第4話

 ゴキゴキゴキゴキッ、と腰が鳴る。うをー、痛ぇ痛ぇ…平均悪夢量が三十四毎時って言われてるんだから、今日俺がとっ捕まえた分だけでも三日分はあったな。くっそー、超過労働の癖に給料にプラスがねーのは詐欺だな、うんっ! て言うか、俺達には給料ってモノが既にねーか。

 俺がウンッと背伸びをするとパンスネがずり落ちる。それを中指で押し上げると、鈴の音が響いてきた。

 …ドアベルだ。しかしこの悪夢城のドアベルと言うのはドアを開けるたびにリンリンと鳴るわけではなく、玄関近くに誰かが近付くと鳴る仕掛けになっている。一種のセンサーとなって来客を告げるものとなのだ。ソレだけなら何の変哲も無い事だが…


 次に響いたのはとんでもない轟音だった。


「なっ…なんだ一体!?」

 俺は急いで玄関に走り出す。こんなのは聞いてない、今日の来客予定はないハズだ。しかも気のせいでないのなら―――コレは何かの機械で城扉をブチ破っているとしか思えない音!

(ったく、なんだっつーのっ…!?)




「きゃっ…な、なによこの音はぁ!? タロット…じゃないだろーしィ!?」

「さっきドアベルが聞こえましたよね? だれかが外部から無理矢理扉をこじ開けようとしているんじゃないでしょうか!?」

「なんだってこのあたしの城にっ…ちょっと小さなクリス!? 走っちゃダメよ、はぐれちゃうわ! 大人しくしていて…」

「ママ!」




「…何やってんだテメーら!?」

 俺は思わずそう怒鳴っていた。玄関ホールには、数十人の男達が屯っている。一人の例外を許してほぼ全員が同じ制服を―――おい、見覚えがある制服じゃねーか。

「ナイトメアテイカーが何の用で悪夢城を騒がす!? お前らは俺達が取り逃がした悪夢を取り締まるのが役目のはずだろう!?」

 そう怒鳴り声を飛ばすと、落ち着いた眼差しで一人異装をしていた隊長格の男が俺を見た。部隊長らしい、その目には覚えがある…俺が神さんに悪夢城勤務を申しつけられた時、蔑むような不躾な目で見ていたうちの一人だ。

「お前達が一人の少女を匿っているハズだ。我々は彼女を取り戻しに来た」

「だから、それがどーしてこんな強行に出るんだよ!?」

「少女の身体が持たない。時間がないのだ、はやくお前らの攫った娘を出せ」

「攫ったぁ!? 言いがかりつけるんじゃねーよ、クリスは迷い込んできただけだ! 人を犯罪者みたいに言いやがって…大体クリスの身体が危ないってどういう事だよ?」

「彼女は家族三人でのドライブ中で事故に遭った。両親は他界したが、彼女だけが奇跡的に命を取りとめている。しかし、意識不明の重体時にこれ以上肉体と精神の離脱が続けば、彼女は死んでしまうであろう。早く彼女を………」

「だから強硬手段に出たと?」



「 !? 」



 玄関ホールの階段上から、ヴァニラが俺達を見下ろしていた。傍らにはビズも、クリスの姿も見えない。それを真っ先に尋ねたかったが―――いかんせん、場の空気がそうさせてはくれなかった。

「その通りです獏尉殿。どうか穏便に少女を引き渡していただきたい」

「ほぉ…」

 ざわ、っと身の毛がよだつ。

 ヴァニラの赤い目が光ってる。遠くてよく見えないが、妖気がそう言っている。ヤベエぞコレは…ヴァニラのヤツ、相当マジで怒ってやがる!

「不躾にもこの私の城を荒らしながら…穏便に事を進めようとするなどと、随分酔狂な事を言うではないか?」

 ざわめきが起こる。ヴァニラの様子がおかしい事に気付いた何人かが、不安そうに隣近所の顔色を伺い見ていた。

「この私に無礼を働くなど、小僧のする事か!?」

 瞬間、部屋中が『溺れた』。




「お待ちなさいっ…クリス! 待てと言っているんです!」

「離しッ…離して、離してお願いだから!」

「どうしたと言うんです!? 下手にこの城を動き回るのがどんなに危険なことか解っているんですか!? 夢に取りつかれて永遠に悪夢を巡ることになるんですよ!?」

「でもここには私の悪夢もあるんでしょう!?」

「何を…」

「ここには私の悪夢もあるんでしょう? 封印されているんでしょう? お願い、私の悪夢を返して…アレは悪夢なんかじゃないの!」




「なにがっ…一体何が起きて!?」

 ナイトメアテイカー達の声が聞こえる。意識を保ってるのは…隊長を含めた二、三人って所か、イイ精神力してんなぁまったく。かく言う俺も自分を誉めてやりてーな、悪夢狩りの後だって言うのに随分粘っていられるもんだ。

 『髪』の海に溺れながら、俺は階段の手摺にしがみついた。どうにかそれに飲まれないように耐えるが、それもいつまで持つかって所だな…溺れたら最後、『取りつかれる』。

 そしてヴァニラの能力は一度発動すれば―――抑制が効かず、暴走に転身しちまう。

「バカかお前らは。一番危険な状態だよ…『ヴァニティ』・ローズを呼び出しちまったんだからな!」

「何をっ…」

「『こんなヤツらに悪夢城を任せて良いのか?』」

「 !? 」

 頭上から響くその声は、紛れもなく隊長野郎の声だった。

「『所詮は人間であったあの神父など、半ば眉唾と思われていた言い伝えの具現者ではないか。戦禍の中で死に瀕しながら凄まじき怨念を残し、この天上世界に転生したものなど! 下賎な島国から生まれた怪物は、悪戯をすることしか脳のない軽薄な男。獏尉の称号を鼻にかけるばかりの小娘など、素性すら知れないというではないか。神は何をお考えなのだ? 私達ナイトメアテイカーをあのような者達の下に付けるなどと』」

 それを喋っているのはヴァニラ…いや、ヴァニティだった。大方この男の深層意識にある本音を、夢の中から抽出しているのだろう。お、案外冷静に状況把握してるじゃん自分、割と平気か? …そうでもないか、意識が薄れて来てるし。

「なるほどな、それがあんた達の本音か」

「ち…違う、なんなんだあの娘は!?」

「獏だよ」

「獏…!?」

「ああ。中国では想像上の動物とされて、悪夢を食うって言われてる。俺とはアジアの友だな」

「そんな事はどうでもいい! それが一体…」

「獏一族は髪先が夢に敏感でな。さながら触手のようにソレを伸ばし、悪夢を食らう。しかし、人の悪夢を食らい続けて、果たしてそいつが平気でいられるか? …やがて獏は絶滅した。人口の突然の増加によって、悪夢の全てを消化する事が出来なくなったからだ。その最後の生き残りが、ヴァニラなのさ」

 俺は上着のポケットに入っていた商売道具のハサミを取り出して、凄まじい勢いで伸びていくヴァニラの髪をバサバサと切っていく。しかしどうにも多すぎる…人間の髪は約十万本だぜ? それがとんでもない勢いで伸びながら襲いかかってくる…ハサミ一本でどう対抗しろって言うんだよ!

「ある嵐の日だった、ヴァニラはある男に出会ったらしい。それが神さんだった」

「か、神を『神さん』呼ばわりするなどと!」

「黙って聞けよ! 神さんは衰弱していた最後の獏の子供を育て、この悪夢城の管理をヴァニラに任せてくれた。何故か? ヴァニラ以外に、悪夢の封印を出来るものはいなかったからだ!」

 身体に絡みつき、服の中にまで入ってくる髪を次々に切りまくる。焼け石に水ってか? 先人は上手いこと言ったもんだ。

「最後の獏、悪夢食らい。悪夢を封印出来る力は神ではなく獏にこそあった。だから…神さんはヴァニラを取りたてたんだよ!」

 ったく、なんだっていつまでたってもビズが来ねーんだよ、ヴァニラを止めるのはビズの仕事だろうがっ!

 さすがにバテてきた、疲れた。眠くなる…ダメだ起きろ! 今ココで眠ってしまったら目覚める事が出来ない、暴走した獏の力によって悪夢を永遠にさ迷わされる! 俺はハサミを腕に立てた。赤い血がドクドクと流れるその一瞬、生き物の様にうねうねしていた髪の動きが止まる。

「あ…」

「ヴァニラ?」

「タロット…逃げなさい、早く…まき込まれるわ…」

「ばぁーか! 生憎俺は女を捨てる時はもっと穏便に持っていくタチなんだよ!」

「冗談言わないでっ…そんな場合じゃっ…」







「ダメだよヴァニラちゃん!」







「…クリス…?」

 階段の上にいるヴァニラに、小さな影が飛びついた。どうやらそれは姿の見えなかったクリスらしい。それを見上げる俺達の上には、何か異様に冷たい水が掛けられた。

「冷たっ…ぎゃーっ、なんだよコレ!? 聖水じゃねーかぁっ!」

 仮にも妖怪である俺は神の祝福だかなんだかの込めてある聖水がかなり痛い。それが掛けられてきた方向を見ようと、髪の洪水の中を振りかえる。案の定、犯人はビズだった。

「遅れてしまいましたね! 大丈夫ですか、手遅れな方はいませんね?」

「遅すぎるッてーのビズ! 大体俺にまで聖水掛けるんじゃねーよ、危うく溶けるかと思ったじゃねーかっ」

「ちゃんと薄めておきましたから、ヴァニラの髪しか溶けていないでしょう?まぁ、薄皮一枚剥けたところでスッキリ出来るでしょうし」

「頭にかかったら禿げるんだってば!」

「どーして貴方はそうハゲに敏感なんでしょうね」

「うっ…それはだなっ、って…関係ないだろっ!」

 うー、別に俺は敏感なんかじゃない! ハゲなんて怖くない! 怖くないッたら怖くないんだ、笑うんじゃねえよビズ! その澄ました横顔張っ倒してやろうか!?

「ク、クリストベル・ランプリエール! 我々と一緒に現実に帰ってくるんだ!」

さっきまでのた打ち回っていた何人かの隊員を介抱していた隊長が、階段の上にいるクリスを見つけてそう怒鳴った。クリスは一瞬怯えたようにひるむが、すぐに毅然とした態度で言い返す。

「嫌です、私はココにいたいんです!」

「クリスっ…」

「まあ待ちなさい、タロット」

 我侭を言い出したクリスをとがめようとした俺の肩をビズが掴む。俺はそれに抗議しようとして、やめた。…ビズの目にはなにか魂胆めいた物があるらしいことが判ったからだ。

 話の続きを聞くために俺は黙るが、隊長はクリスを尋問するような態度で見据える。子供相手に大人気ないが、俺達を偏見の眼で異端者扱いするこの隊長から考えれば―――むしろ自然な反応と、納得するモンなのかもな。

「悪夢の中に居たいとは酔狂な娘だな。君は事故に遭って意識不明の重体なんだ。これ以上ここに留まれば、確実に死ぬ事になる。我侭を言わずにこちらのいうことを聞け!」

「あっ…悪夢なんかじゃないっ…!」

「小さなクリス…?」

 我に返ったヴァニラが長い髪をふり、クリスを見た。




「あ、悪夢なんか誰が決めるの?悪夢の基準なんか誰が決めるの!? わ…私の悪夢は、ここに封印されている私の悪夢はっ、事故の記憶…事故の夢! パパとママが車のガソリンに引火した火に包まれて死ぬ夢! だけどそれは悪夢なんかじゃないの、悪夢じゃないのっ! パパとママの夢なの! もういない、パパとママの夢なの!」




「…あいつの両親、事故で死んだらしい」

 俺は傍らのビズに小声で伝える。

 …まぁ、な。

 一理あるわな、クリスのいうことも。

 両親の死ぬ事故の夢っていうのは、確かに客観的に見れば悪夢だろうな。目の前で展開される血と肉の焼ける臭気の狂宴。それを見ている子供。

 悪夢だな。客観的には。

 あくまで頭の中の展開に、俺は『客観的に』という言葉をつける。そう、あくまでおれの意見は『客観的』なものでしかない。それを現実として生きたクリスの『主観的意見』はどうか判らない。

 夢の主はあくまでクリスだ。

 クリスの夢の価値を決めるのも、最終的にはクリスだ。

 俺達悪夢の管理者が勝手に悪夢を決め、添削する事は…お門違いだな。

 ヴァニラに悪夢の話を聞いたクリスは、この城で自分の悪夢を探そうとしたんだろう…無茶な事だな、『だれそれの悪夢』なんて封印の部屋に書いているわけでもないんだから、あの膨大な部屋を一つ一つ開けて確認するしかない。子供だからこそやろうと思う、恐ろしい実験だ。

 子供だからこそ、

 想像しない。

 俺なら考えただけでゾッとするね。自分の夢を見つけるまで全ての扉を開け続けなきゃならない。そして封印の扉は開けたら最後、その夢の全容を開扉者に見せつけるんだから。…悪夢もピンからキリまであるが…それを一人で経験するなんて、冷汗が出るぐらいだ。

 ゾッとする。

 人口よりも悪夢が多いという絶対の不等式から考えれば、悪夢なんてどこまで増え続けるかわからない、鼠算よりタチが悪い。世界人口が約六〇億人だって言われていて、その全員が毎晩悪夢を見ながら八〇年を生きたとする。計算すれば一番単純な悪夢の最大量でも一兆七千億って所だな。一つの悪夢は一晩中ないし五時間程度は続く。間を取って悪夢の平均時間は八時間か…一日中自分の夢を探したとしても、一日に確認出来るのは三つで最高。全部見るには、一億年あってもたりねえだろう。しかも人間は耐えず生まれつづけるわけだからそれはもう凄まじい勢いで夢は移り変わるだろうし、さらに探してる間に自分の身体が死んじまったら、夢は封印を解かれて虚空に消える。全部が無駄骨に終るってワケだ。

 人間の短すぎる時間じゃ、とてもじゃないが足りなすぎる。

 ガキだからこそやろうと思う無茶だ。

「私はっ…私は夢でもいいから逢いたい! 最後の瞬間のママ達に逢いたい! ヴァニラちゃん、お願いだから私の夢を返して、アレは悪夢なんかじゃないの、お願いだからっ…お願いだから、最後のパパとママをっ…」

「……………」

 不意にヴァニラが上着のポケットから赤いマニキュアを出した。いつも綺麗に研がれた爪につけられてる、深紅色のマニキュアだ。

「ヴァニラちゃん…?」

 赤いマニキュアを惜しげもなく床に撒き、魔法陣を書きながらヴァニラは呟く。

「『虚、無、闇もまた闇へ…これぞ万物移ろいの理。この世の全ての夢と実を司る者の名においてここに一片の夢の召喚を。其れを望む者、名をクリストベル・ランプリエール。伏して願う、故に出でよ。…我に封じられし悪夢よ!』」

「ヴァニラちゃん!」

「さよなら小さなクリス」

「ヴァニラちゃん、私っ…」










「…何をした?」

 閃光と共に消えたクリスを眼で探し、それを確認できなかった隊長が硬い声でそう尋ねる。

「あんた達の望み通り、クリスは還したわ…強制送還としてね。そうしたくなかったからこそ保護していたんだけれど」

「しかしそれではあの娘は―――」

「悪夢を持っていく事になる」

「なんと…神法会議にかけさせていただくぞ、獏尉殿! 夢の掟を破り、ここにやってきた人間に悪夢を返して送還するなどと!」

「やれるモンならやれば?」

 俺は聖水の所為で軽いヤケドになりヒリヒリしてる手の甲をさすりながら、投げやりに呟いた。隊長殿は鼻白んで俺を見るが、俺はそんな物に恐れを成すほど若くもない。

「ここに来る時に自分がしたことを考えてからにする事を、勧めるがな」

「っ………」

 荒い足音と部下を引き摺り―――隊長の退場。お? こりゃ新手のギャグになるか?

 あの隊長殿はヴァニラをやっかんでの強硬手段ってのが入ってたからな。私情を仕事に挟むような隊長じゃ信用度も落ちるだろうし―――何も出来ないだろう。

「…問題は、ヴァニラですね」

 すっかり『ヴァニラ』に戻ってるバカを見上げて、ビズが溜息混じりにそう言った。

 俺は階段を上がる。聖水を浴びた後の身体には中々しんどいのだが、そうも言っていられない。ヴァニラが座りこんでいる階につくと、まずはぶちまけられたマニキュアの小さな魔法陣が目に入った。

「…悪夢…決めるってさぁ」

 ぽつりと、いつもより大分弱々しい声が呟く。

「エゴなのかな。みんなにイイ夢を見てもらいたいって、エゴなのかな。その度に爪弾くべき悪夢を、客観的に決めちゃうのって」

「ヴァニラ」

「エゴなのかな」

 我武者羅に切った髪の一筋を肩から払う。へたりこんで俯いているその傍らに、腰を下ろす。

「もしも」

 手に持ったハサミを弄びながら、俺は何気ない調子で返してやる。

「お前が間違ってたら、俺達も同罪だろ?」

「タロット、あたしは間違って…」

「『もしも』だ! …今は、お前一人が全ての責任を背負ってるわけじゃないんだからさ。俺も、ビズも、この城にはいる。だから、お前が間違っていても俺達は一緒に罰を受けてやれる。だから、まぁ…夢の添削は確かにエゴだけれど、そのエゴに救われてる人間だってやっぱりいるって思っておけよ。いいな?」

「そうですよ、ヴァニラ。私達がいるじゃありませんか…少しは頼ってくださいね」

人の良さそうな笑みを浮かべる神父に弱々しく笑顔を返して、ヴァニラは立ち上がった。

「そ、ね。じゃあまずは…この髪、切らなくちゃ。お願いよタロット、思いっきり可愛くして!」

「へいへい!」

「…私の仕事はあの玄関の片付けですか」

「その通り! 城扉の修理もお願いね、ビズぅ♪」

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