あの時の記憶

 私が8歳の時、家を建て替えする事になった。

「ねぇねぇお父さん!お家大きくなるの?」

 父は優しく笑いながら、大きな優しい手で、私の頭を撫でながら言った。

「生乃の部屋も広くなるからな」

 いつも私を包み込んでくれる温かい優しい手。その手に撫でられるのが大好きだった。

 目を細めて撫でられるが儘にする。

「生乃ちゃん?ちょっとお手伝いしてくれる?」

 母が私を呼んだ。父の手が名残惜しかったが、走って母の元へと行った。

「ハァハァ…お母さん…ハァハァ…何をお手伝いすればいいの?」

「ふふふ。そんなに慌てなくてもいいのに。転んじゃうわよ?」

 母はニッコリと笑い、私の手を引いてくれた。

 温もりが掌から伝わって来るのが解る。

 私はやはり母も大好きだった。

 母に連れられて来た場所はその時より、もっと小さい頃…物心ついた時から祖父に『入るな』と 言われ続けていた、蔵と呼ばれる物置小屋だった。

「ここ…おじいちゃんに入るなって言われていた…」

 私が躊躇っていると、母は笑いながら言う。

「ここも取り壊しになっちゃうから、荷物を出さないとね」

 母が蔵に入って行く。私も後をついて入る。

「わぁ~…見た事無いのばっかり!!」

 知らない物が沢山あった。昔の農機具、掛け軸、昔の食器…どれもこれも、埃が積もっていた。

「荷物が入っている箱をお外へ出してくれる?」

 大きな箱は母が持ち、小さな箱は私が外に出す。普通の、ごく普通の作業だった。

 私は一生懸命に箱を外に出した。

「大きい箱は無理だから、小さい箱だけお願いね?」

 頷き、何回も何回も蔵と外を往復した。

 何回も繰り返していると、家から電話の鳴る音に気が付く。

 母は慌てながら電話に出る為に家へと戻っていった。

 一人残された私は、小さな荷物を運ぶのをやめて、『入るな』と言われていた蔵を探検する事にした。

 蔵は二階建てだったので、階段があった。当然ながら上がる。

「わぁ~…下よりもいっぱい箱があるよ~」

 一つ一つ箱を開けていった。

 しかし、どれもこれも、下にある荷物とそんなに大差は無かった。

 その中に一つ、黒い箱があった。

 その黒い箱だけは、厳重に紐や釘等が打たれていた。

 今思うと封印だったのだろう。

 幼い私には、紐を解く力が無かった。見た目でもう開ける事を諦めた。


――お嬢ちゃんこの家の子かい?


 私を誰かが呼んだ。キョロキョロと回りを見渡したが、誰も居なかった。

 おかしいな、と思いつつも、私は黒い箱に未練を残しつつ立ち上がる。


――その黒い箱にお人形が入っているんだ。頑張って開けてみてよ?

 

 また声が聞こえる。

 お人形…別に見たいと思った訳じゃないが、その時私は紐や釘をほどいて、黒い箱を開けるのが使命みたいな感覚を覚えた。

 私はハサミを探し、紐を切った。

 紐は二重、三重と縛られていた為に切るのに苦労したが、頑張って全部切った。

 釘が打ち込まれていたのだが、釘はボロボロに錆びていたので、近くにあった棒でいっぱい叩いたら、すぐに壊れた。

 そうして漸く私は黒い箱の蓋を開けた…

「…お人形なんて入ってないじゃん」

 箱の中には人形は入ってなかった。

 代わりに日本刀が一本。その鞘に和紙が貼られていた。

 私は騙されたような気になって、その和紙を破り捨てた。八つ当たりみたいな感じだった。

 幾分すっきりした私は下に降りようと、階段を下って行く。


――ハァッハッハッ!ありがとう無知なる桐生の子よ!!再び世に出られた喜びのお礼に、お嬢ちゃん…お嬢ちゃんが信じる人間全てをお嬢ちゃんに捧げよう!!血と!肉と!魂を!ハァッハッハッ!!

 

 声が聞こえた。大きな声が。怖くなって、急いで降りた。そして蔵から出て振り返る。


 ……ゾクリ


 さっきまで母のお手伝いをしていた蔵とは思えない程冷たく、暗い…

 怖くなり、家に戻り、お布団に包まりガタガタ震えた。

 怖い…怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いっ!!

 私はお布団の中で丸くなりながら、言い知れぬ不安を振り払うよう、目を瞑っていた。

 そしていつの間にか本当に眠った。

 起きた時…いや、起こされた。父が私の身体を揺すっていたから。

「生乃…起きて!起きなさい!!」

 私はぼんやりと目を開けた。

「…どうしたの?」

 目を擦りながら、父の顔を見た。

 私が起こされた時はもう日が暮れていたのだが、父の顔色はハッキリと青くなっていたのが解った。

「出掛けるよ。早く支度をしなさい」

「出掛ける?どこに?お母さんは?」

 私はキョロキョロと母を捜した。しかし、母の姿は確認出来なかった。

「ねぇ?どこに行くの?」

 父は涙を浮かべていた。そして私を抱き締めて言った。

「病院だよ…」

 何故病院に行くのか解らなかったけど、私は着替えて外に出た。


 ……ゾクリ


 寒い…?

 私は寒気がする方向を見る。

 そこは私が日中にお手伝いしていた蔵。得体の知れない寒さはそこから発せられていたような気がした。

 蔵をずーっと見た。

 夜で周りの暗さより蔵全体から出ている暗さがずっと濃かったような気がした。

「生乃、早く乗りなさい」

 父が車で待っていたので、私は車に向かって歩き出した。


――お嬢ちゃん!まずはお嬢ちゃんの一番大切な人をお嬢ちゃんにプレゼントしたよ!お礼はいいからね?だってお嬢ちゃんは私を出してくれたのだからね!!ハァッハッハッハッ!!


 また聞こえた?ハッとしなから、蔵を見た。

「生乃!早くしなさい!」

 父が多少苛立っていた。

 私は気になりながらも、父の待つ車へと向かった。


――次はお父さんかな?桐生の血筋を継いでいる男だからね。本当は私が貰いたいのだけれど、それもお嬢ちゃんにあげるとしようか!!ハァッハッハッハッ!!


 私の耳に再び『あの声』が聞こえて来た。それを聞いていないように、無関心を装いながら車に乗った。


 父に連れられて病院に着いた。

「お母さんに会って来なさい」

 お母さんが病院にいるの?病気か怪我をしたのかな?

 そう思いながら母に会いに部屋へと入った。

 立ち込めるお線香の香りが鼻腔を擽る。

 ここ、病室じゃない…ましてや診察室でも無い…

 幼かった私にも解った。お爺ちゃんやお婆ちゃんの時にも来た事があったから。

「え?何で?どうして?」

 母がベッドに白い布を掛けられてピクリとも動かない。

 私は白い布を取った。

「…お母さん……」

 それはやはり母だった。

「お母さん!!お母さん!!」

 私は母を揺らした。力いっぱい。激しく。

 その時、母の衣服がはだける。

「え?」

 目を疑った。母の首が縫い付けられているような?手術の痕のような。そんな感じに見えたから。

 その時、看護師さんが声を小さくして話をしていたのを偶然耳にした。

「可哀想に…あんな小さな子供がいるのに…」

「ホント…しかし、あれだけで首が飛ぶものかしら?」

「首が飛んだ?」

 私が声に出すと看護師さんがハッとした表情になり、その場を逃げるように去って行った。

「お父さん、首が飛んだって?」

 父は何も言わず、私を強く抱き締めた。

 抱き締められた私は、その時初めて大声を上げて泣いた。

 私と父は母の遺体の側でかなりの時間、一緒に泣いていた。


 母の葬儀…親戚の人達が家に来た。

「生乃ちゃん、可哀想に…」

「あまりにも早すぎる…」

「まだまだやり残した事があるだろうに…」

 すすりり泣きと同情が入り交じっている中、一人だけ、違う言葉を言った人がいた。

「…まだ続いておったのか…!」

 その人はお爺ちゃんの弟。お爺ちゃんの弟は私の傍にそっと近寄り、頭を撫でながら言う。

「生乃…生乃は何も悪くは無い…悪いのは桐生の始まり……」

 そして小さなお守りを渡して寂しそうに笑う。

「生乃、これからも辛い事が多々あるやもれん。どうしても困った時、この御守りの中を見なさい」

 周りの人達とは違う種類の涙を流しながら、再び私の頭を撫でてくれた。ずっと、ずーっと…


 その夜、寝ていた私は誰かが喧嘩しているような口論を聞いて目が覚めた。

「叔父さん!この時代にそんな事を言うのはやめて下さい!!」

「しかし、事実佐和子さんが殺されたじゃろうが!!」

「確かに親父に聞かされた事はありますが、そんな迷信はどうでもいい!!」

 お父さんとお爺ちゃんの弟?

 私はドアを開けた。母の遺影の前で喧嘩していたのが許せなかった。

「やめてよ」

 父もお爺ちゃんの弟も、我に返る。

「大丈夫だよ?喧嘩じゃないから」

「そうじゃ、年甲斐も無く、子供に心配をさせたのか。すまんな生乃」

 微妙な空気になりながら、二人は喧嘩をやめた。

 兎に角収まったのならいい。再び眠ろうと自分の部屋に戻ろうとすると、父に呼び止められる。

「生乃、これからは二人っきりだ。少し寂しい思いをするかもしれない…頑張れるかい?」

 父に心配はかけたくないと幼心で思ったらしい。

「大丈夫だよ。私お父さん大好きだから、少しも寂しくないもん」

 精一杯作り笑いをして答えた私。


――そうか!!やはりお父さんか!?ハァッハッハッ!!お嬢ちゃん。お嬢ちゃんの願い、叶えてやろう!!心配はいらない、全て私に任せておけばいい!!ハァッハッハッ!!


 また『あの声』が聞こえてきた。

 私は無視するように普通に寝室に戻った。聞えない振りをしてやり過ごそうとした。


 母の葬儀が終わり、私は普通の生活に戻った。

 いつものお家、いつもの学校、いつもの友達。ただ一つ違うのは、母が居ない事。

 父の手前強がって見せたが、やはり寂しい。

 それに一つ気掛かりな事があった。


――お父さんを捧げよう!!


『あの声』が耳に残って仕方がなかった。

 父は至って普通に仕事に行っているし、母の代わりに家事をこなしていた。

『あの声』も気掛かりだったが、父の疲労具合の方がもっと気掛かりだった。

 私は積極的にお手伝いをしていた。

 初めは不慣れで、よく失敗をしたが、一ヶ月も過ぎると、段々と慣れてくる。

 失敗も減り、父も家事から少しだけ離れる事が可能になり、父の疲労も徐々に減って行った。

「生乃、お父さん今日は少し遅くなるから、今日は先に休んでいなさい」

 家事が軽減した父は、仕事も通常に戻りつつあり、残業や付き合いが出来るようになった。

「うん。でもなるべく早く帰って来てね」

 父に抱き付きながら言う。

 父は優しい笑顔で私の頭を優しく撫でた。

 それが…元気だった父の最後の姿になるとは、想像も出来なかった…


 本当に夜遅い時間…私は電話の音で目を覚ました。ふと時計を見ると、深夜1時を過ぎていた。

「…お父さん、まだ帰ってないのかな?」

 父が帰ってきているのなら、電話には父が出る。子供の私に夜遅く、電話を取らせるような事は絶対にしない。しかし鳴り止まない電話の前に出る事にした。

「はい、桐生です…」

『生乃ちゃんか!?おじさんだよ!お父さんの会社の友達の長田だよ!!』

 長田のおじさん。お父さんの会社の友達で、私をよく可愛がってくれた人だ。

 当時は良く解らなかったが、長田のおじさんは子供が出来ない身体らしかった。だから私を本当に可愛がってくれていた。自分の子供のように。

「長田のおじさん?お父さんはまだ帰ってないみたい」

 胸がザワザワした。こんな夜遅い時間に電話をしてくるなんて……

『今から生乃ちゃんのお家に行くから、着替えて待っていて!!』

 今から…?

「でも、お父さんが…」

『お父さんに会いに行くんだ!解ったね!?』

 お父さんに会いに行く…

 この電話は、私に母の時を思い出させた。

 急いで着替えた。家の中には居られず、外に出て長田のおじさんを待つ事にした。


 ゾクッ!!


 まただ…蔵から凍り付くような視線を感じる…

 蔵は深夜の闇に溶け込み、真っ暗で良く見えない。いや、見えない筈だった。

 蔵の窓…お侍さんがニヤニヤして私を見ていた。真っ暗な蔵でもハッキリ見えた。

 恐怖より驚きの方が大きく、そのお侍さんを凝視していた。


――ハァッハッハッ!!お嬢ちゃん、やっと会えたな!!


『あの声』が聞こえた。

「誰?」

 お侍さんは汚く笑いながら言う。

――桐生の娘…永かった…!!私はお嬢ちゃんの大事な者をお嬢ちゃんに捧げる者さ!!

 桐生の娘…私の事には間違いないが、大事な者を捧げるって?

――桐生の娘。多大な犠牲の上に存在する者!現世でも多大な犠牲の上に生きるが良い!!ゲラゲラゲラゲラゲラ!!

 多大な犠牲?

「誰が犠牲になるの?」

 うっすらとだが解った。解っていながら聞いてみる。

――勿論…大事な者さ!!ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!!

 下品な笑い声が私の耳にこびり付く。

「生乃ちゃん!!」

 長田のおじさんが家に着いた。

「生乃ちゃん…落ち着いて聞いて」

「お父さん死んじゃったの?」

 何故か理解出来た。父が死んだ事を。

「……飲酒運転の車に突っ込まれて…」

 長田のおじさんは酷く驚きながらも言う。凄く言い難そうに。実際なかなか続きの言葉が出て来なかった。

 代わりに『あの声』が私に教えた。

――桐生の男は首が胴体から離れたのさ!!ゲラゲラゲラ!!

 蔵を直視し、言う。

「……お母さんも殺したの?」

「え?生乃ちゃん?」

 長田のおじさんが不思議そうに話し掛けてきたが、私は無視して蔵を…いや、侍を睨んでいた。

――桐生の嫁も私が殺したさ。お嬢ちゃんに捧げる為にな。ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!!

 侍は高笑いしながら私を見ていた。

 その侍をよく見ると、首から下が無かった。

「生乃ちゃん、行こうか」

 私は長田のおじさんに引っ張られて、父の待つ病院へと行った。

 母の時と同じ病院…同じ霊安室…

 一ヶ月前と同じ光景…だけど、今度は父が眠っている。

 私はお父さんに近寄った。

「お父さん…」

 そっと父の頬を撫でる。

「お父さんも…私これから一人ぼっち…」

 何度も何度も父の頬を撫でる。

「え…?」

 父の首に、母の時と同じ、糸が縫い付けられているのが目に入った。

「お父さん…」

「生乃ちゃん…」

 長田のおじさんが、そっと私の肩に手を添えた。

「生乃ちゃん、今おじいちゃんも来るから」

 おじいちゃんって、おじいちゃんの弟の事?

 長田のおじさんは奥歯を噛み締めて、泣いていた。

 お父さんを失った悲しみか、一人ぼっちになった私への哀れみか。恐らくその両方なのだろう。

「お父さん、首が飛んだの?」

 長田のおじさんは頷く。

「お母さんと同じだよ」

「お母さんも首が飛んだんだ…」

 長田のおじさんはハッとした顔になったが、私は薄々気が付いていたので、それ以上何も言わなかった。

 また私のお家でお葬式をやった。おじいちゃんの弟が、しきりに悔やんでいたようだった。

「もっときつく言っておけば………」

 お母さんの親戚の方は私を気味悪がっていて、あまり話かけてはくれなかった、

「佐和子と同じ死に方…」

「桐生の親族はあのじいさんだけか?」

「ああ、あのじいさんも孤独らしいな」

「嫌よ!私、あんな薄気味悪い子を引き取るの!!」

「私だって冗談じゃないわ!首が飛ぶのはごめんだわ!」

 …全部聞こえてるよ?あなた達だけじゃない、『あの声』も聞こえている。


――ハッハッハ!!お嬢ちゃんの大事な者は、お嬢ちゃんにちゃんと憑いているさ!!


 …うるさい…


――お嬢ちゃん、次は誰が所望だ?遠慮はいらない。お嬢ちゃんの望み通りさ!!


 …うるさいな…


――お嬢ちゃんが望みさえすれば、私が首を直ぐ様持ってくるぜ?


 …うるさい!うるさい!!


――幼いお嬢ちゃん、それとも私にその首を捧げるかね?ゲラゲラゲラ!!


「うるさい!!」


 私の大きな声が、お葬式に来ていた母の親族の中傷を黙らせた。

 その夜、私は一人、父の遺影の前に座っていた。

「…私の大事な人の首取るんだって」

 何故私がそんな目に遭わなければならないのか?

 これからどうして生きて行けばいいのか?さっぱり見当がつかず、途方にくれていた。

「生乃」

 私を呼ぶ声…おじいちゃんの弟

「生乃、侍の首を見たな?」

 頷いた。

「やはり桐生の姫の業は、まだ終わってはいなかったか」

「桐生の姫?」

「そうじゃな、生乃は知っておかねばならん。桐生の業…侍の首の意味を」

 今思えば、この時のお爺さんは、かなりの覚悟があったのだと思う。8歳の私に、父と母を一気に亡くした私に、この話をするのだから。

 そしてお爺さんは自らの命も、そう長くは無い事も、もちろん覚悟していたのだろう。

 私に全てを話し、私に全てを託す為に。

 幼い私が、これからどう生きて行けばいいのかを教えなければならなかったのだろう……


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る