第37話 迷い

 輪廻の中ではロッドエンドは恨むべき対象である。それは家族を殺されたのだから当然なのだが、しかしそれを否定しようとする心があった。それは天界に、《六道家》に産まれ育ってきた六道輪廻という者を作り上げてきたそのものだった。小さな頃から言われてきた。父には何度も言われてきた。口うるさいじいやからも。大好きな兄からも。それは天界に産まれ育ってきた者全員に備わっている心だ。

 何があっても人を憎んではならない。

 たったそれだけの事。天界としての教え、誇り。それがまだ輪廻の心の中に残っているのだ。天界で育った時間よりも魔界で過ごした時間の方が確実に長い。もう自分は魔界の住人なのだと理解している。それでも小さな頃に教わった事は今でもしっかりと輪廻の心の中で失われる事なく残っている。

 それを否定した夜見。もう自由なのだと、何も我慢をする必要はないのだと、自分の思うがままに生きればいいと輪廻に教えた。その感情は必要で、決していらない感情ではないと夜見は言った。輪廻はそれを聞いてその通りかもしれないと思ったし、存在する感情は生きていく上で全て必要なものだともその時はじめて思った。それが例え天界の教えに反するものであっても、それは今の自分には関係がないのだと思い知らされた。家族は全員いなくなり、天界に戻る事はもはやないのだ。この魔界で生きていくしかない。

 ならどうする? そんな事は問われるまでもなく、魔界のやり方で、魔界の住人として生き、感じ、その感情を受け入れる。それが輪廻の出した答えだった。

 なのに――いざ相手を目の前にすると天界の、父の言葉が脳裏をかすめる。この八十年、生きてきた。復讐することだけを目標に輪廻は生きてきた。誤算があるとするならば、輪廻は産まれてから一度も生き物を殺した事がないという事だ。慣れていない。頭では殺してやりたいと思っていても、実際に命を奪うとなると身体が動かなくなる。まして、相手が生きる気力を失い、自分に殺してくれと願っている奴を殺したとしても気分は晴れないだろう。こんなもの復讐でもなんでもない。相手の願いを叶えてやるようなものだ。そんな事は絶対にしたくない。しかし、それでも殺したい。

 輪廻の頭の中は矛盾が広がっている。輪廻は心底相手を殺したいと思っている。それは今でも変わらない。しかし相手が死ぬ事を望んでいるのだ。このまま殺してしまっては感謝されてしまう。苦痛を、自分の味わった苦しみを相手に与える事が出来ない。

 そう思っているとロッドエンドが違う言葉を発した。

「炎が……炎が……黒い炎が俺を守るんだ……。それを聞きつけた魔族や妖族がどんどん集まってきて……俺を殺そうと躍起になって……それでも炎は連中を消し去っていく。それがまた噂になり俺は命を狙われる……こんなのは耐えられないんだ……頼むから殺してくれ……」

 それを聞いた輪廻は「黒い炎……?」と呟いた。それを輪廻は知っている。そして黒い炎は、ある御伽噺の代名詞だ。それは誰もが知っている【銀魔邪炎】の話。つまりロッドエンドは黒い炎を操っている事から【銀魔邪炎】だとまわりに勘違いをされて命を狙われている。という事になるのだろう。しかし輪廻はそれが間違いである事を知っている。では、なぜロッドエンドが黒い炎を操れるのかという疑問が残る。輪廻は夜見に視線を向ける。目が合ったその瞬間、夜見は目をそらした。

「……なんで今、目をそらしたの?」

「ん? 何が?」

 輪廻は夜見の方へと近づいていき顔を見つめる。

「……何を隠しているの?」

「ふ……なんのことだかサッパリですね」

「あくまでとぼける気か。そっ、じゃあ聞く人を変えるわよ」

「?」

 夜見は首をかしげた。輪廻はロッドエンドの方に歩いていく。

「あんたに聞きたい事がある。正直に答えたら殺してあげる」

 夜見は内心これはやばいとドキドキしていた。

「私を覚えている?」

 冷たい言葉でロッドエンドに問いかけた。ロッドエンドは輪廻の顔を見つめて「覚えていない」と言った。それもそのはず。あの頃はまだ輪廻は幼かったし、直接ロッドエンドとは接触していない。輪廻は続ける。

「じゃあ次の質問。あそこに立っている男は覚えている?」

 夜見は心の中で必死で祈ったがそれは虚しく打ち砕かれた。

「……覚えている」

 その言葉を聞いて夜見の耳と尻尾はシュンと萎れた。

「どこで会ったの?」

「わからない……気がついたら捕まっていた……」

「捕まった? あの男に?」

「そ……うだ。そして殺されそうになったが、この首輪をつけられ……逃がしてくれた。今思えばその時ぐらいから黒い炎が俺の身を守る様になっていた……」

「そう」

 輪廻は再び夜見の元へ行く。

「ああ言っているんだけど、何か弁明はある?」

「ふっ……俺とあいつ、どっちを信用するんだ?」

「ないって事でいいのね?」

 その言葉に夜見は「うぐ……」と言葉を詰まらせた。輪廻はそれだけを言ってロッドエンドの前に立った。

「あ……あれ?」

 夜見はてっきり輪廻が怒り狂うと思っていたが、その予想は外れた。

わかっている。

 輪廻は怒る事が出来ないでいた。

 わかっている。わかっている。全部自分の為にやった事なんだとわかっている。あの時、まだ見つけていないと言っていたけど、本当はもう見つけていた。そして自分で見つけ出さないと意味がないって言ったから夜見は他の誰かにロッドエンドが殺されない様にして逃がしたんだ。言われなくても――わかっている。

 輪廻はロッドエンドに再び聞いた。

「なぜ《六道家》を襲ったの?」

「なんの事だ……?」

 それを聞いた輪廻は歯を噛み締めて叫んだ。

「貴方が八十年前にした事を忘れたの!? 【生命の樹】の近くで天界の天使たちと《六道家》を皆殺しにしたじゃないっ!」

 それでもロッドエンドは心あたりがないという顔をした。それを見た輪廻の怒りは沸点を超えた。輪廻の身体を包む神気は姿を変えた。白く光り輝く気、洸気だ。そのあまりにも凄まじい気にロッドエンドは後方へとすっ飛ばされ洞窟の壁に激突した。そこに間髪入れずに、輪廻が人差し指を向ける。

「縛封槍」

 すると一瞬でロッドエンドの周りに光の槍の様なものが出現し動きを封じた。

「あんた……何を馬鹿なこと言ってるの……? 忘れたなんて言わせないわよ。その脳みそをほじくり回してでも思い出させてやる」

 輪廻は一歩前に出る。しかしそれを止めた者がいた。夜見だ。輪廻の横に立ち腕を前に出した。

「待て」

「何よ?」

 夜見も気を纏っている。そうしなければ洸気にあてられるのだ。洸気はその全てを浄化する。光の槍に囲まれたロッドエンドはどんどんと傷ついている。

「とりあえず、あの光の槍と洸気をおさめろ。あのままだとお前が手を下す前に死ぬぞ」

 輪廻は苦虫を潰した様な顔をして洸気と光の槍をおさめた。そして夜見はロッドエンドに問いかける。

「お前はあの時、仕事だと言ったよな? 誰に雇われた? 黒幕は誰だ?」

「ぁ……う……知らない。そんな……ことは知らないし言ってもいない」

 それを聞いた夜見は「ふむ」と何か納得したかの様だった。

「記憶の操作」

 その言葉を聞いた輪廻は目を見開いた。

「こいつは《地獄道》の住人だ。そいつの記憶を書き換えるという事は、こいつの後ろにいる奴はさらにその上をいく。上をいくと言っても《地獄道》の連中だってピンキリだけどな。単純にこいつよりも強い奴、だな。ま、とりあえず今はこいつだ。情報はこれ以上でてこないだろうし、いいぞ殺しても」

 そう言って夜見は後ろへと下がる。

 しかし輪廻は迷っていた。

殺す? 殺す? 殺す?

 今まで復讐を目的として生きてきた。復讐する事は相手を殺す事。しかし相手がそれを願っているなら、それは復讐にならないのではないかと輪廻は思っている。

「何を迷っている? 早く殺せよ。それが目的だろう?」

 夜見にうながされるが輪廻は微動だにしなかった。

「おい。何を今更迷っているんだ? こいつはお前の大切な家族を殺したんだぞ? こいつを殺す事がお前の生きてきた意味だろ? その為にツライ修行をして力をつけてきたんだろ? 今更になって相手に同情か? お前のあの時の意思はその程度だったのか?」

「うるさいッ!」

 輪廻は反抗するように無意識で叫んでいた。声がする。声がするのだ。父のあの言葉が聞こえてくる。

 夜見は溜め息をついた。その溜め息には二つの意味が含まれていた。まず一つ。やはり無理だったかという意味。そして二つ目は、これから起こる面倒くさい出来事についてだ。

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