悪夢再び

 姫の没から数十年…忌まわしい『首』の事件を知る者は、全員既に他界していた為に、今は知る人間は居なかった。

 桐生は次男が家督を継ぎ、男を一人儲けた。

 子は妻を迎え、更に二人の男の子を儲けていた。

 次男は既に大殿と呼ばていたのであった。

 大殿は二人の孫が可愛くて可愛くて仕方ないようで、よく自室に孫を呼び、沢山の話をしていた。

 二人の孫の名は上が政一、下が政光と名付けた。

 大殿が家督を継いた我が子、今は殿と呼ばれているのだか、その殿を差し置いて名を付けたのだ。

「儂も本当は子を二人、三人と作りたかったのだが、何分身体が弱かったのでなぁ」

 大殿は長男が授かった後に子を作ろうとはしなかった。

 何か悪い予感というか…桐生にとって良く無い事が訪れるような気がして仕方なかったのだ。

 身体が弱いと言うのは、単なる口実。

 いや、そうでは無い。

 まだ幼い頃からの夢のおかげで、夜によく眠れないと言う事情が確かにあったのだが、夢にうなされ、子を作るのをやめたとは、周りの家臣達には余りにも情け無く、どうしても言えなかった。

『首』…

『首』が自分に向かってニヤリと笑う。

 そのような夢の為に…

 この日も大殿は二人の孫を自室に呼び、話をした。

「そなた等も兄となる故、これからは学問や武芸を覚えなくてはならぬなぁ」

「はい。母上のお腹にいるややこの為にも、精進致します」

「私も新しい家族の為、精一杯精進致します」

 そう、殿の妻の腹には、新しい生命が宿っていた。

 殿も、二人の子も、勿論大殿も大変楽しみにしていた。

 大殿は満足そうに頷く。

「もうひと月もすれば、そなた等は兄となる。今から心掛けしておくがよいな」

 実は三人目を一番喜んでいたのは大殿であった。

 我が子に「儂が三度名付け親になろう!問題無いな?」と、懐妊が発覚してから直ぐに申し出た程だった。

「大殿の心のままに」

 特に反対する理由も無いので、殿は大殿に名付けの権利を譲った。

 それ程楽しみにしていた。

 ひと月後。待望の赤子が誕生した。

 大殿は産婦に自ら声を掛けた。

「無事誕生したのか?」

「はい、とても元気で健康なややこに御座います」

 大殿の顔が綻ぶ。産婦もそんな大殿を見て嬉しくなった。

「女子にしては少々やんちゃな面が御座います。元気に泣いております故に」

「女子…?そうか!目出度いのう!!」

 本当に嬉しかった。

 嬉しい筈なのに…

 何故か大殿は不安を感じて仕方なかった。

 大殿の不安を余所に、女の子はすくすくと育った。

「儂は何を不安がっておったのだろう?このように幸せなのに」

 姫は自分の母の幼い時にきっと似ているだろう。

 大殿が幼かった頃、亡き母の事を家臣にせがみ、よく訊ねていた。

 家臣は口々に、若の母上はそれはそれは美しいお方だった。と言っていたのを思い出す。

 大殿は姫を溺愛していた。

 二人の孫、政一や政光が羨む程に。

 そして姫も、そんな祖父が父よりも母よりも大好きだった。


 姫が六歳を過ぎた頃…大殿は再びあの夢を見た。

『首』が自分を見てニヤニヤと笑っている夢だ。

 ああ、またか。

 大殿は嫌な気は勿論したが、幼き頃より見ている夢。もう慣れたわ。と思い、無視をした。

 しかしこの日の夢は、いつもの夢と決定的に違っていた。


――もう満足したかね?


『首』が大殿に初めて話掛けて来たのだ。

 初めて聞く『首』の声…

 知らない筈なのに聞き覚えのある声だった。

 満足したとは?お主は何なのだ?

 大殿は幼き頃より、『首』に何者かを問うていた。『首』は答えず、ニヤニヤしている。

 いつもはそんな感じなのだが、この日は『首』は問い掛けに答えた。


――私は大殿、お主が赤子の頃よりお主を知っておる者。母の命の上にて、文字通り首の皮一枚にて繋がっておる、お主の命…いや、桐生の命を預かっておる者よ…

 

 桐生の命を預かっている?意味が解らぬ!!貴様は桐生の何なのだ!?

 初めて応えた『首』に少々動じながらも、今が好機とばかりに『首』に質問をしていく。

――桐生の女人は信じられぬ故に…寧ろ私が桐生を護っていると言っても過言では無いな!ハァッハッハッ!!

 さっぱり解らぬと申しておろう!!

 激しく苛ついた。このような者が桐生を護っておる訳が無い。

──いずれ知るようになろう。女人が誕生した事により、再び没する危機になるか、はたまた再び家臣の手により持ちこたえるのか。いや!楽しみ也!!ハァッハッハッ!!ハァッハッハッ!!


 大殿はここで目が覚めた。

 寝間着が汗で重くなっている。

「…何なのだ?あの『首』は…?」

 息が多少荒くなっていた。夢で叫んでいたが、寝言でも叫んだか?

 大殿は重くなった寝間着を引き摺るように、喉の渇きを潤しに水を飲んだ…


 姫は一人、庭にて鞠をついていた。

「あ」

 鞠をつく手が滑り、屋敷の軒下に鞠が入ってしまった。

「どうしよう…」

 姫が辺りを見渡しても、誰も居ない。

 いつもは誰か居て、姫を一人にする事は無かったのだが、この日に限っては誰も居なかった。

「仕方ない。自分で取って来よう」

 着物を汚さずよう、気を遣いながら、姫は軒下に入って行く。

 程無く、鞠を発見した姫。

「あ、あった!…ん?」

 鞠は何かにぶつかり、転がるのをやめた為に、それほど奥には行っていなかった。

 鞠を止めた物を持つ。

 姫は鞠と、ついでに鞠を止めた物を持って軒下から出た。

「これ…刀?」

 日の下で鞠を止めた物を見た姫。軒下は暗く、何だか解らなかったのだ。

「刀かぁ…つまんない」

 刀に全く興味を覚えなかった姫は、その場に刀を置いた。

「姫!そのお姿は!?」

 家臣が姫に気付いて姫に近寄って来た。

「軒下に入ったのですか?言って下されば、拙者が鞠を取って来たものを」

 姫の着物は、泥や煤で真っ黒になっていた。

 そして家臣は姫の足元にある刀を発見する。

「姫、この刀は?」

「軒下にあったのじゃ」

 軒下に何故刀があったのか、不可解ではあったが、家臣は刀を回収した。

「ささ、姫。はようお召し物をお着替えなされ」

 姫は家臣の言葉に従い、庭から屋敷へと戻って行った。

「しかし、軒下に刀がのぅ」

 何気無しに刀を抜いて見る。

 特に何の変わりの無い刀だ。銘も無い事から、足軽に持たせたのだろう。

 そう思い、刀を鞘に収めた。

 同時に首に何かが振れた感覚を覚えたが、それも一瞬だった。

 家臣はそこで記憶が無くなったからだ。


「きゃあああああああああ!!」

 庭で掃除をしようとした女中が首の離れた家臣を発見した。

 庭は一面血の海であった。

「誰か!誰か来てぇ!!」

 女中の叫びで、屋敷の者が庭に集まって来た。

「これは……」

「首が……」

「賊が侵入したのか!?」

 この騒ぎは、直ぐ様殿や若君、勿論大殿の耳にも入った。

「賊の侵入じゃ!警備の者を増やせ!!」

 屋敷中は一気に慌ただしくなった。

 警備の者は真っ先に殿の元へと向かう。

「私は構わぬ。それよりは若君達をば頼む」

 そう言うと、殿は屋敷から出て行った。

「直ぐ戻る故、屋敷を暫くお願い致す」

 大殿に一言かけて馬で颯爽と出掛けてしまった殿。

「あやつはこの一大事に何を!!」

 大殿はいきり立ったが、帰って来てから絞ろうかと思い、若君達や姫の護衛を倍以上増やした。

 一刻も早く賊を捕らえねばならん。

 桐生の家臣達もピリピリとしていた。

 唯一人、寺門と申す家臣だけは、青い顔をしてブルブル震えている。

 勿論、大殿がその様を見逃す筈が無い。

「寺門、どうしたのじゃ?まさか賊が恐ろしい訳ではあるまい?」

 寺門は自分の子供、今は殿ではあるが、それと同い年だった。

 殿とは身分の垣根を越えた友情を持っていた。

 更に付け加えるならば、自分が産まれる前よりの忠義の厚い家臣の家系であったが為に、大殿は絶対の信頼を置いていた。

「大殿、これは賊の仕業ではごさらぬ」

 青い顔になり、唇が微かに震えながら、ようやく絞り出した発言。

「賊では無いと!?誰の仕業か知っておるのか!!」

 大殿も家臣も食い入るように寺門を見入った。

 寺門は躊躇ちゅうちょしていた。自分の発言で大殿が自分を処刑するやも知れぬ、と。

 事実、若かりし頃、己の祖父が行った罪を知った寺門は、自責の念に駆られ、自分の友人…桐生の殿に話をした事があった。

「この事は他言無用にて頼む」

 殿は神妙な顔をしながら自分に頭を下げて来たのだ。

 友人の情にも助けられ、寺門の心は軽くなっていた。

 事実を言えば殿の好意も無にしてしまうやもしれぬ。それが一番申し訳無かった。

「はよう申せ!!」

 苛立つ大殿の声が高くなっている。

 寺門は一つ、大きく呼吸をし、全てを語る事にした。

 あの罪を自身の命で償えと言われたら腹をかっさばく覚悟をもって。

「あれは伊田なる者の仕業…いや、『首』と言った方が良いかもしれませぬ」

 大殿の心臓が尋常じんじょう無い程高鳴った。

「伊田?何者じゃそやつは?」

「『首』とな?どういう意味なのだ!!」

 家臣達は寺門に詰め寄る。

「『首』……あやつの名は伊田と申すのか…」

 大殿の呟きが家臣の目を集める。

「…やはり大殿もご存知でしたか」

 寺門は俯き、肩を落とした。

「知っておるのは顔だけじゃがな…」

 激しく喉が渇き、唾を飲み込みながら言った。

「大殿…『首』は大殿が産まれて間も無く、桐生にやって来た怨念でございまする」

 寺門は自分の屋敷にあった祖父の帳面、生前に起こった出来事を纏めた帳面を発見し、それを読んだ。

 読み終わった後、祖父の罪に激しくショックを受けた。

 桐生の業も然る事ながら寺門の業も深い。

 それでも寺門は全てを話した。

「な…何と…!!我が母上を殺したのは寺門…お主の祖父だったのか…」

 桐生一番の家臣として絶大な信頼を置いている寺門家。

『首』の言う桐生断絶を食い止める為に母上を殺した。

「祖父殿の罪は私の首にて」

 寺門は大殿に平伏して乞うた。

 家臣達がどよめく中、大殿が寺門の前に膝をつく。

「寺門、やはり寺門殿は一番の家臣。今改めて礼を言おう」

 寺門は母上を斬る時、どれ程の想いで斬ったのだろう?

 自分が赤子の時より熱心に教育してくれた寺門…時折見せる苦悩の表情には、そのような事情があったと理解しての発言だ。そして本心でもあった。

「大殿…勿体無きお言葉…!!」

 寺門は泣き伏した。

 何と器量の大きなお方なのだ。自分の母を殺した祖父の心を酌んでくれたばかりか、感謝までされるとは、と。

 そして改めて決意する。

 桐生に仇為す者は自分が全て斬る。

 例えそれが怨念の塊…伊田の『首』であろうとも。


 屋敷内の警備が重々しくなっていた夕刻、殿は馬に誰か乗せて来た。

「霊能者を連れて来た!己等は少し下がっておれ!!」

 殿は女中や奉公人を下がらせた上、家臣を集めた。

 霊能者は大殿の謁見の間にて、ただひたすら頭を伏して待っていた。

 いや、既に『霊視み、て』いたのだ。

 家臣達はただ伏して待っていただけだが。

「そのような挨拶は良い。して、霊能者殿の見解はどうじゃ?」

「…『首』は始めは復讐…今は女人が誕生した故に首を刎ねておると申しております」

 大殿の顔が真っ青になった。

「姫か!?」

 霊能者が頷き、言葉を続ける。

「以前は家臣により命を落とした桐生の女人…幾分気が晴れたが、桐生の女人は信用ならぬ…桐生の女人が誕生したならば、我がその首を刎ねる…」

「我が姫に危害を加え…」

 一瞬。本当に一瞬だった。殿の首が胴体から離れたのだ。大殿や家臣達の目の前で、誰も抗う暇も無く、殿自身も抵抗する間も無く!!

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 家臣達が一斉に騒ぎ出す。帰り血が家臣達の身体に降り掛かり、阿鼻叫喚の地獄絵図となった。

 首が離れた殿はその姿勢の儘、間欠泉の如く血を吹き出すのをやめなかった。

「うわああああ!!ああ!?」

 絶叫した大殿が固まった。

 大殿の目の前で、刀と首が中に浮いていたのだ。刃は血がべっとりと付着している。

 その刀で首を刎ねたと容易に想像できた。

「ひい!ひいいいいいいいいいい!!」

 霊能者が血溜まりに足を取られ、滑りながらも必死に逃げようと足掻いていた。

 霊能者も『首』の動向には注意していた。最初の対話から交渉していたのだ。桐生に危害を与えるのはもうやめて戴けないか、と。

――ならんなぁ!

(何故そこまで固執致す?)

――ハッ!桐生という領主が、私のような足軽に毛が生えた侍の思うが儘なのだ。それが愉快でたまらぬからなあ!!

(そなたの望みは何だ?叶えられるだけ叶えようでは無いか?)

――我の望み?それは…桐生と桐生の臣の首よ!

 この言葉を交わした後、殿の首を刎ねたのだ。交渉、いや、対話などする気が無い。そう物語っている。

「大殿様!!『首』に説得は不可で御座いまする!!桐生を残したければ、桐生の女人を殺すしか手はござらん……!!」

 霊能者は恐れ、ガタガタと震えている。

 大殿は浮かんだ刀と『首』を正面から見据える。

「…我や我が子の命だけでは納得せぬか?」

 家臣達のざわめきが、別のざわめきに変わる。

 浮かんだ『首』は聞き覚えのある声で言った。

――女人の為に滅びるのが望みか?ハァッハッハッハッ!!

 成程、説得不可。

『首』は桐生の滅びが望みでは無い。桐生の女人の苦しみが望みなのだ。話など聞く耳を持っていない。

「桐生の女人には加護が薄い故に…!!大殿様、私が申せるのはここまででございまする!!」

 霊能者は『帰してくれ』と言わんばかりに地に頭を擦りつけた。

 家臣の一人が怒りを露わにする。

「貴様!尻尾を巻いて逃げると申すか!!」

 家臣の恐怖が霊能者の怒りへと変換され、家臣達は次々と刀を抜き、霊能者に斬り掛かった。

 霊能者に斬り掛かった家臣四人の首が飛んだ。

「ひいいいいいいいいいいいいいいい!!」

 霊能者は地べたに額を付けてただうずくまるのみ。その間にも自身に血が降り注ぐ。

――助けを頼んだ者に刀を向けるとは…いよいよ桐生は腐りきっておるなぁ?

『首』の怒気に、狂気に家臣達の腰が砕ける。

「い、いや、私は刀を抜いて居ない故に…」

「わ、儂もそうじゃ!!」

 最早恐怖でどうにもならぬ。刀を抜いていないから助けてくれとしか言えない状況だった。失禁する者さえもいた。

「もうやめよ!」

 大殿が『首』に掴み掛かるも、軽やかに大殿を避ける『首』。

――そなたはまだだ!!最後まで見ておるが良いわ!!ハァッハッハッハッ!!

 高笑いしながら『首』は消えた……

 謁見の間には、首の離れた家臣四人と首の離れた我が子の血の臭いと失禁、脱糞した家臣達の粗相の臭いが充満していた……


『首』が惨劇を演出してから間も無く、大殿は三人の孫とその母を領外へと一時脱出させる事にした。

「奥方様!ここは危のうございます!!直ぐに………!!」

 呼びに行った者は絶句する。

 護衛と奥方の首が部屋中にゴロゴロ転がっていたのだから。

「ひい!げぇっ!」

 余りの惨たらしさに恐怖、そして嘔吐してしまった。

「遅かったか…」

 落胆しながらも、素早く若君達の保護に乗り出す家臣。

「うぬ等!いつまでも腰が抜けている場合では無いぞ!!」

 叱咤しながらも、足早に若君達の元へ急ぐ。侍は腰砕けながらも、家臣の後に続いた。

「…恐ろしく無いのでございますか?」

 恐る恐る質問する侍をギロリと睨む。

「我等は桐生の臣なるぞ!ここで引いたら末代までの恥!!」

 侍は確かにそうだが、命あっての物種だ、と思いながら、家臣の後へ続いた。

 途端に侍の目の前から家臣の首が飛んだ。

「うわあああああああああああ!!」

 余りの出来事に侍の足は屋敷の外へと向き、そのまま逃亡してしまった。


 姫の部屋に居る護衛、家臣の寺門は、姫に優しく語りかけた。

「姫様、この寺門が姫様をお護りします故に心配なさらず」

「大丈夫じゃ!賊などわらわの剣でやっつけるのじゃ!!」

 姫はニッコリ笑いながら刀を抜く。

「姫様!いつの間に刀など?」

 驚く寺門。

 何故姫が刀など?しかも何の銘も打っておらぬ、安物の刀だと?

 姫は得意そうに胸を張り、言う。

「軒下から見つけたのじゃ。しかし、あの時確かに庭に置いたはずなのじゃが…」

 良く考えると、この刀をいつ持ったのかさえ記憶に無い。

 摩訶不思議な感じがしたが、これが自分を護ってくれるだろうと姫はそう思っていた。

「姫様、危のうございます故に鞘に刃を収めて下され」

 寺門に促され、刀を収める姫。何故か安堵する寺門。

 あの刀…何故あれほど恐ろしいのだ?

 寺門の背中から冷たい汗が吹き出て来た。

 まあ兎も角と気を取り直して障子の閉じた部屋にて、姫の前に座して『首』の出現を待つ寺門。

 障子の向こう、護衛の侍達が絶叫した。

「き、貴様は…はぁっ!!」

「うわあああああ!うわああああ!!」

「ひい!ひいいいい!!」

 障子の影が続々と倒れ障子に何か飛び散る様が見えた。

「な、何が起きた?」

 スッと立ち上がり、刀に手を置く。

 障子の影に浮いている影…?

 寺門はその影を凝視する。

「首?首が浮いているのか?」

 小刻みに震える手を固く握り締め、何とか震えを誤魔化す。

 障子が音も無く開く………

「うっ!!」

 寺門は浮いている『首』と目が合った。

『首』は寺門にニヤリと笑う。

 思わず目を逸らす寺門。

「はぁっ!はぁ!はぁ!」

 寺門の目に入ったのは首が飛んだ侍達………障子に飛び散ったのは侍達の血だった。

「何とも酷い……」

 寺門は姫の目を押さえた。惨劇を見せない為に。

――寺門殿では御座らぬか。此度も桐生の為に姫を斬るかね?ハァッハッハッハッ!!

『首』は愉快そうに笑う。

 その言葉を無視し、姫の目を手拭いできつく縛った。

「姫。見ても聞いてもいけませぬ」

 姫は頷いた。尋常ではない空気を感じたからだ。

 そして先程一瞬臭った生臭い臭い…背筋から出てくる冷たい汗…

 見ない、聞かないを承諾するに充分な要素を、姫自身も感じたのだ。

「…伊田殿とお見受け致す…!!」

 寺門は刀を抜く。

──やいばを向ける相手が違うのでは無いかね?

 寺門の切っ先が『首』に向けられた。

「これで正解で御座る……!!」

――祖父殿とは違う選択なのだな?末恐ろしいなぁ。ハァッハッハッハッ!!

 皮肉たっぷりに『首』が笑う。

「姫には指一本触れさせぬ」

 寺門の気迫がみなぎる。先程の震えが全く感じられない程に。

――言われずとも。姫には『まだ』手出しせぬよ。しかしながら…

『首』が恐ろしい眼を以て寺門を睨む。

――寺門殿……桐生の臣……殺さぬならば……殺す!!

『首』と共に浮かんでいた刀が寺門を襲った。その刀を躱す。

「来ると解っておるならば、避ける事は容易也」

 お返しとばかりに『首』に斬り掛かる。

『首』を捉える寺門の剣だが、『首』は寺門の剣をすり抜けた。

「な、なんと!!」

 全く手応えの無い自分の剣。確かに当たった。斬った筈なのに。

 愉快そうに『首』が笑う。

――ゲラゲラゲラ!!この世の者では無い私に剣など通じるのかね!!ゲラゲラゲラ!!ゲラゲラゲラ!!

 通じぬのなら、と寺門は瞬時に気持ちを切り替え、姫を抱き上げた。

「姫様!走りますぞ!しっかりとお掴まり下さいませ!!」

 寺門は『逃げる』を選択した。

 一刻も早く桐生の地を離れる事が出来れば、あるいは姫だけでも、と思っての行動だった。

「ぐっ!?」

 姫を抱き上げたと同時に走った激痛に顔をしかめて痛みを感じた腹を見る。

「ひ、姫様…?」

 姫が先程鞘に収めた筈の刀が、寺門の腹部を貫いていた。

「ぐぐぐ…ぶぷぁっ!!」

 崩れ堕ちる寺門だがそれでも姫を優しく降ろす。

――自分の主に刺された気分は如何かね?ハァッハッハッ!!

『首』が歪みながら笑ったのを見たのが寺門の最後の記憶だった…


 抱き上げられた感触から地に降ろされた感触に変わった事に戸惑い、臣下に問うた。

「寺門?寺門?どうしたのじゃ?」

 余りの不安で手拭いを外す。

「ひゃあ!!わわわわわわ~!!!」

 寺門の首が無くなっていた。

 寺門だけでは無い、廊下にいた護衛の侍の首全てが離れていたのだ。

 姫はへたり込み、失禁してしまう。

「ぎゃあああああ!!何だぁ!?」

 今度は廊下の向こうから叫び声が聞こえた。

 その声は知っている声。


「兄様…政光兄様!」

 次男の政光が、姫の元にやって来たのだ。

「無事か!?今行くから待っていろ!!」

 政光は首の無い遺体を恐れながらも、妹の所へと懸命に急ぐ。

「政光兄様ぁ…」

 涙で掠れた目の前に政光がやって来た。

 姫は政光に向かって手を伸ばした。政光も手を伸ばす。二人の手が触れた瞬間…姫の目の前にいた政光の首が飛んだ。

「ひゃああああああああああ!!!!」

 首の無い政光が姫にもたれ掛かる。

「嫌じゃあああああ!!」

 兄の亡骸を思力の限りで突き飛ばし、自身から離した。

――ハァッハッハッ!!流石は桐生の姫!己が兄の亡骸を粗末に扱うとはなぁ!!

 突き飛ばした兄の身体の後ろから『首』が醜く笑いながら姫に皮肉を言う。

 そして『首』がユラユラと姫に向かって近づいて来る。

「いやぁ!!ぎゃあ!!ぎゃあ!!」

 首が飛んだ屍に躓きながら懸命に屋敷から出ようと走る。

――フハハハハハ!!そんなに慌てては危のう御座いますよ!!ハァッハッハッハッ!!

『首』もユラユラと姫の後を追って来ている。

「ぎゃあ!!来るな!近寄るなぁ!!」

 振り返っては『首』。進む道には屍。半狂乱となり、走る様もぎこちない。

――フハハ!!姫様、姫様の首はまだ取らぬ故にそんなに怯え無くてもよう御座いますよ!!

 しかし姫にはその言葉が届かない。逃げるのに必死なのだから。

「あっ!!」

 しかし、遂に屍につまずき、転ぶ。急いで起き上がるが、その動作が途中で止まる。心臓すらも止まりそうになった。

『首』が姫の目の前でユラユラと浮いていた。

「ひっ!ひっ!ひっ!」

 自室にて失禁した筈なのに、再び着物が汚れて行く。

――姫様。姫様のお命は私が取る訳では御座らぬよ。ご安心召されい。ハァッハッハッハッ!!

『首』が歪み、笑いながら不可解な事を洩らした。

「待てぇい!!」

 姫の背後から何者かが『首』の接近を制した。

「そ、祖父様……」

――大殿様…拙者に何用かな?

 姫は大殿に抱き付く。大殿はそんな姫をしっかと抱き止めた。

「祖父様ぁ~!わあああああ………」

 泣きじゃくる姫…それをニタニタと見ている『首』。

「…桐生に仇なす『首』…伊田よ」

 大殿は脇差しを静かに抜いた。

――その脇差しでどうするかね?

 これから起こるであろう事態を予測し、『首』の嫌みな笑いが唇に現れた。

「姫よ。儂の宝よ。安心せよ。儂も直ぐに向かう」

 大殿は脇差しを姫の腹部に躊躇とまどう事無く突き刺した。

「ぶっ!?」

 カッと見開いた目と大殿の目が合った。

 姫は口から血を吐き出す。

 吐き出した血が、大殿の顔に飛び散った。

「…伊田、お主の望み通りよ」

――フハハハハハ!!流石は桐生!孫の命より桐生を護るか!!ハァッハッハッハッ!!愉快愉快!!ハァッハッハッハッ!!ハァッハッハッハッ!!

『首』が皮肉そうに高笑いしたかと思ったら。消えた

 一瞬で。はたから存在していなかったかのように消えた。


「…ゆるせ………」

 姫の亡骸を抱きしめる大殿に家臣の一人が大殿に近付いて来た。

「大殿…」

 何か言いたそうな家臣を制して先に口に出す大殿。

「これから桐生に女人が産まれたら…赤子の内に処分せよ…」

 家臣は黙って頷いた…頷くしかなかった。これが最善手だと納得もした。せざるを得なかった。

 そして姫の亡骸を憐れんで見る。

 姫の手には銘も無い刀が何故かしっかと握られていた。

「…この刀…厳重に封印せよ。気休めにはなろう」

 家臣は刀を受け取り、その場を後にした。

 その時家臣は大殿の顔を見たのだが、大殿の顔は姫の吐き出した血により、真っ赤であった。

 さながら血の涙の様だったと言う。

 その後、長男、政一に家督が移動したのを確認した大殿は、庭の木にて首を吊って死んでいたのを発見された。

 首が飛んでいない事から、自殺と判断され、丁重に埋葬された。

 この事件以来、桐生の家訓には、女子が誕生した際には直ぐ様命を奪うよう、新たに記入された。

 銘も無い刀は厳重なる封印を施されて、蔵の奥底にひっそりと置かれたと言う……

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