第25話 片想いはスピード狂のごとく 2


 始業間近、教室に駆け込んだ翔とゼナリを出迎えるのは、椎奈の役目だ。彼女はしっとりと目を潤ませると、右人差し指でいじらしく翔の胸を撫でまわす。椎奈は瑠伽との恋に破れたばかりだが、そんなことなんて忘れてしまっているようだ。それとも想いを振り切るために、あえて翔にじゃれついているのか、そこまではわからない。



「ねぇ? 翔ちゃん? 恋愛禁止といっても覚醒者同士なら許されるんじゃなぁい? だって、私の体はいつでも翔ちゃんにオープンなのよ?」


「『オープン』。閉店しててもいいんですよっと」


 比較的冷静な翔とは違い、相も変わらず赤面街道まっしぐらなのがゼナリだ。瞳にバツ印を作り、両腕を降り降ろす。



「もぉー! 椎奈! いい加減にしてよ! 朝っぱらから!」


「おっ。なんだ。赤面プリンセス。私の色気が怖いってか?」


「ちがーう! そういう意味じゃないっ!」



 毎朝の恒例行事と化している翔と椎奈、そしてゼナリのじゃれ合い。見た目にはとても楽しげだが、翔は少し違うようだ。ひとしきり椎奈とゼナリに付き合ったあと、ふと席を外す。最近、翔は朝方に出向いているところがあるのだ。そのことを知っている椎奈は「やっぱり行くみたいね」と右ひじでゼナリの腕をつつく。ゼナリは頷くと落ち着いた声で翔を見送る。



「行ってらっしゃい。翔」


「あら、もう行っちゃうのね? 翔ちゃん。お姉ちゃん寂しいわ」



 椎奈もいつもの調子で呼びかけるが、その声色はおとなしめだ。翔は少し白い歯を見せると、「うん。行ってくる」とだけ二人に告げて、とある場所へ向かう。そこは舞坂学園卒業生の思い出が詰まった薔薇の花園だった。翔は、薔薇の贈り主が、舞坂学園の卒業生であり、元覚醒者の恋人たちだったとゼナリから聞いていた。だからここに来た。



「特別な、場所」



 翔は呟くと、贈り主の想いに応えるように、薔薇を労わっていく。もちろん薔薇の手入れは難しい。彼は買い求めた小冊子を片手に、花園の手入れを進めていく。すると彼の隣にすっと立つ女性徒の姿がある。その影は一般生徒のものではない。その気配、背負った悲しみ、張りつめた空気。そのすべてにおいて、ごく一般的な女子高生とは違う雰囲気だ。その女性は翔の右肩にそっと手を触れる。



「悲しいよね。この場所。ホントに切ない。だから、綺麗なのかな」



 そう声をかけたのは先ほどまで、弥生のチャールストンで鼻息荒くハンドルを握っていた千紗だった。彼女は覚醒者の中でも立場が今ひとつ違う。身体能力を駆使した戦闘に加わらず、メンタルトレーニングに励む身だ。そのスキルも霊能力であるため、戦闘に直接関わることもない。先の白蛇戦のようにチャールストンのハンドルを握って、戦いに加わることはあっても立場が違う。その上、千紗は特殊なトレーニングのために、「感受性」が特別みがかれた子でもある。翔は千紗が来たのを認めると、腰をあげて二人で花園を眺める。千紗は口を開く。



「薔薇。愛情のシンボル。そんな花が殉教生徒の恋人から贈られたなんて、胸が痛いよね」



 千紗は朝方の躁状態などどこへやら。まるで別人であるかのように落ち着き払っている。もしかすると、度重なるイメージトレーニングが彼女の感情を不安定にさせているのかもしれない。翔は千紗の波をおかしいとも思わないし、ましてや小馬鹿にしたりは決してしない。それが仲間、同士への思いやりであり、優しさであると彼は知っていた。翔の心遣いが嬉しいのか、千紗は彼へ心を開いている。彼女は小冊子をポケットから取り出すと、パラパラとページをめくる。



「薔薇の手入れのしかた?」


「いや」



 千沙は首を横に振る。千紗の足元には、今朝彼女が拾った茶猫がいつの間にかまとわりついている。千紗は茶猫の喉に触れてグルグルと鳴らすと、メモを手にした右手を少し大げさに掲げる。いつものんびり欠伸ばかりしている印象の千紗だが、いざ面と向かってみると顔立ちも整い、髪質もよく、声質でさえもよく通る、かなりの美少女であるのが分かる。千紗は軽く目配せする。



「知りたい? 翔。薔薇の花言葉。いろいろ」


「うん。知りたい」



 翔も千紗と二人きりでいるせいか、いつになく優しげだ。二人の会話はもどかしいくらいに畏まっていて、丁寧だ。千紗は、翔の返事を聞いてはにかんだような笑みを浮かべる。彼女は上目遣いに翔を見据えると、メモを読み上げる。



「1本だけなら一目惚れ。3本は愛しています。告白。15本になると、ゴメンナサイ、永遠の友情のままでという意味らしいよ」


「ゴメンナサイ、はキツイなぁ」


「ねぇ」



 15本の薔薇が二人にとって、大切な意味を持つであろうことを、なぜかおぼろげに千紗は知っていた。物悲しい感傷が千紗を包み込む。千紗の気持ちを和らげるように、二人を初夏の風がくるめ取っていく。気分を入れ替えた千沙は両手を広げて、こんな質問を翔に投げかける。



「翔はさ、ゼナリにあげるなら薔薇の花一輪でしょ? 一目惚れ」



 翔はリラックスしているのか、表情は穏やか、気持ちも決まっているようだ。翔はゼナリに一目惚れ以上の感情を抱いている。浮つかずに、地に足のついた一面を翔は見せる。翔の答えは、千紗の期待を少し裏切り、それと同時に彼の良さを際立たせる。



「いや、あげるとしたら一輪じゃないよ。きっと」


「一輪じゃないの? 私はてっきり」



 そう言ったきり千沙は口をつぐむ。鼻をくすぐる薔薇の香りがとても心地よく、天徒との戦い、そして過酷なトレーニングという現実から二人を遠のかせていく。千沙は翔に「好感」を持っていたが、それが「愛情」に近い感情へ変わりつつあるのを知っていた。彼女は何とか自分の気持ちを覆い隠して話を続ける。



「八輪だと思いやりに感謝。その八輪に百つけ足すと、百八輪。『結婚してください』になるんだって。知ってた? 翔」


「ううん。知らなかった。百八輪の薔薇を君に、か」



 思わせぶりなセリフを口にする翔の横顔は、出会った当初の慌てふためいた様子のそれではない。ここ三か月の経験が、翔をたくましくしているのが千沙には分かる。千紗は少し視線を翔から逸らし、目を伏せる。



「あんまり、大きくなって遠くに行くなよ。翔」


「遠くへ? 行かないよ。ずっとここにいる。俺は舞坂の思い出と一緒にずっと」



 一際強い風が、翔と千沙の髪を揺らしていく。夏風の匂いが二人には心地よい。千紗は、足元でしきりにじゃれつく茶猫を抱え上げると、顔をそのふっさりとした毛に埋める。翔と千沙の二人はしばらくの間立ち尽くし、風に身をゆだねていた。それが覚醒者にとって、余りに短い、束の間の休息だと知りながら。

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