第4話「悲しみの渦巻く森の湖」6(完)

 重苦しい疲労感にさいなまれる中、背に何かを感じる。どこか心地良くて、暖かくて、それでいてとても安心して身をゆだねられる。次第に取り戻しつつある意識の中、徐に瞳を開いた。

「……カ、カレン」

 視線の向こうには、カレンの顔が見えた。胸に抱かれているらしく、背に当たるのは彼女の腕のようだ。

「あ、起きたんだね? 大丈夫? 森の前で寝てるんだもん、びっくりしちゃったよ……」

 そうことを落としながら、目尻に想いを溜め込み、カレンは小さなティンの体を抱擁して、その涙を流してしまう。心配の緊張が解けていったようだ。

「ほ、本当にびっくりしちゃった……。帰ってきてくれて、本当に良かったよ。凄い心配したんだからね」

 抱き締める腕を強くする。その強さに思わずティンは息を詰まらせてしまった。

「カ、カレン、苦しい……」

「あ、あぁ、ごめん。でも、元に戻っちゃったけど、帰ってきたから、本当に良かったよ」

「カレンとの約束だからね、絶対に破ったりなんかしないわよ。確り湖の水も取ってきたから……。辛い思いして取ってきたんだから、必ず成功させなさいよ」

「うん、分かってるよ。絶対作り上げてみせるから」

「そうよ、頑張ってちょうだい。……シエルとリーナは?」

「あ、うん……ティンが心配で、聖樹の森からこっちに来ちゃったから、置いてきちゃった」

 材料採取から一目散に駆け出してきたがために、二人のことを忘れてしまっていた。今二人が何をしているのか分からない。後でシエルに怒られてしまう。

「まったく、私を心配してくれるのもいいけど、みんなに仕事を押しつけるのはダメよ」

「えへへ。みんなに謝らなくちゃね」

 カレンはその足を街へと運ぶ。家に帰ってティンを安静にさせることが先だ。体力や魔力の消耗が激しいときに、行動を起こすのは危険を伴う。それに、呪縛による何らかの影響が出る可能性がある。カレンの計らいだった。

 家に着くやいなや、自分の部屋へ駆け込むと手早くベッドを用意し、その上にティンを寝かせる。疲れが回ってきたのか、既に腕の中で寝息を立てていたようだ。

 その寝顔を見つめながら、改めて胸を撫で下ろす。湖の呪縛がどれほどの物かは分からないが、彼女の様子を見るに、自分では湖に行けはしなかっただろう。無事に戻ってきてくれて、本当に良かったと胸を撫で下ろした。

 彼女をベッドに寝かせると、ティンが命をかけて採取してきた、湖の水の入った水筒を携えて、シエル達と合流するために家を出た。もしかしたら採取を終わらせて、店に戻っている可能性もある。

 ティンが心配で抜けてしまったものの、彼女の言うとおり、シエル達を置いてきてしまったのは良くない。シエルに怒られてしまう覚悟をしなくては。

 店に着くなり慌てて店内に駆け込み、調合部屋のドアを開ける。そこには既に材料を集め終えて、テーブルで休んでいるシエルとリーナが居た。ドアが開かれると同時に、二人の視線に射抜かれ、思わず気まずくなって、カレンはおずおずと声を出した。

「あ、あの、ごめんなさい。シエルの言うことも聞かないで、抜け出しちゃって……」

 恐縮の佇まいで深々とこうべを垂れると、シエルが席を立って歩み寄ってくる。足音が近づくに連れ、緊張が膨らんでいく。怒鳴られる覚悟はできていた。

「頭を上げて、カレン。別に怒ってなんかいないから」

「ふぇ……?」

 思わず拍子抜けた返事をしてしまう。頭を上げると、シエルは穏やかな表情を見せていた。

 しかしすぐさまそれを一変させて、真剣な面持ちになる。何を言われるのかドギマギしながら、言葉を待った。

「ティンは、大丈夫だったの?」

「え? あ、うん。でも、精霊の姿に、戻っちゃって……。だけど、ちゃんと湖の水は取ってきたんだよ」

「そうなのね。……でも良かったわ。ティンに何かあったらって、私も心配だったから」

 シエルが息をついて、胸を撫で下ろす。リーナも安堵の様子に緊張の面持ちを和らげていた。

「ティンちゃんは大丈夫なの?」

「うん、家で寝てるよ。ちょっと、体調が悪いみたいだったから……凄く辛かったんだと思うよ。ティンには、感謝しないとね」

「そうね。本当、ティンのおかげね。それじゃ、もう始める? 材料は私達が揃えておいたから、残りはその湖の水だけよ」

 テーブルや調合台には、既に器具や材料が用意されていた。すぐに作業には入れるようにと、準備をしていたようだ。ならば今からでも、作業に乗り出したほうが良いだろう。

 魔法薬のレシピは、昨日ティンがシャルロットのノートから翻訳して――翻訳という表現はあっているのかどうか――書き写した紙を参照し、その手順を整理する。

 大まかな部分は、プリースティーの応用と思しき手順が、ティンの綺麗な文字で記されている。見た目、単純な作業の様にも思えるが、どうやらそれだけでもなさそうだ。

 何はともあれ作業を開始。各人役割を担って材料を加工し始める。流石にこの店のスタッフであって、その手つきはやはり慣れたものだ。

 そして湖の水は、昨日ティンが水蒸水に魔力でお湯を作ったのと同様、魔力を注入する必要がある。しかしそんな膨大な魔力を三人が持っているはずもない。そこで三人一緒に魔力を掛けて湯を作ろうと思い立った。

 容器に移し替えた湖の水を囲み込んで、その上に掌を翳す。そして、各々が気を集中して魔力を水に振り注ぐ。しかし、半端な力ではそれに熱を加えることはできない。三人は自分の持てる魔法を放出するように、魔力を解き放った。

 おのおのが放つ魔力が渦となり、部屋の空気が緩やかに動きを見せる。それに伴い、湖の水が揺らめき始めた。魔力を吸収し始めた証拠だ。

 放出する魔力を強めていくと、それに応じて大きく反応し、乾いたスポンジの如くどんどん吸収していく。まるでそれ以上の魔力を吸い取らんばかりに、カレンたちの魔力を貪り出した。

「がんばって……みんな!」

 意識が持っていかれそうな渦の中、意識を保とうと声を上げる。リーナやシエルも思いのほか消耗の激しい魔力に苦痛の表情を見せている。

 そんな最中、水の底から気泡が一つ二つと浮き上がり始めた。そして、次々と気泡が立ち上がる。沸騰してきたようだ。

「あぁ……疲れたよ~」

 魔力を断ち切り、腕を降ろすやいなや、リーナがそう言って床に座り込む。額に滲む汗を拭い、乱れた息を深呼吸して落ち着かせる。それと同じ様にカレンもシエルも、大きく魔力を消費した疲れから、肩を大きく上下させていた。

「こ、こんなに大変だなんて、思わなかったわね……」

「私も疲れちゃった……。でも、これで根を上げてなんていられないよ。ティンはもっと辛かったんだからね」

「……そ、そうだよね、ティンちゃんの分も頑張らないとね」

 しばらくの休憩を入れ、落ち着きを取り戻すと立ち上がり、リーナは次の作業に乗り出した。それを見るなり二人も各々の作業を開始させる。

「絶対完成させましょうね」

「うん、勿論だよ」

 ここまで辿り着いたんだ。この薬を作るのが夢だったんだ。その為に一生懸命勉強したし、みんなにも沢山助けてもらった。後は持てる力の全てを使い、薬を作り上げるだけだ。

 シエルの一言にカレンは気合を入れる。決して失敗はできない。

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