その21「ぬま」





 私がその場から回れ右をし、店内より立ち去ろうとした、その時である。


「いらっしゃいませえ! お客様ァ!」


 突然の大声が、私の耳のすぐ近くで発せられたのだ。

 広い店内に高々と鳴り響くそれは、若い男性の声であった。


「ひぃッ!? な、何!?」


 とても勢いのある声に、ビシィッと直立し、驚く私。

 バッグの中で、メモリも同じようにビクッと反応していた。

 声が余りにも大きすぎた為か、最早それは怒号どごうの様に、私の聴覚に襲いかかる。


 耳の奥がビシビシとしびれる感覚を抱きつつ、私は後ろに振り向く。

 私のすぐ近く。そこに、店名が印字された、黒いエプロンを着こむ男性がいた。

 とてつもなく胡散臭うさんくさい笑顔を、私に向かって振りまいている。


「本日はどの様なご用件でしょうか! この『寺院じいん』に何なりとお申し付けを!」


 異様に高いテンション。酷く物静かな店内で、彼の存在はとても浮いていた。

 何なの、この店員。

 ちょっと――いや、かなり怖いんですけど。

 場違いなザ・素人の私に、一体何の用があると言うのだろう。


『じいん』って、この人の名前なのかな。

 エプロンに取り付けられた名札に目を向けると、『寺院』と記載されているのが見えた。

 珍しい名字だなあと思いつつ、私は男性に対し、最大限の警戒心をあらわにする。

 

「え、えと。その、あの」


 お願いだから、私を引き止めないで。

 一刻も早く、この異次元空間から逃げ出したいのに。

 このお店は、これ以上私に何を求めると言うの?


「お、おおやさん。この人間さん、なんだかとても怖いのです……!」


 メモリも男性の謎のテンションに当てられ、怯えている。


 その気持ち、凄く解るよ。

 だってさこの人、目に見えて『買えっ……! 買えっ……!』ってオーラを発しているものね。

 なんか男性の周囲に『ざわ……ざわ……』って擬音の書き文字が見えるし。

 今にも『当パソコンショップは、どんな素人でもウェルカム』とか言い出しそうな雰囲気なんだもん!

 

 このままではむしり取られる。なけなしのお金だけでは済まされず、体中の毛と言う毛の全てを。


『ぐにゃあ』と空間が歪む感覚を抱きながら、私は絶望の渦に飲み込まれていた。

 おとずれる筈の無い助けを求め、この『底なし沼』の出口を探し続ける。


 ざわ…


 が……駄目っ……!


     ざわ…

               ざわ…


 助けは来ないっ……!


  ざわ…

 

 飲み込まれるっ……!


  ざわ…

          ざわわ…


 この、ビッグウェーブにっ……!


 ここで問題だ!

 この絶望的な誘いに、私はどうやって抗えば良いだろうか?


 三択……一つだけ選びなさい。


 答え① ハンサムじゃない私は、突如脱出のアイディアが閃くが、結局実行に移せない。現実は非情である。


 答え② 友達が来て助けてくれるわけもなく、メモリと二人で怯えている事しかできない。現実は非情である。


 答え③ セールスと宗教勧誘と、大魔王からは逃げられない。現実は非情である。


 さて、その答えは――


「さあさあ、お客様! どうぞ此方こちらへ! 当店の品揃しなぞろえの豊富さに、きっとご満足頂けることでしょう!」

「は、はいぃ……!」


 答えは、選ぶまでもありませんでした。

 何故なら、『現実は非情である』からです。


 この世界は、漫画やアニメじゃない。本当の事なんだ。

 ファンタジーやメルヒェンじゃあないんだからさ。

 現実でそんな少年漫画的な展開が起こる事は、決してあり得ないのですよ。


 そう。選択肢なんて、最初から無かった。

 店員に抗う事もできず、私は彼に導かれるままに、店の奥へと歩みを進める。

 欲望と野心渦巻く、大海の暗礁あんしょうへと、問答無用で引きずり込まれていった。


「駄目なのです……! これ以上進んだら、二度と『しゃば娑婆』には――『かたぎ堅気』には戻れなくなるのです……!」


 メモリが、必死に私を引き止める。


 でもね、メモリ。もう、駄目なんだよ。


 底無し沼に半身かった状態からは、どんなに頑張ったって抜け出せないんだよ。


「ごめん……。ごめんね……」

「お、おおやさん……!」


 全てを諦め、死を覚悟した私は、メモリに優しく微笑んだ。

 片手を彼女の頭の上に乗せ、指で優しく少女の小さな頭をでる。

 私がまとう雰囲気から、尋常じんじょうではない何かを感じたのだろう。

メモリは涙混じりで私の指に抱きついてきた。


 ごめんね、メモリ。

 巻き込んでしまって、ごめんね。

 馬鹿なおおやさんで、ごめんね。


 次に生まれ変わる事があればエオ◯ゼアに転生して、むーたんと三人で世界を冒険しようね。


※エオ◯ゼア――例のゲームの舞台である、世界の名称。


 そうして私とメモリは、仄暗ほのぐらい店の奥へと吸い込まれていった。


 死亡フラグを重ねれば無効になるなんて、そんな事は無かったよ。

 むしろ倒れたフラグの先に、新しいフラグが立つ。

 そんな簡単な事に、何故、私は気付けなかったのか。


 良い子のみんなは、過剰に無意味なフラグを立てまくるのはやめようね!


 お姉さんとの約束だよ☆(キャピッ)



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