その38「たそがれ」





「アリガトゴザイマシュタア!」


 その後、メモリの必死の呼びかけもあり、私はなんとか戦線(?)復帰。

 無事にケースの購入も済ませる事ができた。


 あの寺院って店員さん、レジに立っていたけれど、顔面蒼白だったな。

 きっと今日の出来事は色々と、彼にとっても転機となるに違いない。たぶん。


 たった数十分の滞在。

 だと言うのに、この店で私が体験した事は、余りにも多かった。


 昨日に引き続き、今日も多くの事柄が私の中で変化した。

 再び、新たな世界が開けたと言っても過言ではないだろう。


 全く後ろ髪も引かれず、今すぐにでも立ち去りたい想いで自動ドアの前に立つ。

 ドアが開いた瞬間、吹き込む冬の風。そして、新鮮な空気の匂い。

 今や懐かしさすら覚えてしまう外界が、自動ドアの向こうには広がっていた。


 気がつくと空の半分が黄昏色に染まっている。


 間も無く辺りには、夜が訪れるであろう。


 そう。いつもの様に、日が暮れる。


 日常が、戻って来たのだ。


 ああ。何気ない外の世界の『当然』が、こんなにも嬉しく思えるなんて。

 私は、なんて幸せ者なのだろう。


 私の中から淀んだ何かが抜け出していくのが分かる。


 こんなに嬉しい事はない!


「おおやさん、大丈夫なのですか?」


 レジでの会計の間、再びバッグの中に隠れていたメモリが顔を出す。


「うん。お陰様で、すっかり大丈夫。メモリが必死に呼びかけてくれたお陰だよ」

「えへへ。少しはお役に立てたでしょうか」

「少しどころか大助かり。ありがとうね、メモリ」


 私が心からのお礼を述べると、メモリは嬉しそうに頬を桃色に染め上げる。


 本当にありがとう、私の天使。

 あ、妖精か。


 吐血し、『我が生涯に一片の悔いなし』状態で立ったまま気絶していた私。

 そんな醜態を晒していた私を救ってくれたのは、メモリだからね。

 貴方がいなかったら、今頃私はどうなっていた事か。


 小悪魔吉田さんの策が私に及ぼした影響は余りにも大きすぎた。

 今も吉田さんの小悪魔系笑顔、そして指の感触が私の脳内に渦巻いている程だ。

 それ程まで、彼女の必殺技の威力は絶大だった。


 しばらくはこれをオカズに、ご飯三杯は余裕だろう。


「新しいおうち、とても楽しみなのです」


 新居に想いを馳せるメモリの顔。

 きっと、本当に嬉しいのだろう。バッグの中から上半身を乗り出した彼女の背中の羽根が、パタパタと興奮ではためいていた。

 こうしてとても喜ぶメモリの姿が見られただけでも、この数十分に意味はあったと思えてくる。


「うん、そうだね。私、頑張って組み立てるから、待っててね」

「はい!」


 吉田さんから貰った組み立てマニュアル。

 そして、いざという時の吉田さんメール。

 機械オンチな私ではあるが、心強い味方ができた。

 それこそ、向かう所敵なしと言った盤石さだ。


 きっと、何とかなる。

 そんな根拠のない希望にすがり、私は迫りつつあった大仕事への覚悟を決める。


 死地からの天国、そして現世への生還を果たした私。

 今の私になら、きっとどんな苦難だって乗り越えられる筈。


 そう、思っていたのですが。


「さて――」


 私は現在、寒空の下でとある問題に直面していた。


 腕が震えている。ついでに脚も、腰も少しヤバイ気がする。


 とてもじゃあないが、もうコレ以上は耐えられそうにない。


 ここまで私は、普通にメモリと会話を続けていました。


 だけど私、必死に我慢していたんです。メモリにこれ以上心配させない為にも。


 ドスッと重い音を響かせながら、私は両手で抱えていた『荷物』を地面に置く。


 何と言いますか、その。とても当たり前の事なんですが。


「重い」


 馬鹿みたいに重いんですよ、このパソコンケースの箱。


「コレ、どうやって持って帰れば良いんだろう」


 まさか、ここまで重い物だとは思わなかった。

 レジで会計を終え、床に置かれたケース入りの外箱を持ち上げようとした瞬間、「あ。これ、っべーわ」と直感した。

 店内からここまで運ぶのに、既に重労働。

 ここから先、徒歩で家まで帰ると考えると――その旅路は、果てしない。


 いや、見た目からして既に重そうだったし。

 何で私、そこを疑問に思わなかったのか。


 そもそもこのサイズ。これ、徒歩で買いに来る物じゃあないよね?

 これを女手で家まで持ち帰れとか、冗談だよね?

 もちろん、配送サービスみたいなものはやっていないのかと確認してみたよ。

 でも、そんな物は存在しないと言う絶望を突き付けられるし。


 店の外に出て安堵したのもつかの間。

 まさか、こんなトラップが残っていたなんて。


 私は生まれて初めて、免許を、そして車を持っていない自分を呪った。

 そして在学中に絶対免許を取ろうと、誓いを新たにするのであった。


 意識を改めたとしても、現実が変わるわけではない。

 問題は依然として、確固たる形を成して足元に鎮座している。


「おおやさん。わたしも手伝いましょうか?」

「メモリ?」


 言うが早いか、ススッとバッグから抜け出すメモリ。

 手伝うって、まさか。これを運ぶってこと?


「気持ちはありがたいけれど、貴方には大きすぎるよ、コレは」


 流石に無理があるよ。

 大体貴方、昨日あのバスタブを運ぶだけでも相当フラフラしていたでしょう。


「それでも、やってみる価値はありますぜなのです! わたしだって、もっとおおやさんのお役に立ちたいのです!」


 トンっと、片手でちっぺたな自分の胸を叩くメモリさん。

 根拠の無い自信は、一体その小さな身体の何処から溢れ出しているのですか。


 そして彼女は、パソコンケースの外箱へと勇猛果敢にも挑んでいった。


 小さな羽根をはためかせ、外箱の横、角の部分へ移動したメモリ。

 そのまま彼女は、まるで抱きかかえるかの様に外箱を両腕で掴みこんだ。


「ふんぬ゛うううううううう!」


 そして、彼女はその細腕に力を込め始める。

 見た目からは想像できない程の、腹の底から響き渡ったシャウトを伴いつつ。


 背中の羽根がメッチャパタパタしていた。

 必死なメモリには悪いけれど、なんだかとても和む光景である。

 傍からみていた私も、思わず微笑みを浮かべずにはいられなかった。

 悟りを開いた、僧侶の如き微笑みを。


 そんな感じで、しばらくメモリの小さな咆哮が響き渡っていたのだが。

 やがて彼女はピタッと力を込めるのを止め、「ふうっ」と一息ついた。


「一メートルは動いたですかね?」

「動いてない動いてない」

「そんなっ」


 成し遂げた様な顔のメモリに対し、無慈悲な現実を突き付ける私って、罪な女。


「新しいおうち、おそるべし、なのです……」


 悔しそうに落ち込むメモリ。背中の羽根も彼女の感情と連動するかの様に、へにょりと垂れ下がっていた。


 実際問題、これを頑張って運んで行ったとしてもさ。色々問題があるんだよね。


 よしんば、駅までは運んだとしよう。

 でも、その後は電車。勿論電車にも、コレを持って乗る事になる。

 市内の私鉄、その始点である中央駅から何駅か先の地域。そこに、私が住むアパートは存在する。

 地図で見ると一見大学からは近く見えるが、徒歩で通うと絶妙な具合に遠い。そんな場所だ。


 たかが数駅位と思うだろう。

 だが電車に乗ると言う事は、短時間ながらも間違いなく衆目に晒される事になる。

 こんな大荷物。なんだか見た目にも怪しいデザインの外箱。

 危険物を持ち込んでいると勘違いでもされたら、一巻の終わりだ。


「ウワァ」


 詰んだ。間違いなく人生詰んでいる。

 明日には獄中で臭い飯を食べている自分の姿が容易に想像できる。


 最早これまで――我、死地を見出したり。

 私が今生との別れを済ませようと、夕暮れ空を仰ぎ見た瞬間。


「どうしたの。そんな所でケースを地面に放り出したまま呆然として」


 突如、近くに停車していた軽自動車から、聞いた事のある声が響き渡った。


「あ、貴方は!」


 何たる運命の巡り合わせだろう。

 今日の私は、凶運と幸運の狭間にでも立っているのであろうか。


「吉田さぁん!」


 そこには、軽自動車の車内からご尊顔を現す、生き神・吉田大明神のお姿が!

 って。この展開、今日これで二回目だよね?


 軽自動車が、私のすぐ近くまで移動してくる。

 少女体型の吉田さんが、アクセルやブレーキに足が届くのか疑問ではあるが。

 私はその様子を、カンダタの目の前に垂らされた蜘蛛の糸でも眺めるかの様に見つめていた。


 と言うか吉田さん、免許も車も持っているんだ。

 なんだかとっても意外かも。失礼かもしれないけれど。


「実は、この大荷物をどうやって運べば良いのか、途方に暮れていて」


 私は足元の箱を横目で眺めつつ、吉田さんに事情を説明する。


「わたしもがんばって運ぼうとしたのですが、まったく動かないのです」


 げんなりした様子のメモリが、ふわりと吉田さんの目の前に飛んで行った。


「そりゃあ貴女にはサイズ的に無理でしょう、メモリ」

「ううっ。マスターさんまでそんな事言うのですか」


 吉田さんは慰めるかの様に、メモリの頭を片手で撫でている。

 最初は落ち込み気味だったメモリの顔が、次第にほころんでいくのが見えた。


「貴女、車は?」


 メモリを撫でつつ、吉田さんがこちらへ視線を向ける。

 そして彼女は、誰もが考えるであろう当然の疑問を私にぶつけた。


「車、持ってないんです。ついでに、免許も」

「え。本当に?」

「本当です」


 私の返答を聞き、ポカンとする吉田さん。


「それなのに、ケースを買いに来たの? どうやって持ち帰る気で……正気?」

「もう、正気を保てそうにないです」

「なら最初から、Ama○on辺りで購入しておけば良かったのに」

「えっ」


 吉田さんから発せられた意外な単語を聞き、今度は私がポカンとする番であった。


「A◯azonって、あのAma◯onですか。『いんたーねっとしょっぷ』の」

「そうよ」

「Am○zonで、買えるんですか」

「買えるわよ、Amaz○nで」


 なんですかその斬新かつ、確実な購入方法は。

 Amazo◯は、以前にも工具を買う為に利用した事がある。

 その時もたくちゃんに色々教えて貰いながら、ケータイと格闘し、何とか購入まで漕ぎ着けた事を覚えている。


 くっそー。そんな手段があったとは。

 せめて、Ama○onの選択肢くらいは教えてよ。たくちゃんェ……。

 むーたんの件が無かったら、絶対にA○azonで買っていたのに。くぅ。

 

 その後、吉田さんが家まで車で送ってくれると言うので、私は素直に彼女の好意に甘え、なんとか無事帰宅する事ができました。

 道中、吉田さんに聞いたのですが、彼女は大学近くのアパートを借り、シーピュと二人で暮らしているとの事。

 機会があればメモリと一緒に遊びに来なさいと誘われたので、その内遊びに行ってみようかなと考えたのは、また別のお話です。


 そんな訳で私は、パソコンショップと言う名の魔境から、生還できたのでしたとさ。



 第3話へ続く。




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