第1話「街の小さな薬屋さん」7—2

 翌日、カレンはカーテンの狭間から差し込む陽に目を覚ました。体を起こして伸びを一つにあくびをし、席を立って窓のカーテンを開く。太陽に光に思わず目を閉じてしまったが、実に気持ちのいい朝だ。

 時計を見てみると、午前七時四十五分を差そうとしていた。今日は、朝からドタバタする必要はない。何せ、リーナの依頼品である猫の傷薬ができたのだから。

 初めてできた、大掛かりな魔法薬。これ以上にないよろこびに、胸を躍らせた。

 これでティンにも文句は言われない――と、そう思ったとき、今の今まで忘れてたティンのことを思い出した。

 製薬作業に夢中になって彼女のことを忘れてしまっていた。今ごろ、どこで何をしているのだろう。今まで彼女から会いに来なかったということは、まだ怒っているのかもしれない。

 今日、リーナに薬を届けたらティンを探して、見つけたら謝り、初めて薬を作れたことを報告したい。そして、もう絶対離れないで欲しいと伝えたい。ずっと寂しい思いをしたし、こんなにも辛いことはない。ティンが居なかったことが、彼女には良い結果になったようだ。

 開店時間を迎えるに一度家へと帰り、シェリーに今までのことを話した。二日も泊まり込みで薬を作っていたこと、初めて薬が作れたこと。シェリーはそのことをとてもほめてくれた。これで一歩、母の薬を作る為の準備が――ほんの少しだけど――できたのだ。

 ファーマシーが開店する頃合いになり、カレンは薬の入った小ビンを手にして、リーナの家へと向かっていった。

 メインストリートを中央公園のほうへと向かう。そしてカレンは、公園の中央にそびえる時計塔の前で立ち止まった。もう少しで開店時間の鐘が鳴り響く。込み上がるうれしさを抑えて再び足を運ぼうとしたそのとき、背後から聞き慣れた声が掛けられた。振り返って見てみると、そこには荷物を抱え込んだルミが立っていた。

「あ、おはよう、ルミちゃん」

「おはよう。どうしたの? こんなところで。お手伝いさんも居ないみたいだけど」

「聞いてルミちゃん! 私ね、初めてお薬作れたんだよ!」

「えっ!?」

 カレンのそんな報告に、ルミは思わず仰天してしまう。今までのカレンの行動からすれば、驚かざるを得ないだろう。

「ホ、ホント……?」

「本当だよ!」

「わぁ、よかったじゃない! おめでとう!」

「うん、ありがとう! みんなのおかげだよ。だから、これからお届けするの」

「そうなんだ。じゃ、いってらっしゃい!」

「うん!」

 少しはしゃぎ気味に返事をするやいなや、ルミと別れて再びリーナの家へと向かう。そんな幼なじみの背を見て、安堵のため息とともに、うれしさを噛みしめるルミだった。

 目指すはリーナの家、パン屋「ホワイトバレー」へと着き、まだ開店しない店の入り口の前で深呼吸していた。なにはともあれ、緊張する。

 自分の作った初めての薬――本当に効くのだろうか。今更ながらそんな不安が過ぎる。しかし、今までの苦闘を無駄にする訳にはいかない。カレンは意を決して入り口を開けた。

「おはようございます! マジカルファーマシーです! ……って、あれ?」

 しかし、中は誰も居ない。開店直前になって誰もいないのはおかしい。カレンは不思議に思って店内を抜け、誰も居ないパン工場から階段を上がり、住まいのほうへ足を運ぶ。するとどこからか、むせび泣く声が耳に飛び込んでくる。その声を頼りに、場所を探そうと上がり込む。

「あ……」

 声は、前に昼食を取りに来たことのある、リーナの部屋からだった。ドアは開けっ放しで、その中から声が聞こえる。カレンはそこに近寄り、そっと中の様子をうかがう。

「お、おはようございます。リ、リィちゃん、お薬、できたよ……?」

「お、お姉ちゃん! リオちゃんが! リオちゃんが!」

 腹部に包帯を巻かれたリオの横たわるカゴの前で、リーナは必死の形相でそう叫び上げていた。リオの状態が良くないことが一目で分かる。

「え……っ!?」

 慌てて近くに寄りつくなり、リオの状態をうかがう。その小さな体の大部分を包帯に覆われ、吐く息も辛そうでか細く、見るにはかない印象を受けざるを得ない。早く手を施さなければ……!

「お姉ちゃん! リオちゃんを助けて!」

 涙を拭うことも忘れ、リーナはカレンの手中にある薬に望みを懸けている。

 リオの体から丁寧に包帯を取り外す。できるだけ負担を与えないように、小さな体を気遣う。そして、あらわになった傷口は、子猫が命を取り留めていることが奇跡であるほど、酷いものだった。ある程度の処方を施したのだろうが、傷口は化膿かのうしかけていた。

 ……だ、大丈夫かな……?

 一瞬、そんな言葉が脳裏を掠めてしまう。本当に、自分の作った薬が、効くのだろうか。

「お、お姉ちゃん? どうしたの?」

 不安そうに見上げるリーナの声に、我に返る。自分が自信を持たなくてはいけない。この薬は、リーナと一緒に作った薬なんだ。効かないなんてことは、絶対にない!

 小ビンの蓋をゆっくり開けると、中の塗り薬を患部にそっと塗りつけた。時折苦痛に歪む表情に、掠れた辛そうな鳴き声を漏らす。その傍らで、手を合わせて一心不乱に祈るリーナの姿がある。

 薬が塗り終わり、ガーゼを当てて新しい包帯を巻いてあげる。未だ苦しそうな吐息を吐き続けるリオに、異様な不安感を抱いてしまう。

「リオちゃん! お願い、良くなって……!」

 カレンも思わずそう声にしていた。失敗なんかしない。

 徐々にリオの息遣いが、落ち着きを取り戻していく。苦痛に歪んでいた表情も、和らいでいく様子がうかがえた。

 その安堵感からか、びっしょり掻いてしまった額の汗を袖で拭ってしまう。しかし、リーナの表情は、一行に険しさをなくしてはいなかった。

「お、お姉ちゃん、リ、リオちゃんの様子がおかしいよ!」

「えっ!?」

 まさかそんな訳がない。リオは落ち着きを戻している。何がおかしいのか……。リオの具合を探ってみた。

「――っ!?」

 血の気が引いていくのが、嫌なぐらい分かった。背筋に悪寒を感じる。拭ったはずの汗が再び滲み始めてしまった。

 ――リオは、死んでしまったのか、グッタリとしてしまっていた。

「リオちゃん? ……リオちゃん! ねぇ、リオちゃん!?」

 リーナの悲痛な叫びが、部屋を木霊こだまする。それはいつしか、泣き声と変わっていた。

 カレンの手から、空っぽの小ビンが滑り落ち、むなしく床に落ちて辺りを転がる。暫し泣き声しか聞こえない沈黙が部屋を漂う。カレンは体が震え上がるのを感じた。今にも泣き出してしまいそうな感情が心を蝕んでいく。

 そして、彼女の頬を一筋の涙が流れた。その次の瞬間、カレンは一目散に部屋を出て行き、パン屋を出てはファーマシーに駆け込んだ。

 次から次に涙が溢れる。悔しかった。一生懸命薬を作ったのに、効いてくれなかったことが。自分の力で助けてあげられなかったことが。

「……カレン、もう泣いちゃダメよ」

 そんなカレンに声を掛けたのは、今まで行方不明になっていたティンだった。ティンは穏やかで優しい表情を見せながら、カレンの頭を撫でる。それに気づいたかカレンは涙を拭って顔を上げ、行方知らずだったティンのことを見て、思わず再び涙を流した。

「ティン……。私、ティンが居なかったから、寂しかったんだよ。私、もうティンのバカなんて言わないから、もう離れていかないでよ」

「分かってるわよ。それと、あんたが今泣いてる訳もね」

「え……? どうして?」

 ほほえみを見せながら、ティンは真実を告げた。

「猫の傷薬っていう依頼でしょ? 私、実はね、ずっとルミと一緒に居たのよ。あんたが一人でどれだけできるか見る為にね」

「……」

「ほら、こうやって、薬を作り上げたじゃない。あんたはやればできるのよ」

「でも……でも、リオちゃん、お薬使ったのに……」

「それはカレンのせいじゃないわ。確かに、結果も大事かもしれないけど、あんたはしっかり薬を作ることができたんだから、約束は守ったのよ」

「……う、うん、ありがとう、ティン。薬が作れたのは、ティンのおかげだよ」

「私は何もしてないわよ。……逆に、あんたから逃げてたんだから。ごめんね、カレン。一人にさせちゃったわね」

 照れるようにそっぽを向きながら、ティンはそう口にする。明りのかない薄暗い部屋でも分かるくらい、彼女の顔は真っ赤になっていた。

「私も……その、寂しかった。こんなこと、もうゴメンだわ」

「うん。ティン、これからもずっと一緒だからね?」

「えぇ、勿論よ」

 振り替えるなりティンは笑みを見せる。カレンもいつしか、涙を忘れて笑みをこぼしていた。今までになかった壮大なケンカは、こうして幕を閉じたのだった。

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