってたのにな」


少し不満はあったが、出されたカシスソーダを少し口に入れる。

ピリッとした炭酸の刺激と一緒になじみあるカシスの香りと甘さが口に広がった。


美味しい。


「凜さんはまだ潰れるまで酔うような年齢ではないでしょう」


「今年25ですよ!!四捨五入で三十路・・・」


「私は四捨五入で還暦ですがね」


「マスターはいいのー。素敵だから」


はははっと、またマスターは冗談っぽく笑った。

他愛のない会話の中、席一つ開けて座った宮瀬という男性は、出されたお酒をゆっくり口に含むとそのグラス口を覗いてふわりと笑った。


少ないお客さんの中で、居合わせた人と話をすることは不思議な事じゃない。

そうやって仲良くなった人も数人いた。

しかし、どうもこの宮瀬と言う男性には声を掛けるタイミングも理由も見当たらなかった。


「やっぱ此処のマルガリータは旨いな」


「ありがとうございます。」


「他とは香りと後味が違う」


「うちはライムを少し多めに入れてるからですかね」


宮瀬という男はマスターの作ったカクテルに口をつけると、来た時よりも顔が穏やかになったように見えた。

僅かに続いた沈黙を破ったのは私でもマスターでもなかった。

そして、その会話を皮切りだと言わんばかりにbarには話声が広がった。


「凜さんは飲まれたことありますか?マルガリータ」


「え、いや・・・マルガリータはピザしか」


マスターに問われそれに答えたとき、右横でブフッと噎せたような声が聞こえた。

いや、正確には噎せて笑いをこらえている声が聞こえた。


自分の好きなカクテルの知識しかない私は、笑われたことが不思議で。

咄嗟に宮瀬の方を向くと、片手を口元にあて笑いを堪えてるであろう姿が目に映った。


「宮瀬様・・・」


マスターが困ったように諭す。

その言葉を無視するかの様に、宮瀬という男はこちらを見て口を開いた。


「お前、それマルゲリータだろ」


いまだにクツクツ笑うその男は、苦しそうな呼吸の中絞り出すような声でそう言った。

それを聞いたマスターは深いため息をついて困った顔のままだ。


「あ、そうでしたね!名前似てるし初めて聞いたから・・・」


「確かにな、25の女には馴染みも飲む機会も少ないか」


聞こえた言葉は間違っていない、そう確証があったからこそ少しだけ、イラッとした。

言葉そのまま、他の感情は存在しない。

宮瀬は初めて会った私に、“25の女”と言ったのだ。


「宮瀬様・・・凜さんとは初対面でしょう?」


「そうだが?」


「そのような言い方は癪に障られますよ」


「そうなのか?」


その質問は私に向いていた。

マスターの言った事に肯定したいのは山々だったが「はい。癪に障りました、まさに」なんて言えない。

私にとっても宮瀬にとっても互いが初対面であり、この人はマスターにとって大事な“客”でもあったからだ。


「おい、聞いているんだが」


「あ、いえ。癪には障ってないです」


「癪には?」


「え、っと。その、」


明らかに自分より年上の宮瀬を前にどもってしまい、マスターに助けを求めてみても、はっきり言ってあげてくださいみたいな顔をしていてなんの解決にもならなかった。


そして、それを察したかのようにそのままの言葉が投げかけられる。



「なんだ、はっきり言え」


「癪には障りませんが、印象は悪かったです!」



今度は、マスターがカウンターの奥でブフッと遠慮がちに笑った。



「面白いな。お前」


印象が悪かったのは事実。

それを真正面から人に言ったのも初めての事実だった。


「宮瀬様。その辺に」


「いや、俺に印象が悪いだなんて言った女初めてだ」


「それは、凜さんが宮瀬様の事を何も知らないからでしょう」


「何も、知らない・・・か」


もう、ここに何をしに来たのかはすでに忘れそうになっていた。

合コンの終わり際に横にいた男が、店を出た時にメンバーの目を盗んで「いいでしょ?」なんて腕をがっしり掴みながらホテルのフロントまで無理やり引っ張られた。

そんな最低男の話を愚痴ろうとしてたのに。


一つ溜息を吐いて、勿体無い時間を使ってしまったを考えてると宮瀬が徐にマスターに声を掛けた。


「マスター、こいつにマルガリータ一つ」


「こいつではありません。凜さんです」


「凜に、マルガリータ一つ頼む。テキーラは薄目でオレンジで割って。」


「かしこまりました」



「俺には普通のもう一杯」


マスターは全く、しぶしぶカクテルを作り始める。

私はというと、愚痴り損ねたと両手で口元を覆い顔を隠しながらぼーっとリキュールの並んだ棚を眺めていた。


「どうぞ。」



「え?」


暖かみのあるダウンライトの店内は少し暗めで、ぼーっとしてるとつい眠くなる。

明日、友達に愚痴を聞いてもらおうだなんて何も詰まってない休日の予定を少しだけ楽しみにしながらその相手を頭の中で探していた。


そこに置かれた一つのカクテル。

オレンジ色の中身にグラス口には白い粒々したものがついていた


「こ、これは?」


「俺から。印象悪くさせたお詫び」


「え、いや、そうゆうわけではなく」


「いいから、ほら。乾杯」



頼み直したであろう二杯目をもって宮瀬が笑った。

私も乾杯とグラスを軽く合わせた後、グラスに口をつけた。


「・・・塩?」


「あぁ、此処のマルガリータはスノースタイルだ」


「スノースタイル・・・」


「分かってねぇなお前」



「スノースタイルとは、グラス口に塩がついてることを言うんですよ」


優しい声色のマスターの声が耳を刺した。

なるほど、確かに雪が降って少し積もったかの様に見える。


「しかし、宮瀬様。さっきも申しましたがこの方は


   「私、お前って名前じゃありません」


スノースタイルに関心してたのは本当で、マスターの声が聞こえてなかったわけでもないけど

その言葉は私が私の声でこの人に伝えたかった。

だから、私は意地になったようにマスターの声をかき消した。


「・・・・あっははっははは」


「なんですか!?」


「いや、やっぱお前、いや、凜。面白いよ」


「・・・全く。手が付けられませんね」


最初はキョトンとしてた顔は少しの沈黙の後大きな声と共に笑い顔になった。

この時、入ってきたときにあまり見ないようにしていた宮瀬の顔をよく見たからなのか、雰囲気で感じ取ったのかは分からないが宮瀬の飾りのようなフレーム眼鏡の下は、とても端麗に見えた。


「マスターなんなんですか?この人!」


「凜さん・・・すみません馴染み客なんですよこれでも」


「おいおい、俺はこの人なんて名前じゃない。」



「は?」


口からでる一言一言に無性にイライラする。

この宮瀬はと言うべきだったのか。


端麗な顔立ちから見える余裕が余計に私の感情を掻き乱した。


「宮瀬 透 だ」


「いえ、聞いてません。」


「ほら、名刺渡しておく」


「要らないですよ、今後会う機会もないかもしれないですから」


すっとカウンターを滑って出された名刺には“宮瀬 透”と書いてあった。

マスターはその行動をみて驚いていたようだ。

勿論、私なんてただのOL。名刺なんて持ち歩いていない。


「私、名刺もってないですよ」


「いいよ、凜だろ?名前」


「・・えぇ」


「上は?」


もう付き合ってらんねーって心で思って、奢ってもらったマルガリータを口に含んだ。

さっきは感情任せになった手前、味をすぐに感じれなかったが

今の一口は、オレンジの風味のなかにテキーラの香りがふわりとし、大人な味がした。


「上とは?」


「苗字だよ。凜は名前だろ?」


「・・・中峰です」


「覚えておく」


完全に穏やかな顔になった宮瀬に触れてはいけない毒に触れてしまったような感覚に陥った。



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