その37「ひっさつのいちげき」
さっきの話、気になるなあ。
一体メモリとシーピュの間で、どんな話が繰り広げられたのだろうか。
頑張るって、何の事なんだろうね。
はっ。もしかして!
このパソコン初心者な大家さんの為に、ファンファーレでも吹いて応援してくれるのかな?
もしもそうだとしたら、非常に素晴らしいサプライズだ。
耳元でメモリが私のために奏でるファンファーレ。
それはもう、可憐で愛おしいに違いない。マジヤバくね?
「それじゃあ、健闘を祈っているわね。メモリもまた会いましょう」
「は、はいなのです、マスターさん!」
吉田さんに手を振っているメモリ。
私も小さな少女の愛らしさにつられ、同じ様に手を振った。
そして、別れを告げようと吉田さんの姿を目に収める。
その時。私は、唐突に『ある事』を思い出していた。
そうだ。ちょっと待って吉田さん!
最後に一つだけ。一つだけお願いしたい事が……!
――それは、先ほど吉田さんのフードが剥がれた時。
私の前に彼女の真実があらわになった瞬間、心の奥底に生まれていた欲求。
私達に背を向けて、この場から立ち去ろうとする吉田さん。
そんな彼女の背中を眺めつつ、私は葛藤していた。
――実は私、吉田さんにお願いしたい事があったんです。
その一言を言うか言うまいか。またの機会にするべきか。
でも、やっぱり今、聞いてみたい。
「吉田さん、ちょっと待って下さい!」
私は意を決して、吉田さんの背中に向けて声をかける。
「まだ何か?」
再三の足止め。
にも関わらず、吉田さんは嫌な顔を一つせず、こちらへと振り返ってくれた。
「ごめんなさい、また呼び止めてしまって」
「別に良いけれど」
「どうしても一つだけ、吉田さんにお願いしたい事があって」
「私に、お願い? 何かしら」
「その。こんなお願い、ご迷惑かもしれないし、嫌なら断って貰って全然構わないんですけど」
それは、吉田さんに備わる、『ある物』に関する事柄。
今はフードの下に隠された――
「吉田さんの耳、触ってみても良いですか?」
――そんな、些細な願い。
私は言い放った。
不躾と解っていながらも、どうしても我慢ができなかったが故に。
そんな、誰しもが一度は考える欲求。
ファンタジー感溢れる、長いエルフ耳に触れてみたいと言う、憧れを。
「み、耳を?」
「は、はい」
「私、の?」
「そ、そうです」
は? 何で? と、目に見えて狼狽する吉田さん。
まあ、そうだよね。
こんなお願い、普通なら馬鹿言うんじゃないって一蹴されてもおかしくは――
「そ、そう。……まあ別に、触るくらいなら」
あ、あれ?
意外と嫌じゃなさそう?
「いや、でもなあ」
やはりどこか抵抗があるのか、彼女は腕を組みつつ思い悩んでいる。
いきなりこんなお願いをされたら、誰だって戸惑う。
ましてやそれが、普段は人に知られない様に隠している物であれば尚更だ。
それを解った上で、私はこんなお願いをしている。
幼い頃、人間は誰しもが『この世には存在しない幻想』に憧れる事がある。
それがテレビの奥の特撮ヒーローなのか、はたまた魔法少女なのか。
人によって様々であろう。
今、私の目の前に立つ彼女。
彼女はそんな幻想を、憧れを具現化した、一つの真実なのだ。
幻想が自分の目前に存在する。
それに触れてみたいと思うのは、人間が人間であるが故の、ロマンシング・サガ!
ああ、何と愚かな人間なのだろうか、私はっ。
メモリと言うファンタジーを独占しておきながら、更に贅沢を望むのかっ。
この卑しい欲張り者めっ!
「うーん」
しばらくそうして悩んでいた吉田さん。
彼女はやがて、くるりっと身体をこちらへと振り向かせた。
振り返った瞬間、彼女の頭を覆うフードが揺れる。
その奥からわずかに伸びた一房の緑髪が、店内の照明に照らされて、美しく輝く。
吉田さんが「しょうがないにゃあ」といった風に、スルッとフードを外す。
外した瞬間、ぴょこんと飛び出す可愛らしいエルフ耳と、流れる様な森の色。
吉田さんの顔は、ほんの少し羞恥の色に染まっていた。
見た目の幼さに反し、どこか艶やかな印象を抱かせる不思議な表情であった。
「じ、じゃあ。少し、だけよ」
朱色に染まった吉田さんの頬。
彼女は一歩一歩、私のすぐ傍まで近付いてくる。
お互いの息遣いすら感じられる様な距離感。
すぐ下には、見上げてくる吉田さんの小さな顔。
白磁の様な肌。
何故だか辺りに漂い始める百合の花の香り。
吉田さんの耳が、少し手を伸ばせばすぐに届きそうな程の距離に存在している。
妙に早くなる鼓動の中。
私は謎の緊張から震える手で、吉田さんの耳に触れようとした――
――のだが。
それよりも早く、吉田さんが手を伸ばす。
彼女は何故か私の唇に、その細い人差し指を当ててくる。
「ふもっ」
突然広がる人肌の感触。
私は理解が及ばず、思考停止。
あれ? 何だこれ。
何で吉田さん、私の唇に――
「やっぱり、ダ・メ・♪」
そして彼女は実に可愛らしく、そんな一言を私に向けて言い放ったのでした。
とてもあざとい、上目遣いな小悪魔的笑顔で。
――……。
「ブホァッ!」
「おおやさん!?」
瞬間、私の中から何かが噴出した。
同時に意識も遠のき、目の前が真っ白に――
「おおやさん、どうしたのです!? なぜ、いきなり口から血を!?」
なんと言う、小悪魔系ロリ兵器吉田さん。
まさかあんな、対私専用の必殺技の心得があったとは。
薄れ行く意識の中、私が最後に認識した物。
それは、自分の前方に飛び散っていく赤い液体の色。
心配そうに私の体を揺さぶる、小さなメモリの声。
まるで汚物を見るが如き、シーピュの突き刺す様な視線。
そして。
悪魔の様な微笑みを浮かべ、フードをかぶり直す、吉田さんのしたり顔であった。
くっそう、吉田さんめ。
最初からこうするつもりだったのか……!?
もしかして、私の本質を見抜いて……?
そ、そんな馬鹿な……! 馬鹿な事がああああ!
ゆ、油断ならない!
何と言う欺きテクニック!
でも――それでも良い。
何故なら私は、今のこの状況に非常に満足していたのだから。
あ~^もう、辛抱たまらん。
まったく、エルフ少女は最高だぜ……!
あ。私はあくまでノーマルなんで。
そこは誤解しないでガクリ。
――そして私の意識は、虚空の彼方へと消え去っていったのでしたとさ。
……――
「フフフ。面白い人間ね、メモリのとこの『おおやさん』は」
「そうかなあ。ボクはやっぱり怖いよ、あの人間」
――おおやさぁん! 生き返ってくださいなのですぅ! うわぁああん!
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