第5話「願いの薬」

第5話「願いの薬」1

 ティンが目を覚ましたのは、夕刻の日差しが部屋を茜色に染めるころだった。

 無理な魔力の使用に、体の自由が削がれているようで、ベッドから起き上がるのが難儀だった。それに、全身に怠さを感じる。吐く息が重く感じられた。

「あら、体が……?」

 軽い頭痛を感じながら、自分の体を見てみる。周りのものから比較するに、精霊の姿ではなかった。人間の姿をしている。それに、服も体に合わせて変化している。

 何となく腕を大きく広げてみると、ベッドのすぐ脇にある棚に手が届いた。ベッドから足を床に降ろすと、座ったまま足が床についた。ティンは思わず笑みを浮かべてしまう。

 森の中で精霊の姿に戻ってしまったとき、正直もう人間の姿には戻れないと思っていた。強く寂しさを感じたのは言うまでもない。

 アルトーノ効果が切れたわけではなく、やはり魔力の低下のせいで、一時的に精霊の姿に戻ってしまったのだろうか。考えるに分からなくなってしまう。

 しかし思うに、あれほどの強力な呪縛を身に受けていたわけだ、その影響が出て精霊の姿に戻ってしまったとも考えられる。何はともあれ、ずっとこのままであって欲しい……。

 体はとても怠いが、魔力は多少戻っているようだ。自分でも無事に帰れたことを奇跡と思うべきか。

「あぁ、なんだかどっと疲れたわ……。無理はしないに越したことはないわね」

 ベッドから立ち上がり、そのまま部屋を出る。体調の悪さや体の痛さに伴って、意識がぼやけてくる。足枷をかけているかの如く、足取りが重かった。

 リビングに着き、そのまま玄関へと足を向ける。カレンのことが気になった。シェリーの魔法薬はできただろうか。失敗して大変なことにはなっていないだろうか。そんな心配がティンの行動を煽っていた。

「ティ、ティン……どこへ行くの?」

 今通ってきたリビングの入り口から、シェリーが声をかけてくる。心配そうな表情を見せ、彼女へと歩み寄る。

「カレンのお店よ。確り薬が作れているか心配だし、それに、手伝ってあげたいから……」

「ダメよ、そんな体じゃ! 休んでないと。ティン、無理はしないで……」

「私のことは、心配しなくていいわよ。せめて薬だけでも、完成させてあげたいから」

「お願いだから行っちゃダメ!」

 シェリーの悲痛な叫びがリビングに木霊し、それでも行こうとするティンの体を強く抱きしめた。彼女がこんな大声を出すのは珍しい。故にティンも、それが頑として引くことができないことだと理解した。そして、立て続けに言を繋げる。

「……カレンから聞いたんだけど、森の湖に行ったのね」

「えぇ、私も、あんたの為に何かしてあげたかったから。……精霊の姿になってから、ずっと側に居たのに、何もしてあげられなかった。だから、行くって決めたのよ」

「湖に行くのに、私の薬が必要だったんでしょ? どうして、昨日私に使ったの? 使わなかったから、辛い思いしたんでしょ?」

「それは、あんたの薬だからよ。私が使うものじゃないわ。それに、あのときあんたに飲ませていなかったら、今こうやって私を止めることだってできなかったかかもしれないわよ? 帰ってこられただけでも、良かったのよ。それに、今は元に戻ってるんだから」

「そういう問題じゃないのっ! 薬なんて、今日にでも貰ってくれば良かったのよ。……忘れたわけじゃないよね? 私のお母さん、湖の呪縛で死んでしまったのよ?」

 肩に回す腕に力を込めて、彼女は訴えるようにそう言った。

 ――その時ティンの中で、最も奥深くに眠る記憶が、深い暗闇から照らし出されるように脳裏を過った。

 やっぱりそうだったのだ。シャルロットは湖の呪縛に魔力を取られ、その限界を超える状態で魔法薬の制作に当たっていたのだ。シェリーの病を治す一心で、先を見失ってしまっていたのだ。

「もう、私のせいで、こんなこと繰り返さないでほしいの。ルフィーちゃんも、魔法薬の失敗で目が見えなくなっちゃうし、ティンまで何かあったら、私どうすればいいのよ……っ!」

「……分かったわ。シェリーに心配はさせたくないわ。でも、カレン達を手伝いたいの。アドバイスするだけよ。私は手出ししたりしないわ」

「絶対よ?」

 シェリーは腕を放し、念を押すように聞く。ティンはそれに対して無言で頷き返すと、家を後にした。


 西日の射る街並みを横目に、ティンは思い詰めた表情を見せ、南区の道端に立つガス灯の前で立ち止まっていた。

 シャルロットのことが甦る。埋もれた記憶の片隅に、いつも居るはずの彼女が調合室に居なかったことがあったのを覚えている。医院のベッドで昏睡していたこともまた脳裏を掠めた。

 街の入り口付近で倒れているところを、行商に発見されたという。その時既に彼女は昏睡状態に陥っていたという。そしてその手には、とても奇麗で透き通る液体の入った水筒を持っていた。それこそが湖の水だったのだ。

 数日経って彼女が目を覚ますと、医師の許可や制止を振り切って調合室に再び詰め込んだ。当然、ティンはそれを必死に止めにかかった。三拝九拝して頑なに制止したものの、シャルロットはそれに留まることはなかった。

 それが全てを崩してしまった。彼女のことをもっと説得して、体を休ませるべきだった。確かに、シェリーの薬を作るのは重要なことかもしれない。いち早く魔法薬を完成させようとする意志も理解できる。実際、先程までの自分がそうであったように。

 もしシェリーに止められていなかったら、自分も同じ様なことを繰り返していたに違いない。

 ……私がいけなかったのよ。あのとき、確り止めなかったから……。じゃなかったら、今ごろはシェリーも元気になってたはずなのに……。

 後悔が心を蝕んでいく。込み上がる感情に、目に涙が浮かんだ。

「ティンちゃん。ねぇ、ティンちゃん?」

 不意に声がかかり、ティンは慌てて目尻に滲む涙を拭い取る。白を切って、普通に返事をしようと努めた。

「ル、ルミじゃない。どうしたのよ?」

「ボクは配達の帰りだよ。ねぇ、カレンちゃんに聞いたよ。体は大丈夫なの?」

「何とかね。でも、ちょっとしんどかったわ。精霊の姿に戻っちゃったしね。今はちょっと疲れてるだけで、何ともないわ。無事に帰って来られただけ、運が良かったのよ」

「そうなんだ。……カレンちゃん、作ることになったんだね」

「えぇ、そうよ。ちゃんとできるか心配だけど、あの子ならやってくれるわ。今まで沢山難関を乗り越えてるんだから、大丈夫よ」

 それは半ば願いでもあった。長年自分達が追い求めてきた薬を、彼女に作ってもらいたい。もう時間は経ち過ぎている。

 全ては一つの間違いから始まったことだ。それに過ちが積み重なり、今に至る。それを省みて、薬を完成に近づかせる。自分達が居るのなら、カレン達を過ちに転ばせるわけにはいかない。

「じゃ、私はカレン達のところに行くわね」

「うん。ボクは何もできないけど、応援してるからね」

 そう言って手を振る彼女を見送り、ティンはマジカルファーマシーへと足を運ばせた。

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