第3話「霞の向こうの記憶」6—1

「……あ、ルイ! ちょっと来てくれない?」

 奥に戻ってしまったルイを呼び出す。どうしたものか、カレンはティンの言葉に首を傾げながらルイが戻ってくるのを待った。

「どうしたんだい?」

「あのね、ちょっと聞いてくれない? ……今から言うものを用意して欲しいのよ。いい?」

「え? ……ティン、急にどうしたの?」

「カレンもよ。いいから用意しなさい」

 否応なしに、ティンは次々と何かの材料を口にしていく。それに釣られて二人は大いに慌てながら、それらの準備に取りかかった。


 十数分後、ファーマシーの調合部屋にあるテーブルには、クエン山の火口付近から噴出する、水蒸気を集めた水蒸水が一ビン、水辺によく生えているプリースの花を乾燥させた物が数十本、蜂蜜(ライム雑貨店の物)が一ビン、アップルが四個にカーフ草が数十本、各々に分けられて並べられていた。これらはほとんど市場で買える品物だったので、揃えるのにそれほど時間はかからなかった。

「ねぇ、この材料、何に使うの?」

 店番をしていたシエルが、不思議そうにテーブルを眺める。シエルもこれらから何ができるのかは分からないらしい。それを聞いてティンがこう答える。

「これはプリースティーの材料なのよ。このプリースの花と水蒸水が、アルトーノの効果を緩和する働きがあるのよ。ここにある蜂蜜とアップルは甘さを出すためのものよ」

 プリースの花は乾燥させ、煎じるとハーブティーになる。そのハーブティーは呪い(魔法)を祓い除ける効果があるのだ。カーフ草とともに、魔力を帯びると常に暖かくなる水蒸水で煎じると、その効果が倍増する。プリースティーは、呪縛が大きいほど体に痺れを伴う。それが消えるころに、呪縛が完全に解けるらしい。材料こそ売ってはいるが、「プリースティー」は市販されてはいない。お茶というのは名目のみで、薬品同等の扱いを受けている。

「あぁ、確かこれだよ。僕が探していた本に載ってた魔法薬」

「えっ? でも、ティンちゃん、誰が作るの? お兄ちゃん?」

「いや、僕は読んだことがあるだけで、作ったことはないよ」

 ルイも参考書を参照しなければ作れないという。本がなければ意味はない。

 かといって、無論レシピを知らないカレンが作れるはずもない。ルミとシエルも同様。ルフィーなら作れそうだが、あんな体では無理だろう。それに、真先に聞きに行ったとき、プリースティーのことを教えてくれなかったので、実際作れない可能性もある。

「……ここは私に任せなさい」

 ティンはそれだけを言うと、何やら調合台に機具を用意し始める。

 もしやと思ったカレンは、恐る恐る尋ねてみた。

「え? 待ってよティン! ……ティンが調合するの?」

「そうよ。少し時間が掛かるかもしれないわ。それまで待っててくれないかしら」

 そう言うと、彼女は容器に移し換えた水蒸水へと、徐に魔力を注ぎ始めた。水蒸水に魔力を与え、ハーブティー用の湯を作るには、相当の魔力が必要となる。実際、ティンのてのひらからは、強い魔力の流れを感じ取ることができる。ティンがこれほどの魔力を持っていただろうか。それ以前に、彼女が調合に手をかけることなど、今までに一度もなかったはずなのに……。

「ティン……どうして、そんなことができるの……?」

 カレンは思わず聞いていた。その声には寂しさを滲ませている。

 カレンには、そこに居るのがティンではない、他の誰かに見えてならなかった。

「ごめん、カレン。後で、ちゃんと話すから……」

 ティンはそう言い残すと、作業に没頭し始める。いつもならざるティンに寂しさを感じつつ、カレンはシエルに促されて調合部屋を後にし、店番を始めた。ライム兄妹きょうだいは店へと帰っていった。

 今まで感じたことはなかった、ティンに疎外感を覚える。カレンは肩を落としながら、カウンターの椅子に座り込んだ。

「ティン、本当に、ティンなのかな……」

 カウンターのテーブルに伏せながら、消え入るような声で呟く。思わず涙ぐんでしまった。

「当たり前でしょ? 心配はないと思うわ。きっとアルトーノの効能よ……」

「…………」

 シエルの言葉にも、カレンはだんまりしてしまう。どうしても、彼女を納得できなかった。今までのティンは、一体なんだったのか。それが気がかりだった。

 ティンは今まで、自分が魔法を使えたり、それがルイやルフィーより上回る知識と魔力を持っていることを隠してたのだろうか。疎外感が一層強まってしまう。

「シエルは、何も思わないんだね」

「え?」

「きっと、ティンは、ルフィー先生より技術があるんだよ。ずっと隠してたのかもしれないよ? それって、私達のこと、騙してたんじゃ――」

「そんなことあるわけないじゃない! カレンこそ、そんなこと言ってティンのことを信じてあげないの?」

「それは……」

 信じていないわけじゃない。アルトーノの効果で、ティンの魔力が増えていると考えられる。でも、どうしてプリースティーのレシピを彼女は知っているのか。それも分からない。アルトーノの効果では、そんなことはさすがに起こらない。

 確かに不可解なところはあるけど、ティンが話してくれるまで待つほかない。シエルはそう言って、カレンの肩に手を置く。最近、シエルはカレンに優しい。前のような突っかかる態度はもうまったく見られない。カレンは落ち込む気持ちの中で、シエルの優しさを噛み締めた。ティンを信じる。一番信じてあげなくちゃいけないのは、自分なのだから。


 日が傾き始め、茜の色を帯びる頃合いになり、閉め切りになっていた調合部屋のドアがゆっくりと開く。カレンとシエルは思わずそのほうを振り向いた。

「あ、カレン、シエル。手が空いたらでいいから、来てくれないかしら」

 丁度来客がないので、早速二人は調合部屋へと入った。

 調合部屋のテーブルには、茶色の液体の入った二本のビンが置かれていた。これがプリースティーらしい。室内にほんのりと、プリースの心地いい香りが漂っている。これを見る限り、やっぱり本当に彼女が調合したようだ。

「シエルはこれを飲んで。もう一本は、ルフィーに渡してもらえないかしら」

「えぇ、分かったわ」

 テーブルに置かれたビンを手にし、シエルはプリースティーを口にした。口に含んだ瞬間に、一瞬苦みが襲う。プリース独特の苦みだが、その後にリンゴと蜂蜜の甘味がそれを和らげていく。甘味がなければ飲めはしないだろう。薬たる所以ゆえんかもしれない。苦みさえ気にならなければ普通に飲める。

「結構美味しいわね。これが薬とは思えないわ」

「そうしないと苦くて飲めないのよ。とにかく、ルフィーにも飲ませてあげて。飲んでから大体三十分後に痺れが来ると思うから、ベッドに寝て安静にしてるといいわ」

 ティンの指示により、シエルはビンを持ってアトリエへと向かっていった。それを見送るなり、カレンはおずおずとティンに質問した。

「自分の分は、作らなかったんだね」

「うん。……でも、迷ったわ。元の姿に戻ったほうが、いいのかなって」

 でも作ったのは二本。その訳を、彼女は視線を逸らしつつ、重苦しそうに口にした。

「黙ってたわけじゃないの。私も、ついさっき思い出したのよ。……私は、精霊なんかじゃなくて、元々人間だったのよ」

「え……っ!?」

「私ね、シェリーのお母さん――カレンのお婆ちゃんに当たる、シャルロット・フォルティアにお世話になっていたのよ」

 シャルロット・フォルティア――カレンの記憶の中で、その名前はかつての学園長の名前と一致した。それとシャルロットは高い技術を持った錬金術師だったことも覚えている。ティンはそんな彼女の下で、弟子をやっていたという。

「……私の、お婆ちゃん、学園長だったんだよね。学園長のお弟子さんだったんだ……ティン、凄いよ……」

「……当時は、十八歳で学園を卒業すると、殆どの人は、お城に仕えたり、他の街に行ったりしていたのよ。その中で私は、優秀な成績を評価されて、飛び級を経て、十五歳で卒業したの。そして、学園の教師になることを勧められたわ」

 ティンは、ルイやルフィー――もしくは現に勤めている学園教員――よりも魔力や調合のレベルが高い。それ故に、彼女は学園の教師になり、その傍らシャルロットに師事していたという。

「フォルティア先生は、シェリーの病を治す為の魔法薬を研究していたのよ。当然、私もその助手としての役割で、それを手伝っていたわ。……そう、そんな最中のできことだった」

 事実を知って驚きを見せるカレンをよそに、ティンは今までの事の顛末てんまつを静かに切り出した。長年に渡って霧の様に霞んでいた記憶が、鮮明になっていくのがティンの中で手に取る様に分かった。

「……完成を目前にして、失敗したのよ」

「え?」

「先生は、一日の殆どを学園の調合室で過ごしていたわ。その当時に生徒や私以外の教師が、先生を見たことはあまりなかったらしいわ」

 シャルロットは来る日も来る日も調合室にこもり、魔法薬の研究に没頭する故、あまり休養を取らない状況が続いた。その為に、目前にして心身の疲労で、薬は未完成に終わってしまったのである。

 彼女は、魔力も体力もなく衰退し切っていたという。無論、ティンは休養を取るよう止めに入ったらしいが、シャルロットの意志は強く、結果、取り返しのつかないことになってしまった。

「そ、そんな……っ。じゃ、魔法薬って、完成してないの?」

「う~ん、ちょっと、よく思い出せないわ……。それで、先生は最後に、底を尽きそうな魔力で、私に魔法をかけたのよ。精霊として、一人身になってしまうシェリーの側に、居て欲しいって……」

 衰弱したシャルロットを止められず、見殺しにした彼女を、周りの者は良くは見ないだろう。精霊の姿にされたのは、ティンの体裁を考えてのことだった。

 しかしそれとともに、ティンの記憶を混乱させてしまい、自分は精霊であるという意識を強く出てしまったようだ。アルトーノの効能で、再び人間の姿に戻ることによって、混乱して封印されていた記憶が紐解かれ、整理されていったのではないだろうか……。

「でも、私が魔法薬のレシピも知らない上に、いつ病に倒れるか分からないシェリーを托されても、私は何もできないじゃない……。先生は、私に何をして欲しかったのよ……っ」

 ティンは亡き師にそうつぶやきながら、落胆に頬を濡らしてしまう。結果的には、それから十数年間、シェリーは病に侵されながらも、倒れてしまうことはなかった。薬を与えていたとしても、もはや奇跡と言ってもおかしくはないかもしれない。シャルロットは、それを予想してはいなかったのだろうか。

「そのレシピを知ってたら、ティンも作れる?」

「……分からないわ。先生、言ってたのよ。この薬を作るには、魔力や技術だけじゃ作れないって。でも、魔法薬が完成してないんじゃ、作れないには変わらな――」

 そう言い掛けた時、ティンに脳裏に埋もれ込んでいた記憶が激しく掠めていった。

 大切なことを忘れてしまっていた――そう思うなり、彼女は涙を拭うのも忘れ、慌てて調合部屋を飛び出していった。一体どうしたものか、カレンはつまずきそうになりながらそれを慌てて追い始める。

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