桐生の始まり

 桐生はかつてこの地域一帯を束ねる領主だった。

 桐生には世継ぎが産まれず、一人だけ女子がいた。

 領主は側室を取らなかった為に、この姫に婿を取らせるつもりだった。姫もそれには異を唱える事も無かった。

 そうこうしている内に年頃になった姫に婚約者が決定する。

「わらわももうすぐで妻となろう。その前に少し領民の生活でも見てやろうではないか」

 本当に、本当に単なる気紛れだった。

 領民の生活は口実で、屋敷から出た事の無い姫は、祝言を挙げたら、より自由が無くなると思い、その前に、少しだけ羽目を外したかったのだ。

 屋敷を抜け出し、領内を散策する姫だが、何時しか山中に迷い込んでしまった。

「困ったのう。帰り道が解らぬ」

 姫は途方に暮れた。当然屋敷の方でも姫が居らぬと大騒ぎとなっていた。

 直ぐ様捜索を開始し、当然山も捜索された。

った!姫が居ったぞ!」

 姫を見つけたのは、屋敷で一番の美形の侍。名を伊田いだと言った。

 伊田家は侍とは言え、大した禄を貰って居なかったので貧しかった。

 領主は姫を発見した伊田に褒美を取らせた。

 貧しかった伊田は大層感謝し、より桐生に忠誠を誓う。

「そなたのおかげで助かったぞ。これからも桐生の為、そなたの働きに期待しておる」

 姫も伊田に感謝した。

 伊田は平伏していて姫の顔を良く見ていないから解らなかったのだが、姫は伊田に感謝以外の笑顔を向けていたのだ。

 伊田が帰った後も、伊田の後ろ姿をじっと見ていた。

 姫は伊田に恋焦がれるようになった。

 己を救出してくれた伊田。救出された時の抱き上げられた時の感触がまだ姫の身体に残っていた。


 夜、姫は伊田を想い、一人、性欲を処理した。幾日も、休まずに。

 これが日課になりつつあった。

 今までも性欲を処理する事はあったが、伊田を想っての処理は、姫の感覚を敏感にしたようで、姫は声を殺しながら果てるのに苦労した。

 一人で処理した姫の身体はいつまでも熱く疼いていた。

 少しでも触れると切ない声が出そうになる程に。

 そして伊田が夜警の時、姫は意を決し、伊田を部屋に招いた。

「姫様、どうなされたのです?私を部屋に招くなど、殿に見付かったらどのようなお叱りを受けるか…」

 伊田は妙に臆病だった。機嫌を損ね、禄や出世が遠退く事を極端に恐れていた。

「ふふ、安心せよ。姫の寝床には誰も来ぬ。伊田…わらわはもうすぐ婿を取る」

「それは承知しておりますが」

 婿になる者はここの領主になる。

 呼ばれたとは言え、深夜に姫の寝床に参上したのが殿や婿殿に発覚すると…

 伊田は恐ろしくて、それ以上考えられなかった。

「伊田、あの時の礼だ。わらわの初めてをやろう。受け取るがよい」

 薄々気が付いていた伊田は、姫の寝床から逃れようと、静かに立ち上がった。

「伊田?どこに行く?わらわの初めては欲しく無いのか?」

 姫は身に付けている寝衣を自ら脱ぎ捨て、その身体を伊田に見せた。

「わらわの身体……要らぬのか?」

 姫の身体は美しかった。

 月の明かりが姫の身体をより妖艶に見せた。

 しかし伊田は何も言わずに姫の寝床から立ち去った


 姫のプライドを平然と切り捨てた伊田。暫くの間姫は震えた。

 わらわの身体を見ていながら…わらわの頼みも聞けぬ男だったとは!

 姫は伊田に怒りと失望を覚えた。

「誰か!であえ!間男じゃ!!」

 姫は有らん限りの声で叫んだ。

 姫の寝床に一番に到着したのはついさっきまで姫の寝床にいた伊田だった。

「姫!間男はどこです!?」

 伊田は焦った。

 間男が姫の寝床に侵入したのならば、先程の姫が行った誘惑の場面を見られている可能性があるからだ。

 間男が自分を指差して、あの侍が姫の寝衣を剥ぎ取ったと申し立てれば、我が身が危うい。

 それ故に伊田は一番に姫の寝床に参上した。

「間男じゃ!であえ!であえ!」

 伊田が参上したにも関わらず、姫は狂ったように騒ぎたてる。

「姫!姫!間男はどこです!!」

 伊田は姫の肩を掴み、揺さぶった。

 丁度その時、他の護衛が姫の寝床に参上する。

「姫!お怪我は!」

「伊田殿!!間男は何処に!?」

 護衛が殺気立っている。

 姫は指を伊田に差した。

「間男じゃ!引っ捕らえい!!」

「ひ、姫!?」

 驚く伊田。同時に護衛が伊田を掴み、抑え付けた。

「ひ、姫!!どういう事です!?ご乱心なされたか!!」

 護衛に押さえ付けられながら、伊田は叫んだ。

「あの男…!!わらわの寝床に来て、わらわの寝衣を剥ぎ取りおった!!」

 姫は涙を浮かべ、顔を伏せた。

 真っ青になった伊田。そのまま牢に放り込まれた。

「待って下さい!私は姫に呼ばれて姫の寝床に出向いたのです!姫が自ら寝衣を脱ぎ捨て、私をからかったのです!!」

 当然無実を訴えた。しかし、伊田の訴えを信じる者はいなかった。

 姫が涙を浮かべていた事を踏まえて、伊田の訴えが誠なら、姫が涙を浮かべる意味が無い。との考えのようだ。

 尤も真実などどうでもいい。姫がそう訴えたのだからそれが真実だ。

 伊田は七日間、牢にて訴え続けた。食事も碌に摂らせて貰えず、水も満足に与えて貰えず。

 それでも伊田は七日間、牢にて無実を訴え続けた。

 そして八日目の朝、伊田は牢から出された。

「私の訴えが通ったのですね…」

 憔悴していた伊田だが、嬉しかった。

 無実の罪が晴れたのだ。

 年老いた父や母にも心配かけた。早く帰って父や母に伝えたい思いで一杯だった。

 だが伊田は手足を縛られ、首に縄を掛けられる。

 そしてその儘伊田は引き摺られた。

「ま、まさか……?」

 伊田もこの縛られた姿には記憶があった。

 以前屋敷に盗みを働いた泥棒が、同じように縛られていたのを見たからだ。

 どこで見たか?処刑場だ。

「待ってくれ!私は無実だと言っているだろう!!」

 体力を失っていながらも、伊田は懸命にもがく。

 しかし、伊田は処刑場に連れて行かれた。

 伊田は肩を落としながら、処刑場を歩く。

 先に骸が二体転がっていた。

 伊田は気が付かず、その骸に躓き、転んだ。

「…っくう………はああああ!!?」

 絶叫した伊田。

 転んだ骸は自分の年老いた父と母だった。

「何故だ!!父や母まで!!」

「貴様はよりによって姫を犯そうとしたのだ。貴様一人の命では、この罪は消えぬ」

「がああああああ!!貴様等!!無実の罪を着せたばかりか、父や母まで殺したのか!!!」

 護衛に噛みつかんばかりに暴れる伊田の腹に、護衛は一つ拳を当てた。

「ゲボッ!」

 伊田は簡単にその場に座り込んだ。

 蹲っている伊田に首斬り役人が訊ねる。

「何か言い残しは無いか?」

 伊田は顔を上げた。

 沢山の見物人。町人や侍。その上座の中心に殿…そして姫の姿を発見した。

 姫と目が合う。

 伊田は『なぜ?』と言う表情で姫を見た。

 姫は伊田の表情を見た瞬間、口元をニヤリと歪ませる。

 それを見て合点がいった。姫は断った自分に仕返しをしたかったのだと。恥を掻かされた報いに死を以て償わせてやろうと。

 こんな女を助けたのか。自分は見事なまでの間抜けだった。発見しなければ自分が死ぬ事は無かっただろう。貧しくともこんな屈辱は味わう事は無かっただろうに。

 ならば、と伊田は姫を見据える。

「……桐生…桐生の姫よ。己の自尊心のみの欲に生きる汚なき女よ!!この怨み、貴様の子孫代々にまで降り掛かろう呪いを!!貴様の子孫、大事な者全て我と同じ死に方をくれてやろうぞ!!」

 姫を見据えながら、伊田は首を落とされた。

 落とされた首は、姫を見ていた。

 その表情は、まさしく悪鬼の如く、念の宿っていた表情だった。

 胴体は川へと棄てられた。首は暫く晒されていたが、カラスや野犬によって肉をボロボロにされながらも、決して倒れる事は無かった。


 伊田の処刑から暫くして、姫は婿を取った。

 婿は世が戦国ならば、数々の武勲を立てたであろう、勇猛果敢な武士だった。

 鍛え上げられたその身体に毎夜毎夜抱かれる姫。やがて姫は男の子を出産した。

「可愛いややこですな」

 まさか自分よりも大切な存在が出来るとは、姫は驚きながらも嬉しい気持ちでいっぱいになった。

 婿も、姫と子供を大切にし、桐生家は平和で明るい日々が続いた。


 子供が六歳になった時、母となった姫に不思議な事を言って来た。

「母上、侍が母上に返して貰いたい物があると申されておりますが」

「侍?誰です?返して貰いたい物とは?」

 姫は大きなお腹をさすりながら我が子に問うた。二人目を妊娠していたのだ。

「何か、二人目が産まれた頃に再び取りに来ると申して帰りました」

 侍が返して貰いたい物と言って屋敷に来るとは、非常識な家臣じゃな。

 そう思いながらも、二人目の喜びに深く考える事はなかった。


 それから暫くして、無事二人目が誕生した。

 父も母も夫も長男も大喜びした。

「私に弟が出来たのですね!」

 長男は満面の笑顔で誕生したばかりの弟を眺めていた。


 屋敷が二人目誕生で賑わっている最中…馬から落ちて殿は命を落とした。

 いや、それだけならばまだ良かった。

 問題は遺体。

 殿は落馬した際に、首が胴体から離れたのだ。

「殿の首が飛んだそうな…」

「二人目が誕生されたばかりなのに、何とも不吉な…」

 屋敷の者達は、口々に不吉と言う言葉を使った。

「義父殿が首を飛ばしたとは…俄かに信じ難い…」

「ふむ、二人目が誕生したばかりなのに、不吉な死に方をするとは…父も気が利かぬなぁ」

 姫は父を亡くした哀しみよりも、二人目の誕生で賑わっていた屋敷の中に、不穏な空気を出した事を嘆いていた。

「そなたは義父殿が亡くなられた哀しみは無いのか!」

 流石に婿は声を荒げた。不謹慎とも思ったし、親の死を嘆かぬ事を許せなかった。

「既に家督を継ぐ者がおられます故、大した問題では無かろうと存じますが?」

 姫の一言は、婿を蒼白させるに充分ではあったが、自分は所詮婿。所詮は余所者。

 いざ離縁となれば、屋敷の頂点は自分では無くなる。

 婿は姫の機嫌を損ねる訳にはいかなかった。だから婿はそれ以上何も言わなかった。

「母上、お祖父様が亡くなられました…」

 長男は殿を亡くした哀しみを姫に呟いた。

「母上はそなた等が居れば良い。そなた等は私の宝じゃ」

 姫は沢山の慈愛を持って、長男と次男を抱き締めた。

「母上…侍が、預り物が足りぬので、また来ると言っております」

「ん?以前申した侍か?殿が亡くなったばかりだと言うのに、何とも場を弁えぬ侍よの」

 微笑みながら、長男の頭を撫でる姫。その時気付いた。長男が涙ぐんでいるのを。

「私はその侍が恐ろしゅうて、恐ろしゅうて…」

「そなたを怖がらせる侍…母上は決して許しはせぬ!!」

「しかし母上」

 長男が顔を上げる。

「侍には首しか無いのです……」

 首しか無い?

 よく意味が解らなかったが、姫は取り敢えず、その侍を家臣に捜させる事にした。

 長男を怖がらせた罪を命を以て償わせようと目論みながら。


 おかしいな…と、首斬り役人の軽部は自分の刀、首を切る道具を探していた。

 いつから紛失したのかすら解らない状態だった。

「殿もああ言う亡くなり方をしたようだし、あの首斬り包丁も供養しないと気が気で無いな」

 殿の首が飛んで亡くなった事により、自分の仕事を恐ろしく思った軽部は、仕事用の刀を供養する事にした。

 首斬り包丁は何の銘も無い刀である。

 いつも携えている刀の他に、殿から献上された仕事用の刀だ。

「最後に使ったのはいつだったか」

 軽部は記憶を辿る。

 ここ数年は処刑を行う程の罪人がいない。

「確か…姫が婿殿を取る前だったか…」

 だんだん思い出して来た…そうだ…確か、姫を犯そうとした男の首を落としたのが最後だった筈…

 目を瞑り、罪人の顔を思い出す。


――自分の殺した男の顔も思い出せぬか?


 誰かの声が聞こえたような気がして、軽部は目を開いた。

「!お前は………かっ!!」

 軽部は罪人の顔を思い出したが、再び記憶を無くした。

 いや、記憶では無い、首を無くしたのだ。だから軽部はそれ以降の記憶は必要無かった。


「かっ、軽部殿!?」

 殿の通夜に、たまたま見回りをしていた護衛が軽部の遺体を発見した。

「軽部殿…首が……」

 その遺体は殿と同じように、首が胴体から離れていた。

 屋敷中が大騒ぎになる。この騒ぎは当然姫の耳にも届いた。

「首斬り役人も首が離れていたとは…」

 婿の背筋が妙に寒くなった。

「そのような物騒な輩!!早う見つけて首を斬るが良いかと存じます!わらわの子に何かあったらどうするのです!!」

 姫は二人の子供をしっかり抱いた。

「…あの侍だ…」

 長男の顔が青ざめていた。

「母上!預り物とは首の事です!あの侍は首を取りに屋敷を彷徨さまよっているのです!!」

 尋常ではない長男の怯えに婿は顎をしゃくって促す。

「話してみよ」

 長男は婿に全てを話した。

 侍がやって来て、預り物を受け取りに来た。と言った。

 侍には胴体が無く、自分を見ているようであり、自分よりその先を見ているようであり。

 そして侍が現れるのはいつも朝方だ。と自分が知りうる全てを話した。

「あい解った」

 婿はそう言って長男の頭を軽く撫でた。

「父に任せよ」

 そう言うと、婿は自分達の前から立ち去った。


 深夜、婿は腕利きを集め、屋敷内を捜した。

 婿も屈強な武士であったが、一人で立ち向かうのは危険とされ、腕利き十人と共に『首』を捜した。

「『首』を捜せ!!桐生に仇なす『首』じゃ!!」

「しかし婿殿、悪霊に剣など通ずるので?それに現れるのはいつも朝方の筈では?」

 またかとげんなりした婿。

 桐生の家では、私は婿殿。いつまで経っても桐生とは呼ばれぬ。殿と呼ばれぬ!!

 だが、それも今日で終わる。後継ぎが生まれながらも隠居しなかった先代は首が飛んで死んだ。此度の悪霊騒ぎも自分が治めれば周りの目も変わるだろう。

「悪霊と決まった訳では無い。我が子の見間違いやもしれぬ。それに昔から化け物退治は我等武士の仕事と相場が決まっておろう?」

 確かに、化け物が怖いからと言って後ろを見せては武士の名折れ。

 我等は桐生で腕利きと呼ばれている武士。

『首』ごときに恐れは抱かぬ!

 桐生の武士達は高揚した。

『首』を斬る!

 桐生への臣を見せてくれる!

 婿は満足そうに、武士達を見た。

 自分が桐生の武士の士気を高めた。自分が桐生の主だと認められたからに他ならぬ。自分はこの領土の主なのだ、と。


 そして明け方…

「『首』など出ぬなぁ」

 元々『首』の存在をあまり本気にしていなかったので、ああ、やはりか。程度に思っていた。

 賊が何かしらの小細工を施して悪霊の仕業に仕立て上げたのだろうと。我が子は幼いゆえに簡単に騙せたのだろう。

 そしてここまで捜しても見つからないのであれば逃げおおせたか、今日は来ないか。

「今日の探索はここまでにしようぞ」

 婿は武士達に休むよう促そうとして後ろを振り返った。


「な!?」


 婿は危うく持っていた刀を落としそうになった。

 婿の後ろに先程までついてきていた武士達全員の首が飛んでいたのだ。

 障子、襖に飛び散っている返り血…廊下に広かる血だまり…

「あゎわゎわわゎ…」

 賊の侵入ならば、物音で気が付く筈だ。まさか本当に悪霊…?

 婿は構えたが、あまりの恐怖でへっぴり腰になっていた。

 尿が零れるのが解った。

「だ、誰じゃ!姿を現せ!!」

 明け方だと言うのに真っ暗な廊下を凝視する。


 ………ヒタ…ヒタ…ヒタ…ヒタ…


 足音が自分に近づいて来た!!

「あ、ああああああ…」

 遂に婿は正気を保つ事が難しくなっていた。

 足音があるのに身体が無い…あるのは宙に浮いた刀と宙に浮いた『首』…

 その『首』が目玉を自分に向けたのだ。これで正気を保てと言う方が無茶だろう。


――桐生の婿殿とお見受けしたが?桐生の臣ならば、預り物を戴こうかと存じ上げまする…


『首』は婿に笑い掛けながら言った。


「き、桐生?い、いや…たった今より桐生とは絶縁致した故に…」

 あまりの恐ろしさに出た言葉だった。

『首』は満足そうに笑う。

――余所者ならば致し方無い

 そう言うと一瞬にして姿を消した。

 婿は呆ける間も腰を抜かす間も惜しいとばかりに直ぐ様荷物を纏め、馬を持ち出し、桐生の屋敷を逃げるように去った。


 この惨状を目の当たりにした家臣の一人は婿を捜した。報告する為に。だが、その姿がどこにも見えない。

 代わりに婿の荷物が少なくなっていた事と、馬が一頭いなくなっていた事に気が付く。腕利き達の首が飛んだのに恐れをなし、逃亡したと。

 殿の首が飛び、婿は逃げ、武士達の首が一晩で飛んだのに恐れ、沢山の奉公人や小姓、はたまたまだ生きている武士達も桐生の屋敷から逃げるよう出て行った。

「桐生の婿ともあろう方が!!何とも情けない…!!」

 夫が逃亡し、沢山の人が逃げ出すこの事態を収拾する為、姫は自分の母に相談しようと母の部屋にやってきた。

「母上!とんだ婿のおかげで桐生は………っ!!」

 勢いよく母の部屋の襖を開けた姫は、言葉を失った。

 母の部屋は、どす黒く染まっていた。

 母も首が胴体から飛んでいたのだ。

「そ、そんな…母上までもが…」

 女子供には手出しすまいと勝手に思っていた姫は、身体中から血の気が引き、ガタガタと震え出した。

「我が子も危ない…何とかせねば…」

 動転した姫だが、そこは領主。婿のように逃げ出したりはせず、急いで霊能者を呼び寄せた。これが精一杯の行動だったが、功を奏したようで屋敷の中に漸く安堵の空気が流れた。

 尤も、家臣や家の事で動いた訳ではない。

「我が子だけは何としても守らねばならぬ」

 自分勝手な姫ではあったが、我が子を想う気持ちは普通の母親のそれであった。

 要するに我が子の為に迅速に動いただけだったが、それを家臣たちは知る由も無い。逃げ出した婿殿よりも遙かに自分達の事を思ってくれている、と美しい誤解をしただけだ。

 その呼び出した霊能者が早速『首』と対話した。

「姫、伊田なる侍をご存知か?」

 伊田…何とも懐かしい…かつて恋焦がれた者。そして決死の覚悟を辱しめた男。

 霊能者は全てお見通しだったので、その件は省いて状況だけ説明した。わざわざ過去の話を持ち出す必要も無いとの判断だった。

「『首』は無実の罪を着せられて首を刎ねられた伊田なる侍。己の首を刎ねた刀を持ちて、桐生の全てを呪うと申しております」

 姫は目を見開き霊能者に掴み掛かる。

「では我が子等をも殺すと申しておるのか!?」

「姫、まずは落ち着きなされば」

 家臣達が慌てて止めに入り、姫は息を深く一つ吐く。

 そして顎をしゃくって先を促した。

「桐生の全て…無論、子供達は愚か、家臣達の首をも頂戴致すと申しております」

 霊能者の他人事のような言葉に、家臣達も青ざめた。

「い、伊田の預り物とは何だ!?」

 家臣達は『預り物』を伊田に返し、自分達の命を見逃して貰う事を目論んだ。

「『首』の言う預り物とは…姫、貴女様の事でございます」

「わらわの事?どういう事じゃ?」

 家臣達も良く意味が解らず困惑し、首を捻る。

 何とも言い難そうな霊能者に苛立ち、大声を張った。

「はよう申してみぃ!!」

「……『首』の望みは貴女様が『首』の苦しみを理解する事…」

 霊能者はそれ以上何も言わなかったが、家臣達は『首』に謝罪し、丁重に弔う事と解釈し、早速準備に取り掛かろうと場を離れる。

 そして姫と二人きりになった霊能者は重く口を開けた。

「…『首』の望みをご理解頂けましたか?」

「家臣達がそのように取り計おうぞ」

 姫も家臣達と同じ考えだったようだ。

「そうでしょうな。家臣達しか『首』の望みを叶えられぬ故、致し方無かろうかと存じ上げます」

 霊能者は金を貰い、一礼し、屋敷を後にした。

「これで桐生は…我が子は救われる…」

 心から安堵した。

 しかし姫や家臣達の解釈が間違いだった事を知るのは、それから間も無くの事であった。

 家臣達は、伊田の『首』を首塚から捜し出し、ねんごろに弔った。

 これで『首』も現れまい。

 誰もがそう思っていた。

 弔いから数日が経ち、屋敷は平穏に戻りつつあった。

 姫は安堵しながら、長男を捜していた。

 桐生再建の為に長男に武術や学問の指導をつける旨を伝える為にだ。

「おかしいのう…我が子がおらぬ」

 長男がいつもいる場所に居なかったのだ。

 庭で日向ぼっこするのが大好きな長男は、陽当たりの良い場所にいる筈だったのだが、この日に限って姿が見えない。

 家臣達も姫と一緒に長男を捜した。

「この頃は馬に興味を覚えた故に馬場にでも居るのかのぅ」

 そう思い、馬場に出向こうとした姫の耳に悲鳴が聞こえた。

 悲鳴の出所はかつての母の寝室。

 首が飛んだ母の姿が思い出された。

「まさか…!!」

 胸騒ぎがした姫は、母の寝室に小走りで向かった。

「わらわの取り越し苦労であってたもれ…」

 しかしその危惧は当たってしまった。


「あああああああああああああああああああああああ!!我が子の首がああああああああ!!!」


 母の寝室で長男の首が飛んでいた。

 部屋は長男の血でどす黒く染まっている。

「何故じゃ!!何故じゃあああああああああああああああああ!!!ああああああああああ!!!!」

 泣き叫び、長男を抱く。

 着物が長男の血が付着し、黒く、紅く染まっていった。

 その姿はさながら亡者の如くだった。

「…霊能者を再び呼んで参れ!!」

 霊能者の指示通り行った筈なのに、この惨劇。

 ペテンに掛けたならば、それは許し難い罪であるからだ。


 間も無く、霊能者が屋敷に出向いて来た。

「貴様!おかしいでは無いか!!何故伊田はまだ首を刎ねておるのだ!!」

 霊能者に詰め寄る家臣達。

「やはり勘違いなされておりましたか」

「勘違いだと!?」

「『首』の望みは、『首』の苦しみを理解する事…『首』は姫に無実の罪を着せられ、処刑されたのです。忠誠を誓った姫にですぞ」

 家臣達はどよめいたが、未だに意味が掴めなかった。

「…つまり『首』は姫が家臣によって裏切られて死ぬ様を見たい訳だな?」

 この家臣、寺門と申す者の発言で、他の家臣達はざわめいた。

「左様で御座いまする」

 肯定する霊能者。そしてそれ以降口を開かずに平伏するのみ。

 自分の口から姫を殺せとは言えない。殺せば終わるとはとても言えない。自分以外の物の判断に委ねると言う意思表示だった。

「桐生の為…致し方あるまい…」

 寺門の一声で、他の家臣達の肚も決まった。

 まだ乳飲み子とはいえ、次男が残っている。

 我々は姫に仕える前に桐生の家臣。桐生を守らねばならぬ。

 表向きはそう団結していたが、肚の中では次に殺されるのは御免被ると、皆思っていた。

 殺さなければ自分が死ぬ。ただそれだけだ。寺門の如く覚悟を決め物は一人もいない。

 寺門は多額な金を霊能者に渡し、他言無用と言い渡し霊能者を帰した。


 そして…家臣達はそれぞれ刀を持ち、未だに長男を抱き抱え、号泣している姫の元へ向かった。

 長男の首が飛んでから三日三晩…

 首の無い亡骸を抱き締め、泣いている姫の後ろから……

「姫様…次男様は我々がお護りします故に…御免……!!」

 寺門の言葉により、振り返った姫。

 目の前が自分の血により真っ赤に見えた。

 家臣により首を刎ねられた。

 姫は奈落に堕ちて行く………

 途中、知った顔が姫に話掛けてきた。


――これは姫様!!あの時の私と同じになりましたなぁ!!

 

 ……もしかして伊田か…?ならばわらわは死んだのか…?

――家臣に首を刎ねられて死んだのだ!!ゲラゲラゲラ!!

 そうか…ならばもう気が済んだな?もう桐生に手を出すのはやめてたもれ…

――姫様も私の無念が少しは解ったであろうから、もう良いかなあ?

 汚らしく笑いながら『首』が言った。

 そうか…感謝致す…

 自分が死んでも桐生は残る。もう、これで良いかと安心した姫が目を閉じる。

――姫が再び現れぬ限り、私も現れる事は無い故に安心下され!!

 閉じた目を再び開ける。

 わらわが再びとは…一体…?

『首』は歪み、ゲラゲラ笑う。

――桐生の女人は信じられぬ。何時しか私のような冤罪で殺される可哀想な者が再び現れるやもしれぬ。私のような者が現れない為にも、女人が産まれたら私が再び厄を呼ぼうとしようか!!ハァッハッハッハッ!!!

 姫は目を見開きながら堕ちて行く。

『首』を見上げながら深い暗闇に堕ちて行った…

『首』は満足そうに堕ちて行く姫を見ていた。


――首を斬る快楽……姫様のおかげにて開眼したわ!!ハァッハッハッハッハッハッハッ!!


 この瞬間、伊田は仇や恨みを晴らすと言う大義名分を失った、真っ当な悪霊となった。だが、それも本望なのだろう。

 桐生に、桐生の大事な者に仇成す事が喜びなのだから…


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