第5話 主天使

 《六道家》が魔界へと行き、天界の天使たち共々皆殺しにされたその時。天界のある天使は違和感を感じ取っていた。

「遅すぎる……」

 ぼそりと呟いた。そう口にしたのは中級天使三隊・第四階級・主天使ドミニオンに所属するリリスという天使だ。

 神々しい女だった。腰まである長いストレートな黒髪で肌は白く、可愛いというより美人という言葉が似合う整った顔立ちをしている。リリスは主天使の総隊長だ。主天使とは『天使の務めを統制する』という意味がある。リリスはその中でもトップクラスの実力だ。主天使は神の声や四大天使の声を下の階級の者に伝えたりする役割を担っている。

 要は管轄する者。それが主天使。

「総隊長?」

 リリスの言葉に反応したのは中級天使三隊・第五階級・力天使ヴァーチュタルシシュ。リリスよりの一階級下の直属の部下にあたる者だ。

「どうされましたか?」

 上機嫌ではない表情を刺激しない様に問いかける。その問いに返ってきたのは質問だった。

「遅すぎるとは思いませんか? タルシシュ」

「申し訳ありませんが、『何が』でしょうか?」

「シャムシェルからの報告がまだありません。もう戻ってもいい頃なのに、さすがに遅すぎます」

 そう言われれば、とタルシシュは時間を確認する。

「たしかシャムシェルは《六道家》の護衛で魔界に行っているのでしたね」

「そうです。《六道家》のご子息であられる紫苑様の成人の儀で【生命の樹】に行っています」

「まぁ多少時間がかかっているだけなのかもしれませんよ。何かが起こる、というのはありえないことですからね。天使の数も、それにシャムシェルの腕も相当のものです。何も問題ありませんよ」

「そうでしょうか」

 たしかに言われてみればその通りなのだが、それでも何か嫌な予感がした。どうしようもなく不安が襲ってくる。そんなリリスに余計な心配を減らそうとタルシシュは「そういえば」と話をふった。

「なぜわざわざ魔界に行かれるのでしょうね? たしかに【生命の樹】は凄まじい力を持っていますが、天界にだって負けないぐらいの樹があるではないですか」

 タルシシュが言う樹とは天界に存在する【知恵の樹】というものだ。それは神のいる神殿の中央にそびえ立つ一本の巨大な樹だ。

「だからですよ」

 とリリスは言った。

「?」

 言う意味が分からずにタルシシュは首をかしげる。

「天界の【知恵の樹】と魔界の【生命の樹】は対の存在です。どちらか一方で儀を行うなど言語道断。それら二つは別名”始まり”とも言われるほどの最初の存在です。どちらか一方で行うなら、もう一方でも同じ事をするべきなのです。まぁこれは《六道家》が決めたことなのですがね」

「ははぁ、なるほど」

「それに貴方も天使になるときにアレを食べたでしょう?」

 天界の天使は最初から天使ではない。神に許しを得て、そして【知恵の樹】になる果実を食べて初めて天使と成りえるのだ。そして認められた証として翼が与えられる。

「そういえば総隊長が翼を出しているところを見た事がありませんね」

「……」

 沈黙。

 これは聞いてはならないことを聞いてしまったとタルシシュは直ぐに感じ取った。そしてタルシシュが詫びの一言を言う前にリリスが口を先に開く。

「正直なところ……あんまり好きじゃないんですよ」

「は、はい?」

 それは衝撃的な言葉に近い。翼は天使の証だ。それが好きではないなどとは、それこそ言語道断だ。

「ひらひらして戦いにくくないですか?」

「あ、ああ……」

 そういう意味かとホッとするタルシシュ。

「総隊長は動きやすさ重視ですからねぇ」

 余計な、とは言わないがなるべく抵抗するものがないほうが動きやすいとの事なのだろう。「まぁそんなところですよ。ところでタルシシュ」

「はい」

 リリスは真面目な表情をした。だからタルシシュもこれは雑談ではなく使命として返事をする。

「魔界に、【生命の樹】へ行くことを命じます」

「了承しました」

 反対することもなく即座にその命を受けた。反論は許されない。その言葉は絶対である。

 この血、この肉、この魂。己の全てを賭けてその言葉に従うのみ。

 



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