リアル・モノノケ・サミット

相楽山椒

リアル・モノノケ・サミット

薄暗い職場の控え室に由紀菜は出勤予定時刻の五分前に到着した。登録制アルバイトといえど相変わらず辛気臭い職場で、毎年毎年よくも懲りずにやるものだと思う。由紀菜はため息をつきながらいそいそと用意された衣装に着替えをする。


ここはとある遊園地の期間限定催事お化け屋敷で、由紀菜は毎年夏季恒例の『俳優が演じるお化け屋敷~リアル・モノノケ・サミット」のスタッフとして働いていた。


数年前に飲み屋で知りあった、イベント会社を経営する女社長から声を掛けられて以来の縁で、ここ数年は毎年夏の一カ月をお化け役者としてこなしている。


 ここのところはメジャーなカテゴリーとなったが、人間が演じるお化けの迫力はマネキンや機械仕掛けの人形には及ばないということで、全国でも人気を博し、あちらこちらの遊園地やエンターテイメントパークで催されている。


 一見薄暗い迷路のような施設建屋内は明かりをつけてみると、実に呆気にとられるような簡素な内装で、安普請もいいところだった。


 もっとも、夏季限定ということでいずれ一ヶ月後には解体するものだから、それほど気合を入れて作るものでもないのだろう。実際、由紀菜が演じる雪女の衣装もやはりというか、絵に書いたような和服の白装束で、おざなりという以外にない。なにも雪女だからといって何もかも白い必要はないではないかと思いながら、顔にどうらんを塗りこむ。


「色白は七難隠すってねぇ、あたしなんてナマハゲよ? 特殊メイクに一時間はかかるんだから」


 その声は同僚の直子だったが、直子の姿はない。その代わり、文字通り鬼の形相が由紀菜のメイク鏡に映りこんでいる。もう慣れたもので、驚きの声ひとつさえ上げることはない。


「いいじゃん、そのメイクなら七難どころか九でも十でも隠れるわよ。それに、豪華じゃない、そのメイク」


 いつもの調子で受け答えをする二人は共に、地元の劇団に所属する売れない女優だ。しかし、このお化け屋敷の仕事ではもはや悲しいかなベテランだ。


 もちろん彼女ら以外にもお化け役者はいる。それぞれ有名、無名のプロダクションから派遣されてきた若手の俳優や女優、芸人志望の若者、芸大の演劇科の学生、壮年の声優、男も女もそれぞれに個性的だ。


 その中で直子がナマハゲに抜擢されるのは、そのガタイにある。直子は女性ながら身長一八〇センチ、体重、推定八〇キロ、という健康優良な身体を有していたからだ。


 逆に由紀菜というと、直子よりも一回りか二回りは細く、なまじ身長があるため体重はさほど軽くなくとも、一般的な女性よりも余計に細く見られる。それだけに由紀菜の雪女はイメージに嵌ったのかもしれないが、それについて互いに思うところは少ない。彼女らは常日頃から、自身の容姿を同性の他人以上に冷静に見つめている。


「たまには素顔で演りたいよねぇ」と、ナマハゲが腕組みをしてつぶやく。それに呼応して由紀菜も「そうだねぇ、春は春で着ぐるみの中だったもんね。あ、あれって秋もやるんだっけ?」


「今度は収穫祭だから、かぼちゃの『カボちゃん』よ。ええと、あんたは――」


「ねぇ、知ってた?」言いかけた直子を制して由紀菜が口を開く。


「なに?」表情を変えないナマハゲ。


「かぼちゃってさ、夏の植物なんだって」由紀菜が赤いアイラインを器用に引く。


「そうなんだ?」ナマハゲが唸る。


「うん」薄い唇に紅を小指でのせる由紀菜は小さく頷く。


 そこへ控え室のカーテンが開き、小柄な河童が現れる。緑色で表皮はつやつやしていて、背中に甲羅、口にはくちばし状の特殊メイクが施され、ぎょろりとした目は充血し、心地悪そうにしばたたかせている。


「参るよなぁ。なあ、目薬持ってねぇ?」


「あ、えーと?」由紀菜は顔のメイクを終えて河童に振り返る。


「いやさ、俺今日からなんだけど、ほら、あそこの水槽あるだろ? 客が来るまで潜って待機して、来たらガバァって飛び出してくれって――リハやってたんだけど……」


「ああ、それでそんな目してるのか、色水は合わない人いるからね」ナマハゲが河童の顔を覗き込む。


「水中眼鏡するわけにもいかないからさぁ。聞いてねえっつーの」場に慣れている由紀菜はそんな新人の愚痴も今まで何度も聞いてきた。自分など、どさくさに紛れて胸やお尻をお客に触られることなど日常茶飯事なのだ。ロッカーを探り目薬を取り出すと、河童に差し出してやる。


「お、サンキュ」目薬を受け取ると早速点眼しようと、容器の蓋に手をかけるが、河童の手ヒレが邪魔をして上手くいかない。


「あーあ、点したげるよ、上向きなよ」長身のナマハゲは頭一つ背が低い河童に目薬を点してやる。


「河童って不便だな。ありえねぇ」


 ナマハゲと河童の微笑ましい風景を横目に、由紀菜は襟を正し、息を整え深呼吸をする。役者の演じるお化け屋敷は容姿だけではなく、その演技力も売りになる。つまりは声を上げて今にも襲い掛からんとする妖怪を演じるのだから、それは常軌を逸した鬼気迫る声色を必要とされる。


 由紀菜はこの仕事を始めてからオクターブが二つほど上がった。そのおかげでカラオケで歌えなかった歌がレパートリーにランクインした。


 発声のために喉の形を作り、大きく息を吸い込んだところへ、再び控え室のカーテンがゆれる。


「おっ、みんな! おはようっ」と元気で張りのある声を出すのは、赤ら顔の天狗。河童と同じく特殊メイクで眼前に延びた長い鼻をつけている。彼は古参のお化け役者で、皆からヤスさんと呼ばれて親しまれているが、本名は誰も知らない。


「いやあ、今日もあっついなー」言いながら、八手の葉を模した団扇で顔を扇ぐ。


「ヤスさん、お土産ありがとうございます」由紀菜は天狗にお辞儀をする。


「ああ、ええってええって、田舎帰ったときのんや。遠慮せんと食べてや」

 さらにそのあとから、一つ目小僧が顔を出す。


「おはようございまーす」


皆が振り返り口々に応える。


「見てくださいよ、これ、今期の新作でね、なんと! 目が動くんですよ!」そう言って一つ目小僧は顔の三分の一を占める巨大な眼球をぐりぐりと動かしてみせる。


「ひぃっ、気持ち悪ぅ!」ナマハゲが半歩後ろに飛びのく。


「ねぇ、それどうやって動いてるの?」河童が訊く。


「ああ、これね。口で操作棒をくわえて動かすんですよ」


「へっええ、よくできてるなぁ」


 皆が感心して一つ目小僧の顔を覗き込んでいると、カーテンの隙間から覗く顔があった。かわいらしい女の子。誰だったか? 由紀菜はしばし思案したが、女の子の頭頂に乗る二つの三角形、猫耳を確認すると、しっしと払うような仕草で「あー、悪いけど、ここはそういうところじゃないから」といって追い返そうとする。


「にゃーん、猫耳コスじゃないにゃん! 猫娘にゃん! 意地悪しないでユキにゃん!」


「にゃんにゃんにゃんにゃんうるせぇ! まともに話せんのか! それに、猫耳は標準装備でも誰がカチューシャ付けてメイド服着てこいって言った! ええ?」由紀菜は猫娘の首根っこを掴んで揺さぶる。


「ふにゃー! こっちの方が可愛いと思ったにゃん!」


「客を萌えさせてどうするってんだ! ばかぁ!」


 由紀菜は古参の立場からこの新人俳優に指導しなければいけない立場である。人に指図するという行為はもっぱら苦手で、それが嫌で前の会社も退職したのだ。だがいい歳になればいずれなり若輩者と対峙することになるのはどこの世界も同じだと思い知らされる。仕事であれば当然。


 もちろんそれは理解している。ただ、由紀菜はこの猫耳娘が苦手である。それがキャッキャと奇声を上げながら自分に懐いているというのがたまらなく許せないのである。


 そこへ「あれぇ、君かわいいねぇ」と全身緑の河童が寄ってくる。


 たしかに猫娘は見た目可愛い。クリクリしたどんぐりのような双眸には赤色と黄色のカラーコンタクトが入っておりオッドアイを演出している。身の丈も背の低い河童よりもさらに拳一つ低く、手足も細くて蹴飛ばせばどこか折れそうなほど華奢だった。


 河童を見た猫娘は由紀菜にしがみついたまま目を細めて舌打ち、「オマエ、かえるみたい、キモい」と、重苦しい声で冷たくあしらう。


「おっ、男!」壁に背中をつけるほど河童は驚いて飛びのく。


 まったくここはどうなっているのだ。男が猫娘とか言ってる時点で十分怖いしキモい。女装趣味だとか男の娘だとかで喜んでいるのが由紀菜は大嫌いなのだ。


 由紀菜は不快感をあらわにしながら長い銀髪の鬘を、マネキンの頭から取り上げる。


「皆、ご苦労さん」と、落ち着いた中年女性の声がする方を振り向くと、控室の入り口から砂かけ婆が皺を浮だたせて笑顔を覗かせていた。いや、違った。雇い主の女社長だ。


「お疲れ様でーす」と口々に彼女に向かい挨拶をする。


「今日は満員御礼だし、忙しくなるだろうから、皆んな倒れないように水分はきっちり摂ってください。ええと、イチニイ、サン……あら、一人来てないのかしら?」


「まだ誰かいるんですか? 新人さん?」


「いやいや、由紀菜ちゃんたちよりベテランさんよ。大人も子供も逃げ出すほどの!」砂かけ婆はうきうきとした顔で皆に言う。それほどすごいお化け役者がいたのかと、由紀菜は今更ながら女社長の手腕に感心していた。


 しかし女社長は急に口元を締めて「ところで、最近仕事中にお客と握手してるお化けがいるって、もっぱら噂になってるけど、そういうのは絶対――」と小言を始めだした。


「まあまあ、じきに来ますやろ。そろたら社長呼びますさかいに、涼しいとこで休んどってください」天狗のヤスさんが年長者らしく、全員の暗黙の意思を察し、女社長を控室から追い出した。


「まあ、リアリティ追及するのも悪くないけど、所詮はエンタメだしな」河童が肘掛椅子に座り足を組んで言う。


「お化けとのコミュニケーション目的で来るお客もいますしね」と、一つ目小僧。


「ふれあいだにゃん、フレンドリーにゃん」


「うっさい、オカマ!」と、すかさず由紀菜。


「なんにゃ! オカマはないにゃ!」


「じゃあ、変態!」


「変態っていうなら、あの人のほうが変態にゃ!」


 と、猫娘が指差した控室の入り口に立っていたのは、背が低く、小太りで、頭頂が禿げ上がった中年の男性……しかも全裸。いや、違う。裸エプロン……いや、それも違う。赤い金太郎腹掛け……。


 由紀菜は息を止めて、その珍妙な容姿に釘づけになった。由紀菜だけではない、その他のメンバーも言葉を失っていた。


「あ、あの、どこかとお間違えでは……ここはそういうとこでは」五秒後にやっと由紀菜がひりだした言葉がそれだ。


「えっ? ここお化け屋敷ですよね。僕、仕事で来たんですけど」そう言う男の金太郎腹掛けの下側の、股間にあたる三角部分はあまりにきわどい。それに体毛が頭と共に極少なく、全体的にぷにぷにしているところが生々しすぎる。


「しゃっ、社長なら事務所のほうやから……そっち、行ってもうたら、ええんかなぁ? なあ?」と天狗がナマハゲを一瞥するが、ナマハゲも身が硬直して動けない。


「わかりました」と言って、男はなまめかしい全裸の背中を露わにしてスタスタと控室を後にした。


「なあ……あれ、なに?」

「たぶん……子なき爺……かな」

「おお、リアルって、怖いな」

「後ろからちょっと、見えとったぞ、あかんやろぉ、あれは」

「あれ見たら誰でも逃げ出しますよねぇ……」

「変態にゃあ……」

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