第15話 シスターたちの色恋沙汰 6
「瑠伽せんぱい! ないすぷれいぃい!」
右腕を横に大きく振る、頭を下げて拍手を送る。椎奈のオーバーアクションは野球部練習の名物になった。椎奈の動きは派手で可愛げがあり、そんな「覚醒者」の姿を一目見ようと、一般生徒も練習に集まるようになっていた。椎奈は一般生徒の視線が多少は気になったが、そこは瑠伽への気持ちでカバーする。
何よりも椎奈にとっては、「恋愛」に近い初めての体験。人の目なんて向きにしている場合じゃない。椎奈は過不足のない幸せを噛みしめていた。だが、そのささやかな幸せも今に壊されようとしていた。ボールを珍しく瑠伽が落とした瞬間、突然、不意にグラウンドへ警報が鳴り響く。アナウンスも届き、椎奈はすぐにわかった。それが天徒の襲撃を表わしていることを。アナウンスに椎奈は耳をすます。
「南校舎に天徒とおぼしき謎の物体が出現! グラウンドへと移動している模様。全校生徒はすみやかにシェルターへ! 覚醒者はグラウンドに集結せよ!」
椎奈は恋に夢中になっても、トレーニングをすっぽかしても、覚醒者としての自覚は人一倍ある方だ。天徒が襲ってきてなお、私情にかまける子ではない。一般生徒を素早くシェルターへ誘導する任を取る。同時に椎奈には、瑠伽を「個別に」守りたいとの気持ちがあった。だが、立ち上がった椎奈の目は覚醒者のそれに変わっている。
「天徒! こんなタイミングで! 間が悪い! 一気に潰してあげるわよ! まずは避難!」
椎奈は、動揺する一般生徒に声をかけ、シェルターへの道すじを話して聞かせる。「敵は南校舎。体育館裏を通ってシェルターへ。後ろは振り向かないで。慌てなければ、大丈夫」。椎奈の目は澄みきり、落ち着いている。彼女は一般生徒を避難させ終えると、瑠伽のいる方へ振り向く。そこには、すぐ近く。瑠伽の姿があった。瑠伽はもちろん邪魔する気なんてない。だが彼は興奮している。冷静な判断が出来ていないようだ。
「椎奈さん! 僕に! 何か、出来ること!!!」
瑠伽に訊かれて、椎奈は下唇を噛むしかない。気持ちはありがたい。だが、残念なことに、天徒との戦いに一般生徒が首を突っ込む余地はない。何より、生徒を守れなかったらすべてがご破算だ。瑠伽は覚醒者たちの足手まといでしかない。瑠伽は今の時点ではむしろ邪魔なのだ。
「くっ! 先輩! 悔しいけど先輩に出来ることはないです! せめて怪我をしないように……」
一瞬言いよどんだあと、だがしっかりと、椎奈は半ば冷たい目で瑠伽に求める。
「……私の手を煩わせないように! シェルターへ避難を!」
「だけど!」
必死の瑠伽だが、彼が足を引っ張りかねないのは明らかだ。椎奈が今一度、瑠伽へ厳しく指示しようとしたその矢先。グラウンドの土が盛り上がり、巨大なサソリ型の天徒が現れる。その異様で不気味な姿に瑠伽はのけ反り、言葉を失うしかない。椎奈は一旦、瑠伽を背中でかばうと、両掌に波動を作りだす。小声で瑠伽に「へたに動き回らないでくださいね。先輩」と伝えるのも彼女は忘れない。椎奈の準備が整ったところで、グラウンドへゼナリ、弥生、翔の三人も駆け足でやってくる。
「援軍! 助かる! こいつは強敵よ! サソリ型! 刺されるだけで毒にやられるわよ!」
覚醒者としての自覚を椎奈は失っていない。そのことがゼナリを安心させ、さらに戦意を高めていく。ゼナリが獅子若刀と蛇龍剣を構えると、弥生もマシンガンを構える。翔も鉤爪を現せるべく態勢は万全だ。真っ先にサソリ型へ切り込んだのはゼナリだ。ゼナリは両刀を大ザソリにふるう。「この一匹なら行ける!」。ゼナリがそう確信した次の間、椎奈が気配を察したのか、波動を放射して、すぐに叫ぶ。
「いる! もう一体! こいつだけじゃないわよ! ちょっと厚かましいわね。それと!」
両こめかみに人差し指をあてて、鉤爪現出のイメージを膨らませる翔の横で、マシンガンを乱射するのは弥生だ。彼女も相手は、サソリ型一匹ではないと分かったようだ。瞬時マシンガンを全方位に向けると、周囲を見渡す。弥生の勘は鋭い。彼女が口にする言葉は、この戦いがすぐには終わらないことを示す。
「いるわね! 人型が!」
「人型」。それは翔が初めて耳にする名前だ。彼はいまだ鉤爪を現していない。翔は自分に歯がゆさを感じながらも、状況を掴もうと必死だ。弥生に尋ねる。
「『人型』!? それって!?」
「これまでの初級クラスの化け物と違って、人間の姿をした天徒よ。その知性で他の化け物たちを束ねる天徒! 別名!」
獅子若刀でサソリを切り刻み、紫色の返り血を浴びたゼナリが叫ぶ。
「別名! 『
「おぎゃうぁあああぉおおぉ!」
ゼナリの声に圧されるようにして、叫び声をあげると一体の大ザソリは倒れ伏す。その様子に、瑠伽は手が震えて、身動き一つ取れない。自分に不甲斐なさを感じる余裕すらないようだ。椎奈は瑠伽をかばい、守るしかない。椎奈は瑠伽を自らの後方に追いやり、告げる。それが二人の仲を遠ざけるものと知りながら。
「瑠伽先輩! ここまで来たら下手に動くと危険です! 私の背中にぴったりと! 早く!」
瑠伽は椎奈の指示に従うしかない。瑠伽は、椎奈の背に身を潜め、呼吸を何とか整える。彼は「守られる」立場に回る。そう。それが今、瑠伽に出来る最良のことだった。戦いは、瑠伽と椎奈の糸が切れてしまったことなどには一切構わない。一匹の大ザソリが絶命したと同時に、もう一匹。潜伏していたであろう、もう一匹の大ザソリが地中を這いながら、椎奈に近づいてくる。
「来るわよ! 椎奈」
ゼナリが椎奈に呼びかけると、タイミング同じくして宙から人型の天徒、そう。先にゼナリが言った「傀儡師」が舞い降りてくる。ゆったりと「彼」、能面を顔につけた「彼」は舞でも踊るかのように、地面へ足を降ろす。傀儡師は確信めいた様子で、ゼナリたちに警告する。
「ただただ妄執的に、東機に従う者たちよ。自分で考えることを捨てたのか。それは奴隷への道だ」
翔が初めて目にする傀儡師は、とても知性があって冷静だ。何か賢者まがいの気配すらある。その姿、振る舞いは品位があり、これまで翔が目にした天徒とは明らかに格、「クラス」が違うのが分かる。それでいて人を魅了する「引力」に似たものを傀儡師は持っている。だが、それを知りながらも翔は叫んでみせる。
「奴隷? 俺たちを奴隷にしようとしてるのは! 天徒の方じゃねぇか!」
神主のような衣服を着た傀儡師は、冷たく首を左右に振り、残念がる。その姿は完全な「悪」に身をそやした者のそれではない。余りに思慮深い「人間」のそれだ。彼は掌を顔の目の前で左右にゆらりと振ってみせる。
「哀れな。何と哀れなのだろう。覚醒者の力を手に入れながら、その知力は余りに乏しい。特権を無にするとは」
「乏しい?」
「乏しい」と蔑まれて黙っている翔でもない。だが傀儡師が「特権」と口にしたのも、翔ははっきりと聞いた。翔の頭の回転は速い。覚醒者であることの特権。高い身体能力と知性を手に入れることが出来る。いくつかのデメリットはあってもメリットの方が大きい。だが傀儡師はそれ以上の「報酬」を仄めかしている。翔が考えを巡らせていると、弥生が彼の思考を止める。傀儡師の誘惑に乗りかねないからだ。
「乗るな! 翔! 冷静さを失ったら、『負ける』!」
「分かって、ますよ」
翔はごく十数秒の間に、考えたすべてを捨て、あらためて天徒と向かい合う。ピンチなのは椎奈だ。彼女に襲い掛かる大ザソリは、いまだ地中に潜って姿を現さない。それは、傀儡師がコントロールしているためか、一匹目とは違い頭脳的だ。地上には姿を決して見せずに、椎奈の足元を狙っている。
『椎奈!』
ゼナリと弥生、そして翔が叫んだ瞬間、椎奈は何を思ったのか、一瞬背をエビぞりに反らして、大きな隙を見せる。椎奈の狙いを察したのは弥生とゼナリだが、分からないのは翔だ。鉤爪を必死に現すべく、こめかみに右人差し指をあてて、鋭い目つきで叫ぶ。
「何やってんだ! 椎奈」
するとゼナリのピンチにしか反応しなかったはずの鉤爪が、翔の背中から立ち現れる。鉤爪は無軌道に大ザソリを狙いに行く。「うぉおおぉわぁあぁあ!」と雄叫びをあげる翔に、弥生が驚く。
「ゼナリだけではない? なかったのか!?」
「分からない! とにかく椎奈を助けたいと思ったら!」
叫ぶ翔の鉤爪は、地中深くをはいずる大ザソリ目掛けて伸びていく。だが鉤爪を傀儡師の半月刀、通称「月華剣」が妨げ、受けて立つ。傀儡師はひらりと宙を舞い、月華剣を巧みに操り、のたくる鉤爪を封じてみせる。鉤爪から翔は痛みも感じるらしい。鉤爪を押し留められて、苦痛に顔をゆがめる。
「くっ! 弥生さん! ゼナリ! 早く椎奈を! 彼女、隙だらけだ!」
だが弥生とゼナリは、口元に笑みを浮かべて、頷き「大丈夫」と答えるだけだ。「何やってんだ! 二人とも! 早くしろ!」。翔が叫ぶもゼナリと弥生の姿勢は変わらない。むしろ翔の援護に回ろうとするくらいだ。「椎奈を!」。翔が今一度声をあげた瞬間、大ザソリが地中から姿を現し、隙だらけの椎奈を、その棘で突き刺そうとする。
「椎奈―!」
翔は必死に叫ぶが、ゼナリと弥生は、既に傀儡師の方へターゲットを変えている。翔には意味が分からない。「どおゆうことだよ!」と怒る翔だが、彼はとても「美しい」戦いぶりを目にする。椎奈は余裕で態勢を立て直し、七色の波動を大ザソリに向けて放つ。
「極彩色裂傷砲(ごくさいしょくれつしょうほう)!」
椎奈がそう呼んだ波動は、完璧に大ザソリをとらえる。波動は瞬く間に大ザソリを飲み込み、炎上させ、炎で焼き焦がしていく。空をも焼き焦がさんばかりのその光景は、地獄絵図のように凄まじい。炎に半ば見惚れる翔は、呆然とするだけだ。弥生が、そしてゼナリが椎奈の策を明かしていく。
「椎奈。知性に劣る大ザソリの気配を察したのね。彼女が作った隙はわざと」
「これは時に私たちが使うものなのよ。残念ながら学習能力がなかったようね。大ザソリさん」
種明かしをされた翔は呆然とこうこぼすだけだ。
「そんな、ことがあったのか」
椎奈と大ザソリの対決も終わり、弥生、ゼナリ、椎奈の三人もいよいよ傀儡師と向かい合う。翔の意思とは無関係に、傀儡師の月華剣としのぎあっていた彼の鉤爪も、一度場を引く。鉤爪は傀儡師を倒すために備えているようだ。だが戦う相手が四人となり、分が悪いととらえたのか、それとも最初から勝負するつもりなどなかったのか、傀儡師は不気味な笑い声を残して、告げるだけだ。
「まずは序幕だ。いずれフィナーレへ向けて『こと』は動きだすだろう。その時笑うのは正か邪か」
「待て!」
傀儡師は、呼び止める翔の声を一切気にも止めない。彼は宙に舞い上がり、その姿を消す。あとに残されたのは、息を切らす翔たちと、椎奈に「守られた」瑠伽だけだ。椎奈は声を半分失っている瑠伽に駆け寄る。瑠伽は手が若干震えていたが、せめてもの男気だったのだろうか。彼は気力を奮い起こし、優しく笑みを浮かべて椎奈の肩に触れる。
「椎奈さん。ホントに強いね。心もその力も」
「瑠伽、先輩」
椎奈は瑠伽の言う意味が手に取るようにわかる。椎奈は俯き、唇を噛みしめる。彼女が受け止めるのは「覚醒者」としての現実だ。椎奈は瑠伽の口から出る、余りに辛い諭しを受け止める。
「その力は僕一人なんかのためじゃなく、みんなを守るために使わなきゃ。ねっ?」
「先輩……」
未練はそうたやすく断ち切れない。ようやく手に入れた束の間の幸せ。椎奈はそれが音を立てて崩れるのが分かっていた。彼女は泣くのを懸命にこらえるしかない。ゼナリは悔しそうに目を椎奈と瑠伽の二人から逸らす。瑠伽は、椎奈から離れる気持ちを決めたのか、そっと彼女の頬に触れる。
「僕も、情けないよ。好きな人の。……ね」
「先輩」
椎奈は、自分のもとから立ち去って行く瑠伽を、その姿が見えなくなるまで見送った。ゼナリも弥生も俯いている。椎奈のことは自分のことでもある。メンバーは、悲しみを押し殺すだけだ。荒れ果てたグラウンドに響くのは、ゼナリたちの目もはばからず泣く椎奈の泣き声だ。
「わぁあぁあん!」
弥生はまるで妹を見守るように、ゼナリは唇を噛みしめて、彼女を見つめている。勝利の味は余りに苦い。翔は翔で、「彼女たち」がどれほどの決意で、学園を守っているかを知る。翔が口を真一文字に結び、悔し紛れに叩きつけたグラウンドの土は砂埃をあげて、風に流されて行くだけだった。
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