第2話 魔界へ



 輪廻は一人頭を悩ませていた。無塔の話を全て事実とするのなら矛盾が生じる。そしてそれは自分の家が否定されることになってしまう。何が本当で何が真実なのか。そんな事を考えていると後ろから声がした。

「輪廻」

 その声に反応して後ろを振り返ると、そこには男が立っていた。

「お父様」

 それは輪廻の父であり《六道家》当主の宝水だった。背は高く身体は鋼の筋肉で覆われていて、当主と言うよりも百戦錬磨の騎士だと言った方がしっくりきそうな雰囲気だ。

「無塔に勉強を教えてもらったのか?」

「……はい」

「どうした?」

 宝水は娘に元気がないことをすぐさま気がついた。

「お父様、私は魔界に行きたくありません」

 その言葉に少し間をあけ聞き返す。

「……それはなぜ?」

「魔界は怖い所です。そんな場所には行きたくありませんし、お父様やお兄様にも行ってほしくありません」

 それを聞いた宝水はなぜ輪廻がその様な事を言いだしたのか合点がいった。

「無塔に魔界は恐ろしい所だと言われたか?」

 その問いに輪廻は無言で頷き、そして宝水は膝を曲げて視線を一緒にして話だした。

「たしかに一般的にはそうかもしれない。だが私はそうは思わない。魔界の住人全てを悪だと決めつけるのは失礼だと思わないか? 実際には、平和に穏やかに暮らしたいと言う者たちもいるかもしれない。それを人から聞いた話だけで恐ろしい場所で皆、野蛮な奴ばかりだと鵜呑みにしてはならない。自分の目で確かめ、感じてからでも遅くはないと私は思うぞ?」

「では【銀魔邪炎】はどうなのですか?」

「それは私も会った事がないからわからないな。でも実際に実在していて、会って話してみれば案外いい奴かもしれないとは私は思っている。たしかに魔界には野蛮な連中が多い。そんな中で、力の頂点に立つ者が話がわからない馬鹿ではないと私は思う。もし会えたなら勇気を出して話しかけてごらん。きっと応えてくれる」

 輪廻はそれを聞いて渋々頷く。しかしその表情から恐怖は消えてはいない様だった。

「輪廻。心を強く持ちなさい。決して揺るぐことのない真っ直ぐな信念を持つのだ。でなければ呑まれる事になるぞ?」

「呑まれる? 何にですか?」

「世の中には七つの大罪というものがある。その内の一つに憤怒というものがある。それは簡単に言えば怒りだ。怒りは時には必要だが、それは人を間違った方向へと向かわせる。つまり憎しみや嫉妬、憎悪に変わるのだ。それは絶対に持ってはいけない感情なのだよ。輪廻、何があっても憎んではいけない。その様な心は絶対に持ってはいけない。我々は天界の王族 《六道家》だ。その誇りを忘れてはいけない。憎しみに呑まれてはいけない」

 輪廻は迷うことなく「はい」と答える。

「そうだ。ではいい物を我が愛しの娘に貸してあげよう」

 そう言うと腰から一本の小太刀を輪廻の前に差し出した。

「これは……?」

「これは妖刀紅桜。何か危険な目に遭った時はきっと守ってくれる」

「で……でもお父様が持ってないといけない物ではないのですか?」

「愛しの娘に貸すのにいけないと言う事はない。それにその刀は抜けない刀なのだよ」

「抜けない……ですか?」

「それは代々受け継がれてきた物だが、抜けたと言う話は一度も聞いた事はない。言わば、お守りみたいな物なのだ」

 そう言いズイっと輪廻に無理矢理わたす。それを受け取った輪廻はマジマジと妖刀紅桜を見つめる。不思議な感じがする。刀なのに生きている感じがするのだ。鍔はなく黒い漆で塗られ、その上から桜の木が描かれている。その時、紅桜がドクンと脈打った気がした。輪廻はそれを握り締め言う。

「お借りします」

 宝水は優しい笑顔を見せ、輪廻の頭に手をポンとおき立ち上がるとその直後、紫苑が走って来た。

「父上。神殿の者が今回の事で話があると来ています」

 宝水は「そうか」と言い、紫苑の来た方向に歩いて行く。

「輪廻、僕らも行こう」

 二人も父の後を追う。

 回廊を走り、扉が開かれている部屋の前で立ち止まる。その部屋の中にいたのは、まぎれもない神殿の天使だった。

「私は中級天使三隊・第六階級・能天使のシャムシェルと申します。後ろの二人は、私の直属の部下です。この度、魔界に行くにあたって四大天使が一人、ラファエル様より命を預かって参りました」

 天使には階級が存在し上から第一階級から第九階級までがある。

 第九階級・天使エンジェル

 第八階級・大天使アークエンジェル

 第七階級・権天使プリンシパリティー

 この三つをまとめて下級天使三隊と言う。

 次は中級天使三隊。

 第六階級・能天使パワー

 第五階級・力天使ヴァーチュ

 第四階級・主天使ドミニオン

 そして最後が上級天使三隊。

 第三階級・座天使スローン

 第二階級・智天使ケルビム

 第一階級・熾天使セラフィム

 そしてこの頂点に立つのが、神と言われる天界の長、天王。

 天界には三つの王族が存在する。

 《六道家》《天道家》《神道家》。この三家が天界を創ったと言われ神の保護下にある。

 シャムシェルと名乗った男は、胸に手を当てて深々とお辞儀をした。少し長めの金髪。優しそうな瞳の奥には、強固たる意思が宿っている。それは力強さを表し、またその意思は絶対の自信と誇りで身体全体を包んでいた。

「ほぅ。あの四大天使のラファエル殿の使いか。それならば安心できるな。宜しく頼む」

 宝水もまた、身体を折り曲げ頭を下げた。

「何があってもお護り致します。この血、この肉、この魂。私の全てを賭けて、神に誓います」

 天界において四大天使とは神である天界の長、天王に匹敵するほどの存在だ。階級は下級天使三隊・第八階級・大天使に属するが、別名として特別階級と言われている。そして全ての階級を動かす力を持っているのだ。

 その四大天使とはラファエル、ウリエル、ガブリエル、そして天使の頂点と言わしめる天使長ミカエル。この四人がいて、天使の階級は成り立っている。その一人である、ラファエルが選んだと言われる今回の護衛隊長シャムシェル。何も心配はいらない。その場にいた誰もがそう思った。ただ一人、輪廻を除いて。

 そして魔界に行く日。

 《六道家》の宝水、紫苑、輪廻は神殿を訪れた。準備は万端だ。《六道家》からも直属の護衛軍を十名ほど連れて行く。天使の護衛と合わせれば、その数は五十をくだらない。これほどの規模の護衛がいれば手を出してくる輩はいないだろう。いたとすれば、それはただの自殺志願者か、ただの馬鹿かのどちらかだ。

 そもそも《六道家》に手を出すと言う事は天界が敵になると言う事。それは神をも敵に回すと言う事になる。力をもって力でねじ伏せる。その意味がわからない奴はいないのだ。

 三人はシャムシェルに案内されて神殿の回廊を歩く。そして一つの部屋に入った。そこは広く中心部分が少しくぼんでいる。足元からはいくつもの柱が天井を支え、その柱にはいくつものロウソクが瞬いていた。

「ここから魔界へと次元を裂いて行きます。神殿……いえ、天界において次元を裂いて別の世界に行くには、必ずこの部屋から行くのです」

 この部屋の名前は他化自在天たけじざいてん。通称、第六天と言い、別世界への入口の部屋とされている。天界は神聖な場所だ。そこから違う世界、つまりは下級の世界に行くという事は一種の汚点になってしまう。それは汚らわし行為だと考えられている。そんな場所をどこでも作る訳にはいかない。それで場所を一つに限定して作られたのが他化自在天なのだ。

 輪廻は初めて見る部屋に恐怖を感じた。どこかドス黒く気持ちが悪い。気持ちを落ち着サンダルフォン為に紅桜をギュッと握り締めた。

「行き先は《修羅道》【生命の樹】。それでは準備はいいですか? 他の者は先に魔界に行って周りを固めてますのでご安心ください」

 それに三人は頷く。

「では行きましょう」

 そう言いシャムシェルは部屋の中心部に手をかざした。すると次元は裂かれ、漆黒の穴が現れる。三人は手を繋ぎ、その中に進んだのだった。





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