第24話 片想いはスピード狂のごとく 1


 青空。どこまでも澄み渡る青空のもとに花園がある。舞坂学園にはその卒業生によって寄贈された、薔薇の花園がある。天徒の襲来によって傷だらけになり、廃校かと見まがうほど、壊れた校舎を彩るように、その花園は憩いと癒しを生徒に与えている。



「真実の愛。『リアル・ラヴ』。リアル・ラヴこそが、妻、聖奈に不老不死を与える最上の妙薬。エキスだったんだよ」



 校長の東機は、花園を一望して、ベンチに座っている。彼はこの戦いの真相を訥々と話していく。東機の隣には江連が寄り添っている。江連には薔薇の花がよく似合う。それはきっと彼女の美しさの影にある悪徳、そして官能美のせいだろう。薔薇の花園の光景とその鮮やかさが、江連の艶をより際立たせている。



「校長は、それほど奥さまを愛していたのですね」


「そう。私の人生のすべてだった。痛みであり喜びだった。彼女の命が先細り、無くなることなど私には考えられなかった」



 東機はベンチから立ち上がると、花園の周りを歩いていく。彼には、愛情を寄せるかのように江連がついていく。東機は一度頬に触れると手のひらを合わせる。それは軽い祈りのポーズにも似ている。江連は髪の毛に指を通し、風に吹かれるままにしている。二人の距離は愛人や恋人のそれではなく、深い信頼で結ばれた同志のようでもある。だがその信頼も壊れる音が響きつつある。江連の口振りは決して優しくはない。



「そのために『リアル・ラヴ』に目覚めた生徒たちを、覚醒者として集め、魂を奪い、自分のものにしようとしたのですね」


「そう。その通り。私は悔いるべきだ。だがそれでも、私は聖奈を延命させたかった」


「それは校長のエゴでしょう。校長。多くの覚醒者が、生涯でたった一度の高校生活を、一ミリたりとも楽しむことなく散り、あるいは卒業していったのをご存知ですか。彼女たちの時間は戻らない。奪われた魂も、恐らく戻らないのでしょう」



 一面東機をとがめるような江連の口調だが、彼女は自分も過ちを犯していることを知っている。一つは蓮との関係という過ち。それだからか、相応の抜け道を東機に与え、彼を責め立てるつもりではないようだ。彼女もまた東機に従ったのを悔いる一人であったからだろう。江連の服は風にそよぎ、その姿は彼女の美しさ、そして同時に脆さでさえ表している。



「多くの一般生徒を巻き込んだあなたの行いは、余りに重い。そしてあなたに寄り添った私も。許されない。余りに悲しい」


「君は悪くないよ。すべては私の執着からだ。私はゆがんでしまった。覚醒者も祭儀も、そして才知でさえ犠牲にしてしまったんだ。本当に、悔いの残る話だ」



 江連は、自らを「ゆがんだ」とまで言い表した東機を見つめている。彼女の心情は複雑だ。初めは、妻への愛に江連は心を動かされた。それは本当だ。だがこれほどの犠牲を伴うものであった以上、自分も許されないということを彼女は知っていた。江連は両の手のひらを合わせ、唇に寄せる。



「本当に、この薔薇の花園のように美しく、醜い話です」



 江連はそれ以上何も口にしなかった。東機は懐からロケットを取り出すと、ロケットの奥で微笑む妻、聖奈を愛おしむように見つめる。その目には公開だけが滲んでいた。青空を今も飛んでいく自衛隊機のヘリは、その風音を響かせて、すべての悲しみを拭うかのようだった。



「こらっ! 翔。いい加減にしてよっ。私につきまとうように歩くかないでって言ってるでしょ」


「つきまとうも何も、スタート地点の家も近所。行き先の学校も一緒。時折鉢合わせになるのも仕方ないでしょ?」


「そ、それはそうだけど!」



 翔とゼナリは、夫婦のように掛け合いをしながら、学校へと向かっていく。翔とゼナリの心の距離はより縮まり、ゼナリの注意も、以前のような軽いじれったさからきているものではない。二人して朝の恒例行事を楽しんでいるという印象だ。それに彼女は翔を嫌がってはいない。そして翔とゼナリ、二人の仲の良い様子を見て、一般生徒が嬌声をあげるのも、もはや定番となっている。

 ゼナリは嬌声をやめさせるわけでもなく、「ホンットに!」と口にしては顔を赤らめるだけだ。それは彼女の心変わりを表していると言っても間違いではないはず。翔とゼナリは二人して歩みを進める。学園がいよいよ近づいてきたその時、翔とゼナリのもとへ、遠方からもの凄いエンジン音が響いて、近づいてくる。そう。それは例の車、チャールストンのエンジン音である。

 チャールストンは改造でもしてあるのか、その排気音も凄まじい。運転しているのは、当然車の持ち主である弥生。かと思いきや、どうも走り方が乱暴で荒い。翔とゼナリは眉をひそめる。そんな心配をよそに、車は車線をはみ出しつつ、蛇行しては何とか車体に傷一つつけずに走っている。翔とゼナリは口を揃えずにはいられない。



『大丈夫か?』



 翔とゼナリが手傘をして、チャールストンを見据えると、車はますますスピードをあげて、二人に走り寄ってくる。「あぶないっ!」。翔がそう叫んで、体をのけ反らせたその胴体ギリギリに、車体を運転手は近づける。「物騒な」。思わず女子校生に似合わない言葉をゼナリが使ってしまうのも無理はない。顔をしかめる二人をよそに窓を開けて、運転席から意気揚々と顔を覗かせたのは、先の白蛇型天徒戦で、チャールストンのハンドルを握った千沙だった。運転席からは茶色い毛をした猫も顔を覗かせている。

 千沙の手は茶猫の頭に添えられている。彼女は、いつもの脱力したものとは違う、覇気のある声で、鼻息を荒くして翔とゼナリの二人に呼びかける。茶猫はご機嫌そうに大あくびだ。



「よぉ! お二人さん、相変わらず仲がいいこって! ご苦労さん! 今日もトレーニングが待っているよ! 覚悟しとき!」



 千紗の目の色が、いつもの彼女のそれと違うと分かった翔は、「お、おう」と応じるので精一杯だ。ゼナリが首を伸ばして助手席にまで視線を送ると、そこには弥生が座っている。弥生はやや不機嫌そうで、肩肘をついて、呆れ顔だ。無理もない。愛車を事故寸前に追いやるかのような、危ない運転をされたのだから。彼女はたまったものではない。



「千沙は熱狂的な車好きの、スピード狂でな。こうして時々、ハンドルを貸してやっているんだよ。言いたいことは山ほどあるが、それは一種のストレス解消。仕方ない」


「山ほど!? 弥生姉、ホントに? その代わり! 御用達運転手の役割も果たしてるじゃないのぉお!」



 千沙の目は爛々としている。事情は分かったとして、気になるのは茶猫だ。どこぞで拾ってきたのか、それともペットとして飼うことに決まったのか。とにかくもゼナリは訊いてみる。



「千紗。それはそれとしてその子猫さんは?」


「あー、この子ね! 今朝、車の前に飛び出して危なかったから、拾ってきたの! ちょっと弱ってるし、これも何かのご縁! 可愛がるわよー!」



 並々ならぬハイテンション。若干ついていけない翔とゼナリだったが、弥生とてそれは同じようで、頭を左手で抱えるばかりだ。そんな三人を置いて、それどころかまったく気にしない様子で、千紗は声をあげる。今一度ギアを握ると、アクセルを踏み込み、チャールストンを走らせる。「そいじゃ! お二人さん、またあとで!」と、怪気炎を残して疾走していくチャールストン。ゼナリは両手を広げて、とりあえず話を取りまとめる。



「あれじゃ、天徒にやられる前に、警察の厄介になるのが先ね」


「あのさぁ。千沙さんって無免許だったよね」


「そのとーり! 覚醒者は多くの権限を与えられて、資格や免許取得を免除されているの。だけど事故を起こしたらねー。おまけに人身事故なんて起こしたら」


「ご厄介ですね」



 翔は、成仏を願うように手のひらを合わせて、軽くお辞儀をする。だがしかし千紗が車の運転で人格が変わる豹変女子だったとしても、翔とゼナリがやるべきことは変わらない。二人は「しかたない。行きましょうか!」と声をかけあって校舎へと向かう。スピード狂の残り香はチャールストンの吹き上げた粉塵とともに朝つゆに消えていった。




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