第20話 毒
鉄壁の拒絶。
天使など認めない、断じて認めはしない。
「で? お前らはこんなところで何をしている? 俺様を狩りに来たにしては人数が足らねぇな。あぁ、お前ら能天使か。それなら納得もできるけどよ、それは“普通の”悪魔の場合だよな。俺様を狩りたけりゃ四大天使でも連れてこいよ馬鹿が」
ベルゼブブは三人の胸元に光るエンブレムを見て能天使だと理解した。
吐き捨てるように言う。しかしベルゼブブが言うことは何も間違っていない。現在の悪魔の中でもっとも有名で力のある悪魔だ。それこそ現悪魔の中で最強かもしれない。そんな悪魔をたった三人で相手に出来るのだろうか。答えは考えるまでもない。
否だ。
「わたしが時間をかせぐ。その間に二人は離脱して」
小声でサマエルが言った。
「しかし――」
「このまま全滅したいの? 逃げろと言っているんじゃない。天界に戻ってリリス様に報告して援軍を連れて来て。なるべく早くね。そこまでもつ自信ないけど」
「……」
リリスの言葉が蘇る。
『もし魔界四神と出会って戦闘が避けられない場合、誰か一人を殿にして他二名は離脱しなさい』
この場合は魔界四神ではなく悪魔だが十分にそれに釣り合う強さだ。元上級天使三隊・第二階級・
「先に言っとくけど、逃がさねぇぜ?」
その言葉を聞いて凍りつく。なんとかしてこの場から離れなければ。そんな事を考えていたらベルゼブブが言う。
「なーんてな。さっさとどっか行っちまえよ。目障りだ」
「へっ?」
予想外の言葉に思わず間抜けな声で聞き返していた。
「俺様は今とてつもなく忙しい。てめぇらの相手をしている暇なんてねーんだよ」
毒気を抜かれた気分だった。死ぬかもしれない、いや、確実に死ぬであろうと覚悟を決めていたのに、それはいい意味で裏切られた。
「さっさと行けよ、ひよっ子共が。死にてぇのならそう言え。殺してやるぜ?」
どこまで本気なのかわからない。不意にサマエルが口を開いた。
「貴方は、こんなところでなにをしているんですか?」
「あん?」
思わずそんなことを聞いていた。しかしそれがどうにも気になったのだ。何かそこに違和感を覚えて、その答えが自分たちの突破口になるかもしれない。
「なんでてめぇにそんなこと話す筋合いがあんだよ」
拒絶。それでもサマエルは引かなかった。
「聞きたいことがあります。【銀魔邪炎】を知っていますか?」
「ああん? 【銀魔邪炎】だぁ? 知らねぇ方がおかしいだろーが」
「言い方を変えます。【銀魔邪炎】がどこにいるのか知っていますか?」
「……」
その問いにベルゼブブは答えなかった。その言葉の真意を探っているのだ。
「それを聞いてどうすんだよ」
「捕まえるのです」
「ハッ。てめぇらが? あいつを?」
ベルゼブブは嘲笑うかのように「ぎゃははは」と腹を抱えて笑った。
「それでこんな場所に能天使様がいらっしゃるわけか。サイコ―に面白れぇ理由だな。そもそもなぜ【銀魔邪炎】を探している?」
笑いが止まらない。天界があんな御伽噺を求めている。別にそこまで詳しく教える必要はないのかもしれない。それでもベルゼブブの反応を見ることによって何かが得れる気がする。
「
「へぇ、【銀魔邪炎】が《六道家》を、ねぇ」
何かを知っている。隠している。
「どうなのです? 知っているのですか? 知らないのですか?」
「くだらねぇ」
「……ではもう一つ。さきほど言っていたロッドエンド、という.人物は何者ですか?」
そう聞かれて明らかに場の空気が変わった。それはベルゼブブの逆鱗だと言い換えてもいいぐらいの言葉だった。深い溜め息を吐いてベルゼブブは一歩前に踏み出した。
「盗み聞きとは感心しねぇな。前言撤回。やっぱ死んどけよ」
やはり何か重要な人物に違いはない。ベルゼブブが探すほどの人物。そこに何かあるのかもしれないと直感が告げた。
「わたしが勝ったら洗いざらい喋ってもらいますよ」
「喋ってもいいが、その時、てめぇは死んでると思うぜ」
お互いが睨み合う中で、サマエルはベルゼブブに見えないように手を後ろに回して二人にサインを送る。そのサインは、早くここから離脱せよ。
それを見た二人は冷静に考える。ベルゼブブは何かしらの情報を持っている可能性が高い。何も情報を持っていないのならば、三人ともすぐに離脱しただろう。しかし会話の中でサマエルが見つけた違和感。ここでベルゼブブを逃がす訳にはいかない。捕まえて知っていることを喋らせる。【銀魔邪炎】のこともわかり、【暴食の王】ベルゼブブを捕まえられる。まさに一石二鳥でこんなチャンスを逃すわけにはいかない。
だから二人を天界に戻して応援を呼んでもらう。最悪どちらかが何らかの形で犠牲になっても、もう一人いる。どちらかが生き残ればそれでいい。それがサマエルが考えたシナリオだった。
タイミングが重要だ。二人がこの場を放れるタイミングですべてが決まるかもしれない。慎重に、でも素早く確実にその瞬間を待った。そして――。
ベルゼブブは自分の鼻の下に何かを感じた。
「んだぁ?」
手で拭ってそれを見ると、それは紛れもない自分の血だった。それを確認すると同時に――。
「今ッ!」
サマエルが叫ぶと残りの二人は素早くその場から離脱した。これでもう追いつけないだろう。しかしベルゼブブはそんな二人の事は何も気にしていないようだった。
そんな事よりも自分だ。自分はいったい、いつ、何を、された?
自分の血の付いた手を見ながら考えるが、そんな油断はしていないと言い切れる。
「解せない、という顔をしてますよ」
「ああ、実際解せねぇからな。どういう理屈だこれは」
「わたしは貴方と違いますので教えてあげますよ。答えは言葉です」
「言葉?」
「言葉に毒を乗せて貴方に流し込んでいたのです」
サマエルは毒のエキスパートだ。どんな毒でも調合できるし相手に盛れる。
「まるで呪だな」
「もう終わりですよ。わたしの毒は貴方の体内隅々まで行きわたっている」
「ふ~ん」
そんな事を言われたにも関わらずにベルゼブブは余裕の表情だ。自分の血がよほど珍しいのか、ずっとそれを眺めている。
「毒を制するにはどうするか知ってっか?」
「……」
サマエルは何も答えない。ここからこの状況をひっくり返すのは無理だがベルゼブブはどうもそう思っていない。
「終わりです。死ぬ前に貴方の知っていることを喋ってください」
「終わり、ねぇ。終わりっつーのは何をもって終わりにするのかてめぇはどうも分かっていねぇみてーだな」
何を持って終わりにするか。それは言うまでもなく――。
「死んだ瞬間に終わりっつーもんが来るんだぜ。そして俺様はまだ終わってねぇ。んで、もう一つの毒を制するにはっつー答えは毒だ」
そんなものは言われるまでもなくわかっていた。
「毒を制するには更に強い毒で上書きすりゃーいい。ただそれだけのことだぜ」
ベルゼブブが毒を扱うなど聞いたことがない。だからその考えは当たっていてもそれは不可能だ。
「毒ならあるじゃねぇか」
「どこに――」
言いかけた言葉は途中で途切れた。ソレを見つけたからだ。ベルゼブブの周りにはグツグツと沸騰している瘴気が纏わりついていた。
「瘴気は簡単に言えば毒そのものだぜ。お前はこの瘴気よりも濃い毒を作れるか?」
「…………」
言葉を失う。今現在、目の前で超高濃度を放っている瘴気を上回る毒を自分は作れるのか。無理だ。こんなにも濃密な毒を作りだせない。
「無理だろうなぁ。“今のお前”には到底無理だぜ」
サマエルは言葉に引っかかりを覚えた。
「てめぇが堕天すれば、あるいは作れるかもな」
「何を――」
馬鹿なことを言っている? ありえない。そんなことは断じてありえない。
「作ってみたくないか? この瘴気を超える毒を。別に天界を裏切れと言ってんじゃねーぜ。信念が本当のあるっつーんなら、天使だろうが悪魔だろうが関係ねぇだろ。堕天して悪魔になって強くなって悪魔を狩りゃいいじゃねぇか」
馬鹿げている。そんな誘いに乗るはずがない。
「てめぇは迷っている。そもそも能天使は戦闘に関しちゃー他の隊より意識が強い。ある
「…………」
何が言いたいのか、何をさせたいのがまったくわからない。堕天? 強くなれる?
「なぁに、簡単な話だせ? 念じるだけだ。頭の中で天界を否定すれば簡単に堕ちることができるぜ?」
ベルゼブブの言葉が耳から脳裏へ、細胞の一つ一つに染み込んでくる。
サマエルはベルゼブブの言葉に呑まれた。悪魔の囁きに耳を貸してしまった。最初は自分が質問をする形だったが、いつの間にかそれが逆転していたのにサマエルは気がつかなかった。
悪魔と出会ったら会話をするな。
そんな初歩的なことを忘れていた。
「ほぉら、どうした? 強くなりてぇんだろ?」
「ぁ……うぁ……」
笑い声が聞こえる。自分を嘲笑う声が闇からやってくる。
サマエルは闇に飲み込まれていった。
それからサンダルフォンたちは天界に戻り援軍を連れて急いで戻って来た。その中には総隊長リリスの姿も見て取れる。他にも上級天使が数名いた。それほどまでにベルゼブブの相手をするには数がいる。
しかしその場には誰もいなかった。
「場所はたしかにここで合っているのですか?」
「はい。間違いがありません」
二人の姿形、生物の気配すら感じられない。湖のほとりにベルゼブブが殺した魔族の死体だけが転がっていた。
「あいつどこに」
きっと近くにいるはずだとアナフィエルは近くを見渡す。
「リリス、この事態は良くはないですねぇ」
サンダルフォンの兄であるメタトロンが言う。
「……そうですね。状況といたしましては最悪かと」
「ど、どういう事ですか?」
サンダルフォンも内心そのことが脳裏をかすめていた。しかしそれを口に出すのすら恐ろしい。
「サマエルは、堕天した可能性があります」
「なッ――そんなことッ」
「口を慎め。この状況で相手があのベルゼブブと言うのならそれぐらいは当然だろうね。むしろたった一人の犠牲でまだマシだったとも言えると思うけど」
「そんな言い方――」
アナフィエルが上級天使に喰ってかかろうとしたところをリリスが止めた。
「申し訳ありません。私の教育が行き届いていませんでした。どうか部下の無礼をお許しください」
「ふん」
さして興味もないようにその場から去っていった。
「アナフィエル、貴方の気持ちはわかりますが、現状の可能性を考慮した場合です。私だって本当にサマエルが堕天したとは思っていません。彼女の心はとても強い。相手が誰であれ、そうそう折られる訳がありません。きっとどこかで身を隠しているはずです。一緒に探しましょう」
先ほどの無礼な態度を咎めることもしないで、逆に慰めてもらっている。それがまたどうしようもなく痛かった。
「あの、馬鹿をッ、探しましょう」
それから捜索活動が行われたがサマエルが見つかることはなかった。
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