第3話 全ての始まり

 男はベッドの上で目を覚ました。

「うぅ~」

 まだ開ききらない目を無理矢理あける。そしてその瞳に写りこんだのは窓から見える綺麗な満月としだれ桜の木だった。男はぼんやりとそれを見つめる。そしてまたベッドに屈服した。そして一言。

「腹減ったなぁ……」

 しかし何もする気が起きない。頭は霞みがかっている。眠気と食欲とどちらを優先させるか男は悩む。そしてガバっと勢い良く起き上がり伸びをした。どうやら食欲が勝ったらしい。

「ふぁ~」

 大きな欠伸を一回。その大きな口からは四本、他の歯よりも鋭い歯が生えていた。男は首をゴキリと鳴らして言う。

「奈落」

「はいマスター」

 すると今まで誰もいなかった部屋、一人の女が忽然と現れた。奈落と呼ばれたその女はメイド服に身を包み、肩にかかるぐらいの銀髪で生気を感じられない人形の様な女だった。

「腹が減った」

「そうですか」

「……腹が減ったんだが」

「そうですか」

 奈落はその一言しか言わないので男はムキになって再度言う。

「はーらーがーへっーたー」

 ハッキリ聞こえる様に叫んだ。しかし返ってきた返事は――。

「そうですか」

 ガックリとうなだれた。なぜこんなにも気持ちが伝わらないのだろうか。メイドなんだから少しは主人の気持ちを酌みとってくれてもいいのにと思った。

「マスター、主語がありません」

 ああ、そういう事かと理解した男は少し睨みつけ言う。

「桃よこせ」

 手を前に差し出してわきわきとする。

「マスター。桃はありません」

 さも当然の様に奈落は言った。なら他のものはあるのだろうか。いや、ここは桃だ。桃以外ありえない。自分の胃はどうしようもなく桃を欲しているんだ奈落。

「何? なんで?」

「全てマスターが召し上がりになりましたので、なくなるのは自然の摂理かと」

「仕方がねーなぁ。ちょっと採ってくる」

「採ってくる? マスター、漢字が間違ってます。盗ってくるでしょう?」

「……お前は俺をなんだと思っているんだ?」

「それは――」

 奈落が言おうとした時、男は手で言葉を静止させ「言わなくていい」と言い再びうなだれた。

「いってらっしゃいませ」

 奈落は深々と頭を下げ主人を見送る。

 ここは魔界。魔族と妖族が支配する世界。魔界では力が全て。弱い者は殺されても何も文句は言えない。




 そして同刻。


 一行は森の中にいた。

「直接【生命の樹】の場所へ行きたいのですが、あそこは【生命の樹】の影響で次元が裂けれないので少し離れたここに次元を裂きました。ここからは馬車で向います」

 そう言って視線をシャムシェルと同じ方向に向けると、そこには立派な馬車が停まっていた。

赤と黒の模様の立派な馬車だ。それを引くのは黒い大きな馬が四頭。《六道家》三人とシャムシェルはそれに乗り込んだ。そして馬車はゆっくりと動き出す。

「おおおお父様。本当に大丈夫なんですか……?」

 声を震わせ辺りをキョロキョロしながら問いかけるが、その問いかけに答えたのは輪廻の兄だった。

「はははっ。臆病だな。大丈夫に決まってるだろ? ここは《修羅道》なんだから誰もいない。もし仮に誰か魔界の住人がいたとしても天界の護衛がいるんだから大丈夫。ですよね? 父上」

 紫苑は明るく言った。そして宝水は力強くそれに答える。

「あぁその通りだ。いざとなれば私だって家族を護るために戦うから安心しなさい」

「で……でも……」

「それにお守りとしてあの刀をあずけてあるだろう? ちゃんと持っているな?」

 その言葉に輪廻は無言で頷いた。

「大丈夫ですよ。《六道家》のお嬢様。我々、天界の者がついていますから。この数の護衛がいるんです。これに戦いを挑む者はおりません」

 魔界には四つの世界がある。その内の一つ、魔界の最下層と言われる《地獄道》。この世界の住人は滅多に他の世界には行かない。弱い世界に行っても意味がないのだ。

 しかしそれは――全員がそうではない。



「ふぃー。いい桃が盗れ……採れたな」

 そんな独り言を言いながら男は森の中を歩いていると、そのとき遠くから微かに声が聞こえた。



 不幸というのは突如、前触れも無く訪れる。

 一行が目的地に到着すると見知らぬ二人がこちらに視線を向け立ちはだかっていた。

「なんだ?」

 シャムシェルは外に視線を向ける。そこにいたのは小柄な二人組みだった。それを見たシャムシェルは馬車を降りて行く。輪廻はうつむき怯えている。まるでこれから起こる惨劇が分かっているかの様に。

「なんだ君たちは? 邪魔だからそこをどいてもらえないか?」

 凛とした声で二人に言ったが、しかし二人は微動だにしなかった。ここで全員が何事かと馬車から降りていく。すると二人組みの一人が声を発した。

「おっ? 当ってるな。じゃあ始めますかね」

 その言葉と共に一人が一歩前に出る。その瞬間、あれほど小柄だった身体は何倍にも膨れ上がり凄まじい妖気が放出され、それと同時に一番前にいたシャムシェルの首が――無くなっていた。



「なんだ?」

 男は耳を澄まし状況を確認する。男の頭には獣の耳がついていて、その獣の耳はかなり遠くまで聞き取ることが出来るのだ。

「争いか。しかし――妙だな」

 違和感を感じその声のする方に足を向けると数キロ先でそれは視界に入った。

「魔界の者じゃないのか。通りで。あーあ、運が悪かったな」

 別に助ける理由などどこにもない。殺されそうになっているからと言って助けることなどするはずがない。勝手に死ねばいい。ここは魔界だ。弱い者は何をされても文句は言えない。

 顎に肘をついて傍観していると男の眼にあるモノが目に飛び込んできた。

「あれは――……」



 小柄な男は手を後ろに組み傍観していた。凄まじい妖気を放出した妖族はまるで小枝を折るかの様に全てをなぎ倒していく。十人、二十人、三十人。

「か――勝てる訳ない……。シャムシェル様が一瞬で……」

 自分が尊敬し、自分よりも強い者が一瞬で殺された。もはや戦意の欠片もない。

「別にあんたらに恨みはないんだが、これも仕事でね」

 巨大な身体の妖族は呑気に言う。そしてそんな化け物の前に一人の男が立った。宝水だ。

「貴様ら何者だ? 我々を誰だか知っているのか?」

「もちろん」

 悪びれる様子もなく小柄な男が答えた。知っていてこの現状だ。狙われていたのはすぐに理解できた。いったい誰が何の為に? そんなことを考える暇すらない。

「そうか……わかった」

 宝水は言って気を纏う。

「おやぁ~? 戦うつもりか? 楽に死ねないぜ?」

「戯言を」

「父上、加勢します」

 紫苑が隣に並び宝水は無言で頷き前を見る。紫苑は後ろにいる輪廻にキセルを投げつけた。

「輪廻。それを持っていてくれ。大事な物だからね」

 兄は妹に優しい笑みを向け、三人は同時に動く。そして――二人は同時に首をはねられた。それは一瞬の出来事で、何が起こったのか二人には理解も出来ていなかっただろう。圧倒的なまでの力の差がそこにはあった。

「お兄様……お父様……」

 お守りとして渡された刀とキセルを両手で強く握り締めていた。そしてそこに立っているのは天使が一人と輪廻だけだ。しかしそれもすぐに輪廻一人になった。

「おーおー。お嬢ちゃん。お前もこんな家に産まれたばっかりに可哀想になー」

 妖族は憐れみの言葉を嗤いながら口にしている。

「おい、一刻。ご託はいいからさっさと殺れよ」

「はいはい。んじゃお嬢ちゃん、さようなら」

 一刻と呼ばれたその妖族は、大きすぎる拳を輪廻めがけ放つ。直撃した。一刻は殺ったと思ったが自分のデカイ拳を退かすとそこには結界で守られた輪廻がいた。

「あ? なんだこりゃ?」

 輪廻は眩い光に包まれていたがそれもやがて――消えた。

「おーい、ロッドエンド。なんだ今のは?」

 一刻は理解できないとばかりに後ろの方で傍観しているロッドエンドという魔族に聞く。

「その持っている刀から出ていたな」

「ふーん。おもしれー刀だな。よし。お前を殺して俺が使ってやるよ」

 輪廻はその刀を必死で抜こうとするが抜けない。何度も何度も引き抜こうとするが、まるでくっついているかのようにガッチリと動かなかった。そして一刻は大刀を次元から取り出し振り下ろしたのだった。



 男は夢中で走っていた。しかしなぜ自分が走っているのかわからなかった。身体が勝手にその場所に向かっていたのだ。



 ギィィィイインという金属音が辺り一面に響きわたった。輪廻は身体を横に向けて目を閉じ、最後の瞬間を迎えようとしたが、いつまで経ってもその瞬間は訪れない。そして恐る恐る目を開けると、まず目に飛び込んで来たのは真っ黒い影だった。その影が風になびき、不気味にゆらゆらと揺れている。

「ひっ……」

 輪廻はその影の足元に視線を移動させる。そして影の本体が目に飛び込んできた。綺麗な着物を羽織った男。長めの銀髪と獣の耳と尻尾、銀のその瞳。瞳孔は細く、異質な獣を思わせる感じがする。その男は目の前で縮こまる輪廻に声をかけた。

「よう。調子はどーよ?」

 気さくでまるで散歩中に会ったかのような雰囲気だ。その言葉に輪廻は無意識で答える。

「ぜっ……絶好調……?」

 それを聞いて男は無言で笑みを向けた。しかしそれは一瞬のこと。意識だけを後ろに向ける。男は背を向ける形で一刻の大刀を背中に回した大きな鎌で受け止めていた。

「なんだお前? どっから出てきた?」

「お前ら《地獄道》の住人だな? こんなところで何をしている?」

「こっちが質問してんだ。まーいいや。お前も一緒に死ね」

 一刻は再び大刀を振り落とそうとする。その瞬間、ロッドエンドが叫んでいた。

「一刻逃げろッ!」

 しかし振り落とされた大刀は止まらない。大刀が直撃する瞬間、一刻は違和感に気がついた。景色が回っている。目の前が逆さまになっている。自分の身体が見える。自分の首のない身体が――。

 その瞬間、一刻は最後の言葉を聞いた。

「輪廻の輪に還れ」

 一刻はその場に崩れ落ちた。身体は重力に従い地面と平行になる。血は辺り一面を赤で染めた。

「さて、お前には事情を話してもらおうか」

 視線を向けるとそこにはロッドエンドの姿はなかった。

「逃げたか……。ま、匂いは覚えたぞ」

 辺りは血の海。地獄絵図。しかしここは魔界。こんな事は日常茶飯事なのだ。力の弱い者は殺されても文句は言えない。魔族と妖族が支配する世界。魔界。

 全てはここから始まった。



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