第4話「悲しみの渦巻く森の湖」3—2

 先程出ていったばかりの二人が戻ってきたことに、ルフィーも何事かと思っただろう。アトリエに着くなり、早速ルフィーに事情を話し始めた。

 ルフィーは手渡されたレシピを見るなり、腕を組んで考えを巡らせる。そして、何かの答えに達したのか、本から視線を外し、カレンへと向けられた。

「……インサルトの湖の場所なら、私が知ってるわ」

「ほ、本当ですか?」

「えぇ。でも、何度も言うように、あそこは危険な場所よ?」

「でも、お母さんの薬が作りたいんです。どうにか行く方法はないんですか?」

 カレンの熱意は痛いほど分かる。しかしルフィーには、止める義務がある。

 ――もう、二度も三度も、同じ過ちを繰り返してはならない。

 自分の目が見えなくなったのも、製薬の過程で失敗した訳ではない――湖の呪縛のせいだった。

 薬を作るために、湖の場所を探し出したものの、呪縛にかかってしまったのだ。

 ルフィーは、シェリーに呪縛を掛けてしまった自分への罰だと思い、自らの視力を取り戻す薬を、作ったりはしなかった。

 カレン達にそんなことが起きたら、またもや自分のせいで犠牲者を出してしまう。いや、自分のことなんかより、彼女達が何よりも大切だ。

 でも、彼女達はその制止を振り切ってでも、湖の水を取りに行くだろう。ならば、最善を尽くさなくてはならない。

「……シェリーちゃんの鎮静薬は、呪縛の影響を半減させる働きがあるわ。それを飲めば、湖に近づくことができるはずよ。……いい? 今から、なるべく短くて、安全な道を教えるわ」

 ルフィーはそう言うなり、三人を連れて調合室へ向かっていく。そして、沢山の資料や書物が並べられた書棚から、ノートらしき本を取り出すと、あるページを開いてテーブルに広げる。そこには、色違いの線が幾本も書き込まれていた。

「これ何?」

「インサルトの森の簡易地図よ。材料採取をしながら、道を書き込んでいったの」

 この地図から見れば、カーフ草の採取できる小さな広場は、森の入り口付近にあることが分かる。そして様々なところに泉が点在し、材料が採取できるところも多々ある。この森自体かなり広大なようだ。

 そして湖は、その線が引かれた地図のやや中央にある。そこへ辿り着ける道は、幾数にも枝を分けて複雑になっているが、元を正せば一本となっていた。ただ、その距離はとても長い。その間に、呪縛に罹ってしまう可能性もある。

 さて、その道のりは分かったとして、問題は誰が行くかである。呪縛のことを考えれば、三人で行くわけにもいかない。

「私が行くわ」

 その迷いを一切したのはティンだった。そして、続けてこう告げる。

「カレンやシエルに行かせるわけにはいかないわ。あんた達には、薬を作るって重大任務があるんだから」

「で、でも、ティン……」

「結局は誰かが行かなくちゃ、作るものも作れないじゃない?」

 心配そうなカレンの言葉を遮り、ティンはそう言ってみせる。

「ティン、本当に大丈夫なの?」

「三人の中で、魔力が一番強いのは私なのよ。私に任せなさい。それで、シェリーの鎮静薬を飲めばいいのね」

「えぇ。でも、鎮静薬は呪縛の影響を和らげるだけだから、気を付けないと駄目よ」

「分かったわ。……じゃ、行ってくるわね」

「え? 待って、ティン!」

 部屋を出ていこうとしたティンを、カレンは即座に止めた。

「今日はもう遅いから、明日にしたほうがいいよ。それこそ、帰ってこられなくなっちゃうよ?」

 思えば、もう外は暗がりを見せている。アルトーノの本を探したり、シャルロットの書き残した文献を探したりと、いつの間にか時を忘れ、それに没頭してしまっていたようだ。それに、薬を作ることに、ちょっと焦っていたのかも知れない。

 湖に行く本心は、カレン達を近づかせたくない理由と……もう一つ理由があった。

 シェリーの一番すぐ側に居たのに、何もしてあげられなかったために、それを悔やんでのことだった。自分は何もしてないんじゃないか。今まで、一体何をしてきたのだろう。ティンはそう思って、その呪縛が何であれ、インサルトの湖へ行くことを決めたのだ。

 でも焦りは禁物だ。ティンは落ち着いて、ドアノブに掛けた手をそっと放す。

「そうね。とりあえず今日は、明日に備えてゆっくり休むとするわ」

「うん、それがいいよ。……それじゃ、私達帰ります。シエル、また明日ね」

「えぇ、また明日」

 カレン達はアトリエを後にすると、ファーマシーを閉めて、家へと帰っていった。


 ――しかし家に帰ったカレン達は、家の異様な静けさに、何か悪い予感を感じた。

 リビングには誰も居らず、キッチンにも誰も居ない。

 そして、シェリーの部屋に入った――そこで二人は、最悪の事態に出くわしてしまう。

「お、お母さん!?」

 シェリーが床に倒れていた。

 ティンは即座に近付き、シェリーの体を抱き起こす。彼女は、酷くうなされてうめき声を上げ、苦しそうな息を吐き出している。徐に彼女の額に手を当てれば、凄まじい高熱が出ていることに気づかされた。

「カレン、薬を取って!」

 ティンの指示に急いで棚から鎮静薬を取り出す。しかしその時、鎮静薬が残り一本しかないことに気づいた。この一本を使ってしまったら、ティンが明日使う分を失ってしまう。

「カレン、何やってるのよっ!」

「薬、後一本しかないよ。これ使ったら、明日、ティンの使う分が……」

「バカ! そんなのどうだっていいわよ! 早くそれを持ってきなさい!」

 慌てて棚から取り出すと、それを引ったくるようにカレンから奪い取る。そして、蓋を開けると、シェリーの背を支え、薬を口に流し込んだ。

「シェリー? シェリー、大丈夫?」

 シェリーをベッドに寝かせると、症状が落ち着いたところで声を掛けてみた。

「……え、えぇ、ありがとう。ちょっと立ちくらみがして、気分が悪くなったのよ。心配させて、ゴメンなさいね」

「気にしなくていいよ、お母さん。私が、必ず治してあげるから……」

 カレンは優しい母の手を握る。薬が出来上がるまで、ただただ無事で居てくれるよう、心の底から願うばかりだ。

「そうよ、シェリー。あんたの病を治す薬のレシピが見つかったのよ。もう二度と失敗は繰り返さないから、私達に任せて」

「そうだったのね……。ありがとう、二人とも。私のことなのに、みんなには迷惑ばかり掛けているわね。……何もできない自分が、とても悔しいわ」

「ううん、お母さんは何もしなくていいんだよ。その代わり、薬ができるまで、無事で居て欲しいよ……っ」

 シェリーの手を確りと握る。決して大きくないが、母のその手から、暖かさが伝わってくる。それに何度安心することができただろうか。この温もりを失わないために、カレンは魔法薬を完成させると決意した。

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