第1話 新しいヒビ
ベッドから降りるのに30分はかかっただろう。まだ頭の中がごちゃごちゃしている。それもこれもあの夢のせいだ。一体どうして高校生の時の夢なんか見たのだろうか。しかもあんなにリアルに見るなんて…。ここ最近、眠りが浅かったせいだろうか。久しぶりに夢を見たと思ったらこれだ。
俺は、ベッドの脇のテーブルに置いた眼鏡を掛け、カーテンを開ける。日の光が目に入り、一瞬意識が飛びそうになった。そういえばカーテンを開けるなんて随分久しぶりな気がした。窓も開け、大きく空気を吸い、吐き出す。何度か深呼吸をしたものの、まだ胸の中の靄が取れなかった。少し考えてから部屋着を脱ぎ捨て、私服に着替えてから部屋を出た。
「おうナツ。おはようさん。コーヒーでも飲むか?」
カウンターにハルが立っていた。エプロンをしてバンダナを巻き笑顔で俺を見ていた。
「悪い、頼むわ」
足取り重く、ゆっくりとカウンター席へ座った。
ここは喫茶店。あの高校生の時に白衣のおっさんこと黒須教授から借りたあの喫茶店だった。ここは奥が居住スペースになっており、贅沢なことに4LDKになっているのだ。高校を卒業後、俺は大学生に、ハルは本当にこの喫茶店を店としてオープンをしてマスターとして働いている。そして俺とハルは、この居住スペースに住み込んでいた。
「へい、お待ち」
ハルがコーヒーを俺の前に静かに置く。コーヒーの香りが鼻腔をくすぐり、沈んでいた意識がやっと覚醒し始めてきた。一口コーヒーを飲む。ハルは、もともとバカで不器用なのだが、これを決めたことはとにかく極める性格だ。あれだけまずくて飲めたものでもなかったコーヒーが今ではお気に入りと言ってもいいほど美味しくなっている。少しそれが悔しい。
「…うまいな」
ぼそりと呟くように言ったはずだがハルはそれを聞き逃さなかった。
「お前が素直に褒めるとか珍しいな。朝飯も食うだろ?ちょい待ってろ」
冷蔵庫を覗き込みながら、そう言って食材を取り出していた。俺は、肯定も否定もせずにただコーヒーを少しずつ口へ運んでいた。カウンターからはハルが料理をする音が聞こえる。俺は、ふとそのハルへ目線を移す。エプロン姿で頭にバンダナ。見慣れたはずの光景なのになぜか新鮮に見えてしまう。本当にどうしてしまったのだろうか。
「なぁナツ」
唐突に声を掛けられて不覚にも驚いてしまった。
「今日はどうしたよ。いつも暗い顔してるけど今日はもっとひどいぞ」
こちらに顔を向けずフライパンで何かを作りながら言う。言われて俺は眼鏡を外しテーブルに置いてから手で顔を拭いた。
「今日の俺、そんなにひどいか」
「あぁひどいな。2年前みたいだ」
2年前、と言われてこめかみの辺りに鋭い痛みが走った。少し耐え、頭を振って痛みを無視した。
「なんかあったのか?」
「……」
ハルに、何かを伝えようと口を開いたが、言葉が出なかった。多分、ハルのことだ。実は俺は異世界人で世界を救うために動いている、と言っても信じてくれるし、手伝うだろう。こいつは無条件で俺のことを信じてくれる。だから、俺の話を信じてくれないという不安から言葉が出なかったわけではない。ただ何に違和感を感じ、何が自分を追い詰めているのかわからないだけなのだ。
「そういうことか。ほれ、とりあえず食え」
唐突に俺の前に一つの平皿に盛られたベーコンエッグとご飯が置かれた。腹が減っていたわけではないが、目の前に料理が置かれたことで空腹を感じ俺は黙ってスプーンを取り料理に手をつけた。
「あれだろ。お前、今よくわからない状況になってるから、なんて言っていいかわからないってところだろ」
ギクリ、と食べる手を止めてハルを見た。ハルはドヤ顏して俺を見ていた。うわぁ殴りてぇ。
「お前と何年一緒にいると思っているんだよ。とりあえずあれだ、何があったかだけ話してみれば?」
こいつはいつもそうだ。普段バカなくせになぜかそういうことにはよく気がつく。何故だかそれがここ1年ほど鬱陶しく感じていたが、今はそのまま身を委ねてもいいかな、と思った。
「…お前、夢とか見るよな?」
相談、という行為が何か気恥ずかしくもあり食事をしながらそうハルに聞いた。
「夢?まぁ…見るけど起きたら忘れるな」
「もともと夢ってのは色々な説があるが、有名なのは記憶の整理中に発生するつぎはぎの映像が夢としてみるって事だ。そういうことはわかってはいるんだが、どうも今日見た夢がな…なんというかリアルというか」
食事の手を止め、スプーンを置きハルをまっすぐ見た。
「お前さ、ここに来た時の事覚えてるか?」
「ここに来た時の事?それって高三になったばっかりぐらいの時の話か?」
高三の時と言われて少し考えた。あれはそれぐらいの時期だったか。確かハルと秋穂が同じクラスになって、間もなくだった気がする。
「多分それぐらいだ。俺が秘密基地が、って言った時の事だ」
「あーそうだったな。最初は秘密基地がどうのって言ってたな。思い出したわ」
天井を見上げたり、腕を組んだりしながら記憶の探るように言う。そうだ、何かの違和感はそれだ。
「そうなんだよ。少なくとも3年は経ってるから俺もしっかりと思い出さないと思い出せないような事を、凄く鮮明に、リアルに見たんだ。だから何か違和感というか気持ち悪いというか…」
「それって過去夢ってやつじゃないですか?」
突然、横から声がしたことに驚き、そちらを見た。幼い顔立ちでセミロングの髪をサイドテールにしている女の子がそこにいた。
「あ、あ…」
「おう冬香ちゃん。おはー」
「おはーです。ナツさん、ハルさん」
そう元気よく手を上げながら俺の隣に座る。そして、俺が食べているものを見て、マスター!と元気よくハルを呼ぶと、待ってましたと言わんばかりに料理を冬香ちゃんに出していた。
「あ、あぁ、おはよう冬香ちゃん」
ようやく声が出た。さっきまであの夢のことを考えていたせいで完全に混乱してしまった。遅れての挨拶に首をかしげながらも、行儀よく手を合わせて、いただきます、と言いながら料理を食べ始めた。
「それで冬香ちゃん、さっき言ってたカコムってなんだ?なんかのセキュリティ会社か?」
「過去夢ですよ、過去の夢って書いて過去夢。いわゆる昔の夢をリアルに追体験することを言うらしいですよ。それこそ前世のことまで追体験できるとかなんとか!」
過去夢、か。あれはそういうものなのだろうか。今は、夢だったとはっきりとわかる。しかし、あの時はまるでこれが現実だと思うほどリアルだった。一体何なのだろう。
「一体何の話だったんですか?夢の話ってまるで黒須教授の研究テーマ見たいじゃないですかー。もぐもぐ」
「あのおっさんそんなもんテーマにしていたのか。知らんかった」
「何度かここでそんな話してましたよ。それなりの権威の人らしいですよ。普段はダメな人っぽいですけど」
そんな光景を見てまた違和感を覚えてしまった。
「なぁ冬香ちゃん。なんでここにいるんだ?」
違和感をそのまま聞いた。今はまだ喫茶店が空く時間ではない。それに喫茶店の入り口には、ベルが付いており、ドアを開ければ音がなるはず。それなのに音もなく突然、現れた。質問が意味がわからなかったのか冬香ちゃんは小首を傾げるだけだった。
「これから大学ですけど、朝食の美味しそうな匂いにつられて部屋から出てきただけじゃないですか」
部屋から出てきただけ。あれ。なんだ?
「そんな冬香ちゃんのことも考えて二人分の食事を作っていた俺さすがだな」
「さすがハルさん!」
そうだった。冬香ちゃんは去年、俺と同じ大学に入学し、そしてこの喫茶店に引っ越してきたんだ。なぜ、そのことを思い出せなかったのだろうか。ダメだ、なんか今日は記憶が混乱しすぎている。
「ナツさん大丈夫ですか?なんか今日、少しいつもより変ですよ」
そんな俺を心配そうに覗き込む冬香ちゃん。俺は、少し笑顔を作り冬香ちゃんの頭に手を置いた。
「ごめんごめん。ちょっと今日は具合が悪くてな」
「むぅ。いつまでもわたしを子供あつかいしないでくださいね。わたし一つしか年違わないんですから」
そう言って恥ずかしそうに俺の手を振り払い、近くに置いていただろうリュックに手を伸ばした。
「それじゃあサークルがあるのでわたしは先に行きますねー!」
「いってらっしゃーい」
それを見て俺も慌てて席を立つ。
「大学行くならバイクで送るぞ」
「大丈夫でーす。具合が悪いんですからゆっくりしていてくださーい。では!」
びしっと敬礼をして、元気に喫茶店を出て行った。
「相変わらず元気だなぁ。お前も少し元気わけてもらえよ」
「……なぁハル。冬香ちゃんってぼそぼそと話をする子じゃなかったか?」
冬香ちゃんが去っていった喫茶店の入り口を見ながらハルに聞く。
「そうだなぁ。確かに昔とだいぶ変わったよな冬香ちゃんも。…あれから2年経つからな……」
あれから2年。そうか…もうすぐ丁度2年になるのか。
それから大学へ行くものの、やはり具合が悪くて早退をすることにした。そうだな、多分こんな夢を見るのも全部……。そう思いながら俺は大学に隣接する病院へと足を運んだ。
消毒液の匂いなのか病院独特の匂いがどうも好きになれない。俺は足早にナースステーションで受付をし、4階の11号室へと行く。ドアの前で深呼吸をする。そして勢いよくドアを開ける。
「よう!元気してるかー。いやー最近、なんか夢見が悪くて困ってるんだよ。今日、ついに体調悪すぎてサボっちまったよ。ハルや冬香ちゃんにも心配されすぎてて家にも帰れないわ。だから、少しここに避難させてくれなー」
窓際まで移動し、パイプ椅子を取り出し、ベッドの横に置く。それにどかりと座りながら、外を見る。
「そういえばここは大学のグラウンドが見えるんだな。そういえば知ってたか?冬香ちゃんもサークル活動して今は結構活発に色々やってるみたいだぜ。まぁサークルがオカルト研究会という残念な感じだが。それでも俺たち以外にも友達ができて、今は楽しそうにキャンパスライフを送ってるみたいだ」
俺は、ゆっくりとベッドの主を見る。ピー、ピーっと無機質な心電機の音がする。ベッドの主は人工呼吸器につながり腕にはまるで蛇のようにたくさんのチューブが繋がっている。
「なぁ、大学にお前がいないとつまらんよ。なぁ…」
深く目を閉じ、浅く胸が上下している。気がつくと俺の目からは涙が流れていた。
「なぁ…無視しないでくれよ。なぁ…」
「……」
「なぁ…そろそろ起きてくれよ」
「秋穂……」
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