その10「ぎじゅつりょく」





「人間さん、人間さん! このお風呂場に、お水をかけてもらえますか!」


 私の目の前に飛んできたメモリが、そんな事を言ってくる。


「え。水?」

「はい!」

「この木箱に?」

「です!」

「……爆発とか、しない?」

「へ? 何故ですか?」


 ますます意味がわからない。

 木箱の防水をどうしようかと考えていた所なのに。

 何故そこで、木箱をらす事になるの?

 と言うか、その粉は結局何なのよ、メモリさん。

 思うところがあり過ぎて、今にも私の頭がパーンしそうだった。


 私は立ち上がると、台所へ移動する。

 調理台の上に置かれていたコップを、片手でつかむ。

 もう片方の手で水栓すいせんのレバーを上げ、水を出すと、コップで少しだけみとった。

 レバーをしっかり下げ、部屋に戻ると、木箱の前に再び座る。

 キラキラ星を内包ないほうするメモリの小さな瞳に見守られつつ、私はコップをかたむけ、木箱に数滴すうてきほどの水をかけた。

 

「こ、これで良いの?」

「大丈夫なのですよ!」


 とりあえず、爆発とかしなくて安心しました。

 

「人間さん。次にこのお風呂場を持ち上げて、少しだけかたむけてもらえますか?」

「ね、ねえ。一体私達、今、何をしているの?」

かたむけてみれば、わかりますっ」


 メモリに言われるまま、私は木箱を持ち上げると、軽くななめにかたむけてみた。


「これは……」


 すると、どうしたことでしょう。

 木箱の上に落ちた水滴すいてきが全て、『すべり落ちて』行くではありませんか。

 私が開けた『入り口』を通り、水滴はフローリングの上に落下していった。

 滑り落ちた跡に、水が残っている様な事も無い。

 更に、木箱の水滴が落ちていた箇所かしょに注目してみる。

 おどろく事に『板に水が全く染みこんでいない』ではないか。


「もしかしてコレ、水をはじいているの?」

「そうなのです!」


 えっへんと無い胸を張るメモリをながめながら、私は木箱に触れてみた。

 先程まで水滴が付着ふちゃくしていた箇所かしょを触ってみると、木の感触とは明らかに違うさわ心地ごこちが、指に伝わってくる。

 まるで、何かでコーティングでもしているかの様な、妙なスベスベ、ツルツル感であった。


「このパウダーをかけた物はですね、汚れや水なんかを弾くようになるのですよ!」

「ほえー。これは便利だね」

「ふふふ。妖精の『ぎじゅつりょく』は『だて』じゃないのです!」


 成る程。確かにこれは素直に凄い。

 原理は全くもって不明だが、これなら防水もバッチリだし、木箱が腐る心配もないだろう。


「わたしたち妖精は、あくまでおうちを『まが間借り』している身です」


 メモリが木箱の隣に降り立つ。

 彼女は片手を腰に当てつつ、もう片方の手を木箱の壁に押し当てた。

 ポンポンと、木箱小屋を手のひらで叩いている。


「おうちを汚したりするわけにもいかないので、住み込む前には必ず、このパウダーをまいておくのですよ」

「ちゃんと色々考えているんだ。凄いね」

「ホコリも付着しにくくなるので、お掃除も楽チンポイなのです」


 なるほどなー、すごいなー、と素直に関心していた私。


「……ん?」


 だけど、そこで何かが引っかかる。

 少女が語った言葉の中の『ある一点』が、とても気になっていた。


「どうしました?」


 ちょっと待って。

 水分や汚れを、全て弾く粉だって?


 それを、『おうち』に住み込む前には『必ず』まいておく?


「ねえ」

「はい?」

「今、必ずって言ったよね?」

「そうですっ」

「と言う事は、もしかしてだよ」

「はい」


 私はそこで一呼吸置いた。『まさか』の可能性に、身体が少しだけ震えている。

 今までの私達のやり取りの全てが、無意味になるかもしれないと言う可能性……。


「この、パソコン――『おうち』の中にも……」


 そんな恐怖の未来を見据みすえながら、私は、その一言を口にした。


「もちろんです!」


 メモリは、呆れるほどに輝かしい笑顔で、自信たっぷりに答える。


「このおうちの中にも、満遍まんべんなくパウダーをまいていますよ!」


 全く悪気の無い表情で、少女は、そんな残酷な一言を口にしたのであった。


「ヤッパリ、デスカ」

「フッフッフ。『よういしゅうとう用意周到』ってやつなのですよ!」

「ウン。スゴイナー。アコガレチャウナー」


 言葉とは裏腹に、私が抱いていた感覚は『脱力感』であった。


 もっと前に言ってもらえていたら、もっと感心できたんだけどね、ソレ。


 ならば何故、あの時、この少女は申し訳なさそうに落ち込んでいたのか。

 そもそも、パソコンの事を知らないはずのこの子が、パソコンが壊れたかどうかなんて判るはずないんだよなあ。

 今更そんな当たり前な事が、頭に浮かんでくる。

 

「ねえ。少し聞いても良いかな」

「なんですか?」

「貴方。なんで最初、あんなに落ち込んでいたの?」

「え?」


 メモリが目を丸くした。

 何で今更そんな事を聞くのだろうか、この巨人は、とでも思っているのだろうか。


「いや、それはもちろん……」

「うん」

「人間さんの『おうち』を『自分から』汚してしまった、からですよ……」

「あー」


 暗い笑顔を浮かべながら、彼女視点での『不祥事ふしょうじ』の内容を語るメモリ。


 なるほど。そっちでしたか。

 

「妖精としては、ありえない失態なのです……。屈辱です……」


 とりあえず、一つだけハッキリした事がある。 

 要するに私達、最初から全く話が噛み合っていなかったって事なのね。


 私は脱力の余り、自分の身体から、空気が抜けて行くような錯覚さっかくを起こしていた。


「うわあぁ!? に、人間さん!? どうしたのです!? 身体が、身体が凄いことに!」


 このまま、干からびたかんぴょうにでもなって、風に流されてしまいたい。

 私はそんな事を考えながら、床へとしなだれ落ちるのであった。

 



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