3.プレゼント

 クリスマスまで一週間を切った木曜日。いつも通り木崎薬局を訪れ市販薬を棚に陳列したり、子供向けの絵本を拭いたりしていたさくらに、木崎は声をかけた。


「クリスマスには少し早いけど、これ。私からさくらさんへプレゼント」


 雪の結晶模様の包装紙と赤いリボンでラッピングされた箱と、木崎の顔とを交互に見たさくらは、目と口を開き間の抜けた顔をしていた。が、次第にそこに喜色が混じっていく。


「いいんですか?」

「ああ。いつも手伝ってくれて助かっているから、そのお礼だよ」

「ありがとうございます! すごく嬉しい!!」


 カウンターに箱を置いたさくらはいそいそとリボンを解き始める。その様子に目を細めた木崎は気恥ずかしさを感じつつ、白衣のポケットへ両手を突っ込んだ。


――女性への贈り物を選ぶなんて、何年ぶりだっただろう。


 回顧しかけたとき、ふとさくらに別人の面影が重なる。だがわくわくしたふうだったさくらが急に固まって動かなくなったため、蘇りかけた思い出を思考の端へ追いやった。


「さくらさん?」


 声をかけても反応はない。箱を見下ろすさくらは真っ青な顔をして、冷や汗を流していた。


「どうしたんだい? すごく具合が悪そうだけど」


 木崎が顔を覗き込もうとすると、さくらは弾かれたように顔を上げた。


「だっ、だだだいじょうぶ、です。ぜんぜん、まったく、これっぽっちも問題ない、です……」


 盛大にどもりながら箱の中身を取り出そうと手をのばす。けれどさくらの白い手はのびては引っ込み、またのびては引っ込みと同じ場所を行ったり来たりしている。


「もしかして、猫は苦手かい?」

「ひぅっ!?」


 箱の中――黒猫のぬいぐるみに触れようとしていたさくらは全身をびくつかせ悲鳴を上げた。


「すまないね、犬にすればよか」

「うっ!」

「犬も苦手なのかな?」

「…………ご、ごめんなさい」


 涙目のさくらは心底申し訳なさそうに項垂れた。その怯えようからして相当苦手なのだろう。


「謝らなくて大丈夫だよ。私の方こそ悪かったね、ちゃんとさくらさんの好みを聞いてからにすればよかった」

「そんな! 木崎さんが謝ることないです!」


 ぶんぶんと首を横に振るさくらを宥めた木崎は箱からぬいぐるみを取り出し、さくらの視界に入らないようそれとなくカウンターの隅に遠ざける。


「奥にマグカップも入っているだろう? この前さくらさん、ココアも好きだって言っていたけど、湯飲みでココアを飲むのはいただけないかなと思って」


 木崎に言われ、さくらは箱から陶器の白いマグカップを取り出した。

 マグカップの中央には薄紅色の桜が三つ並んで描かれており、それを見たさくらは「わぁ!」と感嘆の声をもらす。


「すごく可愛いです! ありがとうございます、大事にします!」


 嬉々としてマグカップを持つさくらの姿は、ハムスターが向日葵の種を持つ姿に似ていた。円らな目や小さな身体であちこち動き回る様もまたよく似ている。


「木崎さんに貰ったマグカップ、ここに置かせてもらっても良いですか? 斉藤さんがくれた湯飲みは緑茶の牛乳割りを、この桜のマグカップはココアを飲む時に使いたいです」

「構わないよ。じゃあ早速、ココアを入れてこようか?」

「お願いします!」

「少しの間店を頼むね。誰か来たら」

「木崎さんに声をかけますね」

「ああ。よろしく」

「はいっ! いってらっしゃいませ」


 さくらの声を背に受けつつ、木崎は漏れそうになる笑い声を噛み潰す。

 時折世間知らずで至らない部分があるものの、さくらは何事にも一生懸命だ。素直な性格や人当たりの柔らかさゆえにお客さんたちの評判もよく、木崎もさくらと過ごしていると退屈しない。

 店舗と自宅を繋ぐ扉を潜ると同時に、木崎の背後から「ううう……」と唸り声が聞こえた。振り返ればさくらは目を瞑り顔を背けた状態で、木崎が遠ざけた猫のぬいぐるみに手をのばしている。そこまで気に病むことはないのにと苦笑しかけた刹那、


「木崎さんが、くれた、ものだから……っ」


 さくらの真摯な声が木崎の鼓膜を震わせた。

 三年前さくらとの間に何があったのか、未だに記憶の一端すら掴めない木崎は日に日に増して行く罪悪感に顔を歪める。

 台所でマグカップを洗う間も左手の指輪が当たるカチ、カチ、という音を聞くともなしに聞きながら、さくらの言葉が頭のなかに繰り返し響いていた。


――思えば私は、さくらさんについてあまり知らないのだな。


 稲葉高校の生徒であること、稲葉神社の側に住んでいること。甘い物が好きで、犬や猫は苦手で……把握しているのはそれくらいだ。さくらの得意科目や家族構成、連絡先すら知らないことに、木崎は今更気付いた。


---+---+---+---


 久しぶりに表通りを通った透は魚屋の前で源さんに捕まり、最近の木崎薬局に関する話を色々と聞かされた。珍しく父親への見合い話をふられないと思ったら、

「最近薬局を手伝っている女がいるんだよ。センセイは遠縁の子だっつってたが、ありゃ押しかけ女房だ。嬢ちゃんの方はセンセイに気があるぜ!」と、とんだ爆弾発言をかまされた。


「センセイはどう思ってんのかねぇ。あ、これ持って行きな、いい鱈が入ったんだよ!」


 前祝のつもりなのか、商店街のマスコットキャラが印刷されたビニール袋はずっしり重い。

 透は帰路を辿りつつ心当たりを探してみるが、父の生まれ故郷はここから遠く離れた土地で親交はほとんどない。母方の親類ならば母の従兄妹である源さんが知らないわけはない。

 おそらく親戚というのは苦し紛れの嘘なのだろう。その女が再婚相手になりえるのだとして、十五年間男で一つで育ててくれた父の再婚に異論はない。だがせめて、そういう話は大学受験が終わってからにして欲しい。


「ん?」


 薬局の傍まで来た時、ガラス壁の向こうを誰かが通り過ぎた。来客中なら裏から入るかと思いつつ店内を覗いて見ると、紺色のジャケットとプリーツスカートを着た小柄な少女がソファとカウンターを行き来していた。


――まさか……!


 左右に揺れる長い白髪に既視感を抱きつつ、透は自動扉へ向かう。来客を告げるチャイムが鳴り、「こんにちは!」と少女が振り返る。

 透の姿を見止めた少女は一度見たら忘れられない綺麗な赤い目を見開き、持っていた台布巾をぽとりとカウンターに落とした。


「やっぱりさくらだったか」


 果然と驚きが入り混じった透の呟きでさくらは我を取り戻したようで、「と、透さん!?」と裏返った声を発する。


「その節は大変お世話になりました! 何かお礼をと思っていたんですけど、どこに行けば会えるのかわからなくて」

「気にすんなって言ったろ。見返りが欲しくて手当てをしたわけじゃねぇし」


 透がひらひらと手を振るとさくらは改めて謝意を告げ、心配そうに眉を下げた。


「あの、もしかして透さん、どこか具合が悪いんですか?」

「別にどこも悪かねぇけど」


 強いて言えば連日の受験勉強で疲れが溜まっているが、薬を用いるほどではない。


「でもここ薬局ですし……。あ、木崎さん今お留守なんです。お薬を届けに行っていて」


 おろおろしたさくらはカウンターの端に行き「お茶でもいかがですか?」と急須を手に取る。


「ああ、平気だ。薬を買いに来たわけじゃなくて、ここ俺の家だから」

「へ?」

「前にさくらの手当てをしたのはこの店の裏だ」

「……ふへぇぇ!?」


 奇声をあげたさくらはぱくぱくと口を開閉させていたが、じっと透の顔を見上げるうちに顔色が青くなっていった。


「つ、つまりそれは……木崎さんは、透さんの……」

「親父ってこと」

「!!??」


 さながら雷に打たれたように、さくらは身体をびくつかせる。


「どうしたさくら、急に固まっちまって」


 透はさくらの目の前でひらひらと手を動かす。けれどさくらは赤い目にありありと動揺を浮かべたまま、マネキンにでもなってしまったかのように動かない。

 どうしたものかと透が困り始めた頃、店主である木崎が帰ってきた。


「おかえり、親父」

「ただいま。透もおかえり。今日は早かったね」

「授業が早く終わったんだよ。あとこれ、源さんに貰った」


 鱈の切り身が入った袋を見せると、木崎は「今夜は魚介の鍋にしようか」と笑みを漏らした。


「そうだ、さくらさんも一緒に食べて行くかい?」


 木崎が声をかけるも、やはりさくらから反応はない。


「さくらさん?」


 先刻透がしたように、木崎も心配そうにさくらの顔を覗きこんで目の前で手を動かしている。そんな父親の姿を、透は意外に思っていた。今まで木崎が親類やご近所さん以外の人間を、進んで家にあげようとしたことはない。

 かくいう透も手当てのためとはいえ初めて会った女の子を家に連れ帰ったりはしないが、あれは動物を保護するような感覚だった。今もようやく硬直が解けたらしいさくらは挙動不審で、さながらパニックになったハムスターのようだ。


「わ、わわわたし夕方には家に帰らないと行けないので、その、大変もったいなく申し訳なく思うのですが……すみません、今回は遠慮させて下さい」


 さくらは木崎と透それぞれに頭を下げ、ふらふらと自動扉から出て行った。

 あからさまに覇気のない後姿を見送っていた木崎は「またやっちゃったかな……」と悔いるように嘆息する。


「またって?」

「先週クリスマスだっただろう? 仕事を手伝ってくれているお礼に、さくらさんに猫のぬいぐるみと桜柄のマグカップをプレゼントしたんだ。でもさくらさんは猫が苦手みたいで」

「あーすっげぇ苦手みてぇだからな、猫。この前銀さんと対峙して泣きそうになってたし」

「透はさくらさんと知り合いかい? 私が帰ってくる前も話をしていたみたいだし、高校でも会っているとか」

「さくらは親父の遠縁の子じゃねぇの? 源さんがそう言ってたけど」


 顔を見合わせしばしの時を隔てた後、気まずそうに眼鏡を外した木崎は「実は――」とおもむろに口を開いた。

 恩返しがしたいと訪ねて来たさくらがあまりにも必死だったため、木曜の午後ならと受け入れたこと。けれどさくらが言う恩に心当たりがないこと。厚意に甘えてしまっている申し訳なさなどを語った木崎は自責混じりの苦笑を零し、拭いた眼鏡をかけなおす。


「相変わらず押しに弱ぇのな」


 はっ、と短く笑った透はコートのポケットへ両手を突っ込む。

 父親がさくらの勢いに負けた光景は容易に想像出来たが、いくら押しに弱いと言っても望まぬ事を受け入れ続けたりはしないはずだ。源さんや母方の叔母に薦められて見合いをした時も、最終的には断っていた。


――さくらとのやりとりを見る限り、なんだかんだ親父も現状を享受しているみてぇだが……。


 逡巡しつつ、透は口を開く。


「親父」

「なんだい?」

「……いや、なんでもない」


 惑いが過ぎり、寸での所で思い止まる。カウンター裏の扉から住居へ上がろうとした透の目がふと、見慣れない湯のみとマグカップを捉えた。来客用の茶器に混じるそれは先ほど木崎が言っていたさくらへのプレゼントだろう。

 よくよく店内を見れば物の配置や、子供用の絵本などを置いている一角の飾り付けが以前とは違った。

 そのなかにいる父親の背中もまた、透にはどことなく変わったように見えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る