窓から見える真剣な顔に 茅ヶ崎ばじるの小話

ぜろ

第1話 窓から見える真剣な顔に

 最初は何事かと思った。

 どうしてそんな顔をしているのかが判らない。


 茅ヶ崎は妙な奴だ。と形容すると、俺も漏れなく了祐にお前もなと突っ込まれる。確かに俺は興味の沸点が異常に高く、その対象外の事に対してはまるで無頓着だが、それは彼女も同じだった。真剣になるまでの沸点が高い所為で、テストなんか以外の時はいつも暢気に笑っている。手袋に対してからかわれることも一度や二度ではなかったけれど、まるで気にせず笑うから、誰もがそれはそうだと受け入れていた。

 そんな茅ヶ崎が、今は笑っていない。

 帰りのホームルームは、校内合唱コンクールの課題曲決めだった。正直どうでも良いので殆ど無視しながらイヤホンに耳を傾け窓を眺めていたが、前の席にいる茅ヶ崎の表情が映っているのに気付いたのはさっきだった。思わず目を丸くしたのは、彼女が真剣な様子で机の上に目を落としているから。俺と同じように委員長の話は聞いていないだろうから、課題曲を思案しているわけではないだろうが――。

 見れば、何かの冊子を眺めているらしいことが判った。カラフルなのが鏡像でも判るが、何が書いてあるのかまでは判らない。薄いパンフレットのような、B5の教科書ぐらいらしいサイズのそれ。茅ヶ崎が真剣になるようなことがそこに書かれているのだろうか? それは少し、気になるかもしれない。

 前に向き直ってみるが、背中に隠されて机の上は見えなかった。徹底的に正しい姿勢を崩さないのが彼女の特徴ではあるが、今はそれが恨めしい。まるっとした後頭部を軽く睨んで念力を一瞬信じてみるが、無駄だった。信仰をあっさりと放棄して、違う手段に向かう。身体をぐーっと伸ばして肩越しに覗こうとしたが、淡野に哀れむような目で見られたので、やめた。


 それほどの興味があったわけでもない、ただ、暇だというのが現在の心境には一番近い。小人閑居して不善をなすとは今日の古典で習った言葉だが、そういうことなんだろう。いや、怠け者の節句働きかもしれない。どっちもそう違わないような、全然違うような。

 とにかく、背中に隠されて俺の角度からは茅ヶ崎の机の上を見ることは出来ない。一番確保されていると言える角度は、窓の虚像。だがそれも冊子が寝かされている状態だとよくは判らない。せめて起こすことが出来れば、中をちらりとでも映らせれば。

 だがしかし茅ヶ崎は先ほどからページを捲る気配がまるでない。何か一ページを眺めて思案しているようだ。そうなるとやはり難しい。SHRが終わる頃には冊子を畳むだろうが、そのどたばたの中で障害が入らないとも限らない――さて、どうするか。

 薄さと大きさから考えてパンフレットらしいことは判る。学校内で手に入るパンフレットなら大学の案内だが、茅ヶ崎は進学しないと進路希望調査の際に女子が話しているのを聞いた。なんでも現在やっているバイト先に、そのまま就職が決まっているらしい。ならそれは却下だ。

 他に手に入る似た形状のものは、学校便りか。フルカラーで印刷された四ページ綴りの冊子。一ページに作文や注意事項など文字も多いから、じっと眺める状態にはなるだろう。だが今月分はまだ発行されていないし、先月も特に茅ヶ崎の沸点に届きそうな記事は無かった。それに、装丁が違う。これはA4だから、除外。

 茅ヶ崎の様子から判断すれば、どうか。沸点の異常な高さと言う点では淡野の言う通り、確かに俺達は似たところがあるかもしれない。真剣になる沸点に至るまで、何かの切っ掛けが必要なのだ。俺が興味を切っ掛けに頓着するように、茅ヶ崎は『何か』を切っ掛けに真剣さを持つ。その何かとは、何か。

 趣味嗜好を知るほどに仲は良くないし、観察もしてはいない。女子が集まって何か話しているのを見ることはあるが、俺はいつも大概音楽を聞いている。今のように。だから内容までは推し量れない。体育なんかの授業中に耳に入る限りでも、これと言ったことはなかったはずだ――傾倒しているバンドがあるとか、好きなブランドがあるとか、お気に入りの美容院があるとか、まるで。いや、他のどの女子に関してもそんなこと憶えてないけど。女子の間の話題、何か……音楽にお洒落に、あとは、なんだろう。

 息を吐くと、鼻の奥に甘ったるいニオイがこびり付いているのに気付いた。昼に貰ったいちごミルクのキャンディだろう、ああ言うのは妙に後味が残っていけない。モノによっては舌に色が付いたりして不便だ。


 ふっと、俺は思い出す。

 茅ヶ崎は昼に一人で音楽室にいた。友達が居ないわけじゃないのに、一人で。女の子の話題でよくあるのは、食べ物のことだ。男みたいに値段と量で話すのではなく、可愛さと甘さで判断をする。そして彼女は、大量の菓子を広げていた。一人で昼を過ごすのは、取り分が減るからだと言っていた――あったのはキャンディ、チョコレート。煎餅やポテトチップスなんかじゃなく、どれも甘味の強いもの。

 何より、コーヒーを渡した時には甘くないと泣きやがった。


 つまり、茅ヶ崎の沸点を上げる要素は、ずばり甘いものではないのかと言う推測が成立する。

 ならば、茅ヶ崎が現在目を落としているのは、それに関連したパンフレットなのか。

 三段論法で言うなら多分成立はするだろうが、確信は持てない。装丁のカラフルさも裏付けにはなりそうだが、所詮は鏡像の虚像からの判断だ。現物を見るまでは確定させることも出来ないだろう。委員長はまだ多数決にするか籤引にするかをアミダくじで決めている最中だし――確認するまで、このことを憶えていられるかも判らない。小春日和の陽気が気持ち良くて、眠い。だがここまで理詰めしたのを放り出すのも勿体無い……このままでは、もったいないオバケが出てしまう。

 よし。

 俺は両腕を、茅ヶ崎に伸ばした。


「…………」

「…………」

「何か用?」

「何読んでるのか見せて」

「はい」


 渡されたのは、ケーキ屋のパンフレットだった。秋なので栗やりんご、梨やサツマイモと言う季節もののラインナップが紹介されている。ふむ、なるほど。赤ペンで丸が付けられているのは洋梨のタルトとベリーパイ、二つとも小さなタルトレットに入っているらしく、値段も少し色が付いている。このどっちにするかを、悩んでいたんだろう。

 俺は礼を言って、それを茅ヶ崎に返す。

 しかし、背後から男子生徒に腰を掴まれての反応がそんなに淡白で良いのだろうか。


 眠気が支配する教室の中、絶句した了祐だけが俺と茅ヶ崎のそんな遣り取りを眺めていた。

 さて、寝るべ。

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