第4話「悲しみの渦巻く森の湖」4

 翌日、昨日の宣告通り、インサルトの湖に行くため、ティンはいつもより早めに起きていた。

 昨日、シェリーに鎮静薬を使ってしまったので、自分で対呪縛魔法防護を張るしかない。その魔法防護も、いつまで持つか分からない。しかし、この身がどうなろうとも、湖の水を持ち帰る覚悟は決めている。

 シェリーの薬を、絶対に完成させたい。その気持ちが彼女の意志を強めていた。

「ティン、本当に大丈夫?」

 一度店に集まり、森へ発つティンを見送りに、シエルや、その話を聞いてリーナが駆けつけた。店で最終的な準備を整えると、いよいよ出発の時が迫る。

「心配しないで。確り採取して、絶対に戻ってくるから」

「でも、ティンちゃん、無理しないでね」

「そうよ、マジカルファーマシーの看板娘なんだから。居なくなったら、誰が店番するのよ」

「分かってるわよ。それじゃ、行ってくるわね」

 そう告げると、踵を返してサザンストリートの外門へと向かっていく。それを見送るも、カレンは思わず走り出していた。

 そして、彼女の体を後ろから抱き締める。カレンには、ティンが無事には帰らないような気がしてならなかった。何より不安が募る。肩に回す腕に力がこもる。それに驚いてか、ティンは転びかけて立ち止まった。

「カ、カレン? どうしたのよ……?」

「ティン、約束して。絶対に、絶対に帰ってくるって。嫌だよ……またティンが居なくなっちゃったりしたら……」

「……カレン。何があったとしても、ちゃんと戻ってくるわよ。だから、あんたも約束しなさい。シェリーを助けるって」

「うん、絶対にね」

「よろしい。今度こそ、行ってくるわね」

 カレンが腕を開放すると、再びメインストリートを進んでいく。ティンを信じて、自分達も各々の準備を進めておこう。カレンはシエル達の元へ戻るなり、残りの材料の採取に取り掛かった。


 街を後にした辺りで、ティンは深いため息をついていた。少なからずとも、不安がよぎる。森に近づくほど、それは徐々に膨らんでいく。しかしそんな気持ちでは、呪縛にやられてしまう。一切の邪念を振り払い、呪文の後にまじないを切ると、自分の周りに防護魔法を張った。

 家を出る前、ティンはシェリーの様子を見ていた。昨晩とは打って変わって、穏やかに寝息を立てていた。あの時に飲ませた薬が効いているようで、一安心した。

 早く楽にしてあげたい。早く、呪縛の苦しみから開放してあげたい。ティンは自然路から森に到着するなり、そう意志を固め、内部へと足を踏み入れた。

 地図の通りに行けば、まずカーフ草を採取するためによく来る広場に出る。ここまでは幾度となく出入りを繰り返した場所だ。ここはまだ、呪縛は感じられない。更に先へ進み、カレンがルフィーに教わった、泉に続くいつもの道へは行かずに、別の道へと足を運ばせる。

 その薄暗い道を行ってしばらく経つと、今までの道では感じられなかった魔力を感じ始めた。おそらくこれが呪縛なのだろう。まだ呪縛自体はやや軽くはあるが、防護魔法を施していても、絡みつくように辺りを漂っている。

 もし、当時のシェリーがこの道を通っていたなら、確実に呪縛にやられただろう。それに、実際そうだったのかもしれない。それを思わせるように、当時ルフィーが見たであろう大きな泉を見つけることができた。

 更に奥へと進むに連れ、呪縛は比例してその濃度を高めていった。全身に疲労感が襲い、胸苦しさを感じる。足取りも重くなってきた。

 しかし、道はまだ半分も過ぎていない。甘く見過ぎていたことを思い知らされた。無事に帰れる可能性は少ない。しかし、例え再び精霊の姿に戻ろうとも、身に呪縛が襲おうとも、カレン達との約束を破棄する訳にはいかない。ティンは足を止めることなく、先を急いだ。

 ――その時、彼女はある可能性に気づかされた。

 もしかしたら、シャルロットの衰弱状態や、ルフィーの盲目は、この呪縛のせいじゃないだろうか?

 シェリーの薬に湖の水が必要ならば、シャルロットは湖まで足を運んだはず。彼女のような魔術師が、魔法調合で魔力を失うことなどは、決してないはずだ。それはルフィーも同様。この呪縛がそれほどに強いものだと分かる。まるで、魔力を吸い取られるかのようだ。

 地図を広げる。それから見るに、もう少しで湖に行けるようだ。体に絡みつくツルを掻き分けるように、その先へと足を運ばせる。

「もう少し……もう少しだから、待っててよ……」

 心待ちにしているカレン達の元へ、今すぐにでも持って帰りたい。しかし、想いとは裏腹に、ティンはその場に膝を落としてしまう。その瞬間に意識が遠のいてしまう。

 目の前の景色が揺らぐ。体力や魔力の消耗からくるものなのか、呪縛からくるものなのかは分からない。しかしどうであれ、このままここで往生することなんかできやしない。彼女は意志だけを頼りに、再び地面を踏みしめた。

 ……先生やルフィーも、シェリーの為にここまで来てたのよ。私がこんなところでくじけてどうするのよっ!

 悔しい。二人の魔術師が魔法薬を失敗させてから、十数年が過ぎようとしているのに、自分は一体今まで何をしてきただろうか。シェリーの症状を知っていながらも、ルフィーの薬に頼ったままだった。

 いくら記憶がなかったとしても、自分としての判断くらいできたはずなのに。あらゆる書類を読み潰して、薬のレシピを探すことだってできたはずなのに。

 いつしか涙が頬を濡らしていた。何より悔しかった。ティンは涙を拭うと、その悔しさを糧に防護を強める。もう魔力の消耗を気にはしいてられない。

「あ、あれは……」

 森に入ってどれくらい経っただろうか。次第に強まる呪縛に、意識を外へと追いやられそうになりつつも、その先に見えた風景に、彼女は目を見張った。

 暗く深緑に遮られたトンネルを切り開くように、そこは明るく輝いていた。そして、それ以上にきらめく光が目につく。それは、近づくに連れ徐々に認識される。

 そこには、木々をいたように空を覗かせ、この陰気な森とは対照的に、その美しいほどの水面に陽の光を落とす、広大な湖が広がっていた。

 眩い光が顔を照らす。まるで呪縛を忘れさせ、心洗われる風景がそこにある。思わず、心奪われて見入っていた。

 しかし、徐に湖へと近づこうと足を踏み出したとき、現実に引き戻される。今までになかった強烈な呪縛を身に受けてしまった。一瞬、気が遠のく。思わず膝を崩して、乱れる息を整えさせた。防護魔法が呪縛に過剰な反応をしてしまい、随分と魔力を削られてしまったようだ。

 それでも彼女は、地をって目の前に広がる水面へと進みだした。体に重しを乗せられるような、重圧を体に感じる。

 それでも湖の縁に身を乗り出し、水筒を用意すると、手を伸ばして水中に浸し、湖の水を中に流し込んだ。

「は、早く、帰らないと……」

 水筒いっぱいに水を汲み入れると手早く蓋を閉め、湖から身を離す。そして、足早に通路へと引き返した。

 呪縛が多少軽くなる。しかし魔力が限界に近い為か、ティンは大きく肩で息をしていた。このままでは命に関わる危険性がある。一歩一歩を確実に踏み込むが、膝を落としかける。体勢を持ち直して、再び道を踏み出した。

 と、そのときだった。目の前が一気に揺らぎ出し、激しい頭痛が襲いかかる。そして次第に意識が薄れてしまい、ティンは崩れ込むように倒れてしまった。早く戻らなくてはいけないのに、体が言うことを聞いてくれない。

「カ、カレン、助け、て……」

 長く続く道に手を差し出しながら、彼女はそのまま意識を手放してしまった。

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