第2話

 ゴロゴロ、闇の中には雷が轟いている。薄暗い城を照らす雷光の中、礼拝室の一角では、三人の男女が揃って手先を動かしつつ談笑――約一名、あたしは談怒――していた。

 響いたドアベルに立ち上がったのは、唯一の女性であるあたしだった。

 あたしは女だてらにこの城の主である。名はヴァニラ・ローズ、特技は居候連中曰く我侭――仲間内でそれを倦厭する意味でヴァニティ・ローズとも呼ばれているけど、つむじ曲がりを意味するその愛称は好きじゃない。大体あたしはつむじ曲がりなんかじゃない。正当な事でしか怒ったりしてはいないつもりだし、暇潰しにちょっと、ちょっとだけ同居人たちかつ友人たちと口喧嘩をすることがあるぐらいだ。別にあたしは悪くない。

 さてそれより、ドアベルよねえ。ぽってぽって歩きながらあたしは教会部分から踏み出して、独り言を呟く。

「誰かしらね、こんな嵐の中で? アポ無しで来るんじゃねーって神さんに言っといたはずなんだけれどぉー……」

 赤いマニキュアの光る爪の所為で指紋照合をミスる。ちょーっとウンザリして、二度目にはどうにか照合、はいはい城扉のロックは解除ね。

「どちらさまァ?」

 城の扉が開いて、風と湿気が襲ってきた。雷の水割りみたいな外の景色が目に入る。客は一瞬、小さすぎて視界に入らなかった。

「あ……っ……」




 ……ネグリジェ姿の小さな女の子に、気付いた瞬間呆気にとられる。

 一瞬タイムトラベルなんて言う、とっくに廃れた理論を思い出した。

 そう、ココは過去なんじゃないの?

 この女の子は、まるでいつかのあたし――……



「はい、ココアをどうぞ」

 あたしにお嬢様趣味とのたまわれたビズが、客人の少女に向かってカップを差し出した。その一寸前にタロットによって乱暴に掛けられたタオルで頭を拭いていた彼女は、頭を下げてカップを受け取る。

「珍しいお客様ですね、コレはまた」

 ビズはさっきまでの暇つぶし、レース編み(と言えないものも含む)を片付けながらそう呟いた。場所はリビング、暖炉の前の安楽椅子に、ちょんっと座っている少女を目だけで見ながら――観察中らしい。あたしは暖炉に突っ込んだ火掻き棒をグリグリと動かしながら火力を強める。風邪引いちゃったら大変だしね。人間ってすぐ死んじゃうから。肺炎とかで。その為にも薪を突っ込むと。ぱちぱちと爆ぜる音がする。焚き付けには針葉樹、それが終わったら広葉樹って習ったけれど、あたしは木も林も森も見たことがないから良く解らなかった。とりあえず見た目で覚える。原始的だけど間違いはない。だから良いったら良い。

「まったくだ」

 ビズの言葉を受けて、タロットが自分で入れたコーヒーに口をつけながら一言。あたしはビズに入れて貰ったローズヒップティーに口を付けて、まだ熱かったのでソーサーに下ろした。ちなみに薔薇も見たことはない。ローズ、なんて名前なのに。ヴァニラは知ってる。時々ビズが仕入れてお菓子に使ってる黒いつぶつぶだ。甘い匂いがして、好き。

「ヴァニラに隠し子が居るとはな」

「お・い・こ・らっ?」

「んなっ、そんなアブネーものかまえるんじゃねーよっ!」

 笑えない冗談に思わず火掻き棒を構える。コレが皮膚につくとどうなるか、皮膚がじゅうじゅう焦げて―――うん、きっと熱いわね!

「あたしの子じゃないっつーのォ! この子は純粋な人間でしょ、絶対あたしの子じゃないもんっ」

「それって人間以外なら心当たりがあるって事ですねぇ」

「揚げ足取んないでよビズ!」

「……あの……」

 ちょっと高めの幼い声で、少女が声をかけてきた。あたし達三人をゆっくり見まわして、おずおずともう一度口を開く。

「ここ、どこですか?」

 うん、ここに迷い込んだ人間は必ず開口一番にそれを問うでしょうね。それを受けて、ビズがニッコリと人の良さそうな笑みを造って答えた。

「ここは悪夢城ですよ。悪夢城というのは、人間や他のもの達の見る悪い夢――『悪夢』の管理を一切合財行っている特殊な場所です。本来ならば人間がこの異次元に入り込むことなんて出来ないはずなのですが……あなたはきっと夢を見ている最中に何らかの異常現象のため、そこから抜け出て、こんな所に迷い込んでしまったのでしょうね」

「ちょーっとビズぅ? 聞き捨てならないわね、ヒトの城を『こんな所』呼ばわりするってゆーのはァ?」

「そ……それは、言葉のアヤと言うモノで……」

 苦笑するビズに、あたしは意地の悪い視線を投げつける。ふふ、混乱するがいいわっ、あたしだって今は好きでこんな事してるわけじゃないんだから。

 ……嫌いでしてるわけでもないけど。あたしの居場所はここしかないしね。神さんに出ていけって言われたら、流浪の民よあたし。そしてすぐ死んじゃうんだわ。ここで以外、生きられないようになっちゃってるんだから。この数百年。

「まぁ待て、とにかく脱線はやめろ。小さなお客様に笑われてるぞ」

「あっ、えとっ、ごめんなさいっ……」

 口元に手を当てて小さくクスクス笑みを洩らしていた少女は、突然タロットにそれを指摘されて慌てた。可愛い。金髪の巻き毛があたしとお揃いだ。目は青で、違ってしまっているけれど、妹がいたらこんな感じなのかなって思う。もっとも、あたしには家族なんて望めない事だけれど。

「謝る事はないぜ、小さなレディ。こちらのおどけた茶番ごときでその浮かない表情に日が差すようならば光栄の至り」

 ぎゃーっ、歯が浮くぅ! フェミニストの仮面を被ったナンパ男のタロットが、少女に向かって恭しく頭を下げる。まあ、まさかリトルガールに手を出すほどとは知らなかったわねェ……。コレからはその節操の無い女好きさに敬意をこめて、『ロリコン』と呼んでやらなくちゃだわ。

「寒いこと言わないでよねぇーっ……あー、寒い寒い寒ぅーいっ」

「暖炉の火力が弱かったか? 冷え性ババア」

 ただっ広い城の中に品の無い悲鳴が響く。今度こそあたしは火掻き棒を焼き鏝にした。

「あちっあちちちちちちちちち、あちちちちちっ! おまっ、冗談に対する反応としちゃあ酷すぎるぞコラァ!? うをっ、脳天から煙がァ!?」

「このピチピチをつかまえてハバアとのたまうとは、良い度胸じゃないのタロットぉ……どうやらあんた自分の立場が判っていないようねぇー……?」

 これがマンガであったならば、あたしは目の辺りをカケアミで隠して背中に『ゴゴゴゴゴ』という効果音を背負い、どんよりとした暗雲を背負っていたこと請け合いだわねっ。

「食らえ正義の鉄鎚アゲイン!」

「暴力反対核兵器廃絶っ!」

「知るか、我が公国に栄光あれっ!」

「お止めなさいヴァニラ! そんな物が当たったら熱いですよ多分!」

「あたしは熱くないわ、さあさあ逃げるんじゃなくてよタロット! 飼い犬の躾はしっかりしないと手を噛まれちゃいますものねぇー!?」

「嫌だっ大体俺は化け犬でも白澤でもねーっつの! そんなの押し付けられて、ハゲたらどうしてくれるんだ!? せめて腕! いや腕も困るな、足!」

「笑い飛ばした挙句にハゲヅラをプレゼントしてあげる! 手足なんてなまっちょろいのよ、あはははは! ……ん?」

 あたしが真っ赤になった火掻き棒を再度振り上げるのをビズが制止し、それを振りほどこうと格闘している所にまた小さな笑い声が響いた。……お嬢ちゃんが笑っている。なるほど、可愛らしい笑顔してるわね。

「あっ、また……ごめんなさいっ」

「あー、イイのイイの! ウケるんならいくらでも笑ってくれて、ね?」

 あたしは火掻き棒という物騒な武器を下ろして彼女に向き直る。タロットが命拾いした、と言いたげな大袈裟な溜息をついた。ビズはヤレヤレと肩を竦め、タロットの頭を撫でている。

「えーと、あたしはこの城の主でね。悪夢管理最高責任者『獏尉』、ヴァニラ・ローズって言うの。あなたのお名前も、教えてくれるかしら?」

 なるべくビズに似せた人のイイ笑みを造ったつもりなんだけれど、ちゃんとそうなってるかしら。いかんせん、ひねくれまくった可愛い愛嬌ある性格がこの白磁の肌に造詣深く表れちゃうから(大いに矛盾しているセリフねぇ)。

「クリス…クリストベル・ランプリエールです」

「クリス? 可愛らしいお名前ですね、リトル・レディ。俺はタロット・パーシィ、この我侭娘に下僕扱いされる可哀想な者です……願わくはその楓の葉のような掌で、さっき焼き鏝を押されたこの傷の手当てを……」

 ロリコン決定。お嬢ちゃんの手をとってそんなセリフを吐くとは……。

「はいはい、お客様に手を出しちゃいけませんって何度も言ってますよねタロット? あとで私が手当てして差し上げますから冷やしておいてください、はい氷嚢。私はビズレィ・ジェーウィッシュといいまして、城内礼拝堂を管理する神父です。一応カトリックなんですが、宗門関係無く礼拝に来てくださる方は歓迎致しますよ? タロットは仏教徒ですし、ヴァニラにいたっては強情にも無神論者ですから」

「強情で悪かったわねぇビズ~~っ?」

 ハイヒールでビズの黒靴をグリグリとやる。ふふーん、顔に出さないようにしてるけれど、青ざめた笑顔がイイカンジだわ。おーほほほ、だってあたしはこの城の女王様ですものねっ♪ 否、お姫様かな。何でもかんでもあたしの思うがまま! 女王様は退治されちゃうのがパターンだもの、お姫様の方が良いわ!

 っと、そんなことはどーでも良くてェ……。

「兎にも角にも、どうしようかね……このお嬢ちゃんは。早いところ現実に返さないと身体の方が危ないでしょうし」

 あたしは忘れる前に本題に入る。ついついコントを演じてる場合じゃなかったんだったわね、っと。

「クリスがここにやって来た理由が何か、理由もしくは原因の追求をしないと元の世界に戻してあげることは出来ないわよ……ね。仮説としては眠っている最中に幽体離脱、何かしらの事故によって意識不明、悪夢になんらかの要因アリ……って所かしら? ……ねぇ小さなクリス、何か心当たりは無ぁい?」

 あたしはしゃがみ込み、安楽椅子に座ったクリスと目線を合わせて訊ねてみる。……けれどクリスは俯いて小さく首を振るだけだった。

 うーん、困ったなァ……。あたしの城に人間が迷い込んでくるなんて事は、ここ二、三百年無かったことだし、こんな小さなお客人が来るなんてもっと無かったことだしね。一番最近誰か迷いこんで来た事は…ああ、考えつかないぐらい昔しかないわ。ということは、一週間以内に神さんが来てくれることを願うばかりだわね。

 ココにやって来た人間のカタチは一種の魂みたいなものだから、それが抜け出た状態でいると身体は段々衰弱して死んじゃうのよ……もってせいぜいそれこそ一週間って所かしらね。ソレから救う為に迷い込んだ精神を追放状態で強制送還させることは出来るけれど……。

「あの、ヴァニラさん」

「なに? 何か思い当たること、あるの?」

「あの、違うんですごめんなさい、えっと……ここ、悪夢城って仰いましたけれど、一体なんなんですか? 悪夢の管理をする場所って、なんですか?」

 あら、今時の人間は悪夢城の存在を知らないのかしら……傷つくなァ。昔はあたしたちの事をちゃんと知っている人がいっぱいいて、ベッドに入る時には悪夢を取ってくれてありがとう、なんて唱えながら眠った子供もいたのに。まあそれも三百年ぐらい前の話だけど。現代っ子の考えることは分からないんだな、あたし。

 でもそれだけ、今の子達は夢を見ないのかしら……?

「うーん……人は夢を見るわよね、小さなクリス?」

 こくん、と、彼女は小さく頷いた。幼い顔がレトロチックな暖炉の明かりにほんのり赤く照らされている。

「人が夢を見るのはね、夢でヨカッタって思いたいからなんだ。いい夢だったら『素敵な夢でよかった』って思うために。悪い夢だったら、『現実じゃない、夢でよかった』って思えるでしょう? けれど、もしも受け入れるのがあまりにも辛すぎる……そんな、『悪い』を通り越して『恐ろしい』夢がある。そんな夢をこの城の中に閉じこめるのが、あたし達のお仕事なんだ」

「『恐ろしい』夢が……『悪夢』?」

「まぁ、そうなるのかもね。そういう基準は人それぞれだと思うから、一概に基準を設けちゃ行けないと思うんだけれど、どうにも聞き入れてくれないからさ……」

 怖い夢。恐ろしい夢。それは悪夢と呼ばれて一つのカテゴリに詰めこまれ、やがては蓋をされてゴミに出されてしまう。…たかが夢と思って侮っちゃいけないのよ、夢は一種の暗示でもあるから、妙な夢に毎晩苛まれる内に気が変になっちゃう事だってあるのよね。

 あたしと対極にある夢魔なんかはそうやって悪夢を見せるのが仕事らしい。見た事ないから分かんないけど、今もそれはいるのかしら。獏は、獏尉は、あたしだけだけど。

「でね? そういう夢が人間の精神に有害な時、あたし達はそれをこの城に閉じ込めるの。悪夢の数だけ扉は存在し、その悪夢を発見すると同時に城の中にある扉の中に封印する。その夢の主である人間が死ぬと同時に悪夢は解放され、やがて薄れて消え去ってしまう……だから広い城の中で扉の数は耐えず変動するわ。まぁ、夢の主が生きている間は、ここで大人しくしててもらってるのよ」

「閉じ込められている間、悪い夢はどうしているの?」

「それは――……わからないかな。夢も長い間夢を見ているのかもしれない」

 そう、ここは悪夢の城。

 貧乏籤を引いた者だけが管理させられる悪夢の城。あたしはここに閉じ込められた。

「小さなクリス、あなたはどうしてこんな所に迷い込んでしまったのかしらね」

 小さな頭を撫でてみる。外の嵐はまだ吹き荒ぶばかり。

「もしも『お助けマン』が来てくれなかったら、あなたを守るためにあたし達はあなたを強制送還しなくちゃならないのよ……それはしたくないけれどね」

「強制送還……?」

「うん、それで帰してあげられない事もないんだけど」

 それは元々夢を悪用しようとする者を追放する方法で、つまり刑罰の一種だから、あたし達がここで管理しているそいつの『悪夢』と一緒に追放することになっちゃうのよね。下手をすればその悪夢に殺されてしまうこともある……あまりにも可哀想過ぎるわよ、ただの迷子ちゃんには。

「あの……ヴァニラさん……」

「次はなぁに?」

「ヴァニラさんはずっとココにいるの?」

「……そーねぇ、結構長いこといるわね」

「どのくらい?」

「……数えるのも飽きちゃうぐらいの年数を」

「…………………………………………」

「怖いかな? 人間じゃないからね、あたし達は。人間の寿命じゃこの仕事はとても出来ないものなのよ」

「怖くは……ないです。ヴァニラさん達は優しいから」

 優しい……?

 そう、なのかしらね。

 あたしは優しくなんか――……

「そいつはビッグな勘違いだリトル・レディ、さっきのヴァニラを見ていないのかい? コイツは他人の頭に火掻き棒を浴びせるような女なんだ、けして優しいとは言えないっ!」

「アゲイン?」

 すちゃっと構えますは火掻き棒。一で気をつけ二で構え。三、四で後ろに周り五で撲殺。

 こだまする悲鳴と笑い声、オチはビズの溜息でしたっ♪

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