第3話「霞の向こうの記憶」3
ファーマシーに着くと、いつものようにリーナが店の準備をしていた。夏が過ぎたころから、家が近いリーナはカレンから鍵を預かり、学園が休みの日は店主が来る前に準備をするようになった。
「おはよ、リィちゃん。今日パン屋のお手伝いは大丈夫なの?」
「おはよう、お姉ちゃん。えっとね、午後からお店に戻らなくちゃならないから、今日は午前中だけお姉ちゃんのお手伝いできるよ」
彼女はファーマシーとパン屋の仕事を、交互に手伝っているのである。ファーマシーで調合をして、パン屋に戻れば店番をしたり、パン生地を作ったりしているのだ。それに、両方の腕前が良く、それをそつなくこなしている。カレン達は、実は自分達よりリーナのほうが優れてるんじゃないかと、つくづく考えさせられた。
「リィも凄いわね。でも、あんたそんなに働き詰めで、大丈夫なわけ?」
「勿論、ちゃんと休んで……だ、誰ですかっ!?」
いきなり
「へぇ~、普通の女の子みたいで、お姉ちゃん達とあんまり変わらないね。ティンちゃん、可愛いよ」
「か、可愛い? やっぱりリィは言うことが違うわねぇ~」
おだてたのかどうかは知らないが、ティンは上機嫌になってリーナを胸いっぱいに抱擁していた。普段こんなことができないからなのか、それだけでもうれしそうで、頻りにリーナの頭を撫で始める。
「ティ、ティンちゃん、くすぐったいよ……」
「何よ、可愛いこと言うわねぇ」
「ティン、仕事始めるわよ」
「え? ……そ、そうね」
渋々そうにリーナを解放させると、カウンターに近ついていく。いつもとは違い、椅子に座ると丁度いいようだ。
早速店を開店させ、三人は各々作業を始めた。
カレンは材料棚から材料を幾つか下ろすと、一つ気がづくことがあった。
下段にあるシエルの材料棚に、変わった材料が幾つか入っていた。一つ手にして光に当ててみる。それは、紫色の硬い殻に覆われた、丸い木の実だった。これを見るなり、カレンはシエルに声を掛けた。
「ねぇ、シエル。これって、何に使ってるの?」
「え? 今作ってるけど……オレンジ酒を作るのに使ってるんだけど」
「え!? ちょ、ちょっとシエル、これが何だか分かる?」
「え? それってトアノードじゃないの?」
「違うよ。これ、アルトーノだよ!」
「えっ!?」
アルトーノとは、さきほどのとおり紫色の木の実で、硬い殻に包まれた実は、絞ると果汁が得られる。これはトアノードと同じだが、しかしそれを摂取すると、感情が出やすくなったり、感覚がおかしくなったり、身体に変化が現れたりするなど、様々におかしな症状を発症する「劇薬」なのだ。それ故に、別名「魔法の実」とも言われている。
最初はトアノードと同じ症状が出るので、恐ろしい実だ。そう、なにより外観が色違いだったり、名前が似通っている木の実なだけに、シエルのように間違えてしまうことはある。
とはいえ、この実はトアノードと違い、一般的な市場で流通するものではないので、あまり間違えることはない。アルトーノはエリステルダム周辺で採れる木の実でもないので、普通は専門の店で買うのが普通だ。シエルは一体どこから入手したのだろうか……。
「え、え? わ、私もお母様も飲んじゃったけど、大丈夫かしら……」
「うーん、ちょっと分からないけど……もしかしたら、昨日、ティンが飲んだシエルのオレンジ酒も、アルトーノだったんじゃないかな」
「だとしたら、ティンちゃんが大きくなったのも、そのせいなのなか? ……シエルお姉ちゃんも、大きくなっちゃうの?」
「そ、それはないと思うわ。……うぅ、でも何が起こるのか分からないから、ちょっと怖いわね」
実際、アルトーノの効果は何が起こるか分からない。もしかしたら、シエルも大きくなってしまうなんてことも、あり得るかもしれない。何がとは言わないが。
「ま、まぁ、大丈夫だよ。変なことにはならないよ……多分」
確証がないのはしかたがない。なにはともあれ、この事はルフィーに伝えておかなければなるまい。もしかしたら、ルフィーの身に何かしらの症状が出てるかも分からない。早めに伝えて処方を考えてもらわないと、まずいことになりそうだ。
「シエル、ちゃんと作り直さなくちゃ駄目だからね」
「ご、ごめんなさい……」
シュンとしながら頭を下げる。シエルは確りしてはいるが、希にこういったミスをすることがある。まぁ、今までは店内の爆発(!)とか、カレンやリーナが問題発生の直前に見つけたり、その被害は最小限に抑えられていたが……今回ばかりは困ったことになってしまった。ということで、カレンはルフィーのアトリエへと向かうことにした。
アトリエに到着すると、ドアをノックする。いつになく静かなアトリエからは、やはり反応がなかった。まだ寝ているのか……そっとドアを開けて中に入ってみた。
アトリエはやはりランプも
「ルフィー先生、カレンですけど、体調はどうですか?」
「カ、カレンちゃ~んっ!」
ドアノブを掴み掛けたとき、そんな声とともに、叩き破られるようにドアが開かれた。ドアの前に居たカレンは、何の前触れもなく開かれたドアに突き飛ばされる。頭に強い打撃を食らい、患部を摩りながらしゃがみ込こむ。前にも同じ様なことがあった気がする。
そして立て続けに喚き声がしたかと思えば、誰かが泣きついてきた。
「カレンちゃんっ!」
「ふぇっ? ……だっ、誰?」
そこに居たのは、女の子だった。そう、例えるならリーナと同じ年頃――もしくはそれより年下――の子だろう。一見すれば、その年頃のシエルにも見える。彼女は泣きべそをかきながらカレンにこう言うのだ。
「私よ、ルフィーよ。か、体が小さくなってるのよ!」
「えぇ~っ!?」
どう見ても、目の前に居る女の子がルフィーだなんて思えない。一体どうしたことやら。こんな形で異変が起こるとは思ってもみなかった。
「せ、先生落ち着いて」
心なしか言動や仕種まで幼くなってしまったルフィーを落ち着かせると、一様の事情を説明した。まさかアルトーノでこんなになってしまうとは……。
「な、なんだ、そういうことだったのね。ゴメンね、ちょっと混乱ちゃって……」
「いえ、気にしてませんから。……あの、先生」
「何?」
「何だか、可愛いですよ」
「……」
カレンの言葉に恥ずかしがってるのか、ルフィーは頬を染めながら俯いてしまう。何というかそんな仕草がかわいらしい。自分より年下になってしまった先生というのも面白い。
「ルフィーちゃん、アメあげよっか?」
「わぁ、有り難う! ……って、違うでしょ!」
何というか体だけじゃなく、心まで子供になってしまっているようだ。確りアメももらっている。おそるべし、アルトーノ。
ともあれ、こんな状況ではルフィーに処方を考えてもらうなんて難しい。自分で何とかしなくてはならない。カレンももはや腕を
実はアルトーノに関しては、未だ解明されていない部分が多く、それこそ麻薬同等の扱いを受けている。それに、エリステルダム付近で採取できる場所があったとしたならば、危険である。何とか対処しなくてはならない。
「カレンちゃん、多分、心配ないと思うわ」
「え?」
「アルトーノの症状は、しばらくすれば治る場合が多いから。どれくらいかはまちまちだけど」
「なんだ、そうなんですか……。でも先生、小さいほうが可愛いですよ」
「はぅ……っ! そ、そうじゃないでしょ、もうっ!」
一瞬、ムッとした表情を見せてそう言い返す。ただ、気持ちは正直なようで、頬を朱に染めていた。まぁ、対策こそは立ってはいないが、時間が解決してくれそうだ。何はともあれ一安心した。
――しかし、そんなはずもなく、大きな歯車が動き出してしまったことなど、知るはずもない。
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