第2話「祭の夜に咲く花は」5

 ルイの話によると、主要材料はクエン山にあるという。爆裂茸は中腹にあり山道を行けば見つけられるし、破裂石は洞窟の中にあるという。結構危険な材料採取になりそうだ。とはいえ、シエルはどこへ行ってしまったのかも分からないし、仕事の忙しいルイを誘うこともできやしない。しかたなくカレンは一人、材料採取に乗り出した。

 西門を抜け、聖樹の森と山のほうへと続く道を進んでいく。もう何度となく通っている自然路。空は気持ちいいくらいに透き通って、山の向こうへと続いている。あまりゆっくりできないが、この道を通るときは、風景を楽しみながらゆったり歩いてしまう。店を始めた当初には、あり得ないことだった。

 ……七時前には戻ってこないと。

 夏場は六時半ばを境に日が沈み始める。早めに帰らなければ、辺りが暗くなる。それに、制作の時間も無くなってしまう。あまり暢気のんきにしていられない。

 山のふもとに広がる、小さな林を切り開いて作った道を進んでいくと、段々と緩やかな坂になっていく。そして、林道から開けた場所に出ると、岩肌が目立つ山道に出る。更に足を運ばせれば、崖の道ばたに大きく口を開いた穴が姿を見せた。ここも何度と無く出入りを繰り返した洞窟だ。

 ここ最近は一人で来ることが多い。ティンは店番で忙しいし、リーナは売り上げで減っていく商品のストックを作るため、店に残さなくてはならない。何度も来ている最中で、前まで感じていた怖さなんてもう無くなっていた。

 早速、用意したランプに火をともし、洞窟の中へと入っていく。夏には涼しいくらいの空気が、洞窟内を満たしている。小細工で罠を仕掛けたら、肝試しができそうだ……なんて思うくらいの余裕も最近はできてきた。

 ……この先なのかな?

 いつもネリノ石を採取しに来ている場所から、もっと奥へ進める道がこの先に続いている。実はこの先へは行ったことがなかった。新しい材料を見つけるチャンスかもしれないが、反面、一体何があるのか分からない。久しぶりに恐怖感を覚えた気がした。

 カレンは地面に落ちていた小石を拾うと、右側の壁に押しつけた。一呼吸置くと足を運ばせる。壁に石がつける傷が残る。帰る際に、どこを通ったのか迷わないようにするためのすべだ。

 ずっと歩いているが、先程から緩やかな下り坂が続いている。行けど行けど風景が変わらず、どれくらいの位置に居るのか確かではなくなってしまう。ちゃんと帰ることができるのだろうかと不安になってきた。店を開いてないから、ティンを連れてきても良かったかもしれない。

 ……そういえば、シエルどうしたかな……?

 涙を見せ、調合部屋を飛び出してしまったシエルのことを思い出した。ルミが言っていた通り、ティンも言い過ぎだと思う。カレンのことを思ってそう言ってくれたんだろうけど、思ったことを直に言うから、事をややこしくさせてしまってる。帰ったらティンに言い聞かせないと。

 色々考えていると、ようやく広い空洞に出ることができた。結構大きな空間で、足音が響き渡る。

 そして、壁際に大小様々な真っ黒い石が幾つも転がっていた。それが破裂石だ。とりあえず、小さめの石を採取する。一体これくらいの石でどれくらいの威力があるのか、徐に一つ、何もないところに放り投げてみた。

「ふえぇっ!」

 次の瞬間、カレンは後悔した。てのひらに収まるくらいの小さな破裂石が、大きな爆発を生み出した。砂埃が立ち上がり、地面に小規模のクレーターができ上がる。何という威力。開いた口が塞がらないとはこのことだ。

「ふわぁ、これはちょっと……」

 採取した破裂石を慌ててバッグにしまい込む。調合部屋で自分が張った防護魔法が効くかどうか、とても不安になってきた。なにはともあれ、そそくさとそこを後にするなり、足早に洞窟を出ていった。

 いただきへと続く山道を、爆裂茸を求めて登り始める。緩やかな傾斜ながら、地面が粗いためにとても歩き難い。時々転びそうになりながらも、中腹にある採取場所を目指す。段々と息が上がってきた。あまり山道へは来たことがないので、結構辛い。

「ちょ、ちょっと休もうかな」

 どれくらい登ったのか分からなくなってきたころ、平坦な広場に到着した。草木が茂るところもあり、カレンはそこまで行くと、木陰に座り込んだ。

 額に滲む汗をハンカチで拭い、深呼吸をする。山地特有の澄んだ空気を、胸一杯に吸い込む。とても気持ちがいい。それに、目の前に広がる光景がとても綺麗だ。崖の向こうに聖樹の森や、エリステルダムの全貌を望める。澄んだ空気がそれらの色彩を沸き立たせているように見えた。疲れが一気に吹き飛ばされる気分だ。

「何だか、眠くなっちゃうなぁ」

 芝生の上へと仰向けになり、傘のように広がる木の枝を見上げる。それらの隙間から青空が覗く。とても気持ちのいい眺めだ。

「ん?」

 欠伸あくびを一つしかけたとき、すぐ近くで何か物音が聞こえた。石が崖を落ちていくような音だった。何か居るんだろうか。そういえば、山で狼を見掛けたという話を聞いたことがあった。しかも多くの人が見かけたらしい。もしかしたら、その狼なのかもしれない。カレンは慌てて立ち上がり、早く立ち去ろうと爆裂茸を探し始めた。

 爆裂茸は山道に生えているものではないらしい。余談なのだが、爆裂茸の他に、爆笑茸や爆睡茸というのもあって、各々名前の通りの効果を発症し、前者は森に生息し、後者はこういった山道に生えているのだ。そして爆裂茸はというと、崖などに生息する草とともに生えている。これでは、なかなか見つけられない上に、採取するにも危険が伴う。

 ……あ、見つけたっ!

 丁度、足下の崖で何個か生えているのを見つけ、崖の縁でしゃがみ込み、膝を突いて手を伸ばしてみる。しかし、手の届く場所なんかじゃない。でも、取らなくてはフレイムマイトを作ることはできない。

 カレンは意を決し、崖の岩場に足をかけた。足下の小石がぱらぱらと落ちていく。その音が遠ざかるのを聞いて、足がすくんでしまう。とてもじゃないけど下なんて見られたものじゃない。

 ……うぅ、怖いよぅ……。

 途端に、緊張感を煽るように風が吹いてくる。ここでもし、足を滑らせてしまったら……。そう考えると、もう怖くて動けなくなってしまった。ティンが居たら、飛んでいって取っもらえたかもしれない。連れてくればよかった。

 崖の中腹辺りで後悔していると、すぐ近くで爆裂茸を発見した。岩肌の間に草と一緒に何個か生えている……だが、手を伸ばしても届かない。でも、これ以上動こうという気にはなれなかった。思い切って目一杯に手を伸ばす。もう少しで手が届く。少し近づこうと、足を動かしたそのときだった。

「あっ!」

 足を動かしたとき、両足下の岩場が崩れてしまう。行き場を失った足が宙に晒される。岩に掛けた腕に、できるだけの力を入れて体を支え、なんとか近くの岩に足をかけた。しかし、足場は虚しくも崩れてしまう。体が腕で支えられている状態になってしまった。

「ふ、ふわぁぁ、助けて~っ!」

「まったくもう! 世話ばかりかかるわね!」

 泣きべそを掻いて悲鳴を上げると、頭上から聞き慣れた声が返された。上を見上げるとそこには、ファーマシーを出ていったまま、行方が分からなかったシエルが立っていた。いささか怒気をにじませる表情を見せ、腕を組んで見下ろしている。

「シ、シエル、助けてぇ!」

「そんなことできないわ」

「えぇっ!? そ、そんなこと言わないでよぅ!」

「騒いでないでじっとしてなさい!」

 喚くカレンを一喝すると、シエルは両手を前方にかざした。そしてまじないをすると、呪文を朗唱し始める。

 調合部屋でカレンが唱えた魔法とは朗唱が違う。朗唱が続くに連れ、シエルの体にのしかかるような重圧が加わり始める。彼女はそれに潰されまいと脚に力を入れた。その一方で、カレンの体が何かに支えられているかのように軽くなっていく。今、シエルが唱えているのは、物から重力を奪い、その物を浮かせるという魔法だ。

 この魔法は、重力を操る魔法と、物を浮かせる魔法を併用して使うのが普通になっている。しかし二つの魔法を使う為に、高等な技術が必要となる。だから大概の人は、軽い物を上げるのが精一杯だった。理由は物を浮かせる魔法のほうが容易であり、使用者の体力や体重による制限があるなどの、それ自体に上限があるからだ。言ってしまえば、重量を奪う魔法のほうが高等ということだ。

 そしてなぜ、シエルに重圧が加わるのかというと、物を浮かせる魔法は、自分と浮かせる物の間に支点を作り出すからである。つまりは魔法でシーソーを作り出しているのだ。自分の位置を変えずに持ち上げようとすれば、その分重さとなって返ってくるという仕組みである。

 シエルにカレンを持ち上げることはできないが、多少軽くする程度にはできる。しかしカレンは同じ場所で硬直していた。

「カ、カレン、早く……上がってきなさいよ!」

「だ、だって怖いんだもん!」

「私のことも考えてよ!」

 その言葉を聞いて、カレンは気づいた。どうしてここにシエルが居るのか。調合部屋を飛び出した後、どこに行ったのか分からなくなって、本当は探してあげたかった。でも、彼女は戻ってきてくれた。

 ……シエルと作りたいって、そう言ったんだ。

 カレンは思い切って崖を登り切ると、恐怖から逃れた安堵感から地面にへたりこんだ。そしてシエルも魔法を解くと、ガックリと崩れるように膝から座り込んでしまう。荷重に耐えて大きく体力を削ったらしく、息が上がっている。

「あ、ありがと、シエル」

「…………」

 シエルは黙りこくって呼吸を整えながら、少し張り詰めた表情を見せている。

「シエル、大丈夫?」

「……ごめんなさい、カレン」

「え?」

 シエルは俯いてそう口にした。予想もしなかった答えが返ってきて、カレンは驚いてしまう。

「あなたに、酷いことばかり言ったわね」

「う、ううん、気になんかしてないよ。だからシエルが謝ることなんて……」

「違うの。ルミに言われたのよ、もう少し素直になりなさいって。……一人で意地になって、誰が悪いわけでもないのにカレンに当たったり、イライラしたり。本当はそんなこと、したくなかったのに……」

「……シエル、本当は、お店開きたかったんでしょ?」

「っ!? ……ど、どうして、知ってるの?」

 カレンは穏やかに笑みを見せた。実はルフィーから聞かされていたのだ。


 お店が波に乗り始めていたある日、ルフィーが店へ来てくれたことがあった。そのとき彼女は、カレンにこう言っていたのだ。

「実はね、シエルもお店を開きたがってたのよ」

 シエルがそう言いだしたのは、中等部三年に入ったころだった――そのころに、カレンが店を開くという話が、学園内で話題になっていた。シエルも魔法製薬で、店を構えたいという夢を抱いていたのだ。

 しかし、ルフィーはそれを許しはしなかった。

「でも、調合のレベルが高いわけじゃないのに、お店を出させるわけにはいかないもの。もっとアトリエの後継者としての素質を磨いてもらわないと……」

 生徒に優しいルフィーは、母親として厳しい人だった。伝統ある錬金術師の称号を継承し、アトリエを継ぐことこそが、母の掲げたシエルへの課題だった。彼女の性格を決めたのは、厳格な母のせいだったのかもしれない。

 無論、シエルはカレンが店を出せたのに、自分は店が出せないことに対しての反論をしたはずだ。しかしそれは、カレンの家庭事情という問題を前には適わないことだった。彼女は、それが不服でならなかった。

 それ以来シエルは、カレンの店がどうしようもなく気になって、ずっと調合も失敗ばっかりが続き、自信をなくしかけてた。そんな中、リーナの依頼である猫の傷薬を成功させ、それをきっかけに店が繁盛の波に乗ってきたのである。次第にシエルは焦りを感じ始め、それがカレンへの怒りになっていったという。

「ゴメンね、シエル。もっと早く、気づいてあげられたら良かったのに……」

「ううん……図書館で声をかけてくれたとき、本当にうれしかった」

 顔を上げると、目尻に涙を溜ながら、笑みを見せる。そんな表情を見てカレンは、ルフィーの話を聞いて思いついたことを口にした。

「ねぇ、シエル。……私と一緒に、お店やろうよ」

「え……?」

 カレンの提案に、シエルは驚きを見せた。普段なら、「嫌よ!」の一言で片づけてしまいそうな提案だったかもしれない。

「い、いいの? ……本当に、いいの?」

「うん、もちろんだよ。だから、一緒にやろうよ」

 カレンは立ち上がると、シエルに手を差し伸べて、もう一度問い掛けた。

「あ、ありがとう……カレン」

 その手を取って、立ち上がるやいなや、シエルはカレンを抱き締めた。そして、今の今までずっと堪えていた想いの堰を切り、頬を濡らす。カレンはそんな彼女の頭を優しく撫でる。落ち着くまで、もう少しこのままで居ようと思った。

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