第1話「街の小さな薬屋さん」6—1

 昼間でも陰気な雰囲気を漂わせる、街の南方に広がる森――インサルトの森。その中央部には湖が抱かれ、万病に効くという湧き水が湧き上がっていると言われている。しかし、森の広大さに迷う者は続出、さらに、森に掛けられた呪縛とやらのせいで、一度入ったが最後、故に帰らぬ者が多い森である。

 なぜそんな説明をするかというと、製薬に必要な材料の一つなのである――天然の湧き水が。ここ付近で天然の湧き水があるのは、森林の湖くらいである。他にあるとしたら、山の洞穴の最深部にあると言われる、地底湖の水。流石さすがに最深部になんて行けそうにもない。かといってインサルトの森の湖にも行けそうにない。

 カレンとリーナは森へ向かおうと考えたものの、行けそうにもないと思い直し、中央公園の中央にそびえ立つ時計塔の階段に腰を下ろし、考えを巡らせていた。今後必要になっても取りに行けない可能性があるので、経営がそれらのせいで危ぶまれるかもしれない。

「どうしよう、お姉ちゃん……」

「他の物を採りに行こうかなって思うんだけど……」

「そ、そうだね。森の湖なんて行けないし……」

「じゃぁ、聖樹の森に行こうよ」

「聖樹の森? 何を採りに行くの?」

「聖樹の葉だよ。聖樹の葉っぱは、疲れを取ったり、病中の栄養補給とか、滋養成分が多いみたいだね。それじゃ、出発しようか」

 聖樹の森へは、イースタンストリートから街を出て、そのまま東へ進めば到着する。インサルトの森とは違い、木々が生い茂るものの多く木漏れ日が差し込み、空気が澄み渡って清々しい。そして森の中心部には広場があり、聖樹と呼ばれる樹齢数百年の大樹が、高々とその幹を天に向かって鎮座しているのだ。その高さは街からでも伺えるほどだ。ということで、二人は早速、聖樹の森へ向かって足を運ばせた。


 そのころ、ファーマシーの店番を頼まれたルミは、なぜか彼女が店番のときだけ繁盛するファーマシーを手際良く切り盛りしていた。で、ティンはそれを目の当たりにして頭を抱え、主の居ない調合部屋へと消えていくのだった。繁盛はうれしいが、できれば自分かカレンが売り子をしているときであればうれしいのだが……。ティンは深いため息をはき出さざるを得なかった。

「しっかし、あの子もまたほいほいと分かりもしない注文受けちゃって……。作れなかったらそれこそ信用ガタ落ちじゃない」

 そう言いつつ、テーブルに放置された図書館の書物に目をやる――そのとき、本の側に、書き置きが残されていることに気づいた。内容はこうだ。

 ――ティンへ。材料採取に行ってきます。その間、お店はルミちゃんにお願いしているから、手伝ってあげて下さい――。

 カレンは一人で材料調達へ行く際、必ず一声を掛けてくれる。しかし、今回に限ってティンは驚いた。自分が行方不明になっているのに、書き置きを残すなんて、几帳面きちょうめんというか何というか。そしてさらに、彼女を驚かすような内容が綴られている。

 ――それと私は今、猫のケガを治す薬の依頼を受けてます。知らない調合薬だけど、一生懸命調べたりしているので、今回はティンに迷惑掛けたり、怒らせたり絶対しないから、もう居なくなったりしないで下さい。カレンより――。

 思わず、胸の奥底から湧き上がる感情に、心がうずくようでならなかった。カレンもまた、ティンが居なくなってしまったことに対して、ショックと寂しさを味わっているようだ。しかし、そう願われても、ティンはカレンの元に戻ることはできなかった。カレンをもう少し試したい――一人でどれだけのことができるかを。

 さすがに、こんなにもカレンの気持ちが乗せられた文章を読んでしまっては、彼女の元に戻りたいという気持ちになった。でも、今、彼女の元に行ってしまったら、振り出しに戻りそうな気がしてしまう。

 決してカレンを見放すわけじゃない。彼女の成長を図れる大事なときであるが為に、戻るわけにはいかない……。ティンは手にした書き置きを元の位置に戻し、後ろ髪を引かれる思いでルミのバックの中へと戻っていった。


 カレンとリーナが街を出るころ、エリステルダムのシンボルタワーである時計塔の針は、十二時の下で折り重なろうとしていた。というわけで、お昼になりそうなので、早めに採取して街に戻るべく、カレンはとにかく急ぎ足で森を目指していた。

「ねぇ、お姉ちゃん。どうしてそんなに急ぐの?」

「早く採取して戻らないと、お昼ごはんが買えなくなっちゃうんだよ。近くのパン屋さん、おいしいからすぐ売れちゃうの」

「あ~っ! それなら大丈夫だよ」

「え? どうして?」

「だって、お姉ちゃんのお店の近くにあるパン屋、リィのお家だもん」

「え? そうだったんだ? ……知らなかった」

「だから、リィとお姉ちゃんの分のパン、ママに用意してもらってるから、急がなくても大丈夫だよ」

「そうなんだ。ありがとうリィちゃん。じゃ、ゆっくり行こうね」

「うん!」

 行く先は聖樹の森。草原の向こうに広がる森の奥には、高く背を伸ばす聖樹の姿を望むことができる。大きく伸ばした枝には青々とした葉がよく見え、天から注ぐ陽に良く映えて、神々しさが窺えた。遠くからでも感じられるそんな威厳が、聖樹と呼ばせる一端になっているのかもしれない。

 森に到着すると、街のほうから時計塔の鐘の音が響いてきていた。日が頭上から照らしつけて、影を最短にしている。森の中は陽が入りやすく、明るくて鬱蒼うっそうとした雰囲気はない。今の時間は木漏れ日が真上から差し込んでくるので、幻想的な風景が楽しめる。

 自然路を囲むように立ち並ぶ木の葉の間から陽の光が差し込んで、まるで道を示さんとしているかのようだ。そんな風景に二人は辺りを見回して感激していた。長い道のりに疲れていても、この風景を見ればすっきりしてしまいそうだ。聖樹の森らしい光景である。

「何だか気持ちいいね」

「そうだね。それにとっても綺麗だね。一休みしたら聖樹の広場に行こう」

 光に照らされた道を、森の風景を満喫しながら奥へと進む。そして、聖樹の広場に到着した。広場は、聖樹を中心にして、回りの木はそれを護らんと取り囲むように円形に立ち並び、広場を形成させている。

 やや真上から差し込まれる光に照らされた聖樹は、大きな自然のスポットライトを浴びているかのように輝かしく、その大きな影を落としている。まさに絵になる風景である。二人は太い樹の幹に近寄り、天を仰いだ。陽の光は見えず、木陰に抱かれているかのような印象を受ける。二人は揃って伸びをした。

「大きい樹だよね。ねぇ、お姉ちゃん知ってる? この樹にはね、精霊さんが住んでるんだよ」

「精霊? 聖樹の精霊?」

「うん。リィ、会ってみたいなぁ」

「精霊かぁ……。聖樹の精霊じゃないけど、精霊なら居るよ」

「えっ? ホント!?」

「うん。今はどこに行ったのかわからなくて……でも探す暇もなくて。……ケンカしちゃってね、どこかに隠れてるだけだと思うから、すぐに戻ってくるはずなんだけど……」

 リーナが話し始めた精霊の話に、カレンは行方ゆくえ知れずになったままのティンを思い出した。置き手紙は読んでくれただろうか。帰ってこなければ読むことはできないだろうけど……。

 カレンの面持ちは徐々に暗くなっていく。リーナにも見て分かるくらい、ティンが居なくなってしまうことは彼女にとってショックだった。そんなカレンの浮かない表情を見て、リーナは少々申し訳なさそうに声を上げる。

「あ、ご、ごめんね、お姉ちゃん。嫌なこと、思い出させちゃったかな……?」

「ううん、大丈夫だよ。あのね、ちょっと素直じゃなくて、私のこと試してるの。一人でどれくらいのことができるかって」

「え? どうして?」

「私が……失敗してばっかりだからって、怒ってるの。でも、リィちゃんの依頼は絶対失敗しないって自信があるの。だって、リィちゃんの大切なリオちゃん、居なくなっちゃったらかわいそうだから……。絶対助けてあげなくちゃね」

「リィも、お姉ちゃんのお手伝い頑張るからね」

「うん。よし! それじゃ、聖樹の葉を集めようか」

 カレンは今までの暗がりを、その言葉で弾き飛ばすかのように、作業を開始させた。

 この森は聖樹に守られた空間であるため、多くの植物が生い茂っている。木の実やキノコなども多く生息しており、特に聖樹の周りには大きなマッシュルームが多く実っている。いわゆる食用キノコだ。いつも聖樹の広場に訪れると、夕食の材料にと採取して帰るようにしている。ここのキノコは食べると実に美味しい。体にも良い。街の売店にも売っている物だが、聖樹の葉を取りに来るついでに採取するのだ。その分お金も掛からないし、森の素晴らしい光景も見られるから、一石二鳥といったところだ。

 そして、問題なのは聖樹の葉である。いつもなら数枚ほど地面に落ちているのだが、どうやら今日は二枚しかないようだ。調合には最低四枚必要だ。そんなときは聖樹に願うのだ。その葉をお分け下さいと。

 古より、この樹は願いを叶える聖樹と呼ばれていたそうだ。今、二人が聖樹の前で手を合わせ、願いを込めて聖樹に祈ると、数枚の木の葉が枝より舞い下りてくる。おそらくそれは、この聖樹の精霊の配慮であろうと思われる。

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