第41話 廻る旅路
あの後、しばらくしてから青龍が作り出した雷の檻は自然と消えた。そして消えた瞬間に
サンダルフォンは走り出していた。しかしそれを止める者が一人。
「サンダルフォン、それ以上はいけません」
「なぜですかッ!」
「おかしな人ですね。“何もない誰もいない”所へ走って行ってどうしようというのです?」
「――ッ」
「先を急ぎますよ。私たちは真実を確かめなければならないのです」
リリスとタルシシュは二人を一度も見なかった。そこには誰も倒れてなどいない。誰もいないのだから見る必要は何もない。サンダルフォンは拳を強く握りしめた。大丈夫、絶対に生きているしまた会えるはず。そう思いその場をあとにした。
結論から言ってベルゼブブと青龍が何をしたかったのかがわからなかった。噂の強い変な奴はたしかにそこにいた。独りで山を下っていた。そこをリリスたちは捕まえたのだ。
「貴方がロッドエンドで間違いないでしょうか? 私は中級天使三隊・第四階級・主天使ドミニオンのリリスと申します。八十年前に起きた《六道家》滅亡について貴方にお話を伺いたく思います。その身を天界で拘束、然るのちに――」
リリスは淡々と述べていった。こうしてロッドエンドを捕まえることに成功した。
その後の供述から、ロッドエンドは【銀魔邪炎】ではないことがわかった。しかし【銀魔邪炎】に捕まったことを明らかにした。そして《六道家》襲撃のことは何一つ覚えていなかった。
「総隊長、あの二人の階級はどうされますか?」
タルシシュは小声でそう聞いた。
「あの二人、ですか」
その二人というのはサマエルとアナフィエルの二人だ。この二人が堕天したことは報告をした。黙っている訳にはいかない。
「あの二人は、伯爵、にしときましょう。まだ表立った行為はしていませんが、元能天使ですし、それなりの力があるでしょうしね」
悪魔は自由だ。上も下も階級もない。しかしそれはあくまで自分たちの意見であって天界の考えではない。天界では悪魔にランクをつけて危険度をきめる。
悪魔の階級は上から皇帝、王、大公、大公爵、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵があり、サマエルとアナフィエルは下から三番目の位の伯爵と位置付けられた。
ちなみにベルゼブブは上から二つ目の王に属する。
「それにしても総隊長、なんだかアレですね」
「アレ、とは?」
「解決はしたはずなのに肝心のことがわかってないじゃないですか? こー、もやもやが止まりません」
「まぁそれは誰もがそうでしょうけど、でも今回のことで【銀魔邪炎】が存在することがわかりました。そして更に詳しい話を聞くために捕獲の許可も下りるでしょう」
「伝説が大人しく話てくれますかね?」
「きっと話してくれますよ。あの“馬鹿男“は筋を通せば応えてくれますよ」
「そんなもんですかねぇ」
そんな簡単なことでもないような気がしたが、まぁこれで一つの事件が終わった。あとは更に一歩踏み込むために伝説にご同行願う。リリスは準備の為にその場から去った。そしてタルシシュはふと疑問に思った。
「あれ? なんで総隊長は【銀魔邪炎】が男だと知ってるんでしょうか――」
ま、強いから男だろうと勝手に思っているに違いないとタルシシュは納得したのだった。
過去に夜見は輪廻にそれを言った。何度も言った。選択肢を迫られた場合、どういった方法をとるのが最善なのかを。しかし実際にそれを思いつくには並大抵の事ではない。思いつかない事を思いつき、それを実行に移す。それはもっと分かりやすく言えば、完全に忘れている事を思い出す事に似ているのかもしれない。完全に忘れている事をどうやって思い出すのか。そもそも思い出すという考えすら浮かばないだろう。それは更に言い換えれば、忘れた事ではなく最初から無いものを思い出すと言っても過言ではないのかもしれない。
生きて行きなさい。
それを聞いたロッドエンドは理解出来ていなかった様だが、その言葉に従いその場から消えた。
「……いや、だからお前何やってんだ?」
夜見には輪廻の行動が理解出来なかった。あれほど憎み、殺したがっていた相手を逃がしたのだ。しかも歯を噛み締め、拳を強く握り締めながらだ。そこから心情が伝わってくる。
「これが――私の復讐よ」
生かす復讐。つまり二つの選択肢の両方をとったのだ。それが輪廻の考えた第三の選択肢だった。
「あいつは殺される事を望んだ。私が殺せばそれは復讐じゃなくなってしまう。復讐は苦痛を与える事。あいつは生きる事を恐れている。つまり生きているのは地獄。それを永遠に味わえばいい。でもそれだけじゃ私の気がおさまらないから一発殴らせてもらった」
夜見は過去に輪廻に言った。選択肢が二つあって、どちらかを選択しなければならなくなった場合、第三の選択肢を自分で作りだしそっちを選べばいいと。そしてそれを思い出させる為に夜見はあの様な行動をとったのだ。しかし、その答えは夜見すら想像していなかった。
その輪廻の考えついた第三の選択肢が二つの選択肢両方をとる、という選択肢だったのだ。簡単の様で難しい。どっちの気持ちも半分しか解決しないのだ。心にモヤモヤとした気持ちが残るのは容易に予想できる。それを思った夜見は再度輪廻に問いかける。
「しかし……これで良かったのか? まだ間に合うぞ?」
それを聞いた輪廻は一点の曇りもなく答える。
「うん、これでいい。これが一番相手に辛い事だから。私が辛いより相手が辛い方がいいじゃない」
夜見はいまだに輪廻が拳を握り締めている事に気がついた。そしてこの選択は変わることがないと感じ取った。なら夜見が口を挟むことはもうない。輪廻は自分で選択肢を作り、それを選んだのだからそれを黙って見守る。
「素直じゃねぇなぁ……」
夜見はそれに気がつかないフリをした。そしてその拳から視線を外してロッドエンドの去った方向を見る。
「サドスティックだな」
呆れた様に言う。そう言われた輪廻は何も言わずにキセルをくわえて、腕を上にグッと伸ばして少し悲しい表情をした。
終わったのだ。これで全てが終わったのだ。今まで生きてきた、復讐の人生に幕がおろされた瞬間だった。
そして二人は山をおりようとする。
「お~い。何か……ってか俺様を忘れてないかい?」
二人の後方から切ない声がする。いまだロープに捕われているベルゼブブだ。夜見は一度ベルゼブブを見てそのまま無視をした。
「さ、行くか」
「おい待てコラ! そーだ輪廻からも言ってくれ」
そう言われて輪廻は黙考する。夜見をとるかベルゼブブをとるか。しかしそれは悩むまでもなく答えはアッサリと出た。
「ごめんねベルさん」
輪廻はてへっと舌を出し、夜見の腕に手を回した。ベルゼブブはこの世の終りの様な顔をした。そして次の人物へ言葉を繋げる。
「待てコラ! おい青龍。なんとかしろ」
言われ青龍は腕を組み考える。そして――。
「じゃ! また連絡するわ」
そう言い残し、そそくさと消え去った。
「あんの裏切り者がぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ」
ベルゼブブの、悪魔の叫びは山々にこだましたのだった。
夜見と輪廻は二人で山をくだっていく。
「ベルさんいいの? あのままで」
「別にかまわん。その気になれば抜け出せる」
輪廻は安心したかの様に「そっか」と呟く。そして輪廻が更に言う。
「なんかあれだね。微妙に肩の荷がおりた」
「微妙かよっ」
それはそうだろう。復讐の相手は生きているのだから。しかし、それでも輪廻は清々しい顔をしていた。
「で、さぁ~。聞きたい事があるんだけど?」
夜見はそう聞かれてとなりの輪廻を見る。すると、いまだ夜見の腕に手を回している輪廻の手に逃すまいと力がこもる。
とてつもなく嫌な予感がすると夜見の直感は告げた。そしてその予感は見事に的中する。
「どうやってロッドエンドを見つけたの?」
輪廻は終始笑顔だ。しかし夜見にはわかっていた。その笑顔の奥には鬼の様な形相が待ち構えていると。なので一度大きく溜め息をついて全てを白状しだした。
「……お前が復讐を決意した時からロッドエンドを探しだした。俺は半分は妖族でウェアウルフだから鼻がきくんだ。あの時にロッドエンドの匂いは覚えていたし、あとは魔界をひたすら探し回ればいい。まぁそれでも結構な時間がかかったがな。んで、ようやく見つけ出して軽く拷問して拉致した。そしてその拉致って帰って来た時に、誰かさんが風呂場で喚きまくってな。それで仕方がなく逃がしたんだ。でもその時点でロッドエンドは弱っていたし、他の誰かに殺されるのはマズイ。それにまた探すのも面倒だったから首輪をつけた。以上だ」
夜見は言い終えるとちらりと輪廻を一瞥した。すると輪廻は何も言わずに溜め息をついた。
ひたすら探し回ればいいと簡単に言うが魔界はそんなに狭くない。その行動はまるで忠犬みたいだ。そう思うと少し面白くて顔がニヤけた。それを見た夜見は反撃に出る。
「で?」
「ん?」
「お前は俺に謝らないといけない事があるだろう?」
輪廻の顔から余裕が消えた。
「……なんの事でせぅ?」
「なにが「せう」だ。あくまで惚ける気か? お前が先に言い出したんだぞ」
「ぐぬぬ。墓穴を掘ってしまったか……」
「俺を疑っていただろう?」
その言葉に輪廻の身体はビクリと反応した。
「……その反応だけでも十分答えの様な気もするが」
輪廻は観念した。しかしそれは逆ギレもいいところだった。
「だって仕方がないじゃないっ! 夜見があんな紛らわしい言い方するからいけないんでしょっ? あんな事を言われたら誰だって疑うに決まってるじゃない!」
「あっ、てめぇ、開き直りやがったな」
輪廻は「ふん」と鼻を鳴らして再度反撃にでる。
「そもそも夜見が最初に変な事しだしたから話がややこしくなったんだからね。それになんでそんな事したのよ?」
そう聞かれて夜見は意識せずに口に出してしまった。
「ああ? なんでって、そりゃお前の事……が……?」
そこまで言い言葉を切った。
「……」
しばしの沈黙が訪れる。夜見にはその一瞬がとてつもなく長く感じただろう。言葉を見つけなければ、なんて事さえも頭には浮かばなかった。ただただ雪の様に真っ白になるだけだった。そして先に言葉を発したのは輪廻だった。
「……私が、何よ?」
「……」
夜見は何も答えなかった。そして力技できりぬける。
「あーやめやめ。もう終わった事だしな、うん」
一人で何かを納得させた様だ。輪廻は「ま、いっか」と呟き、空を見上げて言った。
「あーあ。これで終わっちゃなぁ」
「何がだ?」
「私の生きる意味」
「……」
この八十年間ずっと復讐のことばかりを考えてきた。それは輪廻にとっての生きる意味そのものだった。それが今、この瞬間に終わったのだ。生きる意味を失ったのだ。
「これからどーしよ。まぁ黒幕がいるっていうんならそれも探さなきゃだけど。でも実際に実行したのはロッドエンド達だし。黒幕は頭の片隅においとこかな」
「まぁ、探すのなら手伝うが。見つかるまでは――楽しめばいい」
そんな輪廻に夜見はさも当然に様に言葉を返した。
「え?」
「楽しめばいいと言ったんだ。今まで復讐することしか頭になかっただろう。それがなくなったなら次は人生を楽しめばいい。辛い事ばかりが人生じゃないぞ?」
「そだね。楽しむかぁ」
輪廻はそう言われて少し心が軽くなるのを感じた。
「何かしたい事とかないのか?」
「ん~思いつかないなぁ」
腕を組みキセルをふかしながら考える。口からは白い煙がゆらゆらと吐き出されて空気と交わり消えていく。そんな煙を輪廻は眺めながら過去を振り返っていく。
天界にいた頃。魔界に来た時。訓練に励んだ毎日。魔界を巡った旅。一つ一つが鮮明に思い出されていく。
「今まで楽しいと思った事は?」
「ん~訓練は辛かったしキツかったし……。あ~でも少し魔界を巡ったのは楽しかったかも」
ゲルの国では面倒事に巻き込まれた。しかしそれはそれで今まで経験したことがなかった楽しいと思える出来事だったのだ。魔界は果てしなく広い。そこには何があるのか。輪廻はそう思うと心が弾んだ。
「そうか。ならそれを続ければいい。また他の楽しい事が見つかるまでな」
「意外に前向きだね」
「意外は余計だな」
「まぁ適当に黒幕を探しながら旅でもしよっか」
「適当かよ」
「うん、適当」
見つかってしまえばそこでまた生きる意味がなくなってしまう。だからあくまで適当に。見つかってほしいような、見つかってほしくないような複雑な感じだった。
「んじゃまぁ」
と夜見は気持ちを切り替えた。
「旅の続きをするか。準備は、いいよな?」
「もちろん」
「調子は?」
「もちろん絶好調」
その声は不満の欠片もなく、むしろ楽しそうだった。これから始まる旅に期待が溢れているのだ。そこにはまだ見ぬ景色がある。これからどんな事が待ち受けているのだろう。それを考えるだけで輪廻は楽しくて仕方がなかった。これから本当の旅が始まるのだ。空を見上げ深呼吸をする。そこには曇空しか見えないが、それでも希望に満ちた空だった。例え青空が見えなくても確かに心地よいと感じる事が出来ている。その理由はお互いが独りではないという事だろう。
二人は馬車に乗り、前に進む。
今から二人の本当の旅が始まるのだ。そして全てはここ、魔界から始まっていく。
馬車の車輪はカラカラと音を立てて廻り出す。世界もまた巡り、廻っていく。
廻る廻る。輪廻の輪の様に。
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