恐ろしくは業

 昭和初期。

 かつての桐生の領地は随分と減少し、現在は屋敷の一部と蔵くらいしか残っていなかった。

 それでも周りと比較すると広い土地だ。

 その広い土地で二人の少年が遊んでいる。

「兄貴、本気で叩くなよ!」

 チャンバラ遊びをしていた兄は、弟の腹に木の棒を思ったよりも強く当ててしまったようだ。

「悪い!そんなつもりは無いんだ」

 反省している兄を見て、弟も苦笑いしながら許した。

「まぁ、俺も兄になるんだから、多少は兄貴の気持ちが解るよ」

 兄が本気で打ったのなら、自分はこのように笑っていられない程の負傷をしている筈。今のは間違っただけだ。

「ごめん。しかし、もう直ぐだな」

 兄、栄吉えいきちの顔が綻んでいた。そして弟、栄次えいじも同じく綻んでいる。

 栄吉、栄次の母の腹には赤子が宿っていたのだ。

 兄弟は赤子の誕生をそれはそれは楽しみにしていた。

 特に弟の栄次は、自分が兄貴になる事をとても楽しみにしていたのだ。

「どっちだと思う?弟かな?妹かな?元気なら俺はどっちでもいいけどさ」

 栄次の顔は、兄よりも綻んでくしゃくしゃになっていた


 暫く経ったある日、兄弟が待ち望んでいた赤子が誕生した。

「やった!栄次、赤ちゃんを見に行こう!!」

 栄吉が促すより先に、栄次は母の元へと走っていた。

「うわっ!早い!!」

 負けじと栄吉走り出す。

 同着のようで、二人同時に襖を開ける。

「母さん!どっち?」

「弟?妹?」

 にこやかな兄弟とは裏腹に父と母の表情が曇っていた。いや、悲しんでいた。

 その表情の儘兄弟を直視し、父は言った。

「お前達の兄弟は居ない」

「え?母さんが抱っこしている赤ちゃんは?」

 母に抱かれている赤ちゃんが自分達の兄弟だろう、と栄吉は首を捻る。

「そうだよ。おかしな冗談はやめてよ」

 そんな冗談よりも早く赤ちゃんを抱かせてくれと栄次がせがむ。

「………ふぅ……」

 重い表情の儘兄弟から視線を外してうつむく父。

「……っく…っっく……」

 母は声を殺して泣いている。

 場の雰囲気が尋常ではない事を悟った兄弟は、これ以上口を開くのは良くないと感じ、場を去ろうとする。

「待ちなさい」

 父が兄弟を呼び止めた。兄弟はゆっくりと振り向く。

「良い機会だ。いずれお前達も知らなければならない事だ」

 父は固く目を瞑りながらゆっくりと語り出した。

 父の語った話は、兄弟の心を激しく動揺させた。

「え?嘘だろう?」

「女の子が産まれたら呪われる?呪いを回避する為に赤ちゃんの内に殺す?」

 にわかに信じがたい話だ。お伽噺や怪談と同じような話。

 女の子が物心ついた頃に『首』が現れ、一族の首を取り、殺していく。

 恐ろしいが、そんなしきたりが自分の家にあった事が一番悲しかった。

「じ、じゃあお祓いとかして貰えば…」

 栄次の提案に首を横に振る父。

「無駄なんだ。桐生の一族が以前から試みてはいたのだが、呪いが解かれた事は無い。私の祖父も、女の子が産まれた時に祓って貰ったが、効果無く、祖父の首が飛んだ。私は祖父の首が飛んだのを目の当たりにしているんだ」

 父の目にうっすらと涙が浮かんでいた。

「祖父の首が飛んだ…?」

「私の姉が8歳の時だった」

 栄吉の、唾を飲み込む音が部屋中に響いた。

 父は当時を思い出すように遠い目をしながら言う。

「姉は…私の父、お前達の祖父になる人により首を絞められ……」

「やめてくれ!!」

 栄吉が大声を出し、父の発言を止める。

 栄次は耳を塞ぎ、ただうずくまっていた。

「…桐生の業は人殺しのごう…しかも一族殺しの業だ。赤子の内なら、まだ共に過ごした時間も短い。赤子の処分は私がする。お前達は立ち会わなくても良い」

 処分!!処分だって!?

「処分じゃないよ!!家畜じゃあるまい!!」

 栄次が大声を張った。

 赤ちゃんの誕生を誰よりも楽しみにしていた栄次。産まれたばかりの妹の命を断つ事は了承しかねた。

「少し、少しだけ待って!!俺が何とか呪いを解く方法を探すから!!」

「だから無理なんだ!今まで何もしていないと思っているのか!!」

 父の一言が栄次を無言にさせる。それはその通りだと思ったからだ。

「せめて私の命だけで終わればいいのだけれど…」

 母は自分の子の命を奪う事は勿論、栄吉と栄次に対しても申し訳無いと泣きながら謝った。

 そんな様子を居た堪れなく思いながらも好機と判断した。

 処分と言っても、父にもかなりの覚悟が必要なのは明白。

 決意が固まるまでは、赤ちゃんの命はまだ繋がっている。

「何とかしよう」

「うん。父さんが迷っている間に何とかしよう!!」

 まだ繋がっている命。僅かに残されている時間に縋り、何とか殺す事を回避する。兄弟はありとあらゆる文献を探した。

 寺や神社に話を聞きに行ったりもした。

 しかし桐生の文献には、女子は呪いを呼び一族を滅亡させる故、赤子の内に殺すようにとしか書かれておらず、寺や神社には既に先祖が訪れたらしく、呪いを解く為に幾度も足を運んだが、結果は出ず…との返答しか返って来なかった。

「駄目なのか…やはり駄目なのか…」

「弱気になるな兄貴!蔵だ!かなり昔からある蔵に何かあるかもしれない!!」

 兄弟は蔵に入り、荷物を漁った。深く、深く探っていくと、厳重に封印された刀が奥底にあった。

「これ…首斬り包丁か?」

「間違いない…遥か昔に首を刎ねられた侍の無念の宿る刀に違いない!!」

 兄弟は刀を発見した事に喜んだが、これをどうすれば良いか、見当もつかなかった。

 厳重に御札を張り巡らされた刀。取り敢えず鞘から抜こうとする栄吉を制した栄吉。

「兄貴…ちょっと待って。俺達の先祖は首が飛んで死んだんだろう?その刀を抜けば…」

 成程、刃を晒す事は自分達の首が飛ぶ可能性も出てくるのか。

「なら…燃やしてみるか?」

「燃やす…何故それを俺達の先祖がしなかったんだろうか…?」

 確かに…燃やすと言う選択も当然ながら行った筈だろう。桐生はずっとこの呪いを何とかしたかったんだから。試せた事は何でも試しただろう。

 兄弟が考えているその時、何処からか声が聞こえて来た。


――燃やそうとしたらば、首が飛ぶからよ


 兄弟は目を合わせながら、互いの剥いた目を見ながら言う。

「おい…今の声…」

「うん…俺にも聞こえた…」

 兄弟の身体がガクガクと震え、何故か寒くなって来た。

「誰だ!!姿を見せろ!!」

 精一杯の虚勢だったが、栄吉は何か声を出さずにはいられなかった。

 栄次も同じ気持ちだった。

 このままでは恐怖に押し潰されそうになってしまう。

「『首』か!!出てきてみろ!!」

 栄次が叫んだ時に栄吉が気付いた。

「お、おい…今は昼間だよな?」

 栄次も気が付いた。

 昼間の蔵…確かに蔵内は暗いが、何故こんなに暗いんだろう?

 いや、入って来た時は明るかった。今は一寸先も見えない闇…

 兄弟が辺りを見渡しながら、硬直していたその時。


――姿を見せろと言われれば見せてやろう。しかし首しか無いがな!!ハァッハッハッハッ!!


『あの声』が蔵中に響き渡ったかと思ったら兄弟の目の前にうっすらと光が灯った。

「ひっ!?」

「あわわわわわわ……」

 兄弟はへたり込みながらも後退りする。

 光は人の形…いや、首となって、兄弟の目の前にてニタニタと汚ならしい笑みを浮かべていたからだ。

――要望どおりに姿を現したが、何用かね?

 初めて感じる恐怖に兄弟はただ震え、身体を寄り添わせながら、『首』を見ているしかなかった。

 そんな兄弟にれたのか、『首』が兄弟に近付いて来る。

――どうした?要望したのは君達だか?

 嫌味を含む言葉に耐えきれず、声を発したのは栄吉だった。

「い…妹が産まれたんだ!」

――知っている。再び一族の首が飛ぶか、先に赤子を殺すのか…赤子の物心が付くまでは待ってやろう。ハァッハッハッハッ!!

 栄吉は後悔した。

『首』は今まで霊能者や一族の説得には耳を傾けようとはしなかった事に今更ながら気が付いた。

「ど、とうしても殺すのか!?」

 言葉を発した『首』はギロリと栄次を睨む。

――貴様等の先祖も私の言葉には耳を傾けなかったのだ。何故私だけが貴様等の説得に応じる必要がある?

「で、でも!」

 栄次は身を乗り出した。が、直ぐに止まる。

 首筋に冷たい物が当たる気配を感じたからだ。自分の首に、刀の刃が触れていたのだ。

「ひっ!」

――今、この場で刎ねても構わんのだが?

 悪鬼の如くの形相の『首』。

 栄次の下着が尿で濡れていく。

 恐怖が度を越えると、人間の身体が安易に硬直する。身動きが取れない、いや、身動きが出来ない。

 固まっている栄次の代わりに栄吉が応えた。

「ま、まだだろう!?妹の物心がつくまでは、まだ命は取らないと言った筈だ!!」

『首』がケタケタと愉快に笑う。

――そうだったなぁ!いやあ失敬失敬!ハァッハッハッハッ!!

 栄次の首筋からゆっくりと刃を遠ざける。

「……っ!!はぁ!!はぁ!!はぁ!!」

 栄次は深く呼吸した。息をするのも忘れていたようだ。いや、息が出来ない程追い詰められた。

――まぁ、結果は目に見えておるが、楽しみは先の方がより愉快になると言うものだ。ハァッハッハッハッ!!

『首』が意味深な高笑いをしたかと思えば消えてしまった。

 一瞬にして、霞のように…

「…大丈夫か?」

「…うん…」

 栄吉も栄次も最後に『首』が言った言葉の意味を何となく解っていた。

「…恐ろしかったな…」

「…うん…」

 栄吉も栄次も完全に心が折れていたのを理解していた。 

 兄弟は蔵から出て直ぐに妹の元へと向かった。

「妹の顔は見ない方がいいわ…」

 どうせ奪う命。母は妹の記憶を兄弟に少しでも与えたくなかった。

 妹は無論、兄弟がとても不憫で仕方がなかったのだ。

「いや…母さん、俺はその日が来るまで妹と一緒に居るよ」

「俺も…少しでも一緒に居たいんだ」

 兄弟は『首』の恐怖を直に味わった。もう、あんな恐ろしい思いはしたくは無い。

 兄弟は妹に申し訳ない気持ち…懺悔の気持ちで一杯だった。

「この呪いはいつまで続くんだろう」

 栄吉が呟いた言葉に誰一人として応える事は出来ない。

 妹は兄弟の顔を見てキャッキャッと笑っている。

「いつか絶対に…この業から抜け出せる日が来る事を祈るだけだね…」

 妹の顔を見ながら大粒の涙を流す兄弟。

 母も顔を背けて泣いていた。



 父の決意が固まった。

 朝早くに人知れず山に入って行く父と父に抱かれた妹。

「…お前達は帰るがいい」

 父の後ろに兄弟が並んで歩いていた。

「…罪を認めなきゃいけないから…」

「…せめて俺達は…罪を背負いながら生きて行かなきゃ…」

 父はそれ以上何も言わず、黙々と歩き続けた。

 父も我が子に手をかける罪の重さに潰れそうながらも、家族を守るために必死で耐えていた。

 程なく父の歩みが止まる。

 父がその場に屈んだ。兄弟はじっと見ている。父が妹の首に手を掛けた所を。

「…………………………っ!!」

 長い…長い時間のように感じた。

 しかし兄弟は目を逸らさず、一部始終を見ていた。

 父だけに罪を背負わせる事は出来ない。

 これが人殺しの業だ。

 目に涙を溜めながら一部始終を見る。

 程なくして父の手から力が抜けた。

 父は妹を抱き上げながら涙を流し、亡骸を抱き締めた。

 兄弟はその時初めて声をあげて泣いた………


 あれから数年が過ぎ、兄弟も年頃になった。

 兄の栄吉は結婚したが、弟の栄次は生涯独身をうたっていた。

「兄貴は長男だから仕方ないけど、俺は妻を迎える事は出来ない…」

 妹を殺した罪悪感と、もし、自分の子が女の子だったら、と考えると、とても結婚する気が起きなかった。

 栄吉も同じ考えであったが、いかんせん長男の宿命、義務的に妻を迎えたのである。

 営みは極力避けてはいたが、跡取りは儲けなければならない。

 自分の子が男子である事を願わずにはいられなかった。

 程なくして妻が妊娠。

 妻は喜んではいたが、自分は怯えて過ごしていた。

 もし、女子だったら…そればかりを考え、夜も眠れない程、追い込まれた。

 そして妻が無事出産する。

「男か!女か!」

 産婆に詰め寄る様が、実に鬼のような形相だった。

 不眠も手伝い、目の回りに出来た隈も相成っていたので尚更の事だった。

 産婆はたじろいだが、「男子ですよ」と、告げた。

「男…良かった………」

 栄吉の張り詰めた神経が、和らいだ途端、その場に倒れ、今までの睡眠不足を補う程に寝入ってしまった。

栄吉は男子を『まさる』と名付けた。

 何事が起きても、絶対に勝つ。そういう願いを込めて。

「良かったな兄貴…」

「ああ…本当に良かった…」

 妻は赤ちゃん誕生の祝いの言葉と思っていたが、それは『産まれて来た赤子が男で助かった』と言う意味である。無論、妻には、そのような言葉の裏は解らない。

「二人目は?」

「無茶を言うな…もうギリギリだ…」

 妻は身体の弱い自分の為を思い、夫がこれ以上子供を作らないと思い、申し訳無く思っていた。

 しかし、栄吉の言葉の意味を栄次は良く理解していた。

「兄貴…俺は…逃げてばかりで…」

 自分は結婚せぬと逃げていた栄次は、兄にだけ重圧を押し付けているような気がして、罪悪感で押し潰されそうだった。

「気にするな。俺がお前の立場なら、きっと同じ事をする」

 栄吉はそう言うしか慰めの言葉が見つからなかった。


 勝が成人になった頃、自分の母が他界した。

 元々、身体の弱い母…よくぞ今まで生きていてくれた。

 勝は本当にそう思っていた。

 一人っ子の自分に全ての愛情を与えてくれた母の姿に、いつも感謝をしていた。

「母さんが死んでしまった後だけど、俺、結婚しようかと思うんだ」

 勝は父、栄吉に恋人と共に有りたい旨を告げた。

「お前もそう言う年頃か」

「うん。佐和子って言うんだ。素敵な女性だよ」

 何故か自分に彼女が出来ると表情が曇る父に、なるべく好印象を与えるために、勝は佐和子の良い所を並べ話す。

「…そうか…お前にも言っておかなきゃならないな…」

 栄吉は勝を見据え、桐生の歴史…忌まわしき真実を話す。

 いずれは言わねばならぬ事。そして己の罪…

 妹を殺した、自分の罪…

 栄吉は淡々と勝に語る。

「…そんなに俺が結婚するのが気に入らないのか?」

「聞いていなかったのか?私はお前に不幸になって欲しく無いんだ」

「親父がどんなに反対しても、俺は佐和子と一緒になるからな!!」

 やはり信じて貰えないかと栄吉は深いため息を一つ付いた。

 勝は結婚した後、桐生の家から出て行った。自分の妻が歓迎されていないと思ったからである。

 一人になった栄吉は、毎日祈っていた。

 どうか息子の赤ん坊は男であるように、と。

 弟の栄次が心配しながら、勝の家を何回か訪ねた。

「兄貴は別に佐和子さんを気に入らない訳ではないぞ?だから家に戻って…」

「叔父さん、叔父さんは小さな頃から優しくしてくれました。出来れば叔父さんの意見を尊重したい。しかし、訳の解らない理由で自分の妻が歓迎されないのは御免被りたい」

 やはり今のご時世、おいそれと解っては貰えないか。

 そんな事を考えながら、栄次は佐和子を見た。

「ん?佐和子さん?腹が…」

 佐和子は幸せそうに微笑みながら言う。

「ええ。女の子らしいですよ。今は性別くらいは直ぐに判るそうです」

 女の子と聞いて真っ青になるも、平常心に努める。

「そ、そうか!!それはめでたい!!」

 栄次は笑って返したが、その心中はあの忌まわしき思い出が蘇り、あの時の尋常ではない心臓の高鳴りを感じざるを得なかった。

 勝と別れた後、栄次はそのまま栄吉の元へと走った。

「兄貴、佐和子さんが妊娠している…女の子だそうだ…」

 栄吉の心臓が止まりそうになった。

「女の子だと…!!」

 足に力が入らず、身体中がガクガクと震え、寒さ…暗さすら感じてしまう。

「…水谷と言う霊能者がいるそうだ。大層ご高名な霊能者らしい…俺が何とか頼んでみるから…」

 そうは言ってみたものの、栄次は『首』が葬られる事は想像出来なかった。

「ああ…頼む…」

 栄吉もまた、霊能者に『首』が説得出来るとは思えなかった。

 それでも二人は藁にも縋る思いで、今世紀最大の霊能者と言う触れ込みの水谷みずたに 君代きみよに全てを託すつもりで捜す事にした。

 そして遂には水谷の所在を割り出し、直接お願いに向かった。

「兄貴は何かあった場合に対処するよう、家に残っててくれ」

「ああ、解った」

 これが兄との最後の会話になるとは、栄次は夢にも思わなかった。


 栄次が水谷の元へと急ぐ中、栄吉は蔵の中に只一人入って行った。

「…相変わらず恐ろしい箱だな…」

 蔵の奥深くから封印した刀の箱を引っ張り出す。

「流石に開く気にはなれないな…」

 箱の前で、膝を付く。

「知っているのだろう?姿を現してくれ」

 箱に呼び掛ける。

「封印なんてアンタには何の意味も無いんだろう?早く姿を現してくれ!!」


 暫くしても、『首』が現れる気配は無かった。


「孫の物心が付くまで知らない素振りをするつもりか!そのまま現れてくれるな!!」

 栄吉は箱を高々と持ち上げた。

「このまま叩き壊してくれる!!」

 振り下ろそうとした瞬間、栄吉の身体が硬直した。

 汗が勢い良く流れ出る…

「…『首』…私の命で孫を助ける訳にはいかないか?」

 箱を持ち上げた儘、栄吉は何も無い空間に訴えた。

 何も無い…本当に空虚な空間だった。

 荷物が積み重なっていた筈の蔵だが、栄吉の凝視している空間には暗闇しか拡がっていなかったのだ。

「居るのは…いや、居たのは知っているんだ。私が家を継ぐ前から、アンタがここで笑っていたのも知っているんだ!!」

 幼い頃…蔵から首斬り包丁を発見した時から『首』がここでニヤニヤしながら自分や家族を見ていたのを感じていた。

「孫には手を出さないでくれ!!お願いだ………!!」

 栄吉の顔が涙でグシャグシャになっていた。

 涙を拭おうとまばたきをした一瞬の間。

 栄吉の目の前に『首』がいた!!

「ふぅぐ……っ!!はぁ!!!」

 余りにも突然の出現に、心臓が止まるかと思う程驚いた。


――随分と年老いたな?もう充分生きたのであろう?ハァッハッハッハッ!!未練が無い桐生を殺したとて、面白味が無いのでなぁ…すまんがお主の要望は却下だな!!ハァッハッハッハッ!!


『首』が必死の栄吉に向かって高笑いをした。

 やはり説得は無駄だ。予測は付いていた。ならば、孫を守る。いや、家族を守る為にはただ一つ。

「首を飛ばす間も与えない!!」

 栄吉は高々と持ち上げた箱を床に叩き付けた。

「うわっ!?」

 しかし、何故か箱が手から離れず、栄吉は転倒してしまった。

「っがっ!!」

 床に激しく叩き付けられたようだった。

 箱は…まだ自分がしっかりと抱いていた。

「ううう…はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 箱をひとまず離し、立ち上がろうとする。

 しかし、立ち上がれない?

 胸に何か乗っかっているような…重くて起き上がれないようだった。

 栄吉は自分の胸を見る。

「うわぁぁぁぁぁぁっ!!」

 栄吉の胸には『首』が大きな口を開けながらゲラゲラ笑い、乗っていた。

――自爆とは流石は桐生の子孫よなぁ。愉快な物を見せて貰った。ハァッハッハッハッ!!

 続けて『首』が言う。

――礼に苦しまずに殺してやろう!!

『首』は栄吉の心臓に噛み付いた。

「があああああああああああああああっっっ!!!!」

 栄吉の心臓が止まる僅かな瞬間に聞こえた言葉……


――首は飛ばさず、命だけ貰ってやろう。余興を見せて貰った礼だ。ゲラゲラゲラゲラゲラ!!


 これが栄吉が最後に聞いた言葉になった…


 丸1日以上経過しながらも、栄次は水谷の元へと辿り着いた。

「旅館と見間違う程の建物だな…」

 電話でアポイントも取って居なかった栄次。

 果たして会ってくれるのだろうか?と不安を感じながら玄関先で大きな声で呼び掛ける。

「水谷先生!!おられますか!!」

 何度も呼びかける。

「水谷先生!!水谷先生!!」

 これ程大きな家だ。声が通っているのかすら解らない。

「水谷先生!!水谷先生!!」

 いくら呼び掛けしても誰も応答してくれない。

「不在なのか…?」

「お前さん、先程からワシが目に入らんのかね?」

 栄次の後ろから声が聞こえ、慌て振り返る。

「……水谷先生ですか?」

 その老婆はやたらと背が低かった。

 庭弄りでもしていたのか、割烹着に手拭いの出で立ち、その割烹着に土が付着していた。

「如何にもじゃが、お前さん、余程慌ておるのか?直ぐそこの花を弄っておった姿が見えておらなかったようじゃな」

 水谷は愉快そうに笑った。

 水谷に案内され、客間へと導かれた栄次。

「水谷先生…水谷先生にお願いがあって参りました」

「ああ、良い良い。こんな辺鄙な所に来てまでの用事なんぞ既に解っとるわ」

 ホッとし、『首』の呪いについて語ろうとした。

「だから良いと言っておるじゃろ。もう『視て』おるでな」

「視ている?ど、どう言う意味です?」

 水谷は鬱陶しそうに手を払う。

「解っておる。お主の家系の呪い…深いのう。女の子が産まれたら振り掛かるか。なかなか厄介じゃな」

 釈然としないが、水谷は知っている様子。

「先生、私はどうすれば…?」

 栄次の問い掛けに苦い顔をする水谷。やがてゆっくり口を開く。

「お主の兄…死んでしまったわ」

 栄次は水谷が何を言っているのか一瞬解らなかった。

 栄次は水谷の顔を呆けながら見ていた。

 この後、水谷が何を言っていたかはあまり記憶に無い。

 ただ、早く帰らねばならんと言う思いでいっぱいだった。

「…最早耳にも入らん状態じゃな。早う帰って手厚く葬ってやるが良い」

 水谷は小さな御守りを栄次に渡した。

「取り敢えずは、その護符で、お主は問題無く過ごせるじゃろう。そして護符には ワシの電話番号が書されてある。女の子が小学校に入る頃、ワシに連絡をよこしなさい。もし、連絡を忘れた場合…いや、多分気が付くじゃろう。お主の甥か、その奥方の首が飛んでおる筈じゃからな」

 栄次は一つお辞儀をし、水谷の元から去って行った。


 栄次が帰った後、弟子の一人が質問した。

「先生、桐生さんの呪いですが…」

 弟子も霊視していたから気が付いた。

 あまりに深い呪い。しかも、先祖は自分の娘を代々殺している。先祖の加護もかなり薄いのだ。

 助かる事は無い。水谷が祓う以外は。と。

「ワシが祓うは容易いが、それでは先が無いのぅ。女の子が自ら立ち向かわねば、業は続くのじゃから。たとえ『首』が居なくなっても、因果は断ち切れぬ。しかし、あの様では耳に入らぬじゃろうしな」

 栄次が呆けてしまった事により、重要な事を伝えられなかったのに悔いが残る。

 女の子が小学校に入る頃に、あの御守りの事を思い出してくれれば良いが…

 水谷は、そう願うしか無かった。


 栄次が実家に戻り、蔵へと入って行く。

「!!兄貴……」

 冷たくなった栄吉を発見した。目をカッと見開いて絶命していた兄。

 余程恐ろしい思いをしたのだろう。

 栄吉の亡骸の傍には、あの刀が封印されていた箱が転がっていた。

 栄次は水谷から貰った御守りを握り締める。

 御守りの効果かどうかは解らないが、さほど恐ろしく感じなかった。

 栄次は箱を再び蔵の奥底に置き直した。見たくなかったから。

 次に勝のアパートに電話をした。

 自分の父が死んでしまったのだから、こだわっている場合では無い。勝もすぐ戻る旨を伝えて電話を終えた。

 そして警察を呼び、検証して貰う。

 結果は直ぐに出た。死因は心臓麻痺。

 親族が乏しい事から、葬儀はひっそりと執り行われた。

 葬儀が終わり、栄次は勝に言った。

「勝、この家には跡取りはお前しか居ない。この桐生はお前が継ぐしかない」

 勝はそれに従った。桐生には、最早自分しか居ないのだから頷くしかなかった。

 そして産まれてくる女の子にも、アパートより庭のある家が必要だと判断したからだ。

 葬儀から暫く経ったある日。勝に桐生の家に女の子が誕生した。

「親父が死んだ年に産まれて来たんだなぁ…」

 仲違いしていたとは言え、父の死はショックな出来事だった。

「生きているだけで幸せな事かもしれないな。お前の名前は生乃だ。生きていてくれさえすれば、俺は幸せなんだから…」

 女の子は生乃と名付けられ、大変可愛いがられながら、大事に育てられた……


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