第3話「霞の向こうの記憶」5—1

 さて、カレンとしては、ティンの姿を元に戻すすべを探すことが、現在最大の問題となっていた。シエルの症状を見てしまっては尚更だ。

 アルトーノの効果は実際、どれくらいの程度で、どれほど持続されるのかは分からない。ようするに、目を瞬いた間に消えていたり、何年も続いたり、一生続く可能性だってあるという。カレンはティンを連れて図書館へ向かった。アルトーノの効果に関する書物があるかもしれない。店は落ち着きを取り戻したシエルに任せることにした。

 エリステルダムが誇る機関の一つ、学園の裏手に建つエリス図書館。世界中の知識を集約させた、まさにエリスの脳と言うべきか。その知識にカレンは何度も助けられている。店に出す商品のレシピのほとんどが、そこで得た知識と言っても過言ではないだろう。

 その風格ある重厚な扉を開け、落ち着いた雰囲気に包まれた館内に入る。築数百年にもなるこの建物は、それこそ開館当初から残されている書物なんかもある。三階建てだけあって、書物の量は計り知れない。

「えぇっと、製薬の材料のカテゴリーか、魔法調合の材料のほうかな? それとも、植物のところかな?」

「そ、そんなに回るつもり?」

「可能性があるなら調べておかないと」

 それだけ調べられる本が多いということで、各々のカテゴリーへと回り、参考書を集め始める。結局、いろんな階に回って手当たり次第に本を取り出したために、二人で持っても山積みになってしまった。

 読書室へと持ち込み、読書用の小テーブルを一つ陣取ると、書籍の塔になった書物を見始めた。

 次から次へと目次や索引を見回し、アルトーノの名前を探していく。その内の大半にアルトーノという項目はあるのだが、詳しいことを記された書物はなかった。それにほとんどが同じ説明の繰り返しだ。他の本に至ってはその項目すらない。ティンもイライラしつつもうめき声を上げながら調べているようだが、時間ばかりが経って、同じことの繰り返しのようだ。

「ねぇ~、カレン。どの本にもそれらしい説明ってないわよ?」

「う、うーん。これだけ調べてもたいして分からないんじゃ、困っちゃうなぁ。どうしよう」

「どうするのよ?」

 他の本を調べてもいいのだが、なんとなく二の舞を見そうでその気になれなかった。それにティンも何というか、疲れてしまったようだ。

「ねぇ、ティン……その姿じゃ、イヤ?」

「え? まぁ、別に悪くはないわよ。でも正直、変な感じがして落ち着かないわ」

「元に戻りたい?」

「そうね。元の姿のほうが、動きやすかったわね」

「そっか……。私はね、今のティンのほうが、いいと思うよ」

 カレンは少し俯き気味になってそう言った。今までは、小さな体ですぐ側をふわふわと飛んでいたけど、今は人の姿をして、ルミやシエルと同じように、友達みたいに付き合える。

「ほら、こうやって相席なんかもできるし、一緒に歩けるし……。ティン、普通の女の子みたいだよ」

「…………」

「だから、ティンは、普通の女の子になっても、いいと思うんだよ……」

 カレンが落とす一言に、ティンは言葉を失ってしまった。

 ――普通の女の子になってもいい。

 ティンは自分がここに居る「意味」を考えた。

 ティンは、シェリーの母が亡くなる直前に、いつ病に倒れてしまうか分からないシェリーを一人にはできないと、むすめのために残していった精霊だった。

 今となっては、シェリーも結婚して、カレンが居る。シェリーはカレンが生まれた時、ティンにこう言った。

「ティン、今度はカレンのお友達になってあげて」

 暫くはシェリーが自分から離れてしまった気分になって、あまりそれには乗り気ではなかった。でも、時が経ち、カレンが成長していくにつれ、その気持ちは薄らぎ、今ではこんなに仲が良くなっている。そう、カレンならきっと――いや、絶対、親友と言ってくれるだろう。

 普通の女の子になっても、いいと思うんだよ――カレンのそんな言葉に心動かされ、ティンは思わず、込み上がる想いに、目尻に涙を浮かべた。一生懸命になって処方を探してくれながらも、カレンはそう思っていてくれたのだ。

「カレン……。カレンがそう言ってくれるなんて、思わなかったわ。……私も普通の女の子に、なれるわよね?」

「勿論だよ。ティンは女の子なんだから」

 ティンの答えに、カレンは満面の笑みを見せてそう言った。いつまでアルトーノの効能が続くか分からない。でも、その間だけでも、ティンを親友として、みんなと変わらない付き合いができるなら、それは本望だった。

「ありがとう、カレン。ずっと、友達でいてよ」

「うん、勿論だよっ」

 ティンの差し出した手を握り返す。カレンは、ティンとずっとこの関係が続くよう、強く祈った。

「それじゃ、これは返してきちゃって、別の本持ってくるね」

 テーブルに散らかった本をまとめ上げ、元に戻そうとカレンは本棚へと向かっていく。ティンはそれを見届けながら、心の底から沸いてくるうれしさを噛み締めていた。これからは、一人の女の子として、カレン達の友達の輪に入って、一緒に色んなことができる。ずっと友達でいたい。ティンはこのアルトーノ効果が、ずっと消えないことを願い、自分も他の本の検索に取りかかった。

 二人は一度ホールにある分類表に目を通し、あるかと思われる項目を再確認すると、それらの棚へと向かっていった。

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