第1話「街の小さな薬屋さん」7—1

 カレンがファーマシーに戻ってきてから幾数時間が過ぎた。時刻は午後七時半を回ろうとし、閉店時間が間近に迫っている。されど、調合部屋の明かりは消されておらず、閉店する様子が見られない。

 そう、そこには、一生懸命になって調合を行っているカレンが居るのだ。材料を加工したり、液体を混合させたりと、いつになく真剣な眼差しで作業を続けている。リーナはカレンの邪魔はしたくないと言って、何時間か前に家へと帰っている。カレンは一人黙々と調合に専念していた。

 その一時間後、カレンは調合部屋のテーブルで眠ってしまっていた。


――――。


 気づけば辺りは明るく、どうやら朝になっているようだ。カレンはついつい自分が眠りに入っていたことに気づき、昨日やり掛けていた調合のことを思い出して眠気を吹き飛ばし、調合テーブルのほうへ目をやった。

 ……しばし沈黙が部屋を漂う。そしてカレンの表情は一気に青ざめていった。

 テーブルの上は失敗したかのように、ビーカーなどの機材や、昨日調合した品々が無残な様子で散らばっていた。どうしてこうなってしまったのかは皆目分からない。カレンはそれらを見つめながら、放心してその場に座り込んでしまった。

 昨日あれだけ真剣になって行った調合が、何かのせいで振り出しに戻されてしまった。再び材料集めをしなければならない。いや、それなんかよりも、リーナになんと言えばいいのだろう……。

 カレンは焦りながら散らばった物を回収しようと、それに手を伸ばしかけると、店の入り口ドアについているカウベルが店内に鳴り響いた。

 カレンは音に気づき、慌てて売り場へ出ると、入り口にはリーナが立っていた。カレンはそれを見るなり、鼓動を張り上げ、冷や汗が滲むのを感じてしまう。

 リーナは店の奥から出てきたカレンを見ると、その場で泣き崩れてしまった……出会ったときよりも、その様子は落ち込んでいる。そして、嗚咽おえつ狭間はざまに声を漏らしてこう言うのだ。

「リオちゃんが……」

「リ、リオちゃんが、どうしたの?」

「リオちゃん、死んじゃったよ……」

「――っ!?」

 リーナの泣きじゃくる声が店内に響く。カレンは何もできずに無言で立ち尽くし、くうを見つめた。そして我に返ると、リーナに近づいて彼女の頭に手を伸ばす。

「触らないで!」

 しかしそれは、触れることなく、リーナの手に弾かれてしまう。そして、リーナは強い視線でカレンをにらみつけていた。

「お姉ちゃんの嘘つきっ! リオちゃんのケガ治してあげるって言ったのに! 失敗しないって言ったのに! もういいよ! お姉ちゃんなんか……お姉ちゃんなんか大っ嫌いだよっ!」

 リーナはそう放つと、一目散に店を出ていった。一人残されたカレンはその場に座り込んでしまった。


――――。


「……ちゃん、お店始まる時間だよ。起きて、お姉ちゃんっ!」

 意識の彼方かなたから聞こえる声に、カレンは目を覚ました。

 どうやら朝を迎えていたらしい。彼女はテーブルに伏せていつの間にやら眠っていたことに気づき、開かれたままの参考書や散らばった材料の類を見て、昨日ここで、調合についての調べ事をしていたことを思い出した。それと同じくして、背後からすっかり聞き慣れた声が投げ掛けられる。

「おはよう、お姉ちゃん。もしかしてここに泊まり込みだったの?」

「あ、リィちゃん、おはよ。うん、何だかいつの間にか眠っちゃったみたい」

 そこでようやく夢のことを思い出し、慌てて立ち上がっては調合台に目を向けた。そこには、昨夜に見た道具や材料が一式、同じ場所に置かれていた。なにはともあれ夢と同じことにはなっていなかったようで、安堵のため息を吐き出してしまう。

「ど、どうしたの? いきなり」

「えっ、あ、ううん、何でもないよ。さ、昨日の続き、始めよっか?」

「はーい!」

 リーナはいつもと同じ元気のいい返事をすると、早速カレンの指示に動き始めた。


 時は昼ごろになり、ライム雑貨店の看板娘であるルミは、逃亡中のティンを連れて三軒隣のパン屋へと足を運んでいた。その途中ティンは、最近自分を探さなくなったカレンのことが気になってきたのか、ルミのバッグから抜け出して、ファーマシーの窓からこっそり調合部屋の中を覗いていた。そして、中で行われていることに驚かされてしまうのである。

「ちょ、ちょっとルミ! 見てみなさいよっ!」

 異様な驚きを見せるティンにルミも気になったか、同じように中を覗き込む。彼女もまた、それを見て驚くのだった。

「あ、あれ、カレンちゃん……だよね?」

「あ、あんなカレン、初めて見たわ……」

 カレンは調合台を目の前に、材料をすり潰したり、傍らにあるメモ帳にペンを走らせたり、棚の中から機材を取り出したりと、調合を行って部屋の中を駆けずり回っているじゃないか。それとともにリーナもせっせと忙しそうにカレンのサポートに当たっている。今までにない彼女達の行動にただただ驚くばかりだった。

 ルミとティンが調合部屋の窓を離れるころ、ファーマシーにリーナの母がやって来て、お店を手伝ってほしいと彼女を連れ帰っていった。これからは一人で作らなくてはならない。カレンはリーナの母が置いていってくれたパンで一息入れ、気合いを入れ直して再び作業を開始した。

 ――それから数時間か経ったころ、ファーマシーはすっかり静まり返っていた。

 ここ最近の疲れが出たのか、カレンはまたもやテーブルに伏せて眠ってしまっている――その表情は穏やかで、安らかな寝息を立てていた。


 その深夜、ファーマシーに時間外の来客があった。その影は小さく、宙にふわふわ浮いている。そう、ティンだ。二日間に渡って家に帰って来ないと、隣の家に居たって気づくものだ。店に居ないかとやってきたわけだ。

 窓にはカーテンが引かれていたが、明かりだけは見えた。とりあえず入り口に回って中に入る。

 ドアのノブに手を掛ければ、やはり鍵は開いていた。そして売り場を通過して、調合部屋へのドアを開けると、光に照らされる室内の真中、テーブルの上で眠るカレンの姿を確認できた。それを見るなりティンは、呆れ半分、そして安堵感半分のため息をつく。

「まったくカレンったら……二日も家に帰らないで、お母さん心配してるじゃない」

 実を言えば、カレンが帰らないと知って、ティンは家の様子を窺っていたのだ。

「……私だって心配してるんだから。……あんたがまた知りもしない依頼受けて、失敗ばっか繰り返してるんじゃないかって。またお店の評判がた落ちにならないかって……。いつも、いつも心配だったんだから!」

 ティンは次々込み上げてくる言葉を漏らしながら、胸の奥から湧き上がる感情に頬を濡らしていた。

 ただただ心配だった。ティンなんて大嫌いと言ったあと、忽然こつぜんと姿を消してしまった自分を、必死になって探し回るカレンの姿が、日に日に浮かび上がる。何度戻ろうと思ったか。無人の調合部屋で書置きを見たときに、感情を押さえ込むのがどれだけ辛いことだったか……。

「あまり私やシェリーを心配させないで……。早く帰ってくるのよ」

 感情が紡ぎ出した言を置くと、静かに寝息を立てるカレンを横目にここを去ろうとした。

 そのとき、ティンの目には、カレンの眠るテーブルの上に小さいガラスビンが置かれていることに気づいた。そして調合台の上を見てみると、全て元の通りに片づけられているのが分かった。完成……したのだろうか。ティンはそれを見るなり、再び涙を流すのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る