断ち切る為に

 まだ8歳の私には理解し難い話だった。だが、解る。

 お爺ちゃんの弟が後悔していたのは。

「ワシが忘れていたばかりに…生乃のお父さん、お母さんを殺してしまった…済まない…」

 私に土下座して許しを乞うお爺ちゃんの弟。そんな事はやめてと言いたかったが、雰囲気がそれを拒む。これはおじいちゃんの弟がやりたい事なんだと。

「いや、気付いていたのかもしれん。ワシは『首』が恐ろしかった。だからあの御守りを生乃に渡すのを躊躇ったのじゃ…」

 しかし、御守りは今、私の手にある。

「お爺さん?もしかして…お爺さん死んじゃうの?」

 お爺ちゃんの弟は顔を上げて微かに笑った。

「いや、まだ死ねんよ。まだやり残しがあるからなぁ…」

 その時のお爺ちゃんの弟は、どこか寂しそうな、悟ったような顔をしていた。

「さて、ワシは用事を済ませなければならん。すまんが、少し待っていてくれるか?」

 お爺ちゃんの弟は優しい手で私の頭を撫でてくれた。

 一人じゃ不安だったけど、お父さんのお葬式で忙しかったお爺ちゃんの弟…まだ処理しなければならない事があるんだ。その時はそう思った。

 お父さんのお葬式から三日が過ぎた。

 お爺ちゃんの弟は、あれから私の傍にいてくれた。

「生乃、桐生の財産は生乃に移動させた。しかしまだ小さいから、生乃の代理人が管理する事になる」

 寂しそうな表情で語るお爺ちゃんの弟。

 この時私はああ、そうなんだとしか思っていなかった。

 その日の夕方…

 お爺ちゃんの弟は、何か整理しようとしたのか、蔵へ入って行って、まだ出て来なかった。

「どうしたんだろう?」

 少し胸騒ぎを覚えたその時。誰かが家の呼鈴を鳴らした。

 私は玄関を開けた。

「え?だ、誰ですか?」

 玄関を開けて驚いた。

 訪問してきたのは凄く小さなお婆さん。見たことも無い人だったから。いや、その小さな背に驚いた。

 お婆さんはニカッと笑う。

「桐生…生乃じゃな?」

 私はただ頷いた。

「ワシはお前さんの代理人、いや、これから親代わりとなる水谷と言うババァじゃよ」

 自分で自分をババァと言うこのお婆さんに何故かホッとした。

「それにしても早まった事をしたもんだ…少し電話を借りるよ」

 水谷のお婆さんは、電話の受話器を取り、どこかに電話をした。

「ああ、〇〇市〇〇町の桐生じゃが…蔵で年寄りが死んでおる。はよう来んしゃい」

 え?

「蔵で…?」

 先程蔵に入って行ったきり出で来ないお爺ちゃんの弟……!!

「お爺さん!!」

 私は蔵へ走ろうとしたけど、お婆さんに止められた。

「お前さん…首の離れた身内をちゃんと見れるかね?それにお前さんにはまだ早い」

「お爺さん!!お爺さん!!お爺さん!!」

 半狂乱になって暴れた私に平手が飛んだ。

「う…うっうっ…うっ…」

 少し冷静になった私だが、代わりに涙が出てきた。

 お爺さんの弟は蔵に住んでいる侍の『首』に殺されたんだ。

「ワシが仇を討つのは容易い事。しかし、お前さんの、いや、桐生の深い業を断ち切るのはお前さんじゃ。ワシの元でしっかと修行し、いつしか己で業を断ち切れ。それが父や母…そして桐生の悲しき歴史への最大の弔いじゃ」

 お婆さんは大きな声で、私に言い聞かせた。

 力が欲しい…

 お父さん、お母さん、お爺ちゃん、お爺ちゃんの弟を殺した侍の『首』を倒せる程の力が欲しい…

 幼かった私、今は泣いている事しか出来ない。

「あれを倒せる力…私に下さい………!!」

 私は涙を拭ってお婆さんを見据えた。

「ほぉ、幼子にしては力強い瞳じゃな」

 感心してくれたお婆さん。

「良い良い。じゃぁ今、ワシが宣戦布告してやろうかの」

 お婆さんがスッと目を瞑ったかと思ったら、蔵の方からドガッ!!と、壁に当たったような音がした。結構大きい音だった。

「ふん…ワシの仕置きはここまでじゃ。後程この生乃が貴様の前に現れるまで、文字通り首を洗って待っておれ!!」

 お婆さんは怖い顔をさせた。

「貴様の憂さ晴らしに被害を出す訳にはいかんからのぅ…この家や蔵には結界を張っておいた。悪さなど出来んようにな!!」

 お婆さんは私の頭を撫でながら、そう言っていた。

 私はこの時から親しい人間を作るのをやめた。

 修行の為に遊んでいる暇が無かったのは勿論、私の親しい人間に『首』が厄いを持って来るかもしれない。

 そう思ったから……

 

 そして今、私は『首』を倒せる力を付けた。

 しかし水谷師匠からは、未だに止められている。まだ力が足りぬ、が理由だ。

 それには同感だ。多少苛つくのも仕方がない。まだまだ精神的にも未熟なのだから。

 そんな時、尚美…私の同門が連れてきた北嶋と言う男の人…

 私や先輩達すら出来ない霊に直接打撃を与える男の人…

 師匠も嬉しそうに話をしている…

 私はいつになったら『首』を倒しに行けるのだろう?

 尚美には申し訳ないけど、仇が討てた嫉妬で胸が張り裂けそうだ。

「じゃあ、生乃。『首』を倒しに行くが良いぞ」

 解っている。私はまだ力不足だと言う事は。だからもう少し待て…

「えええええええええええ!?師匠!!今何と!?」

 心底驚いた!!

 だって、つい昨日も師匠にお願いしたばかりなのだ。「まだ早いわ!!今のままじゃ返り討ちじゃわ!!」と、私を叱咤したばかりなのだから。

「その代わり…」

 解っている…

 刺し違えても、必ず倒します!!

 私の決意が固まった。いや、既に覚悟は決まっている。奴を倒せるのなら命すら惜しくない!

「小僧と尚美も同行させるのが条件じゃ」

 私の決意は空回った………

「小僧、早速じゃが仕事じゃ。敵は生乃の仇…お願い出来るかの?」

 流石に慌てた。

「水谷師匠!!素人の北嶋さんには荷が重いです!!私は『首』の相手だけでいっぱいいっぱいになる筈…北嶋さんを庇って戦える程余裕は無いです!!」

「そりゃお前さんが誰かを庇って戦える余裕は無いじゃろ?お前さんは小僧のフォローじゃ。お前さんじゃまだ足りぬ。しかし早い所倒すのがいいのは事実。ワシなら瞬殺じゃが、それでは意味が無いのでな」

 だから北嶋さんを連れていけと!?

 意味が解らず、軽く目眩がした。

「生乃、私も手助けするから、ね?」

 尚美なら問題無いけど…

「まぁ泥船に乗ったつもりでいろ」

 泥船は沈むでしょう!!それを言うなら大船でしょうが!!

「婆さん、桐生のお守りは引き受けた。北嶋心霊探偵事務所の初陣に相応しい相手だ」

 北嶋さんが爽やかに笑っている。

「うむ、期待しておるぞ」

 師匠も満足そうに笑う。

 どうやら北嶋さんを同行させなければ、『首』を倒しに行かせてくれないようだ。

 しかし…これでいい。漸く私は舞台に立てる。その取り掛かりを与えてくれた事だけでも彼には感謝したい。そう思い、彼に静かに辞儀をした。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 生乃は今すぐ出たいとばかりに準備をする為に自室に引っ込もうとした。

「此処から生乃の家は車でおよそ7時間。明日の夜…そうじゃな、巻き添えが出んような時間帯、深夜決行するように。じゃから此処から昼に発てばいいじゃろ」

 身を乗り出す生乃。

「師匠!!それなら現場待機でもいいじゃないですか!!今から出れば向こうでゆっくり休めます!!」

 逸る気持ちを抑え切れないような感じだった。焦っている。気持ちばかりが先走っている。

 危うい…その状態は命に関わる程危うい。

 私は生乃の手を取る。

「気持ちは解るけど…流石に休みたいわ。此処まで運転して来たんだもの。疲労が溜まっているコンディションの今、生乃のサポートを完璧にできる自信が無い」

 生乃の気持ちを否定しないように、そして納得できる口実で断りを入れる。

「そ、そうか…そうよね。ゴメン尚美…焦っちゃって…」

 首を横に振って謝罪をやめさせる。気持ちは解るもの。逸る気持ちも、焦る気持ちも。

「そうだぞ。俺は眠いんだ。もし戦闘中寝ちゃったらお前等を守れなくなっちまうだろ」

「戦闘中に寝る心配をするのがもうね…」

 見当違いな心配をする北嶋さんだが、心強く思っているのは事実。生乃は怪訝な顔だけど。

「…私達を守れる…?凄い自信ですね?」

「泥船に乗ったつもりでいろと言っただろう?」

「泥船は沈むんです!乗ったら溺れちゃうじゃないですか!!」

「大丈夫だ。泥と言ってもモルタルだから。固まるから」

「コンクリートは重くて沈みます!!結局沈没しちゃいます!!」

「それも大丈夫だ。俺はライフセーバーの資格を取りに行こうと思った事があるんだから大丈夫だ」

「それって結局資格は持ってないって事ですよね!?」

「人工呼吸は問題ない。それ以外は必要ない程問題無い」

「尚美!!この人と一緒に暮らして大丈夫なの!?」

 ぐるんと私の方を向く生乃。その瞳は本気で心配している。

「だ、大丈夫…かな?」

 今度は師匠の方を向く。

「尚美とこの人を同居させて問題無いんでしょうか!?」

「問題無いじゃろ。のう尚美?」

 師匠にそう言われたら…黙って頷くしかないじゃない…

 なので大人しく「はい…」と返事をして頷いた。ホント、師匠は私の貞操をどう思っているのだろう?北嶋さんを信頼しているからと言われればそれまでだけど…釈然としなさすぎるでしょ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 そんな訳で今日の所はもう寝ろと客間に通された俺。因みに神崎は自室だ。

 神崎は俺の事務所に来るから自室を引き払って空室にする予定らしいが、急に決まった事なので全然荷物の整理が出来ていない。つか整理なんかしていない。

 桐生の件がケリ付いたら数日留まって引っ越しの準備をするらしい。婆さんがそう言っていたから間違いない。なので俺ん家に来る事は確定なのだ。まさに薔薇色の日々!!

「寝間着代わりの浴衣は此処に。小型の冷蔵庫が備え付けてありますから飲み物はご自由に」

 素っ気なくもちゃんと仕事をする桐生。つっても俺を客間に案内しただけだが。

 まあいい。人見知りらしいし。いや、誰にも心を開かないんだったか?それは兎も角、俺は疑問に思っていた事を訊ねた。

「なあ、婆さんの所は女の弟子しかいないのか?男の姿をまだ見ていないんだが」

 そうなのだ。此処に来てからは野郎の存在が見当たらないのだ。俺が家に通されるっつー事は男子禁制って訳でもないだろうが。

「男性もちゃんといます。数が少なすぎるので隅っこに追いやられているだけです」

 酷過ぎるな。追いやられているって。そいつ等にも人権があるだろうに。

「隅っこと言っても離れみたいな感じですかね?要するに本邸じゃなく別館に住んでいるんです。本邸と比べると小さいですけど」

「別館もあるのか此処は…」

 デカすぎだろ。相当稼いでいるんだなぁ…

「師匠は男性の弟子をあまり取りたがらないんです。昔何かあったらしくて…ですから別館に居る男性は幸運と言えますね」

 婆さんの若い頃の話か?詮索は野暮みたいなアレ?まあ、いくら婆さんでも若い頃はあっただろうし。想像できねーけど。

 少し雑談に興じたのを自覚したのか、一瞬で暗い顔に戻り、俯く。

「…じゃあ明日。おやすみなさい」

「待て桐生」

「…なんですか?」

「添い寝くらいならしてやるぞ」

 桐生は何も言わずに客間から出て行った。なんかゴミを見るような目を俺に向けていたような気がするが。

 まあいい。今日の所はゆっくり寝ようか。俺は布団に潜って目を瞑る。

 夢の世界に旅立ったのは0,1秒後だった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 部屋を開けたのは数日の事だけど、随分懐かしく感じる。

 何故か嬉しく思い、押し入れからお布団を出して自分も寝間着に着替えた。その時箪笥を開けて下着をチェックしたのだが…

「………………ピンクとブルーのパンツが無い………」

 深く溜息を付く。多少の着替えは持って出て行ったが、そのパンツは持って行っていない。つまり窃盗に遭ったと言う事だ。

「別館の男共か…」

 と言っても、別館の男性もおいそれと本館に来る事は無い。何かあったら真っ先に疑われるからだ。それでも盗みに来る奴と言えば…

「鳥谷先輩か…」

 鳥谷とりや 羽煌わこう。先輩でカレーが大好きでほぼ毎日カレーばかり食べている。

 まあそれは良いとして、この先輩はお風呂は覗くし、女子の部屋に勝手に入るし、このように下着まで盗むしでホントどうしようもない、困った人だ。

 彼と同期の黒刀こくとう あきさんなんか、歯ブラシを使われて激怒し、殺す寸前まで追い込んだ事もある。

「よく見たらブラも無い…」

 着替えとして持っていってない事から解るように、盗まれた下着はお気に入りと言う訳じゃない。ぶっちゃけ捨ててもいいとも思う。

 だけど持ち悪すぎるでしょ。どうすんのよ下着なんか盗んで?北嶋さんでさえ下着泥棒なんかしなかったと言うのに。と言うか盗むのは普通に犯罪でしょ。

 今直ぐ抗議に行きたい所だが、別館に女子一人で出向く度胸は私には無い。いや、異常なのは鳥谷先輩しかいないんだけど。

 明日師匠に話してみようか。前科が17犯もあるのだから、今度こそ追放になるのを期待して。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 翌日の夕方、尚美のBMWに乗り、私の実家へと走り出す。

 私は経緯を簡単に北嶋さんに説明した。

 水谷師匠が、「道中小僧に話しておくように」と言ったので、仕方無くだ。

 出発前にも尚美に『首』の特徴を教え、絵を描かせた。

「こいつ、首だけしか無いのか?ボディは無理か」

 どうでもいい事を何か言っていたが、構わないようにした。

  助手席で語りながら尚美の運転で私の実家へと向かう。

「…と言う訳です。私は必ず『首』を倒さなければならない」

 バックミラーで北嶋さんをチラチラ見ながら経緯を説明していたのだが、ある異変に気が付く。

 北嶋さんは真っ青になって俯いていたのだ。

 無理も無い。かなりの昔からわざわいを呼んでいる侍と対峙する。

 正直、私もどうなるか解らないし、尚美も神妙な顔をしていた。

 素人の北嶋さんにはやはり荷が重いのだ。恐怖で真っ青になってしまったのは仕方ない事だ。

 しかし、私は北嶋さんには感謝している。『首』を倒すチャンスを与えてくれた。それだけで充分だ。

 私の実家は師匠の所から車で7時間は掛かる。

 北嶋さんは、その間一言も喋らず、俯いてジッとしていた。


「…ここね…」

 私の実家に到着した頃は、辺りはすっかり暗くなっていた。

 蔵が見える。あの中に私の仇…禍いの種の『首』がいる……!!

 居ても立ってもいられず、車から降りた。

「生乃!もう準備は出来ているの?」

 私の準備は『覚悟』だけ。とうに準備は出来ている。

 私は尚美に微笑む。

「ありがとう尚美。じゃあね」

 そして一人、『首』の待つ蔵へと歩き出した。

「生乃!!ちょっと待って!!」

 尚美が止めるのを無視し、歩く。いや、止まれない。ほんの数十歩の所に『首』がいるのだから。


 とうとう蔵の前に来た。

 震えた。怖い…単純に『首』に怯えているのだ。

 その時、『あの声』が聞こえた。


――これはこれはお嬢ちゃん!久しいな。殺されに戻って来たのかね?ハァッハッハッハッ!!


『あの声』の挑発に乗る。

 震えた身体を奮い立たせて蔵の中に入っていった。

 蔵の中は、外の暗さよりも濃い。暗闇と呼ぶに相応しい暗さだった。

 辺りを見渡す。そして叫んだ。

「出て来なさい!!私の首を取るのでしょう!!」

 しかし、『首』からの応答は無い。

 だが居る…それは解る…

 少しだけ頭を下げ、気合いを入れ直す。

「よし…!!」

 私が頭を上げた時、私の目の前に『首』がニタニタと笑いながら浮いていた!!

「!!!!!っは!?」

 入れ直した気合いが私の中からスーッと消えていき、心臓の鼓動が高まり、寒さと違う震えが身体中を駆け巡る。


――桐生の女人よ。私は貴様の首など取らんよ。貴様の友人の首ならば取るがなぁ!!ハァッハッハッハッ!!


 愉快そうに笑う『首』。

「私の友人……?」

――一緒に来たではないか?女と男…男の方は震えているがな。ハァッハッハッハッ!!何とも頼もしい助っ人よな!!

 こいつ…尚美と北嶋さんを殺すつもりだ!!

「させない!」

 印を結んだ瞬間、私の首筋に冷たい何かが当たる。

「く!?」

――助っ人が来るまでは黙っていて貰おうか?友人の首が離れる様を見ておけよ。ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!!

 首筋に沢山の首を刎ねたであろう首斬り包丁…刀が当たっていた………!!

 お前さんにはまだ荷が重い

 師匠の言葉が重くのし掛かる…

――何やら術を発動させようとしているようだが、そんな暇を与えると思っているのかね?

 嫌味な笑みで言葉を投げる。

「生乃!!」

 尚美が蔵へ入って来てしまった。

――桐生の友人…愉快也!!

 首斬り包丁が尚美に襲いかかる!!

「っく!!」

 間一髪、尚美は反応し、首の切断は免れた。そして気を漲らせて言う。

「北嶋さんが来るまで二人で頑張るよ!!」

 尚美は北嶋さんの到着を待つようだ。だけど…

「北嶋さんは怯えているんじゃ…?」

 尚美は溜め息をついた。

 その溜め息は失望した溜め息ではなく、何か呆れた溜め息だった………


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 生乃がたった一人で蔵へと入って行った。

「北嶋さん!!私達も行くわよ!!」

 後部座席の北嶋さんに促す。

 しかし北嶋さんは項垂れて、真っ青な顔で震えている。

 まさか?

「北嶋さん…ひょっとしたら怖いの?」

 北嶋さんはジッと固まった儘…

「マジで?嘘でしょう?」

 こんな図太い人が恐怖を感じるなんて!!

 しかし、今、北嶋さんに構っている場合では無い。生乃を助けなきゃならない。

 私は車から出ようとしたが、その手を北嶋さんがしっかりと握った。

「北嶋さん、悪いけど、北嶋さんの相手をしている場合じゃない………ん?」

 真っ青な顔を上げて北嶋さんが発した。

「酔った…」

「はああああああ?酔った?車酔い?」

 北嶋さんはウンウン頷く。

「吐きそう…いや…吐く…」

 冗談じゃない!!私の車をゲロまみれにされるのは勘弁だ!!

「早く外に出て!!早く!!」

 恐らく産まれて初めてのパニックになったのだろう。

 ドアが開いていないにも関わらず、私はグイグイと北嶋さんを押した!!しかし!!

 嘔吐物が後部座席に広がった!!

「ギャアアアアア!!何すんのよぉ!!!」

 私の車の中があの臭いで充満した!!哀しい…凄く哀しい出来事だ…

「ふぅ」

 スッキリしている北嶋さん。その晴れやかな顔に殺意を抱き、グーで北嶋さんの 鼻っ柱に本気で叩き込んだ!!

「べふぁっ!?」

 北嶋さんの鼻からそれはそれは大量の鼻血がドボドボと流れてきた!!

「ギャアアアアア!!鼻血まで!!!」

「鼻血は俺のせいじゃ無いだろぐあっ!!」

 気が付くと私は再び北嶋さんの鼻っ柱にグーで思いっきり叩き込んでいた。

 流れ落ちている鼻血の量が倍くらいになっていた。

「わ!解った!俺が掃除しておくから!!」

 北嶋さんが怯えている。

「バケツと雑巾はトランクの中よっ!!」

 トランクからバケツと雑巾を取り出し、北嶋さんに預ける。

「私は生乃の所行くから!!早く掃除して早く来なさいよ!!早くね!!早く!!」

 この時の私は、さながら悪鬼に見えた事だろう。

「はい!」

 ピンと背筋を伸ばし、私を怖がっていた。

 私は勢いよく車から離れる。

 車の臭いもさる事ながら、生乃の方が気掛かりだったからだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「くぅ…鼻血は俺のせいじゃあるまいに」

 俺はバケツに水を汲む。

 水は近くに川があったので、そこから汲んだ。

 洗車に川の水を使用するとは、何とエコな事だろうか。今後はエコロジー北嶋と名乗ろう。

 しかし…我ながら大変な臭いだ。

 一生懸命に掃除する。臭いで再びリバースしそうになったが堪えて。

「ウェッ!!…ふっ…オエッ!!」

 時々嘔吐えづきながら、吐き気と格闘しながら俺は黙々と掃除をした。

 その甲斐あって車の掃除は無事終了したが…

「自分が堪らなく臭いな…」

 臭いの原因は俺の服に付着しているゲロと鼻血のせいだ。

 俺は臭いを取る為に、服を着たまま川に飛び込んだ。

「ゴホッ!結構深かった!ボホッ!!」

 俺はバタバタしながらも服に付着しているゲロと鼻血を落とす事に成功した。

 しかし当然ながら服がびしょびしょになってしまった。

 びしょびしょの服を早急に乾かさねばならない。

 取り敢えずそこら辺から燃える物を物色する。

 うんうん。枝木…本…良く燃えるなぁ。

 して、物色中に気になる物を発見した。

 これは男の玩具『女の下半身』だ。空気を入れて膨らませるアレだ。

 流石に使用する気にはなれないが、燃やすのも抵抗がある。

 まぁ、誰か欲しいヤツがいたら、勝手に持って行くがいいさ。

 俺は男の玩具をそこら辺に置いた。

 燃え盛る炎に身体の正面、裏、側面とくるくると回る俺。

 また酔ってしまいそうだが、我慢するとしようか。

 その時、蔵の方から激しい物音がした。

 神崎と桐生が落武者と戦闘中らしい。

 落武者とは、神崎が描いた首の絵だ。雰囲気が落武者っぽいので、落武者に命名した。

『首』の方が言い易いって?

 ふっ、びを解っていないな。ハードボイルドとは、そう言うものさ。

 探偵を目指したいなら侘び寂びは大切する事だな。

 その間にもガシャン!ガコッ!と激しい戦闘音(?)。

 おいおい、あんな『落武者』程度に苦戦しているのか?

 相手は首しか無いんだぞ?楽勝のような気もするが。やはり俺がやらなければならないようだな。

 まだ服が生乾きで多少気持ち悪いが仕方ない。

 それに、俺は落武者に言いたい事がある。俺の怒りをぶつけなければならない。

 桐生の説明を聞いた時、どうしても納得出来ない部分があったのだ。

 その納得出来ない部分は、俺の怒りに炎を灯したが、いかんせん車酔いでそれどころでは無かった。

 しかしスッキリした今の俺は、再び怒りの炎が激しく灯る!!

 落武者…男の風上にも置けない奴だ!!

 こうなれば居ても立ってもいられない!!

 俺は蔵へと走る。

 桐生の敵!!俺の初仕事!!落武者をぶっ叩きに蔵へと入っていった!!


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